氷の姫、初めてキャンプギアを買う
「買い物、ですか?」
「そうだ」
「……二人で?」
「他に誰がいる」
遠野朔は、地熱水路階層の図面から顔も上げずに答えた。
テーブルには、焔鰭大鯰の資料と、朔が書き出した道具の一覧が広がっている。
「希少部位は確かに入手困難だが、この魔物自体の研究記録は多い。必要なものはだいたい分かる」
とのこと。
温度保持ケース。
搬送フレーム。
耐熱タープ。
耐熱ホース。
流量バルブ。
加熱器。
刃物。
予備の刃物。
予備の予備。
「買い物は、朝からですか」
「朝からだ」
「昼食は」
朔のペンが止まった。
ソフィアは、自分がとっさに何を確認しているのかに気づいて一瞬恥ずかしくなった。
「……長時間になるなら、補給計画も必要かと思いまして」
「持っていく」
「そうですか」
返事が、少し早くなった。
業務だ。
凍らせてはいけない五メートル級の魔物を討伐し、爆発する可能性のある浮袋を無傷で抜くための、完全な業務上の買い出し。
遊びではない。
半日を二人で過ごすこと自体に、特別な意味などない。
「服は、耐熱グローブを着けられる袖。しゃがめるパンツ。濡れた床で滑らない靴」
ソフィアが考えかけていた服装の候補から、いくつかが即座に消えた。
「目立たない格好、という条件は?」
「それは当然だ。今のあんたがそのまま店へ入れば、買った物まで追われる」
会見で、非公開の技術協力者がいると認めたばかりだ。
二人が並んで業務用ギアを選んでいるところなど見られれば、答え合わせに近い。
「八時半。東部流通区の第六倉庫前。現地集合」
「分かりました」
「遅れるな」
「朔さんこそ、明日の朝に睡眠と朝食を報告してください」
「買い物の確認から項目が増えてるぞ」
「双方向ですから」
朔は反論しなかった。
その夜。
氷室ソフィアは、自室の衣装部屋で、使わない服を決めるために長い時間を使った。
明るい色は目立つ。
細身のパンツはしゃがみにくい。
袖の広い上着はグローブの邪魔になる。
結局選んだのは、濃紺のカーゴパンツと、ゆったりした灰色の上着。
銀髪は低い位置でまとめ、黒い作業帽の中へ隠す。
顔にはマスクと、薄く色の入った眼鏡。
鏡の中にいるのは、少なくとも配信で見る氷室ソフィアではなかった。
「仕事ですから」
誰もいない部屋で言ってみる。
靴だけは、三足試した。
◇
翌朝。
東部流通区は、大型車両の音で満ちていた。
探索業者の搬送車。
救助班用の装甲車。
密閉コンテナを積んだトラック。
ソフィアは指定された倉庫の陰に立ち、端末を確認した。
朔からの報告は短い。
『睡眠六時間二十分』
『朝食済み』
『確認しました』と返した時、倉庫の向こうから黒いジャケットの青年が歩いてきた。
見覚えのある歩き方だった。
けれど、ソフィアは声をかけるのが一瞬遅れた。
「……朔さん?」
「何だ」
声は同じだった。
髪が違う。
目元へかかり始めていた前髪が短くなり、耳まわりと襟足も整えられている。
大きく印象を変えるような髪型になった訳ではない。
ただ、これまで髪の影へ隠れがちだった目元と、まっすぐな鼻筋が、朝の光の下ではっきり見えた。
ソフィアは数秒、見つめてしまった。
「髪を、切ったのですか」
「ああ」
「どうして急に?」
「防護マスクの密着を邪魔する。汗で目に入るのも面倒だ」
完全な現場理由だった。
朔は前髪へ指を入れる。
「自分で切った。変か」
「いえ。よく似合っています」
返事が早くなった。
言ってから、自分の発言に気づく。
しかし、朔は特に気にする様子はない。
「そうか」
そのまま視線が下へ移る。
「靴底を見せろ」
「……髪についての会話は、もう終わりですか」
「終わっただろ」
ソフィアは片足を少し上げ、靴底を見せた。
朔は溝の深さを確認する。
「これなら濡れた床でも滑らないな」
「はい」
