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第13話 物思う道化師サイエンティスト

 ブルーノで見る月は、エフェスよりもほんの少しだけ遠い気がする。エフェスの砂漠で見る満月は、なぜかとても近く見えた。青い光に照らされて、全ての世界が死んだように静まり返る砂漠の夜にたたずむと、そのまま溶けてしまえるような気がした。

 そんな中で、不意に泣きたくなると、横にカルがいた。彼はいつも、何も言わなくても私の事を理解してくれる。とても頼もしくて、とても優しくて、君は最高の友達だ。

 ―いや、本当は『友達』じゃなくて、もっと別の言い方をしなきゃいけないんだろうけど、心の中でさえ、私はまだ恥ずかしさが残っている。でもね、感謝はしてるんだよ。

 だからほら、窓辺で何か物憂げにしてる、君のために葡萄酒を持ってきてあげたよ。

「エンドさん、起きてたんですか?」

「眠れない夜、カル君は月を見上げて何を考えていたのかな」

「ネイ様の事です」

「あー……何とも言えないなあ……」

「火薬は貴重品ですから、それを量産化できたことは素晴らしい事だと思います。ただ、その事を過信しているのが、とても危険に思えて仕方ない」

「なぜ危険だと思うの?」

 ぐびりと音をさせて、葡萄酒を一口飲む。カルは前を向いて、月を見たままゆっくり答えた。

「ネイ様は戦争を悲惨だと思っていない。まるで破滅することを楽しんでいる。ひょっとするとそれは、エフェスを破滅させるだけじゃなく、時に自分自身が破滅してさえも、良いように思っているんじゃないかなあと思えるんです」

「うーん、そうね。彼はあらゆる意味の破滅主義者だと思うわ。頭の中にある大切な部品が、二つか三つ飛んじゃってる」

 言っていて、少し悲しくなる。それはきっと、自分もそんな心が理解できるからだ。

 ラシケントの勝利という美酒を味わうために、戦争という状況で冷静さを保つために、必要なのは正気ではなく狂気。戦争は負ければ相手国にほぼ全員が奴隷のような扱いを受け、あらゆる文物、文化、精神を否定され、何よりもラシケント固有の宗教であるソーリア信仰そのものについて、改宗を要求されることだろう。これらは、誇り高きラシケント人にとって、耐え難き屈辱のはず。

 私達は勝たなければならない。勝つために手段は選ばないし、選べない。だからこそ正しい。彼の言い分は正しいはずなのに、おかしいように感じてしまう。それはきっと、彼を利用しようとしている、自分自身の心そのものだろう。

 私がやらなくても、きっと彼が何とかしてくれる。そんな心の現れ。

「銃は強く、炸裂弾もまた素晴らしい武器です。今すぐとは言いませんが、近い将来には、必ずブルーノは外に打って出る事でしょう。ただ、何か落とし穴が待っている気がします」

「そうね、例えばマーシャがエフェスに銃を売り始めるとか」

「それもあるでしょう。ただ、現状はまだマーシャ側が、我々の動向に気が付いているかどうかは分からない。火薬が量産できる体制になったと知れば、状況は一変する可能性があります」

「つまり、短期決戦に持ち込まなければ、ラシケントは勝ち残れない」

 その言葉に、カルはこくりと頷く。

 確かに、マーシャは少しでもだらだらと戦争を長引かせたいが為に、私達に銃を売るという手段を取った。それは均衡を保つため。もしエフェスが本気を出した時、ラシケントという国が滅びてしまうため。彼はその予防線として銃を売ったのだ。決して、ラシケントが勝利するためではない。

 だが、短期決戦であの大国を打ち破る事などできるだろうか。死を厭わない狂った兵達を相手にして、火薬はどこまでの矛となる?

 カルもまた、グラスの葡萄酒を飲み干すと、自嘲気味に笑う。

「勝つ必要なんてありません。どちらかと言えば、双方が本気になれば取り返しのつかない事になると、相手に分からせてやればいいのです。そうすれば、始まった戦争も再びすぐに休戦となることでしょう。

 エフェスの長老衆を震え上がらせれば我々の勝ち。そうなる前にマーシャが手を貸せば我々の負け。理屈は極めて単純です。ただし、勝つか負けるかはまだ分かりませんけどね」

 吹き抜ける風が少し冷たく頬に当たる。月を見上げても、結局何も語ろうとはしない。静かなこの長城の下は、月明かりでは見る事のできない闇が、ただ静かに広がっている。

 無数の屍で彩られた「ラシケントより向こうの地」は、私達が来ることを拒んでいるように見える。終わりが見えない。死と狂気の果てが。

 正常を保つって、どういう事だろう?

