第二話 ハイエルフは泣きながら魔法を覚える(前編)
泣き声は、ハイエルフにとって最初の魔法である。
◇◇◇
「……ふぇ。」
朝日が木漏れ日となって部屋へ差し込む。
柔らかな光に瞼を細めると、すぐ傍で優しい笑い声が聞こえた。
「おはよう、リュシエル。」
お母さんが私を抱き上げる。
温かく、柔らかな香りがする。
(この匂い、好きだな。)
抱き上げられるだけで、不思議と安心する。
赤ちゃんの身体は素直だ。
眠い、お腹が空いた、甘えたい。
身体が感じたことを、そのまま心へ運んでくる。
前世の私は、もっと理屈っぽかった気がする。
「起きたか、リュシエル!」
勢いよく部屋へ入ってきたアルヴィンが、満面の笑みで私を覗き込む。
「今日も可愛いな!」
「あなた、昨日も同じことを言っていたわ。」
「昨日より今日の方が可愛い。」
「毎日更新されるのね。」
「当然だ。」
(更新されるんだ……。)
思わず心の中で突っ込む。
お父さんは今日も平常運転だった。
その様子を窓辺から妖精たちが眺めている。
『始まったよ。』『今日も親バカ。』
『毎日だねぇ。』『でもリュシ可愛い。』
『それは否定できない。』
『アル、鼻の下伸びてるー。』
『もうずっと伸びてるよ(笑)』
『毎日可愛いの更新だー!』『親バカがうつった!』
『え?感染るの?!』『不治の病だよー!』
『世界樹様も笑ってたもん。』
『昨日も笑ってた。』
妖精たちの容赦ない会話に、フィリアがくすりと笑う。
「聞こえているわよ。」
『きゃー!』『ばれた!』
『逃げろー!』
ばたばたパタパタと飛び去る小さな背中を見送りながら、私は思わず頬を緩めた。
(賑やかだなぁ。)
存外この森には、静かな時間がない。
でも、それが心地いい。
◇◇◇
その日の昼。
お腹が空いた。
(あ……。)
まだ私は赤ちゃんだ。
食べたいと思っても、自分ではどうにもならない。
身体が勝手に反応する。
「ふぇ……。」
我慢をしようとはする。
でも、お腹は待ってくれない。
「ふぇぇ……。」
次第に苦しくなり、涙が滲む。
「ふぇぇぇぇぇぇっ!」
その瞬間だった。
ぱちん。
小さな火花が空中で弾けた。
机の上に置かれていた羽ペンがふわりと浮き上がる。
窓辺の鉢植えから若葉が一枚、すっと伸びた。
水差しの水面が揺れ、小さな雫が宙へ舞う。
部屋の空気が一瞬だけ温かくなったかと思えば、次の瞬間にはひんやりとした風が頬を撫でていく。
火。
風。
水。
土。
光。
ほんの欠片ずつ。
色とりどりの魔力が、私の泣き声に呼応するように部屋中へ散っていった。
「まあ。」
フィリアは驚くよりも先に微笑んだ。
「今日は五属性ね。」
「昨日は風と水だけだった。」
アルヴィンが嬉しそうに頷く。
「順調だな。」
(順調……?)
私は泣きながら首を傾げた。
え、これ。
暴走じゃないの?
危なくない?
そんな私の疑問など知る由もなく、窓の外の妖精たちは歓声を上げていた。
『火だ!』『今日は火が出た!』
『昨日は出てなかったよね?』
『葉っぱも伸びたー!』
『水も飛んだ!』『風くすぐったーい!』
『もう五つ目!?』『すごーい!』
『リュシ天才!?』
『まだ赤ちゃんだよ!』
妖精たちがはしゃぐ中、一人の年老いた妖精が穏やかに頷いた。
『良い泣き方じゃの。』
『泣き方?』
『泣き方で分かるの?』
『分かるとも。』
若い妖精たちが耳をダンボにしながら、
一斉に老妖精に集まる。
『赤子は泣くたびに魔力を身体中へ巡らせる。だから泣くんじゃよ。そして泣いて、魔力の道を広げるんじゃ。』
『道?』
『魔力が流れる道じゃよ。』
老妖精は、自分の腕をとんとんと叩いた。
『生まれたばかりの身体には、まだ魔力が通る道が細い。』
『泣いて息を大きく吸って、泣いて全部吐く。』
『その繰り返しで魔力が全身を巡り、少しずつ道が育っていくんじゃ。』
『だからハイエルフの赤子は、泣きながら魔法を覚える。』
その言葉に、フィリアも優しく頷いた。
「人族は身体を育てるために、親に気づいてもらいたくて泣く。」
「でも私たちは少し違うの。身体だけじゃなく、魔力も一緒に育つのよ。」
「泣くことは、恥ずかしいことじゃない。成長するために必要なことなの。」
私は泣き止むことも忘れて、その話に聞き入っていた。
(なるほど……。)
だから両親は慌てなかったんだ。
魔法が暴発したんじゃない。
これが、この世界の赤ちゃんにとっての「当たり前」。
(でも……。)
前世の癖なのか。
一つだけ疑問が浮かぶ。
(泣かないと魔力は育たないのかな。)
呼吸。
魔力。
身体を巡る道。
(だったら……。)
泣かなくても。
意識して魔力を巡らせれば、同じことができるんじゃない?
その小さな疑問は。
まだ誰にも気付かれないまま、リュシエルの胸へ静かに芽吹いた。