三足試した成果が出た。
「袖も問題ない。行くぞ」
ソフィアがかなりの時間を使って選んだ服装を褒めることもなく。
褒められた髪へ執着することもなく。
朔は業務用ギアショップの搬入口へ向かった。
ソフィアは一歩遅れて、その隣へ並ぶ。
顔を隠す帽子が、少しだけ深くなった。
―――東部総合探索装備センター。
二人が通されたのは、倉庫と直結した業務用区画だった。
救助用担架。
高温階層向けの遮熱板。
魔物素材を運ぶ密閉容器。
ホース、バルブ、フレーム、耐瘴気布。
色も形も地味な物ばかりだ。
その代わり、一つ一つが大きく、重く、値札の桁も多い。
朔は予約番号を告げた。
店員は帽子とマスク姿のソフィアを見ても、何も聞かなかった。
「指定商品は奥へ揃えてあります」
「ケースは三規格。フレームは荷重分散が分かる資料を。タープは床で広げたい」
「承知しました、持ってきます」
ソフィアは少し感心する。
「慣れていますね」
「向こうがな」
「朔さんもです」
「買う前に見るのは普通だ」
そう言った朔は、YETRA温度保持ケースの留め具を、素手、片手、耐熱グローブの順に何度も開閉した。
普通の客は、そこまでしない気がした。
「これを着けろ」
厚い耐熱グローブが、ソフィアへ渡される。
「一番大きいケースから開けろ」
大型ケースの留め具は四つ。
最後の一つが硬く、グローブ越しでは指がかからない。
蓋も重い。
両手なら開く。
だが、戦闘後に同じ動作ができるかは分からない。
次の中型ケースは、留め具が三つ。
グローブのままでも押し上げられ、蓋を片手で保持できた。
「こちらなら問題ありません」
「閉めてみろ」
ソフィアが留め具を戻すと、朔は内部の支持具を確認した。
「大型の方が性能は上ですよね」
「容量はな」
「では、なぜこちらを?」
「あんたが開けられないケースを現場へ持っていっても意味がない」
「朔さんが開けるのでは?」
「俺の手が塞がる可能性がある。浮袋を支えたまま、ケースだけ先に開けさせるかもしれない」
朔は中型ケースを選んだ。
「討伐後のあんたが、このグローブで開けられる。なら、こっちだ」
最高性能ではない。
現場で、ソフィアが扱えること。
それが選ばれた理由だった。
「……合理的ですね」
「他に基準があるのか」
あるような気がしたが、ソフィアは言わなかった。
次は、HELIAXの搬送フレームだった。
最軽量型は、ソフィアでも驚くほど軽い。
「これでは駄目なんですか」
朔は荷重分布の資料を指した。
中央へ均等に重さをかければ強い。
だが、一点へ負荷が集中すると細い支柱が歪む。
「浮袋は箱じゃない。中で液が動く。端へ荷重が寄った時、軽い方は耐えない」
「私が持てば、傾きは抑えられます」
「戦闘直後のあんたを運搬要員に数えるな」
「まだ動けます」
「動けるのと、任せていいのは別だ」
朔が選んだ標準型は、重い代わりに脚の位置を変えられる。
ケースの搬送だけでなく、摘出時の支持架台にもなる。
「浮袋の下へ布を入れて、重さをフレームへ逃がす」
「持ち上げないんですね」
「持ち上げる必要を減らす」
朔の強さは、重い物を持てることではない。
持たなくて済む形を先に作ることだ。
ソフィアが苦戦しながら四本の脚を組み終えた頃。
次の商品を持って戻ってきた店員が、わずかに笑った。
「ずいぶん息が合っていますね」
「作業手順を共有しているだけです」
「まだ合ってない」
二人が同時に答える。
店員は笑みを残したまま、次の商品を広げて去っていった。
◇
KOGAWAの耐熱タープは、床一面へ広げると想像以上に大きかった。
高温魔力液や血液、瘴気を含んだ体液が、作業区画の外へ飛ぶのを防ぐための物だ。
朔は地熱水路の簡易図を床へ置き、タープの四隅へ仮の支柱を立てた。
「回収地点を囲う。入口はここ」
「待ってください」
ソフィアが止める。
