牛すじ煮込み、始めました。
牛すじ煮込み、始めました。価格はパンとセットで銅貨1枚。
看板に書いて売り出したが、高くてまずいという評判の食堂は、なかなか人が来なかった。
「美味いのになぁ」
エリスが最初に食堂に来た時の男性客は、牛すじ煮込みも気に入ってくれて、度々足を運んでくれている。
「まずくて高いイメージがついていますからね。なかなか払拭できません」
ニールの言葉に、男性客はあっと声をあげた。
「そう言えば、今週末に軍主催の祭りがある。どうだろう?出店してみないか?」
「お祭り?」
「そうだ。これを屋台で出すんだよ。寒くなってきたし、絶対売れるぜ」
「確かに売れそうですが、軍にコネなんて…」
言いかけたニールがエリスを見てみると、エリスは胸を張って、鼻を高くして言った。
「私は軍にコネはないけど、おばあ様に聞いてみるわ!」
「そう言えば、お嬢様だったんだっけ?」
「おばあ様は料理ができなかったけど、物理的にめちゃくちゃ強かったから、この国に嫁いできたの!聞いてみるわね」
エリスの祖母は、包丁よりも斧を持って活躍する女傑だった。
今でも、軍に呼ばれて顔を出すことがあるらしい。
しかも、料理でトラブルを起こして隣国に来たエリスを、憐れに思い可愛がってくれている。
「それは楽しみだ。私も食べに行くので、しっかり励むように」
にっこり笑った祖母から了承を得られたので、エリスは手をたたいて喜んだ。
こうして、トントン拍子に催事に出店をしたエリスとニールだったが、地獄を見ることになる。
出店したが、やはり誰も食べに来なかった。
「誰も食べに来ないわね」
「やはり、食堂の名前が知れ渡っているようです」
ニールに他の出店の食事を買ってもらい、市場調査をかねてエリスがもぐもぐしていると。
「エリス」
祖母が声をかけてきた。
60歳以上とは思えない若々しい祖母を前にして、ニールは直立不動になる。
「おばあ様!来てくださったのですね」
「ああ。こいつらの分も合わせて、5杯頼む」
エリスは手際よく盛り付けると、祖母やその後ろにいる軍関係者の男性たちに手渡した。
男性たちは過去の食堂の評判を聞いているらしく、渡された牛すじ煮込みを見て、顔が引きつっていた。
しかし、エリスの祖母に奢られた食事を、拒否することは許されない。そんな勇気はどの兵士にもなかった。
「いただきます」
簡易テーブルについた男性たちは、恐る恐る牛すじを口に含んだ。
噛んだ瞬間、兵士たちは目を見開いた。
牛肉のうまみがたっぷりと口の中を満たし、弾力のある硬さが歯を押し返す。
歯ごたえがあり、噛めば噛むほどうまみが出るのに、噛み切れないわけではない。
スープにもうまみがしっかりと出ていて、香辛料が優しく独特の臭みを手なずけている。
あいにくの寒さで手先が冷えるようだったが、スープを身体に入れると、全身に血が巡っていく。指先までポカポカと温かくなってくる。
「ああ」
祖母はほっとため息をつく。
「相変わらず、エリスの料理はうまいなぁ」
その祖母の隣で、兵士の一人が泣き始めた。
「どうした?熱かったか?」
「すみません。違うんです。思い出したんです」
向かいの兵士も涙を流している。
「戦がひと段落した時に食べた、シチューを思い出したんです…。どうしてかな?味も見た目も全然違うのに…」
「あの時のシチューと同じくらい、浸みる…」
兵士たちはあっという間に平らげると、足早に席を立った。
「俺、おかわりもらってきます!」
「俺も!」
「ああ。ついでに宣伝しといてくれ。他の店舗の飯を食うぐらい、暇なようだしな」
『はい!』
瞬く間にエリスの牛すじ煮込みの評判は広がり、店の前にはたくさんの人が並んだ。
「こっちに3つください!」
「こっちは5つ!」
「待って!順番に並んでください!ニール!順番作って!」
「かしこまりました!」
列を整理して、料理をして、会計もしなければならない。
エリスは持てる力を使って、なんとか客をさばいていく。
これが食堂。これが出店。
実家のキッチンで女主人!なんて言っていたけど、スタッフが支えてくれていたから、食べる人たちが大人しく座っていたから、成立していた女主人だった。
エリスは改めて、実家に仕えている人たちのありがたみを知り、そしてニールのありがたみを知った。
ニールがいなければパンクしていただろう。
やっと客をさばききった時には、終わり間近だったし、牛すじ煮込みは底をつきかけていた。
「ニール」
エリスが最後の一杯をニールに渡すと、ニールは慌てて手を振った。
「お嬢様こそお食べください。混みあってからは何も口にされていませんでしょう?」
「貴方もよ。私は、お小遣いで何か残っていないか、店をさらうわ。市場調査の続きもしたいしね」
ニールは少し考えていたが、やがて最後の一杯を手に取った。
「さあ!食べたら片付けなきゃいけないからね!ゆっくりしっかり味わって!私は買い物に行ってくるわ!」
「はい。お嬢様」
最後の一杯にニールが口をつける。
濃厚な牛肉の味に、優しく香る香辛料のスープに、全身の力が抜けた。
今までニールが食べた中で、一番おいしい料理だった。
「これからも、忙しくなりますね。お嬢様」
ニールの予言通り、食堂の評判は飛ぶように広がり、『まずくて高い店』から『美味くて安い店』に大転換した。
しかし、それを良く思わない人間もいる。
「…エリスの牛すじ煮込みが隣国で大繁盛だって?」
報告を聞いた王太子殿下は、わなわな身体を震わせて立ち上がった。
「許せん!それでは、俺の舌が馬鹿舌のようではないか!?」
「はあ」
気のない返事をした男性に、殿下は指をさして命令した。
「お前!隣国に行って、味を見てこい!」
「わかりました」
男性は頭を下げると、素直に部屋を出ていく。
「いいんですか?あの方を行かせて」
マリアンヌに問われても、殿下は鼻を鳴らしただけだった。
「あいつは何を食べても、無表情で無愛想なんだ。あいつこそ、味がわからん馬鹿舌さ。あいつにエリスの料理を食べさせて、まずいと言わせれば、両国に噂が広がるだろう」
殿下は窓の外を見て、不敵に笑った。
「茶色い料理しか作れない女が。どこまでできるか楽しみだな。エリス」
エリスと共にチキンカツサンドの味を思い出しそうになったので、振り払うように、マリアンヌに夕飯の支度を言いつけたのだった。




