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 ところで、僕は一杯喋ったねえ。今までの所。君はほんとに聞き上手だね。僕は感謝してるんだよ。君が僕の話をずっと聞いててくれてさ。でも、僕もそろそろ行かなくちゃならない。実は、ちょっと行く所があってね。実は最近、僕は塾に通いだしたんだよ。近くの『光星塾』という塾にね。何か、星でも降ってきそうな名前の塾だけど、実際にはそんな事はない。そこにあるのはただ真っ白なホワイトボードとマジックと、そして僕らに配られるザラ紙だけ。それで、その授業で宿題をやったり、あるいは『大化の改新は645年で~』なんてやったりするわけだ。まあ、『大化の改新』なんて糞食らえだけどね。多分、蘇我入鹿だってこっち見て、あっかんべーってしてると思うな。それで、僕はその事を解答用紙に書き込む。「蘇我入鹿は西暦645年にこっち見てあっかんべーってしてました。タイムマシンで見てきたから間違いないです」。当然、それは×。そして端っこに「ふざけるな!」って小さく赤ペンで書かれてしまう。僕は、ふざけた事はないんだけどね。僕は生まれてこの方、ふざけて生きた事は一度足りともないんだけどね。まあ、でも、そのあたりの事はなかなか人には伝わりにくててね。それで、僕は後で先生に謝りに行ったよ。「あの時は具合が悪くて、ついテンションが高ぶってあんなものを書いてしまったんです。すいませんでした」って。先生は眉をしかめてたよ。どうして僕があんな事をしたのか、分からなかったんだろうね。それでその時は「もういい」って許してもらったけどね。確言してもいいけど、もし僕が何かの犯罪犯して捕まったら、あの先生は絶対次のように証言すると思うな。「あの子は将来、何かやらかすと思ってました。『やっぱりな』という感じです」ってね。で、検察は僕を精神鑑定にかけて、それで僕は解離性人格障害とか何とか、そんな病名をつけられちゃうんだな。それで、世間からは轟々たる非難を浴びてね。そして、もうそこまでくると、犯罪者というのも一種の役者みたいな立場になっちゃってさ、世間に対して大立ち回りできる主役の場所に立つ事になってしまう。気持ち悪いよね、そういうの。僕は犯罪者は嫌いだけど、それを鬼の首でも取ったかのように大げさに糾弾する奴らも嫌いなんだ。まあ、今日は塾はさぼるけどね。腹が痛いって事にしてさ。

 でまあ、僕もこうやって外をぷらぷら歩いていると、色々と考えるんだよ。ああ、僕の人生って何もなかったんだな、って。これが、恥ずかしいくらい何もなくてね。例えば、僕の家族の事。そういえば、僕はまだ君に家族の事は喋っていなかったね?。でも、これがあるんだな。僕にも一応、家族というものがあるんだよ。君。それも、それなりに「きちんとした」、「普通の」家族がね。・・・僕の妹は中学三年生で、これはジャニーズ狂なんだ。まだ、彼氏はいないみたいで、どっちかというと普通の、でもちょっと引っ込み思案の女子ってところかな。時々、僕の所に宿題を聞きにくる。いや、それは何年か前の事で、最近はもう彼女は僕の事を信用していない。多分、僕が馬鹿だって事に気づいちゃったんだろうね。残念な事に。妹は、高校受験の真っ最中だしさ。でも、僕と同じ公立高校に入るつもりらしいよ。それで、一応今、少し勉強しているとこらしい。へえー、って感じだけどね。でも、ま、うちの妹が私立に行こうが公立に行こうが知った事ではないんだよ。教育?。何か、もうその言葉自体が笑えるよね。言っとくけど、僕の天邪鬼は筋金入りだよ。僕みたいなゴミ野郎が自衛隊に入ってその精神が叩き直されると思ったら大間違いさ。他人の事はなんとでも言える。ところで、この妹は佐知って言ってね。昔は可愛かったんだよ。僕ともどもさ。でも今はそうも言えないな。生意気になっちゃって。僕の事なんかてんで頭から相手にしてないんだから。佐知はよく言うんだよ。