「この向きでは、私から魚体の背中側が見えません」
「素材回収作業に入った後は近づくな」
「近づきません。ですが、追加個体が来た場合、氷壁を出す方向が支柱と重なります」
ソフィアは図面の右側を指した。
「左側の水路を先に閉じます。開くのは右だけです。タープを斜めに張り、私の視界と魔法の起点を残した方が安全です」
朔は図面とタープを見比べた。
支柱を一本抜き、位置を変える。
長方形だった区画が、魚体を斜めに包む形へ変わった。
「これなら」
「氷壁は出せます。魚体も見えます」
「入口も水路から外れるな、これでいく」
ただ、安全だと判断した配置へ変えただけ。
それでも採用されたことが、ソフィアには少し嬉しかった。
ここへ連れてこられたのは、荷物持ちでも試着役でもない。
一緒に戦う道具を選ぶためだ。
「次はホースだ」
ソフィアも、自然に隣へ並んだ。
◇
耐熱ホースの棚には、似たような金属部品が並んでいた。
太さの違う管。
接続口。
圧力計。
流量バルブ。
燃料用ボトル。
加熱器。
ソフィアには、最初の五秒で区別がつかなくなった。
朔はMARS-Rのホースを手に取り、バルブを最小まで絞る。
「浮袋を切る前に、圧を逃がす」
「一気に抜くのでは駄目なんですか」
「魔力液が片側へ寄る。急に圧が落ちれば、袋の膜が潰れる」
朔は内部の蒸気と液を見られる確認管付きの型を選んだ。
次に、脚と管の多い加熱器を持ち上げる。
「これは?」
「MARS-Rの多燃料式。面倒だが、燃料圧を細かく変えられる。低火力を長く維持する仕事向きだ」
「いつものZOTOでは駄目なんですか」
「ZOTOは点火が速い。部品が少ない。火をつけて、すぐ焼いて、止める。普段の調理ならあっちだ」
MARS-Rを指す。
「こっちは準備が要る。その代わり、観察しながら温度を維持できる」
「違いは分かりました」
「なら選べるな」
ソフィアは、出力別に並ぶ四台の加熱器と、三規格の燃料ボトル、予備バルブ、交換ノズルを見た。
「必要な数は分かりません」
「だろうな」
朔は迷いなく必要な物を籠へ入れ始める。
「今の確認は何だったんですか」
「現場で壊れた時、何を渡せばいいか分かる」
「操作するのは朔さんですよね」
「俺の手が塞がる可能性がある」
朔は予備バルブを二つ確認し、一つだけ戻した。
「三つでは?」
「増やしすぎると、選ぶ時間が増える」
「予備の予備と書いていましたが」
「あれは刃物だ」
「基準が分かりません」
「全部違う」
その返事だけは、少し熱があった。
食材の部位を語る時と同じだった。
本人は完全に仕事をしている。
けれど、知らない道具を一つずつ説明し、ソフィアが理解するまで手を止める。
問いかけ。
試し。
相談し。
必要な物を二人で籠へ入れる。
傍から見れば。
それはずいぶん、楽しそうな買い物に見えたかもしれない。
最後に、MORAVKのフィレナイフを選んだ。
細く、長く、わずかにしなる刃。
「柔らかすぎませんか」
「硬い刃は、浮袋へ当たった時に逃げない。こっちは筋膜に沿う」
「背中側から入るんですか」
「腹から入れば、消化管と胆嚢が先にある。浮袋がずれていたら、見つける前に壊す」
「見えない場所を切ることになります」
「刃に返ってくる抵抗で分かる」
朔は当然のように言った。
皮。
厚いゼラチン層。
筋膜。
血管。
浮袋の薄い膜。
彼の指には、それぞれが別のものとして伝わるのだろう。
「これにする」
朔は新品を二本注文した。
「二本とも同じですか」
「一本は予備」
「予備の予備は?」
「今使ってる刃を研いで持っていく」
本当に用意するらしい。
◇
すべての確認が終わる頃には、正午を過ぎていた。
購入品は店側でまとめられ、後日、ギルドの指定場所へ搬送される。
朔は、外から中が見えない商談用の小部屋を借りた。
「昼にするか」
