第14話 悩ましき無才、崩れ果てて塵
今日もカルが作ってくれるメシがうまい。戦争は嫌いだが、避けて通れない私の仕事。
腹が減ってはいくさはできぬと、どこかの偉い人が言っているが、まさにその通りなのだ。
「カル、このりんごジャム美味しいね! ブランデーを風味付けに使ってるよね!」
「よく分かりますね。このブルーノでは少しだけブランデーを作ってるみたいで、酒屋さんに置いてあったので、ちょっと使ってみたんです。どうやら正解だったみたいですね」
「あまーいのです! りんごジャム、悪くないですね!」
パンに何か塗るだけでも、そこに一手間くわわって、みんなで食べればそれはご馳走だ。
狂った人間も、正気の人間も、正気を装った人間も、食事の時ぐらいは笑顔で居られる。
「こっちのクリームチーズも付けて食べると、また違った美味しさがあります」
「ほうほう。さすがカル君、用意がいいね」
「まあ、戦争だからって四六時中緊張してちゃいけませんから」
パンを一口ほおばり、紅茶を飲む。
朝の穏やかな光景の中で、これから始まる今日の戦争は一時忘れる。ずっとこんな時間が、こんな日が続けばいいのに。と、思っているそばから、慌ただしい靴音が聞こえる。
「お食事中に失礼いたします。ネイ様に謁見したいという、東洋人がおりますが、いかが致しましょうか」
「ボクに会いたい東洋人ですか? 名前は?」
「ハルマキと名乗る少女です」
「はあ。少女ですか」
少しだけ何かを考えるように上を向いたネイは、許可を込めて頷く。
東洋人の子供、というところに、何か興味を惹かれたのだろう。もちろん私も興味津々だ。カルを見ると、彼も同意だと目で合図する。
「かしこまりました。それではお食事の後に謁見、ということで宜しいでしょうか」
「うん。ただし面倒くさいから、あの楼閣に通しておいてよ。そろそろエフェスの皆さんが攻め込んで来る時間でしょう」
「かしこまりました」
兵士は短く返事をして、部屋を出ていった。
食卓はすぐにさっきまでの空気を取り戻すが、さすがにそろそろ時間が時間だ。彼らもそろそろ攻撃を開始するだろう。
ネイは急いでパンを口に放り込むと、呑み込み損なって咳き込む。
「慌てすぎだよネイ」
「げふげふっ、大丈夫ですよ。それより、カルさんは今日も前線の指揮をお願いするのです。エンドさんは、ボクのお手伝いをしていただけますか?」
「炸裂弾は使用しても宜しいでしょうか?」
「許可するのです。むしろ存分に使ってやるのです。足りなくなったら、倉庫管理をしてるアランに言って欲しいのです。
―連絡は以上です。さて、何の用事かは分かりませんが、東洋人の女の子とやらに会いに行くのですよ。エンドさん、準備はもういいですか?」
「ええ、いつでも」
「それじゃ、今日も楼閣から一応戦場を監視するのです」
食事の片付けも早々に、私達は昨日と同じ、最も戦場という名の地獄を見渡せる楼閣へと上がっていく。近付くにつれて、狭い廊下から少しずつ血と硝煙の混じった匂いが漂い始める。
いつまでこんな事を続けるのだろう。ネイはできるだけ早くこの攻城戦を、一転させて攻勢に出たいと思っているみたいだけれど、人数や物量で大差を付けられている。短期決戦で済ませたいという気持ちは分かるけれど、結局はここに釘付けにされたまま、じわじわと消耗戦を繰り広げる事になるんじゃないだろうか。
「どうしたのです?」
「ちょっと考え事をしてただけ」
慌てて返事をする私を、ネイはまじまじと覗き込む。思っていたことが、表情に出ていたかも知れない。
「不安なんでしょう」
「さあて、どうかな」
「ボクを信じて欲しいのです」
「信じてるわよ、ネイ」
まあ、こんなやり取りでしか、私も不安を解消することができない。エフェスという国に実際に滞在して、この国はおかしい、この国の人々はおかしいと結論を出したのだ。ラシケントの精鋭がいくら集まっても、最終的には死を恐れる。
このブルーノの例をとってみても、打って出るには銃の数がまだ足りないだろう。しかし、銃の数をそろえるだけの資金が貯まる頃には、マーシャは火薬の件を嗅ぎつけて、エフェスに銃を売っている事だろう。どちらにしても八方ふさがりの気がするんだけどなあ。