 そんな疑問が頭に浮かぶが、それを否定するようにかぶりを振ると、私はカルにおやすみと言って自分の部屋に戻った。明日も朝からエフェスの兵達は元気な姿で死にに来るだろう。

 祈り、叫び、慈悲を乞い、そして死ぬ。踏みつぶされる蟻のように。砂漠に落ちた芋虫のように。無駄に無意味に死んでいくのだ。



 ボクの名前はネイ・ハーマン。元はシエナの東、肥沃な土地による田園風景がどこまでも広がる、トリアス一帯を治める有力貴族、グレイン・ハーマン公爵の息子として生まれた。

 母の名はトレヴィア・ハーマン。トリアスの大地主として知られるマルコーニ家の三女だったのが、父に見初められたと聞いている。

 貴族の家に生まれれば幸せだと、誰もが言うだろう。確かに、飢える事も無ければ金に困る事も無い。着るものだって、ラシケントでも屈指の仕立屋から買っているし、欲しいと思えばすぐに手に入る。けれど、ボクもエンドさんも、いや、保守系で知られるヨシュア様の流れを汲む貴族達の子弟は、誰もが厳しい教育の元に、忠誠心と信仰心を徹底的に刷り込まれ、この国の将来を背負って立つべく、血の滲むような努力を続けてきた。

 誰もが父の事を讃える。素晴らしいお父様をお持ちだ。ご子息のネイ様もまた、それに相応しい器をお持ちだ。ラシケントはこれから益々発展を遂げるだろう、と。それはおそらく世辞じゃなく、本気でそう思っていたはずだ。

 年に一度は教学院にて、数ヶ月間は寄宿舎生活をしながら、徹底した詰め込み教育を受けさせられる。それも、本当に下らなくて、役に立たない神話の類ばかりだ。

 ボクはその時確信した。この国は負ける。いつか駄目になる。その時ボクは、異教徒達が叫ぶ声を最後に聞きながら、自分の首を切り落とされてしまうのだと。

 それが怖くて仕方がない。夜も眠れず昼も眠れない。けれども、気が付けばついうとうとしている。そして先生に怒られる。家庭教師に怒られる。それを告げ口された両親に怒られる。お前は出来損ない。お前は馬鹿。お前なんて産まなければ良かった。牛は死ねば食うことができるが、お前は死んでも葬式代が掛かるだけ。そんな風に言われたくないなら、武術を極めるか、神学を極めるか、どちらかを選べと父は言う。母は言う。

 ボクはつまり、いつも父が着ているマントほどの価値さえも無く、母が胸元に付けている、悪趣味なカメオのブローチよりも醜悪なものなのだ。毎日言われる。休み無く言われる。お前は何よりも価値が無いと。

 ご飯を食べるとき、どこかに出かけるとき、何かを買うとき、何かを発表するとき、ボクは二言目に否定を受ける。毎日のように言われる。徐々に自分が価値の無い人間じゃないかって思えて、悲しくて仕方なかった時に、ボクはエンドさんと知り合った。なんと驚いたことに、彼女とボクの境遇はとても似ていた。

 ボクは彼女に惹かれたよ。けれど、それは愛とか恋とかじゃない。もっと深いところで理解し合ってる同士、みたいな感じかな。それに、彼女の心の「恋愛」という棚の中には、既に予約が入ってたしね。エフェスで元は奴隷だったというカルさん。彼も辛い境遇を歩んでいる。けれど、ボクとは少し違っていた。でも、彼も違う意味で同士だ。

 ボクは嬉しかったよ。人と人はこれほどに理解し合えるなんて。愚かしいほどにおかしくて、それはまるで不思議な奇跡だ! 偶然とはかくも面白いものか!