保冷バッグから、茶色い紙包みが取り出される。
包みを開く。
二つのサンドイッチが、同じ紙の中に並んでいた。
ソフィアの視線が止まる。
「二つ、あるんですね」
「二人いるからな」
当たり前のように言われた。
同じ包みの中。
最初から二つ。
今日半日を、二人で動く前提で作られた昼食。
「片方は私の分ですか」
「他に誰が食う」
朝と同じ返事だった。
「ありがとうございます」
ソフィアは口元が緩みそうになるのを抑えながら、一つを受け取る。
パンの間には、薄く切った霞羽鴨の胸肉。
昨日のローストが、今日は甘辛い照りをまとっている。
瑞々しいレタス。
薄切りの玉ねぎ。
焼いた皮も細く刻み、肉の間へ散らされていた。
「昨日の鴨ですね」
「残りだ」
「残りを、朝から照り焼きに?」
「冷えた脂を落とした。そのまま挟む方が雑だろ」
朔にとっては、二人分の昼食を作ることより。
食材を雑に扱う方が不自然らしい。
「いただきます」
表面だけ軽く焼かれたパンが、さくりと割れた。
次に、しっとりした霞羽鴨。
甘辛い醤油だれ。
焼いた皮の香ばしさ。
レタスの冷たさと、玉ねぎの軽い辛み。
昨日のローストより、ずっと分かりやすい味だった。
濃い。
香ばしい。
パンが欲しくなる。
いや、すでにパンで挟まっている。
「……」
美味しすぎて、危うく一口目を飲み込む前に、二口目へ行きそうになった。
ソフィアはどうにか耐える。
「どうだ」
「美味しいです。レタスがあるので、もう一口いけます」
「レタスは関係あるのか。それに別に一口で止める必要はない」
「そういう意味ではありません」
もう一度かじる。
今度は焼いた皮が多い場所だった。
香ばしい脂が少しだけ滲み、醤油だれの甘さが深くなる。
ソフィアの肩から、力が抜けた。
朝から正体を隠し。
慣れない留め具を開け、フレームを組み、図面を覗き込んだ。
疲れているつもりはなかった。
それでも、温度のある味が入ると、身体が空腹を認めた。
「もう一つありますか」
「ない」
「まだ半分残っています」
「なら聞くな」
「確認です」
「午後の予備はある」
朔は、小さな紙袋を見せた。
切り分けられたサンドイッチの端が入っている。
「それも二人分ですか」
「量はあんたの方が多い」
「なぜですか」
「午前中、ケースとフレームを全部試しただろ」
実務的な答えだった。
それでも。
自分が疲れて食べる量まで含め、今日が最初から組まれていた。
そう思うと、照り焼きの甘さとは別のものが胸に残った。
「朔さん」
「何だ」
「今日の買い物は、思っていたより楽しいです」
朔は少し考えるような顔をしたが、否定しなかった。
「道具が決まれば、現場で迷わなくて済む」
「朔さんにとっての楽しいは、それですか」
「失敗が減るのは悪くない」
やはり、少しずれている。
ソフィアは笑いそうになるのを、サンドイッチでもう一口隠した。
◇
昼食後。
テーブルへ、地熱水路階層の図面が広げられた。
朔は焔鰭大鯰の進路を指でなぞる。
「工程は六つ」
ソフィアの表情が、仕事のものへ戻る。
「一。水路を閉じて、浅瀬へ追い込む」
図面上の分岐が、順番に示される。
「二。浮袋を上にした姿勢で殺す」
「背中を上に、ですね」
「三。圧調節管へホースをつなぎ、圧を逃がす」
「その間、私は周囲を封鎖します」
「魚体を急に冷やすな」
「氷壁は離します」
「四。背中側から開く。五。フレームで浮袋を支えてから、管と膜を切り離す」
「六。温度を変えずにケースで運ぶ、ですね」
ソフィアが最後を引き取った。
流れだけを見れば、単純だった。
だが、一つでも順番を違えれば。
浮袋が破裂する。
高温の魔力液が飛散する。
回収対象だけではなく、大鯰の身まで泥状に崩れる。
ソフィアは図面を見つめた。
「朔さんの作業位置は、ここですね」
浅瀬の回収地点。
耐熱タープの内側。
