第一話 世界で一番、愛された子(後編・後半)
三連休なので頑張って更新しますよ。
「あら?……この子の瞳……っ!」
フィリアが、小さく息を呑んだ。
私を抱く腕に、ほんの少しだけ力が入る。
アルヴィンも、娘の顔を覗き込んだまま動きを止めた。
「……アースブルー。」
その一言に、部屋の空気が静かに張りつめる。
扉の隙間からそっと覗いていた妖精たちも、一斉に目を丸くした。
『あれ……?』
『緑じゃない。』
『空の色?』
『海とも違うぞ。』
『大地の色じゃ。』
最後にそう呟いたのは、長い髭を蓄えた小さな老妖精だった。
幼い妖精たちは「だいち?」と首を傾げる。
『世界樹様がお喜びになるぞい。』
『どうして?』『なんで?』
『だいちって緑だよ!』『ちがうよ茶色だよ!』
『それは……まだ秘密じゃ。』
にやり、と意味深に笑う老妖精へ、小さな妖精たちが一斉に詰め寄る。
『ずるいー!』『いまおちえろぉー!』
『教えてよぉ!』『このヒゲじじぃ!』
『内緒じゃ内緒。楽しみは先に取っておくものじゃ。
あと、誰じゃ!今悪口を言ったのは!!』
『キャーー!』『しらなーい!』
部屋の外は小さな隣人たちが賑やかだったが、
その声は中までは届かない。
アルヴィンはそっと娘の前髪を撫でた。
「フィリア。」
「ええ。」
「約束通り、この子の名前を。」
フィリアは優しく頷く。
その微笑みには、何千年という歳月が滲んでいた。
嬉しいことも。
苦しいことも。
何度も「諦めよう」と言いかけて、
それでも二人で寄り添って歩いてきた時間。
ようやく、その全てが報われる。
「……リュシエル」
アルヴィンが、慈しむように娘を見つめる。
「この子の名前は、リュシエル。光を導く者。
この子自身が、光になる必要はない。」
「誰かの歩く道を、少しだけ照らせる子になってくれれば、それで十分だ。」
その言葉を聞いて、私は目をぱちぱちと瞬かせた。
(リュシエル……。)
新しい名前。
新しい人生。
不思議と、嫌ではなかった。
むしろ。
(うん。……うん!んふふ!)
少しだけ、嬉しい。
「そう。よろしくね、リュシェル。」
フィリアが額へ口づけを落とす。
「ようこそ我が家へ、リュシエル。」
その温もりに包まれながら、
なんだか心もぽかぽかで、
私はゆっくりと目を閉じた。
(よろしく、お父さん。)
(よろしく、お母さん。)
心の中だけで、そう呟く。
声にはならない。
けれど、その小さな身体には大きすぎる
想いを与えられている事だけは確かだった。
◇ ◇ ◇
世界樹の根元。
幾重にも張り巡らされた巨大な根の、
そのさらに奥。
まだ誰にも見つけられていない、
小さな光がふわり…ふわり…と揺れていた。
それは妖精ですらない。
妖精になる前の、命の種。
世界樹の魔力を受けながら、ゆっくりと形を成していく存在だった。
『……あ。』
小さな光が震える。
『見つけた。』
誰を。
何を。
自分でもわからない。
ただ。
生まれたばかりの少女から流れてくる魔力に
心が、まだない身体が、本能が、強く惹かれた。
世界樹を通して流れてくる、小さな魔力。
透き通るように澄んでいて、
それでいてどこか懐かしく、愛おしい。
『あの子。』
『あの子がいい。』
理由なんてない。
でも、心がそう叫んでいた。
----その時だった。
世界樹の葉が一枚、ひらりと舞い落ちる。
今しがた意識を持ち始めた、命の種の前へ。
ふわり、と。
『世界樹様?』
返事はない。
けれど、葉はまるで微笑むように優しく揺れた。
その瞬間
小さな光は嬉しそうに跳ねる。
『うん!』
『頑張る!』
『あの子と契約する!』
その決意だけは、まだ生まれたばかりの
幼い命の中で誰よりも強かった。
遠くで風が歌う。
世界樹の枝葉がざわりと鳴り、森中へ祝福を運んでいく。
その音を聞きながら、リュシエルは穏やかな眠りへ落ちていった。
そんな異世界で初めての夢の中で見たのは、
見たこともない景色だった。
果てしなく青い海。
白銀の山脈。
砂漠に沈む夕日。
夜空を泳ぐ竜。
そして、誰かの背中。
その姿は霞んでいて見えない。
けれど、確かに前を歩いている。
(世界を……。)
見てみたい。
知らない景色を。
知らない人を。
知らない命を。
この世界の全部を。
その願いは、生まれたばかりの少女の胸へ、小さな灯火のように宿った。
まだ誰も知らない。
その小さな願いが、やがて世界の運命を少しだけ変えていくことを。
そして。
世界樹の根元で生まれようとしている、小さな命が。
リュシエルの人生で、かけがえのない相棒になることを。
幼い命の種の宣言に、世界樹は何も答えなかった。
ただ一本だけ枝先を揺らし、
誰にも聞こえないほど、小さく笑った。
――幼い命の種の宣言のその願い、
少女の本当の気持ちに気づくのが少しだけ遅すぎた。
**第一話 世界で一番、愛された子 了**




