第15話 朝に祈り、夕に泣く
私がブルーノに派遣されて、四ヶ月が過ぎようとしていた。人が殺し合っていようと風は吹くし陽は昇り、そして沈む。いつしか葉だけだった草木にも、美しい花が咲いていた。
エフェスを離れて久しいが、少なくともラシケントの側では日照りは徐々に治まり、雨の降る日も珍しいものではなくなってきた。だが、たまに入ってくる情報では、相変わらずエフェスは日照り続きで、レテ川のダムが完成した時は、エフェスは本当の最後を迎えるだろうと言われているらしい。
ちなみに今、私は日記を書いている。楼閣から、ただひたすら鴨打ちのようにエフェス兵達を銃で撃ち、剣や槍でなぎ払うだけの、狂った日々は今も変わらない。だが、一つだけ変わりつつあると言えるのは、ついにラシケントで純国産の銃が完成間近だと言うことだ。
もちろん、製作についてほぼ全面的に指揮を執っていたのはネイ・ハーマンだ。従来の改良型マーシャ銃にさらに改良を加え、小型化、連射などにも対応できるものと、より弾を遠くに飛ばすもの、二つのタイプに分けたという。
これらの完成と、量産が開始されると共に、ラシケントはエフェスに一気呵成に攻め込むつもりだと、ネイは意気込んでいる。果たして、それほど話は簡単に進むだろうか。
ハルマキ騒動があってからも、エフェスは相変わらずの状態だ。まるで何か一つの動作を繰り返す、機械人形のように攻め上がっては死に、新たに戦線に投入された兵達は祈りの言葉を叫ぶ。
昔を知る兵に話を聞けば、あの頃からずっと彼らはこんな調子だった。何も変わっていない。何も学んでいない。ただ、彼らがもしブルーノを突破して攻め込んだらと思うと、考えるだけで恐ろしい。
ラシケント兵は必死で戦う。エフェス兵はまるで、地獄から這い上がろうとする亡者に見えるのだ。彼らは全ての命を奪おうとする咎人の群れ。それはまるで永遠に続く地獄のようで、私達は裁きを下す審判者。
最初はそんなことを考える自分がおかしいと思っていたが、老兵は笑いながら、そう思わなければ戦争などやっていられないと言った。静かな狂気、散りゆく理性。私達は砂漠の流砂のように、ただゆっくりと狂っていく。
「エンドさん、水をお持ちしました」
カルの声に、記録を付けるペンを止め、顔を上げる。
そこには、相変わらず前線に立っているせいで、砂ぼこりに少し汚れたカルが立っていた。
まるで毎日ゲームのように人を殺す。その前戦に立って、毎日くたびれて泥のように眠る。そんなカルの顔が、少しだけ死ぬ前の父のように見えて、私は思わず涙を流しそうになった。
「どうしたんですか? 何か怖い夢でも見ましたか?」
「そうね、敢えて言うなら毎日が怖い夢だよ。早く覚めて欲しい」
「大砲が気になるんでしょう」
その言葉に、思わず私は口をつぐむ。カルと私とネイは、あの日のことを片時とて忘れたことは無い。だが、それでも忘れようとして、過ぎた時間を振り返らないように生きてきた。
ネイは研究室に閉じこもり、昼夜を問わず銃の開発に没頭した。私はそんなネイの代わりにこの楼閣に毎日上がり、実際の現場の指揮は、全てカルに任せてある。一番狂気の最前線に立たされているのは、カルと、私がまだ知らない名も無き兵士達だ。
今は狩る側の立場にいる私達は、大砲が完成したその日から、逆に狩られる側になる。ネイは大砲のような兵器は一ヶ月や二ヶ月で完成しないから大丈夫だと言っていたが、既にそれが四ヶ月ともなれば、不安は募る一方だ。
「改良された銃が戦線に投入されるのも間近です。仮にも副官であるエンドさんが、そのように怯えていたら、兵達の士気に関わりますよ」
「君は強がるのが得意だな」
「それが僕の仕事ですから」
にっこりと笑うカル。そんな彼の頬についた砂ぼこりを、指先で軽く払う。
相変わらず、気の利いた言葉も仕草もできない私には、これが精一杯だ。
「ありがとうカル。良ければ今日の夜、久しぶりに酒でも飲みに行かない?」
「ああ、いいですね」