「そうだ」
ソフィアは自分の配置予定地点へ指を置く。
水路の分岐を見渡せる、制御地点。
二つの指の間には、かなりの距離があった。
「離れすぎています」
「回収作業に氷を近づけないためだ」
「配置そのものに異論はありません。問題は、連絡手段です」
「合図を決める」
「魚体の向きや流速は、手信号で伝えられます」
ソフィアは図面上の大鯰を指で押さえた。
「ですが、圧を抜くタイミングは数秒単位です。蒸気で互いが見えなくなれば、合図そのものが成立しません」
ソフィアは端末を開いた。
「ギルド支給の骨伝導通信機を使いましょう」
「俺にも出るのか」
「限定技術協力者として登録されればですが、現場技術者用の機器を借りられます。使用回線も、案件関係者だけに閉じられます」
朔は図面を見たまま、少し考えた。
「水音の中で聞こえるか」
「高温階層の救助班でも使用されている型です」
「両手は空く」
「はい」
「なら、それでいい」
ソフィアは申請項目へ、通信機の貸与を追加した。
「事前に音量を合わせる必要がありますね」
「店ではできないだろ」
「支給後に先に確認します」
「現場で初めて使うのは避ける」
「私も、そのつもりです」
短いやり取りだった。
それだけなのに。
次の現場では、水音と蒸気の向こうから、朔の声が自分だけの通信機へ直接届く。
そう想像した瞬間。
ソフィアの指が、申請画面の上でわずかに止まった。
「どうした」
「何でもありません」
「なら送れ」
「今、確認しています」
申請を送信する。
数分後、画面上部へ新しい通知が表示された。
【限定外部技術協力者登録・承認通知】
二人は、並んで画面を見る。
登録対象者。
遠野朔。
登録業務。
氷室ソフィア担当(非専属)・素材保全技術協力。
続いて、地熱水路階層・焔鰭大鯰素材保全実証への参加条件が並ぶ。
・ギルド管轄の現場作業区画への入場を許可。
・朔の氏名と登録情報は外部非公開。
・スポンサー、広報、一般職員には開示しない。
・実名を閲覧できるのは、案件責任者と安全管理担当者のみ。
・配信カメラは、技術協力者の作業区画を撮影範囲から外す。
・現場では、顔全体を覆う防護装備の着用を認める。
最後には、先ほど申請した通信機についても、貸与可能と追記されていた。
「通りました、早いですね」
早すぎて、ギルド側は先日の会見の時からこの作戦に二人を参加させる算段だったのではないか、と思った。
朔は通知内容を上から確認し、情報の公開範囲で指を止めた。
「広報には名前が出ないんだな」
「はい。一般のギルド職員にも、登録済みの外部協力者としか伝わりません」
「配信カメラは」
「回収地点へ入れません」
「作業記録は残るのか」
「安全管理用の固定映像だけです。顔は撮影せず、広報部門も閲覧できません」
朔は最後まで読み、小さく頷いた。
「なら問題ない」
それだけだった。
正式な立場で、ソフィアと同じ現場へ入ることにも。
これまでとは違い、素材回収作業している事実そのものを隠さなくてよくなったことにも。
特別な感慨はないらしい。
「これで、隠れて現場へ入る必要はありませんね」
ソフィアが言うと、朔は自分の短くなった前髪へ触れた。
「顔は隠す」
「顔の話ではありません」
「防護マスクは必要だろ」
「立場の話です」
「分かってる」
分かっていて、その返事なのだ。
これまで朔は、配信が終わった後に現れた。
カメラの死角で素材を拾い。
誰にも見つからない場所で、ソフィアの補給を作った。
彼が現場にいること自体が知られれば、すべてが終わる。
だから、いつも隠れていた。
次は違う。
顔も名前も、世間には出ない。
配信カメラにも映らない。
けれど。
そこにいることを、否定しなくてもいい。
技術協力者として。
必要な人間として。
ソフィアと同じ案件へ、正式に入れる。
「何だ」
