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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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79/102

第79話 父は魚を見て、港を三日閉めた



扉が。


勢いよく。


開いた。


「奏多守!」


「死んだからって逃げられると思うんじゃないよ!」


入ってきたのは。


小柄な老婆だった。


白髪を後ろで一つに束ね。


日に焼けた顔。


太い腕。


肩には。


なぜか。


巨大な魚を一匹。


担いでいる。


蒼汰は。


魚を見る。


老婆を見る。


もう一度。


魚を見る。


「……冬城さん」


「はい」


「葬儀ですよね?」


「はい」


「魚、持ってきてますけど」


「見ればわかります」


「そうじゃなくて」


老婆が。


ずかずかと。


広間へ入ってくる。


肩の魚は。


どう見ても。


一メートル以上ある。


銀色。


丸々太っている。


死んでいるのだろう。


動かない。


だが。


ものすごく。


存在感がある。


老婆は棺の前まで来ると。


魚を。


どん。


と床へ置いた。


「ほら!」


蒼汰が聞く。


「何が、ほらなんです?」


「こいつが原因だよ!」


頭の中で。


守が言った。


「違う」


老婆が。


棺を睨む。


「今、違うって言っただろ!」


蒼汰が目を見開く。


「聞こえるんですか?」


「聞こえないよ!」


「じゃあ何で」


「この馬鹿が言いそうなことは全部わかる!」


まただ。


父の古い知人は。


この能力でも持っているのだろうか。


冬城が紹介する。


「南海自由港自治評議会」


「元港湾総監」


「マルタ・ベイル様です」


老婆――マルタは。


蒼汰を。


じろり。


と見る。


「お前が蒼汰かい」


「はい」


「似てないね」


頭の中で。


守が言う。


「またか」


蒼汰は無視した。


「父がお世話になったみたいで」


「世話したよ!」


マルタは即答した。


「とんでもなくね!」


そして。


棺を指差す。


「こいつが港を三日も閉めたせいで!」


「魚が?」


蒼汰が聞く。


「魚が!」


マルタが叫ぶ。


「原因だった!」


守が。


頭の中で。


ぼそっと。


「だから違う」


蒼汰は。


少し頭が痛くなってきた。


「最初からお願いします」


「そうしよう」


マルタは。


近くの椅子を。


自分で引っ張ってきた。


どかっと座る。


「三十四年前」


「南海自由港には」


「一日にだいたい四百隻の船が出入りしてた」


漁船。


貨物船。


客船。


軍艦。


大小。


様々な船が。


集まる港。


海路の要。


港が止まれば。


物流も止まる。


市場も。


倉庫も。


造船所も。


宿も。


食堂も。


全部。


影響を受ける。


「一時間閉めるだけでも」


マルタが言う。


「金が飛ぶ」


「一日閉めたら」


「町中が怒鳴る」


蒼汰が嫌な予感を覚える。


「親父は」


「三日閉めたんですよね」


「閉めた!」


「勝手に?」


「勝手に!」


守が反論する。


「勝手じゃない」


マルタが棺へ怒鳴る。


「勝手だ!」


「港湾総監だったあたしに事後報告だっただろうが!」


頭の中で。


守が小さく言う。


「急いでた」


蒼汰は。


もう聞き飽きた。


「それ禁止」


「何が」


「急いでた」


「本当に急いでたんだぞ」


「毎回そうだろ!」


マルタが。


楽しそうに。


少し笑った。


「やっぱり親子だね」


「似てないって言ったじゃないですか」


「顔はね」


そう言って。


また話へ戻る。


その日。


朝。


港に。


魚が浮いた。


死んでいたわけではない。


海面。


何千匹もの魚が。


頭だけを。


水面から出していた。


蒼汰が眉を寄せる。


「魚が?」


「そう」


全員。


同じ方向。


沖。


港の外。


そこを向いて。


ほとんど。


動かなかった。


漁師たちは。


気味悪がった。


だが。


赤潮でもない。


水温も普通。


