初めてのお客様
祖母が経営しているという食堂は、隣国にあった。
どんな食堂なんだろう。食堂というからには、たくさんの人がいて、がやがやしているんだろう。
たくさんの人にもまれ、たくさんの仕事に追われれば、この傷ついた心も少しは癒えるかもしれないと、エリスはさっそく食堂の様子を見に行くことにした。
「こちらです。お嬢様」
エリスは希望に胸を膨らませながら、馬車から飛び出した。
そんなエリスを迎えたのは、お客の気配すらない、閑古鳥が鳴く食堂だった。
ぽかんと見上げるエリスを、風見鶏がくるくると見下ろしている。
「こ、ここ?」
食堂が建てられてから1、2年。公爵家の名前も一応出ていると思うのに、この人気のなさ。
希望がみるみるしぼんでいくのを感じたが、エリスは首を振った。
従業員に挨拶をして、状況を確認しよう。
「こんにちは」
扉を開けて中に入ると、中年の男性が机に脚をのせて、酒を飲んでいた。
行儀の悪さに目を白黒させていると、キッチンから初老の男性が出てきて、エリスに頭を下げる。
「エリスお嬢様。お出迎えしなくてすいません。当食堂のシェフ、ニールです」
そのニールの手には、掃除用具が握られている。
「ここは、おばあさまの食堂だと聞いていたのだけれど、おばあさまは?」
「はあ。半年いらしていません」
「シェフの貴方が、どうして掃除用具を握っているの?」
「従業員は私一人だけでして。ほとんど人が来ないので、毎日掃除をしております」
エリスは天を仰いだ。
想像とかけ離れている。
ここからどうしようと、頭が真っ白になっていると。
「おい、姉ちゃん!酒!」
机の上に足をのせた中年男性が叫んだ。
エリスのこめかみがぴくりと痙攣する。
どいつもこいつも、男という生き物は、どうしてこう、自分に命令してくるのだ。
「飲み過ぎです。ご飯を食べたらいかが?」
「はは!ここの飯は、高くてまずいんだよ!知らねえのか!?」
エリスがニールを見ると、ニールは小さくなった。
「申し訳ございません。私は元々シェフではなく、服屋の従業員でして…。家督を息子に譲り、定年後の仕事でここに雇われております」
つまり、ニールは畑違いの仕事をしているというわけだ。
「わかりました。ニール。従業員の服はある?」
「え?」
「まさか、洗濯していないの?」
「いえ!新しいのが確かにあります。こちらです」
エリスは案内された部屋で手早く着替えると、食堂のキッチンに入った。
ニールが震えながら聞いてくる。
「お嬢様。本当に料理をするおつもりですか?」
「悪い?メニュー票はある?」
「この国では、貴族の方は料理なんてしません。隣国では、貴族の方が料理をするんですか?」
「もちろんよ。キッチンを取り仕切るのは、その屋敷の女主人の務めだわ」
だから、晩餐の儀が成り立つのだ。
ニールからメニュー票を受け取ったエリスの眉間が、ぎゅっと寄った。
「…なにこれ?」
「メニュー票です」
「トースト一皿三銀貨?高すぎるわよ。トーストだけなら、一銅貨もとれないわ」
「ですが、特別なパンを使っています。三銀貨でも赤字でして…」
「売れなければ、もっと赤字でしょう?…まさか、古いパンを使っていないでしょうね?」
エリスの言葉にニールは縮こまった。
怒鳴りそうになるのを、エリスはぐっと我慢する。
ニールは畑違いなのによくやってくれている。その証拠に、キッチンはとても清潔に磨かれ、顔がうつりそうなくらいなのだ。
「ごめんなさい。貴方に当たっても仕方がないわよね。お金をあげるから、そのお金で安い食材を買ってきてくれない?あと、パンの材料も」
「安い食材とパンの材料ですか?」
「食材は食べられればなんでもいいわ。パンの材料はメモするから、お願いね」
ニールにお使いを頼み、エリスは硬いパンを細かく切り、即席のラスクを作った。
「ビールを持ってきたわよ」
机に脚をのせて騒ぐ客のところに行くと、客をぎろりと睨む。
「足をおろしてくださらないと、料理を机に載せられないわ。それとも、貴方は靴を食べるのかしら?」
「なんだよ!うるせぇな!」
「おろしなさい。出て行ってもらうわよ」
エリスの凄みに、客は悪態をつきながらも足をおろした。
「はい。どうぞ」
机の上にビールとラスクをのせると、客はきょとんとした。
「俺はこんなの、たのんでねぇぞ?」
「サービスです。一人でも、来てくれていることに、感謝しますわ」
男性客はラスクを一つ摘まむと、パクリと口の中に入れた。
サクサクという小気味のいい音と共に、口いっぱいにバターの風味が広がり、バジルの香りが鼻腔を通る。
「う、うめぇ」
夢中で食べていると、あっという間になくなった。
「姉ちゃん!このサクサクのやつ、おかわり!」
「おかわりはお金とるわよ」
「いくらだ?」
「そうね…。銅貨1枚で、籠いっぱいかしらね」
「2枚だすから、一つは包んでくれ!」
「はいはい」
エリスがラスクを出すと、男性客はまた一口食べた。
食べてから、涙を静かに流し始めたので、エリスはぎょっとする。
「え!?辛かった!?」
「違う…。違うんだ…。このパン、硬くて…」
「硬すぎた!?」
男性客は首を振ると、静かに話し始めた。
「俺は兵士で、ずっと遠征で家を空けててな。帰ってきたら、妻も子供もいなかった」
エリスは隣に腰を下ろしながら、ただ頷いてみせた。
「残されてたのは、硬いパンだけでな…。これを食べたら、そのパンを思い出したんだ…」
「辛い記憶ね…」
「辛いけど、こんな風に、硬すぎても美味くなれるんだな」
それ以降は静かにラスクを食べきって、エリスから残りのラスクを受け取ると、明るく言った。
「悪かったな。机の上に足はもう載せないから、またよらせてくれ」
「おまちしております」
エリスが頭を下げると、男性客は手を振って帰っていった。