 「お兄ちゃんにとってはどうせ全部の事がくだらないんだから。その内に、お兄ちゃんは人生の事で苦しむようになるわよ。絶対に。そんな風に色々なものを馬鹿にしてられるのも今の内だけなんだからね。・・・私の事も馬鹿にしてるんでしょうけど」

 全く、見識のある妹だよね。うちの佐知は。小学生の頃は可愛かったんだけどね。僕ともども。でもね、別に仲が悪いって事もないんだよ。まあ、気が合うってほどでもないけどさ。でも、時々、僕の部屋から文庫本やら漫画やらを借りて持って行ったりするな。うん、そう、その辺りは僕ら仲は悪くないんだね。で、佐知はこんな事を言ったりする。

 「お兄ちゃん、最近の何かおすすめの本ある?」

 なんてね。佐知は僕がちょっとした読書家だって事を知っているんだよ。まあ、それはほんとにちょっとしているけどね。それで、僕は、

 「うーん、そうだな。カントの『判断力批判』なんてどうかな。これはゲーテの美学にも影響を与えたし、君がこれから画家か作家になるなら、読んで置いて損はないよ。でも、翻訳はわかりにくいから、原書で読んだほうがいいね。いや、ドイツ語なんて簡単だよ。日本語よりは構造的にはラクだからね」

 これはもちろんジョークで、僕はそんな事言わない。大体、ドイツ語なんて単語一つも知らないし。代わりに僕が進めたのは、確か、なんだっけな。『涼宮ハルヒシリーズ』だっけかな。これは最近のものではわりとおもしろいんでね、どうかな、と進めて置いた。そしたら佐知は「ふーん、どんな話?」って聞くもんで、僕はそのあらすじを説明してやった。そして、それが今の世の中とどんな風にシンクロしているかも、ちょっぴり言っておいた。佐知は興味持ったみたいでね、僕の本棚から持ってったよ。二、三冊ね。僕は割りとそういう風に本の中身を説明するのが得意なんだよ。これは自慢できる能力だと自分じゃあ思っているけどね。でも、学校の授業やテストでこの能力がきちんと発揮された事は一度もないね。困った事に。

 後は僕の両親なんだけどさ。四十五歳っていうのは前にも言ったよね。前にも。そう、それで僕の母も父も四十五歳でね。なんでも、最初は職場の同期だったらしい。お互い新人でね。何かそれで新人同士でサークルみたいなのができて、そしてそうこうしていうる内に、恋愛して、結婚して、そうして僕と佐知が生まれたっていう寸法なんだ。僕の親は仲は悪くなくてね。まあ、ものすごく素晴らしい親ってわけじゃないけど(子供の目から見て『素晴らしい親』はこの世界始まってから一人もいなかった。それは、保証する)、ものすごくひどい親ってわけでもない。うちの親父はプロ野球が好きで、うちの母親はたまに絵画を見にいったりする。でも、二人ともてんでからきし何の感性もないんだよ。いや、ほんとに。最近起こっている物事はなんにも分からないし、僕が子供の頃は僕がテレビゲームしているとよく親父に注意されたもんだ。「そんなにゲームばっかりやってると馬鹿になるぞ」って。余計なお世話だっつうんだよ。でも、これは確言できるけど、もし僕が東京証券一部上場の「スクウェア・エニックス」なんかに努力して入社する事になったらさ、うちの両親は涙を流して喜んで、それでついでに赤飯も炊くと思うよ。ほんとに。で、親父は多分僕に言うんだな。「でかしたぞ、息子。これからはゲームの時代だ。お前は本当によくやった」・・・まあね、現実ってそんなもんなんだよ。で、そういう場合、うちの親父は十年前に「ゲームするな」って言ってた事はとっくに忘れてるんだよ。いい気なもんだよね、全く。ま、全部僕の想像なんだけれどさ。ハハハ。ま、なんにせようちの両親はいい両親だよ。僕はこの家庭に生まれて幸せなんだよ。ほんとにさ、心からそう思っている。心から・・・君は今、笑ったね?。まあ、君が笑うのも無理ないか。僕って天邪鬼だからね。天邪鬼というのもなかなか辛いもんでね。いつも自分をごまかすか世界をごまかして生きるかの、その二つしか選択肢がなくて、それでいつも困っているんだよ。天邪鬼というのはそういうものでね。で、まあ、僕は学校じゃあ、それなりの常識的な人間なのさ。つまり僕は普通に生きるにあたっては、自分をごまかす方を選んだってわけでね。たまに、僕は世界を裏返してやりたい気持ちになる。指しかけの将棋盤をひっくり返すみたいにね。どいつこいつも薄汚い歩兵ばっかりで、金も角も王将もいやしない。でもそれをひっくり返す力は僕にはないんだよ。だから僕は今日も、普通のすすけた歩兵を演じてるってわけさ。一歩ずつ進む、あのとぼけた歩兵の一人になりすましてね、そうやって今日も今日を生きている。