その時、轟音と共に城壁に何かがぶつかる音が聞こえた。振り返ると、城壁の一部が破壊され、兵達の肉片が辺りに散らばっている。
カルを呼ぶ兵達の声が聞こえた時、彼は既に走り出していた。
「ああ……やっぱりね……」
私は力無くその場に膝を突く。ついに来るべき時が来てしまったのだ。これから始まるのは、一方的な殺戮。いよいよエフェスで繋いだ命も、ここで終わりを迎えるようだ。
「エンドさん、大丈夫ですか!」
「ああ……ネイ……私はいいよ……それよりあれ……」
「あの大砲は、一発撃ったら次に撃つまでかなり時間が掛かります。多分数台は用意していると思いますが、銃はあちらの手にまだ渡っていません。それに、改良した銃をカルさんに先ほど渡しておきました。仮に突破されても、易々とラシケントの地は踏ませないのです!」
ネイが言い終わるか言い終わらないかという間に、今度は三つの爆発音が辺りに轟く。
側面に当たったものが二発。この楼閣を狙ったのか、少しずれたものが一発。そして、削れた岸壁から、砂と小石が降ってきた。
「けほっけほっ、だ、大丈夫ですかエンドさん!」
「私は大丈夫よ。覚悟してたし。それよりもネイ、銃はまだある?」
「ありますけど?」
「一つ貸してよ。弾もちょうだい」
「まさか、何をする気ですか?」
「戦うに決まってるでしょう。もうすぐここが戦場になるんだから」
さらりと私が言い放った事に、ネイは今までにない驚いた表情をする。
けれど、すぐに自分の研究室に戻ると、改良した小型の銃を持ってきた。
「ありがとう」
「ねえ、エンドさん。本気でやりあうんですか?」
「当然でしょう」
手元で弾を込めると、がちゃりと聞き慣れた音がする。
さあ死のう。地獄が始まる。カル君に守られるだけの、やわな女としては死にたくない。
デトラの時みたいに、彼の足手まといになりたくはない。
掛かって来いよ異教徒共。
私はここにいる。
*
ああ、それは破滅の音。大砲がついに完成し、ボクが治めるブルーノに、奴らが土足で踏み込んでくる。実に汚らわしい。お前等が、お前等如きが、ボクを理解しようとするな!
信じる神なんてどうでもいい。ボクはソーリアもエフェスも信じていない。ただ、ボクの気に入らない事ばかりする、エフェス人は大嫌いだ。
だからボクは必死だった。自由になるためには、この国で力を持たなければならない。力を持つためには、なんらかの功績を、それも圧倒的で誰にも文句を言わせない、ルアドのように高い地位を得なければ。
ブルーノという土地は、まさに戦争をするための土地。多くのラシケント人がそこで死に、墓地に運ばれていくための、あの世とこの世の境目の町。けれどもボクは死なない。ボクは偉くて指揮官だから、ボクは常に守られる。ボクはたくさんの犠牲の上に、ボクの命が成り立っている。
ボクは花だ。動物は死ぬと、腐って肥料となる。それを吸い上げた花は、美しく咲き誇る。そしてボクはそんな美しい花を見せてあげればいい。武器として、エフェスに負けない無敵の何かを作り上げ、マーシャも全部平らげるような、神の鉄槌を作ればいい。
「大砲なんかに! 大砲ごときに! ボクを否定させてやらないのですよおおおおおおお!」
残っている銃を持って、ボクも前戦に立つ。大砲で崩れたところから、薄汚いエフェス兵共が這い上がってくる。まるでナメクジの群れ。
兵達は汗と砂まみれになって、銃を撃っては弾を込めて、血しぶきを浴びて、来るな来るなと叫びながら、必死になっている。中にはソーリア神へ祈り始めた愚か者もちらほら目に付く。
「お前らしっかりするのです! ほら、指揮官にして辺境伯のボクが自ら前戦に立つのです!」
二つの炸裂弾に火を着け、放り投げてやる。すると、一気に押し寄せてきた二十人前後の兵達が肉片となって宙に舞った。
ボクは思わず笑い声を上げる。感極まってひざまずく。見ろ! これが人間だ! ボクらは所詮血と糞と尿の詰まった革袋だ! 大砲? 知った事か! 火力なら負けない! 圧倒的な火力の前に、エフェスの奴らは頭を垂れる!
