第84話 父は、帰れなかった人たちの名前を呼んだ
「少しずつ」
「戻ってきた」
父の声が。
震えていた。
「何が」
蒼汰が聞く。
「名前」
守は言った。
「向こうにいた」
「人たちの」
「名前」
蒼汰は。
白い板を見る。
ミア。
アベル。
トーマ。
リナ。
ガレス。
ノノ。
フェイ。
知らない名前が。
百以上。
並んでいる。
その中。
父が。
最初に見つけた。
四十三人。
「親父」
「思い出せる?」
守は。
すぐには答えなかった。
「全部は」
「まだ無理だ」
「なら」
蒼汰は言った。
「思い出せる人から」
「教えて」
冬城が。
すぐに。
新しい紙を用意する。
エルナも。
白い板の横へ。
記録装置を置いた。
守が。
小さく息を吐く。
「一人目」
広間が。
静かになった。
「ミア・ローデン」
白い板。
最初に出た。
ミア。
文字が。
一度。
淡く光った。
蒼汰の目が。
大きくなる。
「合ってる?」
エルナが計測器を見る。
「反応が強くなった」
守が続けた。
「十二歳」
「左の靴紐が」
「いつもほどけてた」
蒼汰が。
少し眉を寄せる。
「そこまで?」
「ああ」
「何で靴紐」
「何度結んでも」
「走るとほどけるんだよ」
守の声が。
少し。
懐かしそうになる。
「最初に会った時」
「俺の顔見て」
「おじさん誰」
「って言った」
蒼汰が。
ほんの少し。
笑った。
「親父」
「昔からおじさんだったんだな」
「見た目は若かった」
「十二歳から見たらおじさん」
「……そうか」
白い板。
ミア。
その横に。
新しい文字が浮かんだ。
――くつ。
次。
――なおしてくれた。
守が。
黙った。
蒼汰は。
その文字を見る。
「覚えてるんだ」
向こうも。
父を。
覚えている。
守が。
次の名前を言う。
「アベル・シーン」
冬城が書く。
「三十一歳」
「石工」
「右手の小指がない」
白い板。
アベル。
淡く光る。
――いし。
文字。
――まだ。
――もってる。
守が。
「ああ」
と。
呟いた。
「こいつ」
「帰ったら」
「息子と家を建てるって」
「ずっと石を一個」
「持ってた」
蒼汰は。
何も言わず。
それも。
書いてもらう。
名前。
年齢。
特徴。
帰ったらしたかったこと。
その人が。
その人だった証。
「トーマ・ベル」
「六十八」
「元教師」
「人の名前を」
「俺より覚えてた」
白い板。
――まもる。
――けいさん。
――にがて。
蒼汰が。
吹き出した。
「親父」
「向こうでもバレてるじゃん」
「計算はできる」
「暗算が遅いだけだ」
エルナが言う。
「それを苦手って言うのよ」
「お前まで」
ほんの少し。
広間が。
軽くなる。
でも。
父は。
止めなかった。
「リナ・ハルト」
「十九」
「料理人見習い」
「辛いものを」
「何にでも入れる」
白い板。
――まもる。
――からいの。
――よわい。
蒼汰が。
棺を見る。
「弱いの?」
「……少し」
「初めて知った」
「巴が辛いの作らなかったからな」
「母さん知ってたんだろ」
「多分」
次。
「ガレス・ノーン」
「四十四」
「船大工」
「泳げない」
蒼汰が。
思わず聞く。
「船大工なのに?」
「俺も同じこと言った」
白い板。
――いうな。
蒼汰は。
笑った。
「まだ怒ってる」
守も。
少し笑った。
名前が。
一人ずつ。
人になる。
ただの。
未帰還者。
ではない。
靴紐がほどける子。
石を持つ父親。
暗算で父をからかう教師。
辛い料理を作る女。
泳げない船大工。
蒼汰は。
気づいた。
数字だけだった時より。
ずっと。
重い。
四十三人。
百人。
そんな言い方なら。
大きな塊として。
考えられる。
でも。
名前と。
癖と。
話が付いた瞬間。
一人になる。
「親父」
「なんだ」
「こうやって」
「覚えてたんだな」
守は。
少し。
黙った。
「忘れたくなかったからな」
その一言が。
蒼汰の胸に。
重く落ちた。
父は。
忘れていた。
でも。
忘れたかったわけではない。
境界に。
持っていかれていた。
記憶。
名前。
それが。
今。
父のもとへ。
帰ってきている。
「次」
守が言う。
「ノノ・アーク」
「八歳」
蒼汰の手が。