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 そろそろ君は、僕の話に飽きてきたかもしれないね。実を言うと、僕自身が自分の話に飽き始めているんだよ。本当の所。僕がね、この世界の嫌な所はなんでもかんでも瞬間的に行き過ぎていってしまうってところさ。学校でね、皆色々な噂話するじゃないか?。で、それが僕の耳にもスマートフォンやら何やらを通じて入ってきたりする。でも、それらは一週間単位でころころと変化するんだ。でもね、特にひどいのは女子同士のあの無益な会話だね。女子ってどうしてああつまらない事をべちゃべちゃ喋るんだろう?。まあ、男子はもっとひどいけどさ。で、その女子の会話を僕なんかが傍で聞いていると、正直、まるで会話の態を成していないんだよね。ただそれぞれがそれぞれに、もう思いつくままべちくちゃやって、それで話を聞いている奴なんて一人もいないんだよ。皆が自分の思いのたけを語るんだけど、誰一人として聞いてなくて、そしてただ会話は連想と類推でぼんやりとつながっている。君もああいう光景を見ると、人間というのがどうあがいても互いに理解不可能な生き物だという事が分かると思うよ。人間ってのはほんとに不思議な生き物だと思うね。それで、女子同士が「〇〇ちゃんとは親友なの~」なんてぐだぐだ言ってたりするけどさ、傍で聞いていると、(どこが親友だよ。前にお前の悪口を〇〇ちゃんがどぎつく言っていたの聞いた事があるぜ)なんて考えたりするんだけどさ。でも、もちろん、そんな事は僕は口には出さない。僕はそういう事は口には出さないけどさ、僕にとって一つだけはっきりしている事は、僕には親友なんて一人もいないっていう事。僕もそのうにゃむにゃした女子とは対して違わない存在なわけだけどさ、でもま、僕はその女子みたいに自分で自分をうまく騙したりごまかしたりはしないっていう事なんだよ。僕のポリシーとしてはさ。まあ、ポリシーなんていいんだけど。で、そのポリシーに従うなら、僕にはこれまで一人の親友もいなかったし、これからも「親友」などというものができる日は永久に来ない。それは、確かだな。確かフランスの誰だかが「我々は互いに誤解しあう程度に理解し合えばそれで十分だ」と言ったらしいけどさ、その言葉の意味はよくわかんないけど、でも世間の「親友」の99%が誤解により成り立っている事は間違いないね。まあ、残りの1%はさ、もしかしたら存在するかもしれない「本当の親友」のために取っておいたんだけど。一応ね。