「我らが祈り! 天に届け! 神に届け! ああエフェス様! エフェス様ァァァッッッ!」
「うるさいんですよ!」
頭を撃つと、膨張した水風船が破裂したように辺りに血と脳漿が飛び散る。しかし、飛び散った血と脳漿まみれになって、さらに三人、いや、四人押し掛けてくる。祈りの言葉は同じ。ここまで来ると馬鹿も突き抜けて気持ちがいい。
もはや何も言わず、弾を込め直した銃をさらに撃つ。もう一度撃つ。もう一人はそばに居た兵士の一人が撃ち殺した。ありがとうと小さく呟くと、大丈夫ですかとか、良くある言葉を掛けられた。やれやれ、そんなこと言ってる間に迫り来る砂嵐みたいな、イナゴの大群みたいな、あいつ等を一人でも二人でもぶち殺してくれ。
狂信者どもが。虫けらのように殺されるためだけに、わざわざ突っ込んでくる。
ああ畜生。ボクの全てが台無しだよ。お前達に何が分かる? ボクの何が分かる?
のたうって慈悲を乞うて、泣いて叫んで惨めに死ね!
「ネイ様、ここは危険です。お下がり下さい!」
「ボクに命令するんですか? 一介の兵のあなたが、ボクに?」
「あ……いえ、小官はただネイ様の心配を……」
「やかましい! さっさとあいつ等をブチ殺すのですよ! 我が国に一歩足りとも入れてはならないのです! これは命令です! ラシケント辺境伯ネイ・ハーマンとしての命令です!」
叫んだとき、後ろから一人のエフェス兵が近寄っている事に気が付いた。瞬きの瞬間に、目の前で兵士の首が転げ落ちる。
「エフェス神に逆らう異端者! 死を! 地獄のような死を!」
一瞬、訳が分からず、逃げる事も忘れて呆然とする。次の瞬間、目の前に、椿の花のようにぼとりと首が転がった。降り注ぐのは深紅の雨。それはとてもなま暖かく、切断面は中央に見える背骨と相まって、怪物の目玉のように見えた。
「うわああああああああああああああああああ!」
無我夢中で引き金を引く。そして、エフェス兵の頭に今度はぽっかり空洞が出来た。そこだけがまるで、落ちてきたように感じるほどに透き通る空。だが、一瞬見えたそんな空は、すぐに倒れて地面しか見えない。
「はぁっ、はぁっ、ぼ、ボクを馬鹿にするんじゃないのです! ボクはネイ・ハーマンです!」
「ネイ、大丈夫?」
遠くからエンドさんが呼ぶ声がする。振り返ろうとしたけれど、なぜか首が動かない。
仕方ないので、できるだけ大きな声で返事をする。
「ああ、エンドさん、それにカルさん! ボクは大丈夫です! さあ、一緒に戦いましょう! ボクの武器を存分に使って下さい! ボクの炸裂弾を……」
あれ? 何だかまぶたが重い。どうしたんだろう。声が出ない。
少し腕と足が痛いなあ。立ち上がろうと思っても立ち上がれないや。
なんだか口の中に血の味が広がる。あれ? さっき入っちゃったのかな。嫌だなあ。
おっと、ボクの下半身が落ちてる。くっつけなきゃ死んじゃうよ。
なのに眠いなあ。これから頑張らなきゃいけないのに。
ごめんなさい。おやすみなさい。