止まる。
「八歳……」
「ああ」
「一番小さかった」
白い板。
ノノ。
文字が。
強く光った。
――まもる。
――まだ。
――おぼえてた。
守が。
返事をしない。
その代わり。
蒼汰には。
父の声が。
少し。
震えたのがわかった。
「親父?」
「……ああ」
守が言う。
「覚えてた」
白い板。
次。
――よかった。
たった。
四文字。
それだけだった。
エルナが。
視線を落とす。
冬城も。
筆を止めない。
蒼汰は。
聞いた。
「ノノは」
「帰りたいって?」
守は。
少し考える。
「当時は」
「帰りたいって」
「言ってた」
「今は?」
「わからん」
蒼汰は。
頷いた。
それでいい。
四十八年前。
三十六年前。
父が会った時と。
今。
気持ちが。
同じとは限らない。
八歳だった子が。
今も。
八歳の感覚なのか。
向こうで。
何十年。
生きたのか。
それすら。
わからない。
昔。
帰りたい。
と言ったから。
今も帰りたい。
そう決めつけない。
「今度」
蒼汰は言った。
「本人に」
「もう一回聞こう」
守が。
「ああ」
と答えた。
それからも。
名前が続く。
「フェイ・アルト」
「二十三」
「薬師」
「薬草の匂いが」
「服に染みついてた」
「ヨハン・クロウ」
「五十二」
「パン職人」
「自分のパンより」
「他人のパンを褒める」
「セラ・ムーン」
「十六」
「歌が上手い」
「でも」
「人前では絶対歌わない」
「バロウ・ケイン」
「三十九」
「元兵士」
「寝言で」
「母ちゃんって言う」
蒼汰が。
少し笑う。
「それ本人に言っていいの?」
「駄目だ」
白い板。
すぐに。
――いうな。
守が。
「ほら」
と。
少し得意そうに言う。
「本人も嫌がってる」
「なら何で俺に教えた」
「特徴を聞いただろ」
「加減しろよ」
名前。
名前。
名前。
冬城が。
書く。
エルナが。
照合する。
蒼汰が。
聞く。
守が。
思い出す。
一人。
また一人。
二十人。
二十七人。
三十三人。
そして。
三十九人目。
守が。
止まった。
「親父?」
返事がない。
蒼汰が。
待つ。
「無理なら」
「休んで」
「違う」
守が言う。
「思い出した」
声が。
低い。
「三十九人目」
「アイラ・フェルン」
冬城が。
書こうとして。
手を止めた。
「冬城さん?」
冬城の顔から。
表情が消えている。
「そのお名前は」
「知ってるんですか」
冬城が。
ゆっくり。
頷いた。
「はい」
「帰還記録に」
「存在します」
蒼汰が。
眉を寄せる。
「第十四区画の?」
「いいえ」
冬城は。
別の記録板を開く。
検索。
名前。
アイラ・フェルン。
一件。
出た。
「二十一年前」
「正式帰還済みです」
蒼汰が。
止まる。
「帰ってる?」
守も。
頭の中で。
「……何?」
と。
明らかに驚いた。
冬城が続ける。
「帰還者名」
「アイラ・フェルン」
「帰還時年齢、二十七歳」
「保護担当――」
指が。
止まる。
蒼汰を見る。
「奏多守様」
広間が。
静まり返った。
蒼汰は。
棺を見る。
「親父」
「覚えてない」
即答だった。
「本当に?」
「本当に」
守の声に。
混乱がある。
「俺が」
「帰した?」
「記録では」
冬城が言う。
「はい」
でも。
第十四区画に。
今。
アイラという名は。
出ていない。
帰還済みなら。
当然。
向こうには。
いないはず。
「じゃあ」
蒼汰が聞く。
「何がおかしいんです?」
エルナが。
記録板を見る。
そして。
眉を寄せた。
「帰還日」
「守が第十四区画へ」
「六回目に入った日と同じ」
蒼汰の心臓が。
強く鳴る。
七回。
父が。
第十四区画へ。
戻った。
その記録。
内容だけ。
消えていた。
六回目。
そこで。
一人。
帰していた。
「親父」
「少しでも」
「思い出せない?」
守は。
長く。
黙った。
やがて。
「顔」
と言った。
「顔だけ」
「どんな?」
「赤い髪」
「肩まで」
「右目の下に」
「小さいほくろ」
冬城が。
帰還記録を。
表示する。
そこには。
当時の。
写真。
赤い髪。
右目の下。
小さなほくろ。
一致。
蒼汰は。
息を吐く。
「本当に」
「親父が帰したんだ」