楼閣の椅子に腰を下ろすと、ちょうど良く開戦を報せる怒号があちこちから上がる。兵達の祈りの声は歌となって、ここまで届いてくる。いつ聞いても気分が良いものではない。
「バカですよね。あんなに神、神って言いながら死ぬの、愚かです」
吐き捨てるようにネイは言うが、そこは同意だ。ただ、今はダムの建設が問題になっているのだから仕方ない。神は別としても、彼らはきっと戦わねばならないだろう。
帰国した際に、一応ルアドと謁見もしたが、ダムについて話す暇も無く、ブルーノに派遣を決められてしまったし、何か質問するような時間も与えられなかった。憶えているのは、カルと私を見る時の、醜い虫でも見たような嫌悪の光を湛えた瞳。あれを見ると、まともに会話するよりは、ただ湧いてくる罵詈雑言を喉元でこらえるのに精一杯で、ダムの事など頭から抜け落ちてしまった。
「失礼いたします。先ほど報告のありました、東洋の少女をお連れしました」
兵士の声に、不意に現実に引き戻される。
そこには、髪の毛を頭の上で小さく丸く整えた、足の見えるスリットが入った不思議な服を着た少女が立っていた。
「にーはおー、ワタシのなまえハルマキね。えふぇすにいきたいんだけど、アナタのきょかがないとイケナイいわれた」
何だか妙なテンションで、彼女はにこにこと笑う。だが、最も驚いた事は、彼女はまさに、見た目も声もあからさまに「少女」であるということだ。歳の頃はまだ、十歳くらいではないだろうか。こんな年齢の娘が、この激戦地であるブルーノを通ってエフェスに行く。その理由も必要性も、まるで見当がつかない。
ネイはこんな子供が来た事に少し不機嫌そうだが、私が代わりに話を進めると目で合図して、身を乗り出す。
「私の名前はエンド・ガーウィン。この町を含めた一帯であるブルーノ地方の辺境伯、ネイのお手伝いをしてるの。よろしくね」
「はいー、ヨロシクネ」
「ところでハルマキちゃん、お父さんとお母さんはどこかな?」
「じゅーねんほどまえにシンだな。さすがにトシだったしな」
あっけらかんと笑うが、両親が死んだ頃のネイに比べてさえ幼い彼女に、あの過酷なエフェス行きの道のりを、一人で行くことができるとは思えない。保護すべきだろうか。そう思ったが、まず目的を聞かねばならないだろう。
「ハルマキちゃんは、なんでエフェスに行きたいのかしら?」
「ワタシのぎじゅつをうるんだ」
「ぎじゅつ?」
おそらく技術、と言いたいのだろうか。しかし、こんな幼い女の子に、売り込むことができる何らかの技術を持っているとは思えない。だが、彼女はそんな私の胸中などおかまいなしといった様子で、身を乗り出してくる。
「たいほう、つよいんだぞ!」
「たいほう?」
「おおきなたまをうつ。たいほう!」
おそらく「大砲」と言いたいのだろう。ネイもそこはさすがに理解したようだった。確かに、炸裂弾ができてから、銃のようにそれらを応用した武器を研究する者は増えた。元々戦争に対して興味が無かった私だが、実は銃も錬金術師の中から派生した一派が、鍛冶屋と手を組んで開発したものだと、エフェスに居る頃に知った。もっとも、それはアレサが教えてくれたから、ということもある。そして、マーシャでは今、大砲というものを開発しようとしていると、彼はある日語っていた。
もちろん口を滑らせただけだったらしく、その事についてはそれ以上触れる事は無かった。だが、ネイに聞いたところ、そういう兵器の開発もいずれは行いたいと言っているし、どうやら彼もその存在は知っていたようだった。
けれど、それはマーシャに於いて、今も極秘事項として取り扱われていることだろう。一般の人間では、知る由も無いはずだ。そう考えると、冗談にしてはたちが悪い。だが、現にこうして目の前で、彼女はその名を口にしている。果たしてどう扱うべきだろうか。
私が考えあぐねていると、ネイがあからさまな作り笑顔を浮かべながら、彼女に問いかけた。
「それはすごいのです! 是非、図面があれば見せて欲しいのです!」
「いやだよー。タダじゃみせられないネ」
「お金を取るのですか?」
「ときはかねなり。マーシャきんかひゃくまいでどう?」
その時、彼女は子供とは思えないような、歪んだ笑顔を見せた。だが、すぐにそんな表情は姿を消し、無邪気な少女の顔が現れる。