通知画面を見つめていたソフィアへ、朔が問う。
「いえ」
ソフィアは端末を閉じた。
「今日、道具を選びに来てよかったと思っただけです」
「現物を見ないと決められないと言っただろ」
「そうですね」
それだけではなかったが、言わなかった。
朔は購入品の一覧へ、次々に確認済みの印をつけていく。
温度保持ケース。
搬送フレーム。
耐熱タープ。
ホース。
バルブ。
加熱器。
フィレナイフ。
二人で開き。
二人で組み。
二人で配置を変え。
次の現場で、二人が使う道具。
最後の項目へ印がつく。
「終わりだ」
「もうですか」
「全部決まった」
朝から店内を歩き回り、昼食まで一緒に取った。
それでも、ソフィアには少しだけ早く感じられた。
「午後の予備のサンドイッチは」
「帰る前に食わせる」
「では、まだ終わりではありませんね」
「買い物は終わった」
「補給計画は業務の一部です」
朔は少しだけ面倒そうな顔をした。
だが、保冷バッグへ手を伸ばす。
二人は商談用テーブルに並んだまま、残っていた照り焼きサンドを半分ずつ食べた。
ちょうど店員が、部屋の前を通りかかった。
笑い声が聞こえたわけではない。
楽しそうな会話が続いていたわけでもない。
片方は、次に持ち込む燃料の量を確認し。
もう片方は、サンドイッチの大きい方が自分へ渡された理由を聞いている。
それでも。
客観的に見れば。
それはやはり、ずいぶん楽しそうな買い物に見えた。
―――そしてその夜。
ギルドの公式配信予定が更新された。
【地熱水路階層・焔鰭大鯰素材保全実証】
参加探索者。
氷室ソフィア。
案件内容。
焔鰭大鯰の討伐、および蓄熱浮袋の無損傷回収実証。
そして、注意事項の末尾。
《本案件には、登録済みの非公開技術協力者が参加します》
《安全管理上、素材回収区画の映像および音声は配信されません》
直後。
探索者掲示板に、新しいスレッドが立った。
【速報】氷姫の次案件、例の技術協力者も現場入り
1:名無しの探索者
非公開技術協力者が参加します
5:名無しの探索者
会見で認めた奴か?
9:名無しの探索者
ついに謎の男が公式に現場入りするのか
13:名無しの探索者
男だとは公表されてないぞ
17:名無しの探索者
でも肉質が死ぬ男以外に呼び方がない
22:名無しの探索者
回収区画は映像も音声もなし
徹底して隠す気だな
28:名無しの探索者
そこまで隠すって何者なんだよ
34:名無しの探索者
焔鰭大鯰ってダメージ与えると希少部位の浮袋が破裂するやつだろ
39:名無しの探索者
凍らせてもダメだから、氷姫と相性最悪では?
44:名無しの探索者
だから技術協力者が必要なんじゃね
51:名無しの探索者
氷姫が凍らせずに倒す
謎の協力者が壊さずに抜く
そういう案件か
57:名無しの探索者
書くと簡単そうだけど両方無理だろ
63:名無しの探索者
回収区画を見せてくれ
68:名無しの探索者
見せたら非公開の意味がない
74:名無しの探索者
どうせまた何か漏れる
81:名無しの探索者
声だけでも頼む
―――世界はまだ知らない。
この戦いに備えるための一日を、氷の姫が思いのほか、楽しんでいたことを。
謎の技術協力者もまた、昼食だけは最初から二人分で数えていたことを。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
少しでも「面白い」「続きが読みたい」と思っていただけましたら、画面下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にし、リアクションや感想を書いて応援していただけると、作者の最大の魔力回復(励み)になります!
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次回も、2日後に更新予定です。