毒物もない。


酸素濃度にも。


異常なし。


「そこに」


マルタが。


棺を見る。


「こいつがいた」


境界関係の調査で。


たまたま。


港へ来ていた。


守は。


魚を見た。


一分。


二分。


三分。


そして。


言った。


港を閉めろ。


「理由は?」


蒼汰が聞く。


マルタの眉が。


ぴくり。


と動く。


「それがね」


「最初」


「言わなかった」


蒼汰は。


ゆっくり。


棺を見る。


「親父」


「……悪かった」


早い。


今回は。


認めるのが早かった。


マルタが続ける。


「あたしは当然聞いたよ」


「何で閉める」


「そしたら」


「魚が変だ」


蒼汰は。


目を閉じた。


「それだけ?」


「それだけ!」


「閉めるか!」


「そうだろ!?」


マルタが。


ばん。


と膝を叩く。


「四百隻止めるんだよ!」


「魚が変だからで!」


「止められるか!」


守が。


小さく言った。


「でも変だった」


「幼児かよ」


蒼汰が呟く。


エルナが。


横で。


肩を震わせている。


笑っている。


冬城は。


平然としている。


マルタは続ける。


「でもね」


「あたしも魚を見た」


そこから。


話が変わった。


港で生まれ。


港で育ち。


四十年以上。


海を見てきた。


マルタ。


魚の異常。


潮。


風。


鳥。


匂い。


説明できない。


だが。


「確かに」


マルタは言う。


「あれは」


「海から逃げてた」


蒼汰が顔を上げる。


「沖を向いてたのに?」


「違う」


「港から」


魚は。


沖へ行きたいのではない。


港から。


離れたがっていた。


何千匹も。


一斉に。


「そこで」


マルタが言う。


「あたしは港を閉めた」


蒼汰が止まる。


「親父じゃないんですか」


「最初に言ったのはこいつ」


「決めたのはあたし」


マルタは。


棺を指差した。


「ここ大事だからね」


頭の中で。


守が言う。


「そうだ」


「なんで最初からそう言わなかったんだよ」


「話の流れが」


「お前が説明下手なの」


「こういうところだぞ」


マルタは。


港湾総監として。


命令を出した。


入港禁止。


出港禁止。


港内全船。


係留。


沖の船には。


待機命令。


そして。


原因調査。


守は。


一人で海へ行こうとした。


「でしょうね」


蒼汰が言った。


「止めたよ」


マルタが即答した。


蒼汰が。


少し嬉しくなる。


「ありがとうございます」


「何でお前が礼言うんだい」


「今まで誰も止めてくれなかったので」


守が。


頭の中で。


不満そうに言う。


「止められてたぞ」


「止まってないだろ」


マルタは。


守へ言った。


海は。


自分の専門。


魚。


潮。


船。


港。


全部。


こっちの方が詳しい。


境界だけ見て。


勝手に潜るな。


守は。


渋った。


「何分?」


蒼汰が聞く。


「十五分」


「長いな」


「最後はあたしが」


マルタが。


拳を握る。


「殴った」


「物理!?」


「一発」


頭の中で。


守が。


「痛かった」


蒼汰は。


素直に言った。


「ありがとうございます」


「だから何で礼言うんだい!」


調査は。


二人で行われた。


守は。


境界反応を見る。


マルタは。


海を見る。


そして。


原因が。


見つかった。


港の海底。


古い防波堤の下。


そこに。


小さな。


境界亀裂が開いていた。


だが。


問題は。


亀裂そのものではない。


亀裂から。


向こう側の海水が。


ほんの少し。


流れ込んでいた。


見た目。


透明。


毒もない。


人間が触れても。


すぐには。


何も起きない。


だが。


魚には。


わかった。


「何が違ったんです?」


蒼汰が聞く。


エルナが。


先に答える。


「時間」


蒼汰が見る。


「時間?」


「向こうの海水」


「時間の進み方が違ったんでしょう」


マルタが頷く。


港へ。


ごく薄く。


混ざった。


別の時間。


それを。


魚は。


本能的に。