見た目は確かに元に戻った。だが、要求した内容はおそらく変わらないだろう。私は改めて聞き返す。
「よく聞こえなかったなあ。マーシャ金貨百枚?」
「そうだよ」
ためらうことなく返事をする。なるほど、一切譲歩するつもりは無いらしい。思案する私の横で、ネイはいきなり兵士を呼びつけ、宝物庫から金貨百枚を持ってくるように言いつけた。
「ちょっと、ネイ?」
「いいじゃないですか。ボクが見てみたいんです。彼女が本当に大砲の図面を作れているのなら、ボクが見ればその真贋は明らかになるのです」
ネイはどうやら本気だ。おそらく、彼の発明家としての心に火を着けてしまったのだろう。もしこれが嘘だったとしたら、彼女はマーシャ金貨百枚という大金を丸儲けにできる。だが、本当だったなら……
やがて、警備に当たっていた兵士が金貨の入った袋を持ってきた。彼女はずっしりと重いそれを、テーブルの上で一枚一枚、金額が合っているか確かめる。
全てを数え終わると、さも満足そうに頷いた。
「アリガトね! じゃあ、ずめんみせるよ!」
そう言って、彼女は懐から真新しい羊皮紙を出してみせる。直線やら丸やらが、所狭しと書き込まれ、至る所に数字や数式、それに何らかの薬品などの名前も書かれている。ぱっと見ただけでは私には分からないが、ネイは食い入るようにそれを見ている。
「これ、うちの国に売らないですか?」
「かってくれるの? いくら?」
その言葉に、ネイは考え込む。たかが図面を見るだけで金貨百枚と言われたのだ。そして、彼が売って欲しいということは、どうやらこれは本物なのだろう。だが、問題はその値段だ。
「マーシャ金貨一万枚でどうですか?」
「はー……おハナシにならない……」
「十万枚ではどうです!」
「はやく、エフェスにいきたいよ。ほら、ルアドさんからかった、つうこうしょうあるよ?」
図面を取り出した懐から、今度はルアドが署名した、通行証を見せる。なるほど、このミミズが胃けいれんを起こしたようなサインは、確かにルアドのものだろう。
「ルアド……あのバカ……こんな貴重な研究を持った人間を、みすみすエフェスに逃がそうというのか……」
「ネイさん、ほんきでこれほしいのか?」
「欲しいです。悔しいですが、これは本物であると認めざるを得ないのです」
「うってあげるよ。マーシャきんかひゃくまんまいで」
その言葉を聞いた瞬間、ネイの表情が凍り付く。ダム建設に掛かる費用のおよそ三分の一に相当する金額を払えと言っている。だが、このブルーノ地方に於ける年間予算がマーシャ金貨にして二十万枚、およそブルーノ一帯を五年に渡って運営し続けるだけの費用を、この少女は要求しているのだ。
「宰相のルアドに問い合わせれば……決済は下りるかも知れないのです……それまで、どうかここでお待ち頂けませんか?」
ネイの声が震えている。大嫌いなルアドに、金を無心してでも手に入れねばならない、そんな兵器なのだろう。彼にここまで言わしめる。大砲とはそれほどの武器なのだろうか。
「んー、さいしょはルアドさんにうろうとしたよ。そしたら、たかいってことわられたよ」
「あなた、いったい何者なんですか? ボクでさえ銃の開発がやっと目処が立ちそうというだけなのに、ボクより幼いあなたが大砲ですか? 何なんですか!」
「わたしのなまえはハルマキ。さっきなのったとおりだよ」
取り乱すネイに対して、少女はあっけらかんとして笑う。その時ネイは、何かに気が付いたように唖然とした表情をする。どこか、恐怖に駆られたように、額には汗が浮かんでいる。
「あなた、ひょっとして東洋で生まれた希代の天才錬丹術師と名高い、ハルマキさんですか?」
「てんさいって、ワタシはただのとしもとれないあわれなオンナだよ。みればわかるでしょ?」
そう呟いて、子供ではおよそ見せないような、自嘲的な笑みを浮かべる。
どうしていいか分からず、私はネイに問いかけた。
「えーっと、彼女は凄い人なの、ネイ?」
「当たり前なのです! 彼女は炸裂弾や銃の弾に使われる、火薬そのものを発明したのです!
あくまでも噂では聞いていましたが、発明したのは幼い少女だったと言われているのです」
「え……それって凄いって言葉じゃ済まないんじゃ……」
しかし、にわかには信じがたい。こんな年端もいかない少女が、そんな天才だというのか?
