クマ出没注意
35匹目の熊は、ツキノワグマだった。
胸のところだけ白く、身体は真っ黒。
エリスは可愛らしいクマのクッキーとして、この世に華々しくデビューさせてやりたかった。しかし、結果はツキノワグマだった。
「ニール…。どうして私は、クッキー一つ作れないのかしら…」
自分を情けなく思うエリスに、ニールは慌てて言う。
「お嬢様。努力の跡が見られる、とても良い作品だと、私は思います」
「ニール。食べ物は、普通、作品とは呼ばないのよ」
「芸術的な物は、そう呼ぶに値します」
「やめろニール。余計に傷つけるだけだ」
レオンはツキノワグマクッキーをつまむと、かじりつく。
ゴリゴリという固い音を部屋中に響かせたあと、ごくりと飲み下す。
「とても個性的で、忘れられない味だと思う」
「やめてよ。余計に傷つくわ」
「お嬢様…」
ニールがハンカチで目尻を抑える。
「牛すじビーフシチューまで成功させるお嬢様がなぜ…」
「ここまでいくと病かもしれん」
「お疲れ。今日も飯食いに来たぞーって、なんだ?置物まで作る様になったのか?」
エリスが店長に着任する以前からの常連客が入ってくると、驚いたようにクッキーを見る。どうやら、食べ物として認識されていないようだ。
「飯がうまいから、変な商売に手を出すのやめろよ」
「変な時間に来て、褒めてるのか、貶してるのか、わかんないこと言わないでください」
「変な時間じゃないだろう?3時のおやつの時間だ。甘い物、なんかないか?」
エリスとニールがじっと常連客を見るので、常連客は少したじろいだ。なんだこの空気は?と思っていると。
「レモンタルトはどうだろうか?」
「ああ。食い逃げの罪を、ちゃんと反省するのね」
「そうだ」
キッチンからレモンタルトを出したレオンは、三人に一皿ずつ出す。
「うまそうなタルトだな」
常連客、ニール、エリスが同時にレモンタルトを口に入れる。
レオンが固唾を飲んで見守る中、エリスの緊張の顔が柔らかく解けていく。
サクサクの生地に、柔らかいカスタードクリーム。そして、カスタードクリームの甘味と一緒に広がる、レモンの酸味。
「おいしい!」
エリスは二口目をすぐに口に運ぶ。
味の強すぎるケーキは途中で飽きてしまうこともあるが、このレモンタルトは全く飽きがこない。
夢中で食べて、あっという間になくなってしまった。
「これうまいな。相当高い材料を使ってるんじゃないのか?」
「それほどでもない。ちゃんと店長からもらった金額内だ。レモンはニールの庭で採れた物を使った」
「でき過ぎてしまったんです。こうやって使っていただけるのであれば、幸せです」
驚きのおいしさに、エリスは思わず叫んだ。
「これは私たちだけが独占するのはもったいない!もっと色んな人に食べさせたい!」
エリスが興奮しながら言うが、レオンは首を振る。
「大袈裟だ。気に入ったのであれば、レシピを君に教えるから、君が作ればいい」
謙遜するレオンに、エリスはツキノワグマを掲げてみせる。
「…悪かった。だが、菓子を作るのは秘密なんだ。皇子が菓子を作るなんて、聞いたことがないだろう?」
「聞いたことないけど、実際おいしいのよ。忙しいと思うから、毎日がダメなのもわかる。そうね」
エリスは天啓を得たりと、輝く目で言った。
「週2回だけの限定メニューとして、少量販売しましょう!皇子やりながら、焼けばいいわ!」
「いや、しかし」
「さすがお嬢様!素晴らしい案です!」
客からのリクエスト、余りすぎたレモンの消費、孫を食堂に誘う口実、なによりも、エリスの菓子作り失敗による諸々の経費削減。それらの問題が全て解決できる案に、ニールは飛びついた。
「週2回か〜。毎日でも良いけどな」
常連客は呟くが、止める気はないらしい。
レオンはなんとか止めようと口を開いた。しかし、キラキラ光る3人の目、特にエリスの期待に満ちた瞳を見て、何も言えなくなった。
「わかった。でも、それ以上は公務があるから無理だ…」
「決まりね!」
飛び上がって喜ぶエリスを見て、レオンは苦笑いをする。
大変なことを引き受けてしまったが、エリスと長い時間を過ごせる、良い口実でもある。
彼女の料理をする姿を、近くで見られる。
彼女が自分の作った菓子を食べる姿を、近くで見られる。
そのためなら、多少のリスクは仕方がないだろう。
エリスとニールが楽しそうにメニューを作るのを見ながら、レオンはこっそり微笑んだ。
レモンタルトは週2回、数量限定だったが、知る人ぞ知るメニューになった。
評判を聞きつけたエリスの祖母が、手土産に近衛騎士団隊長に渡したことにより、評判がさらに広がる。
その評判が、隣国の王宮にまで届くとは、この時のエリスはまだ知らなかった。