 こんな事を話していても仕方ないか?。僕も、疲れるんだよね。こんな自分自身のごちゃごちゃした討論にさ。僕って奴は授業中もずっとこうやって頭の中で一人で会話してるんだよ。それって大変じゃないか?。髭もじゃもじゃで、女子生徒に対して妙に馴れ馴れしい現代文の鹿田の授業の時間とかさ。僕は鹿田の顔を見ながら、考えるんだよ。「こいつは一体、どういう経緯でこういう仕事についているんだろう?。一体、僕達の事をどんな風に思ってるんだろう?」って。それで、僕は鹿田が夏目漱石や森鴎外について色々言い出すと、もうすぐにうんざりとしてしまうんだ。何せ、鹿田は右も左もわからないし、夏目漱石や森鴎外以前に、僕らが鹿田のだらだらとした喋りとその無駄な博学披露に心底うんざりしているって事にすら気づいていないんだからね。人の気持が分からなくて、文学が分かるもわからなにもないだろう?。でも、そんな事はないかもしれないし、実は鹿田は僕達の心を全部見抜いているのかもしれない。時々、そう考える事もある。僕はね、小学生の時には思ってたんだよ。もし、自分のこの心の中をこのクラス中の人間が見抜いていたとしたらどうしようか?。僕が栗田さんの事が好きだって事がばれてたらどうしよう?ってね。僕が小学生の時はそういう事がとてもとても心配だった。それでたまに、机の上の消しゴムを念力で動かそうとしたりね。でも、消しゴムは動かなかったね。僕の念力も大した事はないんだね。僕、町内会のビンゴすら当たった事ないしね。僕って多分、神様に見放されているんだな。全く、ひどいもんだよ。

 まあ、僕ってそんな風に色々ごちゃごちゃと考えるんだよ。本当に僕は考えるのが好きでね。色々な事にうんざりとしているもんで、それでその代わりに考えるんだな。僕という無ーーー虚無の中に思考という「有」が入ってくる。そういう事でね。多分ね。適当だけどさ。ま、疲れるんだよな。こんな自分に。で、時々気晴らしにどこか出かけたりするわけだけどさ。ジブリの主人公並みにさわやかな笑顔で、鞄にサンドイッチ入れて口笛吹きながら自転車漕いでさ。僕ってば、足の筋肉がないもんで、近くのきつい坂を自転車に乗ったまま登り切る事ができないんだよね。この前、僕よりも遥かに年配のおばちゃんが自転車でその坂をさっと上ってたもんで、僕は驚愕したよ。全く、僕ってばひどいもんだ。その日は家に帰ってからスクワットを三十回やったね。へとへとになったけど、もう次の日はやらなかった。スクワットはその日限りでおしまいさ。

 しかし本当にひどいもんだね。僕はどれだけだらだらと君に語ってきたんだろう?。でも、僕も楽しいんだよ。普段喋れない事がこんな風に喋れてさ。現実生活では、僕には安達とか秋川とかいう友達が一応いるんだけど、こいつらと喋る事はものすごくくだらない事ばかりでね。女の子の話もほとんどでなくて、大体、ゲームとかアニメとサッカーとかスポーツの話だったりするんだ。まあ、男子なんてそんなもんだけど。隣の学校の不良が事故起こした時の話とかね。そんな不良がどこでどうなろうと知った事ではないんだよ、僕は。でも、僕ってば本当にひどいなあ、と思うよ、自分でも。こんなくだらない話を、てんこもりになったざるそばみたく喋ってさ。なので、僕は最後に少しだけ、自分の中でもとっておきのエピソードを喋ってから消えようと思うんだ。そして多分、君は僕が消えたら、とてもさみしく思うだろう。いや、思わないかな?。どっちにせよ、僕は最後にこの事を君に喋っておこう。そしてこれは僕に起こったエピソードの中でも、一番くだらない事でね。でも、まあ語る事にしよう。他にやる事はないし。塾なんか…行きたくないし。


       