「ラシケントのルアドにいったら、しんじてもらえなかったネ。あいつキライね。でも、カネはらったらつうこうしょうはくれたよ。だから、とっととワタシをみとめてくれそうなクニにいきたい。はやくここをとおしてホシイね」
唇をとがらせ、不満そうに呟くハルマキ。払う金が無いのなら、とっととここを立ち去りたいというのが、あけすけに見て取れる。しかし、マーシャ金貨百万枚などというのは、さすがに吹っ掛けすぎではないだろうか。
「ハルマキさん、あなたの発明が素晴らしいものなのは認めます。ですが、それほどの大金を易々と積む国があるでしょうか?」
「つまないならべつに、かわなきゃいいデショ?」
「でも、世の中にその発明を出すことができないまま、廃れてしまうのは悲しくない?」
「ワタシね、ふろうふしなの。いきていくうえで、まだまだけんきゅうをつづけたい。そのためにひつようなのはおカネなの。たいくつはしぬよりもツラい」
「不老不死がどうとかはよく分かりませんが、マーシャ金貨が百万枚というのは、高過ぎだと思わない?」
「だーかーら、タカいおもうならかわなきゃいい! はやくここをトオシて!」
机を叩いて立ち上がったハルマキ。だが、そのすぐ後ろに見慣れた男が立っていた。カルだ。
その手に持った銃の先端は、ハルマキの後頭部に当たっている。
「それ、僕達にプレゼントしてくれませんか?」
「ふーん……このクニ、くさってるネ」
「カル!」
思わず立ち上がり、カルの方に近付こうとしたが、彼は視線でそれを止めた。本物の殺意をこの幼い少女に向けている。
「エンドさんは黙っていて下さい。さっきから話を聞いていれば、この子供がバカ高い値段で大砲とやらを僕らに売りつけたいんでしょう? でも、あまりにその値段が高過ぎて、払う事ができない。だったら殺して奪い取るしかないと思いませんか」
「ころしなよオニーサン。ただしワタシはしなないよ」
「カル! その銃を下ろしなさい!」
「彼女をこのままエフェスに逃がせば、ラシケントは崩壊するかも知れません。それでも良いのですか?」
「ははは、こんなクニがほろびようと、ワタシしったことじゃないネ」
乾いた笑いで返事をするハルマキ。もはやカルも止めようが無い。
戦争は人を狂わせる。私もいつかこうなるだろうか。けれど、狂っていなければ、まともに戦争なんて出来るはずもない気もする。ならば、いっそ―
「カル、その子を」
「その子を通してあげるのですよ。カルさん」
ネイの言葉が、私の言葉に重なり、かき消される。その瞬間にはっとして、思わずネイの方を振り返る。彼は真剣な眼差しで、カルを見据えていた。
「ネイ様、何をおっしゃっているのですか?」
「聞こえませんでしたかカルさん? ラシケント辺境伯ネイ・ハーマンとしての命令なのです。その少女に突きつけている銃を下ろし、速やかに門を開いてやるのです」
「しかし、彼女をこのまま逃せば、我が国は……」
うろたえるカル。だが、ネイは悔しそうに体を震わせる。
「誇りを失ってはいけないのです。この子を殺して、ボクが設計図を奪い取るのは造作もない事です。ここで黙って、あなたが銃の引き金を引くのを、ただ見過ごせばいい。そしてボクはこの設計図を元に大砲を作り、ラシケントの勝利は確固たるものとなるでしょう。
しかし、そんな勝利に興味は無い。ボクはラシケントの中央に居るような奴らと、父様や母様と違うのです! ボクは自らの手で、この大砲より優れた大砲を作り、エフェスに勝てば良いだけなのです!」
しばらく、時が止まったような楼閣の中で、やがてカルは銃を下げて、少し不満そうにネイに言った。
「ネイ様がそうおっしゃるなら、従わざるを得ません」
「彼女を送り出してさしあげるのです。丁重にですよ!」
なぜか私は、初めてエフェスに行った時の、父の姿を思い出していた。
ネイは確かに天才的な少年だ。いや、本物の天才だろう。だが、大砲はおろか、まだ銃の再現さえできていないのだ。一方で、このハルマキという少女は、既に大砲の設計図を作っており、もしエフェスがこれを購入したならば、ブルーノ陥落という事も、夢物語ではなくなるだろう。その時こそ、本当の地獄が始まる。
カルのやろうとした事は、本当はこの上なく間違った正義だ。だが、間違っていても、この国を守るため、私達が生き延びるため、やむを得ない正義なのだ。
生きるために家畜を殺し、その肉を食らう行為。襲いかかってきた野犬の首を刎ねる行為。それらと、ハルマキを殺し、図面を強奪する事にそれほど差は無い。だが、それ以上に彼は誇りを大切にしたのだ。
狂った小僧の神様に、なぜか今、誇りが芽生えた。私にはそれが正しいとも、間違っているとも言うことはできない。ただ一つだけ確かなのは、呆気ないほどに簡単な幕切れが起こったということだ。
錬丹術師ハルマキ騒動。これは公式の記録にこそ残っていないが、ラシケントの闇の汚点として、今後語り継がれていく事になる。それは、ダムの完成を間近に控えた、春も終わりの頃に明らかとなる―