避けていた。


「船が入ったらどうなったんです」


蒼汰が聞く。


守が。


頭の中で答えた。


「多分」


「何も起きない船もある」


「多分?」


「でも」


「当たった船は」


一瞬。


守が黙る。


「帰ってきた時」


「乗ってる人間だけ」


「数十年経ってたかもしれない」


蒼汰は。


ぞっとした。


船は。


数分しか港内を移動していない。


なのに。


乗組員だけ。


老いる。


あるいは。


逆。


外では。


数十年。


船内では。


数分。


帰った時。


家族が。


もういない。


「だから」


蒼汰が言う。


「閉めた」


「ああ」


結果。


港は。


三日間。


完全閉鎖。


守とマルタ。


技師。


漁師。


潜水員。


専門家たちが。


亀裂を。


塞いだ。


大事故は。


起きなかった。


誰も。


時間に取り残されなかった。


「じゃあ」


蒼汰は。


マルタを見る。


「正解だったんですね」


「港を閉めたことはね」


マルタは。


言った。


「問題は」


「そのあとだ」


蒼汰の顔が。


嫌そうになる。


「まだあるんですか」


「ある」


港を。


三日閉めた。


事故は防げた。


安全確認もできた。


では。


開ける。


守は。


そう言った。


マルタは。


止めた。


「何で?」


蒼汰が聞く。


「港ってのはね」


「扉じゃないんだよ」


マルタは言った。


三日。


船が止まった。


沖に。


入港待ちの船。


港内に。


出港待ち。


荷物。


人。


生鮮品。


薬。


郵便。


兵員。


食料。


全部。


詰まっている。


そこで。


安全になったから。


全部動け。


と。


一斉に開けたら。


事故になる。


「船同士が?」


「それもある」


さらに。


市場。


荷役。


検疫。


税関。


倉庫。


全部。


処理能力を超える。


守は。


そこで。


初めて。


黙った。


蒼汰が。


先を読めた。


「親父」


「また考え直した?」


「ああ」


守が答える。


マルタは。


少しだけ。


誇らしそうに笑った。


「こいつはね」


「閉めるのは得意だった」


「危ない」


「止まれ」


「待て」


「そこは早い」


でも。


「開け方を知らなかった」


蒼汰は。


その言葉に。


少し引っかかった。


閉める。


止める。


救う。


その瞬間。


だけでは。


終わらない。


オットーの。


春。


帰還者の。


家。


グスタフの。


戦後。


全部。


同じだ。


マルタは。


守へ言った。


閉めるなら。


開けるところまで。


考えろ。


「そしたら」


マルタが笑う。


「守がね」


「どうすればいい」


「って」


「素直に聞いた」


蒼汰が。


少し驚く。


「親父が?」


守が。


頭の中で言う。


「俺だって聞くぞ」


「最近それを知った」


「失礼だな」


それから。


マルタが。


指揮を執った。


最初に。


薬船。


次。


腐りやすい食料。


その次。


乗客船。


貨物船。


漁船。


港内から。


順番に。


出す。


沖から。


一隻ずつ。


入れる。


三日間。


止まったものを。


さらに。


二日かけて。


ゆっくり。


動かした。


守は。


文句を言わず。


手伝った。


荷を運び。


縄を引き。


船員へ。


順番を説明し。


怒鳴る商人に。


頭を下げた。


「親父が謝った?」


蒼汰が聞く。


「何百回もね」


マルタが。


楽しそうに言う。


「大半は」


「あたしが」


「謝れ」


「って言ったからだけど」


「やっぱり」


頭の中で。


守が言う。


「必要な謝罪だった」


「そこは認めるんだ」


「ああ」


マルタが。


担いできた魚へ。


目を落とした。


「で」


「これ」


蒼汰も。


ようやく。


最初の魚を見る。


「原因じゃなかったんですよね」


「最初に異変を教えた魚」


「その子孫だよ」


「子孫?」


「この魚はね」


マルタが。


少し笑う。


「南海じゃ」


「守魚って呼ばれてる」