「ああ……」
守の声。
そして。
次。
「待て」
蒼汰が。
身構える。
「何」
「アイラ」
守が。
思い出す。
「帰した時」
「俺に」
「頼んだ」
「何を」
「自分の名前を」
守の声が。
さらに低くなる。
「向こうに」
「置いていってくれって」
蒼汰は。
意味がわからなかった。
「名前を?」
「ああ」
「なんで」
守は。
答えようとして。
止まる。
記憶が。
そこから先。
まだ。
戻っていない。
エルナが。
白い板を見る。
「本人は」
「今」
「こちら側にいる」
「でも」
「名前だけ」
「第十四区画に残した?」
冬城が。
静かに言う。
「もしそうなら」
「名前の消失とは」
「失われるだけではなく」
「意図的に残すことも」
蒼汰が。
首を振った。
「待って」
「まず本人に聞けばいい」
全員が。
蒼汰を見る。
「アイラさん」
「今も生きてる?」
冬城が。
記録を追う。
帰還。
二十一年前。
現在年齢。
四十八歳。
死亡記録。
なし。
「存命です」
「連絡は?」
「可能です」
「じゃあ」
蒼汰は。
すぐに言う。
「勝手に推測するより」
「本人へ聞こう」
守が。
頭の中で。
「ああ」
エルナも。
頷く。
「それが一番早い」
冬城が。
連絡を取ろうとして。
止まった。
「どうしました?」
蒼汰が聞く。
冬城が。
名簿を見る。
今日。
葬儀へ。
来る予定の。
弔問者名簿。
指が。
ずっと。
後ろ。
まだ。
かなり先のページで。
止まった。
「……アイラ・フェルン様」
蒼汰が。
目を見開く。
「来るの?」
「はい」
「本日の弔問予定者です」
蒼汰は。
少し。
息を吐いた。
なら。
今。
呼びつける必要はない。
その人にも。
順番がある。
今日。
父へ。
会いに来る理由がある。
「じゃあ」
蒼汰は言った。
「待ちましょう」
「順番まで」
「はい」
冬城が。
名簿を閉じる。
「ただ」
「一つだけ」
蒼汰が。
白い板を見る。
「アイラさんの名前」
「第十四区画側に」
「まだあるか」
「確認できます?」
エルナが。
装置を調整する。
本人名。
検索ではない。
こちらから。
名前は送らない。
向こうから。
出てくるものだけ。
待つ。
十秒。
二十秒。
何もない。
そして。
白い板。
一行。
――アイラ。
蒼汰の顔が。
硬くなる。
次。
――フェルン。
こちらに。
本人はいる。
なのに。
向こうにも。
名前がある。
そして。
その下。
新しい表示。
――本人名。
蒼汰が。
息を止める。
エルナも。
冬城も。
動かない。
――ではない。
蒼汰が。
目を細める。
「また?」
以前。
奏多守。
その名前も。
本人名ではなく。
帰還先として。
使われていた。
アイラも。
同じなのか。
次。
――やくそく。
その一言。
守が。
頭の中で。
息を呑んだ。
「約束……」
白い板。
続く。
――アイラは。
――かえった。
次。
――でも。
――やくそくは。
一度。
止まる。
――のこった。
蒼汰は。
棺を見る。
守の声が。
震える。
「思い出した」
「何を?」
「アイラ」
父が。
ゆっくり。
言った。
「一人だけ」
「帰ったんじゃない」
蒼汰の眉が寄る。
「どういう意味」
「あいつ」
「向こうに」
守は。
一度。
言葉を切った。
「娘を」
「残した」
広間が。
完全に。
静まり返った。
蒼汰は。
白い板を見る。
アイラ・フェルン。
本人は。
二十一年前。
帰還済み。
でも。
その名前は。
約束として。
第十四区画に。
残っている。
「娘さんは」
蒼汰が聞く。
「今も」
父が。
答えた。
「ああ」
「多分」
「第十四区画にいる」
その瞬間。
白い板。
新しい名前が。
浮かんだ。
――ミア。
蒼汰が。
止まる。
最初に。
名乗った。
十二歳。
左の靴紐が。
いつもほどける。
あの子。
次。
――ミア・フェルン。
守が。
何も言えなくなった。
蒼汰は。
ゆっくり。
白い板を見る。
アイラ・フェルン。
その娘。
ミア・フェルン。
帰還した母。
帰れなかった娘。
そして。
母は。
今日。
この葬儀へ。
来る。
父が。
二十一年間。
忘れていた。
その約束を。
聞きに。