 でもね、人生で面白いことがちょっとくらいあったからって、日々の生活は変わらないんだ。

 だから、さ。ちょっとくらい殺意が湧いたって仕方ないと思うよね。ほんの少し手を伸ばしてさ、テラスから突き落とせば死んじゃうんだもの。血縁だからとか、親だからとか、人殺しは犯罪だとか言うけど、居るか居ないか分からない神の為に、いくらでも命を落とすような馬鹿がほとんどのこの国で、命が大切とか言われても、説得力が無いんだよ。

 でも、その頃にちょうどヨシュア様も死んじゃった。エンドさんのお父さんで、ボクにも優しかったおじさん。印象は悪くないよ。生きてても別に良かった。けれども、ひょっとしたらエンドさんもお父さんが鬱陶しかったかもね。だから、その事についてボクは何も聞かないし、聞く必要も無いと思う。殺していてもいなくても、もう死んだ人は生き返らない。それよりも今だよ。大切なのはこれからを生きるために、ボクらはどうするべきか? ってこと。

 ヨシュアのおじさんが亡くなった後、おじさんに比べれば愚鈍ということで有名だったルアドのおじさんが宰相になって、ボクはトリアスからブルーノへと転地を命じられた。

 同じ頃、エンドさんは註エフェス大使として、カルさんと共にデトラに派遣され、休戦状態を今後も続けることができるように、尽力していたと聞いている。もちろん、ボクはそんなことは無駄だと最初から思っていた。その証拠に、マーシャのアレサとかいう商人が、エンドさんに対して銃を売る話を持ちかけたからだ。

 この銃というものはなかなかに面白い。火薬を使って、小さな塊を高速で発射し、鎧をも貫くという優れものだ。けれど、こんなものをマーシャが売りつけてくる時点で、休戦の延長なんて破綻したも同然だ。

 でも、エンドさんはとても純粋な人だ。とても良い人だ。だからきっと、休戦の延長を信じて頑張るに違いない。残された五年という期間の間に、穏健派と言われる人々と会い、彼らとの折衝を重ねて、妥協案を導こうとするだろう。そしてそれは上手くいくけど、きっと何かの落とし穴があるはず。ラシケントの新宰相、ルアドは愚鈍でも、ルアドを利用する奴らは愚鈍じゃない。何かある。きっと仕掛けてくるはず。

 だからボクは銃を研究したんだ。そりゃあもう、銃を抱いて眠るくらいに、銃を恋人にするくらいに。日が昇り、暮れて沈んでまた昇って。銃を自分で製造できるくらいまで研究したよ。休戦が破綻した後に、ラシケントが攻勢に出るために。

そしてボクは銃にとって大切な事に気が付いた。銃の弾には火薬が使われ、その火薬こそが、この銃というものの富を生み出す源泉だと知った。

 こうなるともう、笑いが止まらない。火薬の成分なら既に知っている。この火薬に使われる硝酸をいかにして作るのか? ただそれを研究すればいいだけ。やがて出た結論が、このニガヨモギを使った実験だ。

 もちろん紆余曲折はあった。どんな植物が効率がいいかも考えた。色々試してみたけれど、結論としてたどり着いたのは、このニガヨモギだ。しかもこれは、お酒にも応用できるために、ラシケントの中央でも、ネイは美食家の道に目覚めたらしいとか、ありがたい噂話が流れていたおかげで、ルアドに目を付けられる事もなかった。

 マーシャはおそらく、エフェスとラシケントの両方に情報収集をさせる人材を派遣している事だろう。だからこそ、ボクの企みは知られてはならなかった。もし銃の弾をマーシャから買わない、炸裂弾をマーシャから買わないとなれば、彼らはエフェスにこの素晴らしい武器を売りかねないからだ。

 だが、もちろんボクはこの銃を越える銃を、近い内に作ってみせる。弾の次は、優れた銃が必要だ。越えてやるよ、お前達を。このボクが、必ずお前達の脳髄の上を駆け抜けてやるさ。

 ああ、考えるだけで脳汁があふれ出そうだよ。止まらないよ。踊り出すよ。

 ルンタッタ、ルンタタタ♪

「さあ、今日も張り切ってエフェスの奴らを皆殺しにするのですよ! そして、一刻も早くラシケントだけで銃を開発するのです!」

 朝の光が窓から射し込む。そして一日の戦争が始まる。胸一杯に吸い込む朝の匂いは、少しだけ血の匂いがする。でも、これからもっとそれは強くなる。だって、たくさん殺されるから。

「おはようございます。ネイ様」

「あー、カルさんおはようです。どうしたのですか?」

「エンドさんと僕の朝食を作ったのですが、少々作り過ぎてしまったので、宜しければ一緒にいかがかと思いまして」

「おお、カルさんが料理してるんですか? エンドさん、女の子なのに料理しないんですか?」

「えーっと……まあ、そのー……エンドさんの前で言わないでくださいね、それ」

「あはははっ、了解です! それじゃ、朝食にするのですよ!」

 今日もいい戦争日和だ。きっとたくさん死ぬ。胸がうきうきするね!

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