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 これは実は、二週間前に起こった事でね。実はこの事っていうのは、僕がこうやって『君』に語りかける原因にもなった事なんだよ。ほんとうにさ。で、それはどんな事かって言うと、まあ、かなり言いづらい事なんだけど。多分ね、何かを語る時に一番むずかしい事っていうのはさ、それが自分にとっては切実な体験なのにも関わらず、こうして口に出してしまうと、それは何か嘘っぽい空虚なものになってしまうという点なんだ。そしてこの点をクリアするのは非常に難しい。いや、ほんとに難しいんだよ。例えば、『夢』ってあるよね?。自分にとってはとても大切で、重大な夢だったのに、それを翌日友達に話したりしても、その友達は「ふーん、それで」なんて調子だ。思うに、人生というのはそんな事の連続なんだと思うよ。僕はまだ十六だけどさ。でも、そんな気がするな。本当にその人にとって大切な事、重大な事っていうのは、いつもその人の胸の内をただもうゆっくりと流れていくだけで、そしてそれが人目に触れる事はない。だから、皆こんな風に誰も彼もが退屈そうな顔をしていて、なおかつ、こんなにも皆自分自身について語りたがっている。そういう気がするな。自分を知ってほしい、自分を主張したい、そんな気持ちがあるんだけど、そもそもその人はその「自分」というのがよく分かっていないので、その主張は空回りする。だから、世の中は何というか、こんな僕のひとり語りみたいな空虚な叫びで埋め尽くされてしまう。何というか、僕はそんな気がするんだよ。まあ、哲学的な話だけどね。実を言うと、僕は『哲学者』なのさ。クラスで一番のね。

 で、まあ、その僕のエピソードだけどさ。それはあらゆる意味でエピソードの存在しない僕にとっての唯一のエピソードなんだけどね。で、まあこれは言ったように二週間前の話なんだけど。実はその二週間前、いや、その少し前から僕の頭の雲行きは怪しくなってきていてね。僕はね、もう自分で自分にうんざりしてきたんだよ。その頃…つまり、四月頃かな。春の陽気で世界がやや明るくなる時。人間の曇った意識を春の陽が少しだけ明るくしてくれる、そんな時期。僕はそんな頃に、もうこんな自分自身にうんざりとしてしまったんだよ。実際、塞ぎこんでいたね。あの頃は。でも、僕は自分がそんな暗い気持ちだなんて事を周囲に悟らせはしなかった。僕はね、そういうのはほんとに巧いんだよ。むしろその頃、安達は「最近、お前楽しそうだな。何か良いことあったのか?」って聞いてきたね。僕は「まあ、ちょっとね」と答えておいたよ。そしたら、それを聞きつけた隣の島田さんが「桐野、彼女でもできたの?」って聞いてきてね。何だか面倒な話になりそうだったんで、僕はその辺り適当にぼやかしておいたよ。でも、その時期、僕は本当に落ち込んでいたんだよ。何故って、もうそんな自分自身に心底うんざりとしていたんだな。僕はね、こんな風に自分自身とひたすら討論し続けて、そして出口をどこにも見つける事のできない自分自身に嫌気がさしていた。だって、世界には出口もないし、僕自身の中にも出口はないからさ。なにもかも、くだらないし。うんざりだったよ、本当にさ。こういうのを中二病だとか、青春故の悩みだとか言って馬鹿にする奴らもいるけどさ。そりゃあ、保険と年金とへそくりと、今月出る新型テレビのローンの事だけ考えている人達からしたら僕は馬鹿馬鹿しい事で悩んでいるかもしれないけど。でも、僕はそういう人達に言いたいんだよ。「君達は目の前の事しか考えていないから、そんな何にも悩んでいないような振りができるんだ。人間っていうものには、やがてぶつからなきゃいけない巨大な壁というものが存在する。そして、僕達はそれをとても痛切に感じる。…いや、感じない奴もいるけど、少なくとも、それはやがて僕達がぶつかる事になっている壁なんだ。僕達はどうやっても、その未来の方にある巨大な壁にぶつからざるをえない。その日は必ずやってくるし、その時僕達はみんなぺしゃんこになる。例外はない。だけど、君達は目の前十センチの事しか見えていないから、その壁の事を考えている僕を『杞憂』だと笑う。だが、僕はそれは杞憂だとは思わない。僕は君達と違って、悩む。苦悩する。僕は僕だから、誰よりも、この世界よりもはるかに痛切に苦しむ。痛む。だけど、だからこそ僕は僕でいられる。…本当に、くそったれだと僕も思うよ。でも、これはどうしようもないんだ。そして、その壁が未来にある事が分かっているのに、どうして皆はそんなにはしゃいだり、笑ったりする事ができるんだろう?。僕には理解できないね。ま、人生にユーモアは必要だけどさ」

