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【番外編】お局伯爵令嬢、地下牢にて静かに覚醒す〜薔薇の香りと無音の調べ〜

王宮の最暗底――日の光すらうっすらとしか届かぬその場所は、かつて罪を犯し、陰謀の末に潰えた者たちの無念が泥のように澱む場所であった。


ヒタ……ヒタ……。


不吉に滴る水の音。

湿り気を帯びた極寒の空気が肌に纏い付き、暗闇の奥からは絶え間なく呪詛の囁きが響いてくる。


「……かえせ……」

「……ゆるさない……」

「……暗い……寒い……」


普通の人間の精神であれば、足を踏み入れた瞬間に足腰が砕け、正気を失ってしまうほどの怨念。

だが――今の地下牢において、その禍々しい気配は完全に空振りしていた。


「あの生意気な男爵令嬢……! この私を差し置いてギルバート様のお側に侍るなど、一万年早いですわ! 許さなーい! ギルバート様ぁ……!」


無実の罪(?)で地下牢の雑用がかりに回されたファビオラは激しい怒りと熱烈な恋心に身を焦がしており、周囲を包む不気味な気配など一ミリたりとも気づいていなかった。


腐っても現役大臣の息女にして伯爵令嬢。

勤務中であっても、淑女としての嗜みを欠かす気は毛頭ない。

ジメジメとした暗く湿った空間であっても、彼女の体からは上質な薔薇の香水が甘やかに漂っていた。


(……それにしても、なんですのこの空気は? なんだか嫌な視線を感じますわね)


ギルバートへの愛を暴走させて地下牢勤務を言い渡されたファビオラ。

「地下牢勤務の殿方かしら。恥ずかしくて私の前に姿を現せないのね。…美しいって罪ね。」


(信じられないくらい暗くて辛気臭い場所だけど。私がここで見苦しく振る舞うなど、あの方への顔向けができませんわ。伯爵家の名にかけて、いかなる時も美しくあらねば!)


無意識のうちに、彼女の身のこなしが変わる。


――カツリ、……すっ。


一切の雑音を削ぎ落とした、完璧な無音の歩み。

背筋をピンと伸ばし、すれ違う影すら圧倒する洗練された立ち振る舞い。

暗闇のなか、規則正しい歩みに合わせて華やかな装飾を施した爪先が時折きらりと光る。


「ふぅ……静けさだけは取り柄の場所ですこと」

思わずつぶやいたファビオラの声が地下牢の不快な湿気を払うかのように石壁に吸い込まれていく。


その瞬間。

地下牢に漂う「姿なき住人たち」の間に、激震が走った。


(な、なんだこの生き生きとした気配は……?)

(う、美しすぎる……。それに、この息が詰まるほどの甘く芳しい薔薇の香りは一体……!?)


普段はすすり泣きと鎖の擦れる不快な音しか存在しない地獄の底に舞い降りた、一筋の光のような生者の気配。

怨念たちは恐怖させることも忘れ、ただただ彼女の放つ気配と爪先の煌めき、そして漂う薔薇の香りにウットリと魅了されていった。


時折思い出したかのように「あの男爵令嬢許さなーい!」と叫ぶ声すら、長い事静けさに支配された地下牢の住人にとってはなつかしくも甘やかなものに感じられる。

ファビオラが巡回するたび、怨念たちはその凛とした佇まいと香りに癒やされ、いつしか彼女の周囲は、不気味ながらもどこか清らかな静寂に包まれるようになったのである。


当のファビオラは、「なんだかこの地下牢、ちょっと不気味だったけれど、案外落ち着く場所ですわね」と首を傾げていた。


◇


そんなある日のこと。

娘の懲罰先での様子を心配した父の大臣が、密かに地下牢へと視察に訪れていた。


薄暗い通路の陰から恐る恐る覗き込んだ大臣は、自分の目を疑った。


暗闇のなか、凛とした背筋で淑やかに歩む人影。

暗がりで時折きらめく爪先と、周囲を包み込む格調高い薔薇の香り。


(こ、これがあのファビオラなのか……!? まるで王太子妃のような気品ではないか……! 地下牢勤務になって心配していたが。己を振り返る良い機会であったか。やっと淑女らしくなったのだな……)


あまりの淑やかさと成長ぶりに、大臣は深く胸を打たれ、感涙にむせんでいた。


◇


その後、勤務を終えたファビオラは伯爵邸へと帰宅。

自邸の静かな廊下で、父親である大臣が感心した面持ちで娘を迎えようとした――その時である。


来たる国際会議の警備に関する打ち合わせのため、王宮からの客人が伯爵邸を訪れ、玄関ホールへと足を踏み入れた。


銀の髪にサファイアブルーの瞳。

その姿が、ファビオラの視界に…

近衛隊長の制服に身を包むその人(ギルバート)のことは一時たりとも忘れたことは無い。



「ギルバート様ぁ―――――ッ!!!」


屋敷全体を激しく揺らすような、大音量の黄色い叫び声。


先ほどまで地下牢で見せていた王太子妃さながらの気品(あくまでも父親目線だが)と伯爵邸の静寂は、一瞬にして霧散した。


「地下牢勤務になって、しとやかな淑女らしくなったと思ったのだが……

気のせいであったか」


大臣は深く頭を抱え、重い重い溜め息を吐き出した。

ファビオラ嬢、どうしているかなと思って書いたストーリー。

季節柄、ちょっとホラー風味に…と思ったのですがファビオラ嬢のパワーに負けました^^;

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