 まあ、そんな感じで僕も悩んでいたんだよ。当時ね。(今もかもしれないけど。)とにかく、僕はそんな風に悩んでいた。苦しんでいた。外面的には陽気だったけどね、でも内面は暗かった。人間の内面っていうのは元々、暗いものなんだ。明るい振りをしている馬鹿はいるけどね。それで、僕はその頃辛かった。とてもね、とても辛かった。だって、僕の唯一の友達はこの僕。僕は、孤独だったんだよ、君。君、僕は孤独だったんだよ。十六にして、『実存的』孤独というやつを感じていたわけだ。なかなか、辛かったけどね。僕はもう自分にうんざりしていた。世界にはもっとうんざりだったし。誰とも喋りたくなかったけど、僕はその代わりにやたら、周囲の人間としゃべりまくった。僕はその頃、一番くだらない、一番ゴミクズみたいな話題をあえて選んで、それでその事を周囲に向かって吹っかけていた。そういう事をあえて意図して喋っていた。自分の辛さを紛らすためにね。おかげで、クラスで番長みたいな立場してた田村ってリーダー格の女子から、怒られたよ。「あなたって話す事が下品なのよ」ってね。へいへい、って僕は謝ったけどね。でも、内心はそれどころじゃなかった。辛かったんだ。本当に。

 僕が辛かったのは、こんな風に僕が果てしない自分との問答を続けなきゃならなかったって事で、他に理由はない。自分に、うんざりしちゃったんだな、僕は。で、ある日ーーーそれは日曜日だったわけだけど、僕はさ、急に思いついて、それで自転車で一人どこかへ出かける事にしたんだ。それは全く唐突に思いついた事でね。日曜の朝に目覚めるやいなや、僕は春の道の中を一人、ママチャリで疾走している自分の姿が浮かんだ。そうだ、これだよ!ってなぐらいにね、それは率直な思いつきだった。ほんとに。それはね、まるでポール・マッカートニーが「イエスタデイ」のフレーズを寝起きに思いついたぐらいの、それぐらいのショッキングな思いつきだったんだよ。え?。ポールとお前を一緒にするなって?。悪かったよ。でもま、僕はそう思いついたんだよ。思いついたら、すぐ実行てなわけで、僕はその日、チャリンコに乗って出かけた。それは当てのない旅で、目的地のない冒険だった。僕はそこに、満を持して望んだわけだ。別段、大した自信があったわけじゃなかったけど。で、実を言えば、僕はもう家に戻る気はなかった。その時、僕はもうどこにも戻る気はなかったんだ。僕は、自分の家に帰ってくる事だけ、そしていつも通っているあの学校やこの街のいつもの登校路や、それから秋川や安達や担任の田口や小うるさい田村女史の顔だけはもう絶対に見たくないって思ってた。ほんとに、僕はそれらとは永遠に別れるつもりだった。…思えば、僕も若かったんだね。いや、今も若いけどさ。でも、人間、二週間でぐんと成長する事もあるんだぜ。唐突に背が伸びる子供のようにさ。

 それで、僕はその日、昼飯のチャーハンをたらふく食って、それから母さんが出してくれたサラダをばくばく食って、そして家を飛び出た。誰も疑う者はいなかったね。「ちょっと、安達の家に遊びに行ってくるから」と、僕は母さんには言った。母さんは「いってらっしゃい」と言ったよ。そこには何も疑わしいものはなかった。僕はあくまで、善良純朴な普通の家庭の健全な高校生男子で、そして母さんは普通の家庭の普通の母親だった。そこには何ら、異変はなかった。しかし、異変があるとしたら、それは僕の心の中にあった。そしてその異変はもう、ブラックホールのように僕を包み込んでいた。僕は妹のハイヒールもどきみたいな靴をちょっと蹴っ飛ばしながら、慌てて家を出た。僕は、もう帰ってくる気はなかった。そうやって、僕の冒険は始まった。終わりも始まりもほとんどない、ほんの紙切れみたいな薄さの「冒険」が。…それでも、冒険だった事にはかわりはないんだよ。多分ね。


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