蒼汰が固まった。


頭の中で。


守が叫んだ。


「俺は認めてない!」


マルタが。


即座に棺へ怒鳴る。


「もう定着したんだよ!」


「嫌だ!」


「知らないよ!」


蒼汰は。


堪えられなかった。


笑った。


「親父」


「魚になってる」


「なってない!」


「守魚」


「言うな!」


エルナも。


笑い始めた。


冬城まで。


今回は。


口元を隠した。


マルタは。


得意そうに言う。


「港じゃ縁起物さ」


「こいつが大量に浮いたら港を閉めろってね」


「今でも?」


蒼汰が聞く。


「今でも」


「実際に役に立つ?」


「何度も」


父が。


三十四年前。


魚がおかしい。


ただ。


それだけで。


止めた港。


そこから。


一つの習慣が残った。


魚を。


よく見る。


海の小さな変化を。


馬鹿にしない。


そして。


異常があれば。


止まる。


ただし。


止めたあと。


どう戻すかまで。


考える。


マルタは。


魚の横に置いていた。


細長い木札を。


取り出した。


文字がある。


――閉港条件。


裏。


――再開条件。


「これは?」


蒼汰が聞く。


「守と一緒に作った」


港を閉じる条件。


そして。


開く条件。


異常が消えた。


それだけでは。


足りない。


安全確認。


船の順番。


人員。


荷役。


食料。


医療。


全部。


揃って。


初めて。


再開。


「もらっていいんですか」


「あんたに持ってきた」


蒼汰が。


木札を受け取る。


マルタは。


その手を。


一度だけ。


強く握った。


「蒼汰」


「はい」


「守みたいになる必要はない」


「……はい」


「でも」


マルタは言う。


「何かを止める時は」


「その先も見な」


蒼汰は。


木札を見る。


閉める。


開ける。


二つ。


同じ板。


「止めて終わりにしない」


「そう」


「助けて終わりにしない」


「そうだ」


マルタは。


棺を見る。


「こいつは」


「それを覚えるのに」


「ずいぶん時間がかかった」


頭の中で。


守が言う。


「悪かったな」


蒼汰が。


代わりに伝える。


「悪かったなって」


マルタは。


ふん。


と鼻を鳴らした。


「知ってるよ」


そして。


立ち上がった。


棺の前へ。


もう一度。


歩く。


今度は。


怒鳴らない。


「守」


静かな声。


「あんたが閉めた港」


「今もちゃんと開いてるよ」


守は。


何も言わなかった。


マルタは続ける。


「船も来る」


「魚も獲れる」


「市場も五月蝿い」


「若い連中も」


「あたしの言うことを聞きゃしない」


少し。


笑う。


「だから」


「心配すんな」


「港は」


「明日も開く」


頭の中で。


守が。


小さく。


答えた。


「そうか」


蒼汰が。


そのまま伝える。


「そうか、って」


マルタは。


目を細めた。


「それだけかい」


守が。


少し慌てる。


「ありがとうも」


蒼汰は笑う。


「ありがとう、も」


「先に言いな」


マルタは。


棺を。


軽く。


一度だけ叩いた。


「馬鹿」


そして。


魚を。


また。


肩へ担ぐ。


蒼汰が驚く。


「持って帰るんですか!?」


「当たり前だろ」


「置いていくんじゃ」


「晩飯だよ」


「弔いの品じゃなかったの!?」


「新鮮なんだよ!」


マルタは。


そのまま。


列へ戻っていった。


巨大な魚を。


担いだまま。


蒼汰は。


呆然と見送る。


「……すごい人だったな」


頭の中で。


守が言う。


「昔からああだ」


「仲良かった?」


「まあな」


蒼汰は。


少し笑う。


長卓へ。


新しい木札を置いた。


閉港条件。


再開条件。


止めるだけでは。


駄目。


帰すだけでも。


駄目。


そのあと。


ちゃんと。


日常が動き始めるところまで。


父は。


少しずつ。


学んでいった。


蒼汰は。


透明な保管箱を見る。


第十四未帰還区画。


もし。


そこへ行くことになったら。


連れ帰ることだけを。


考えてはいけない。


何人いる。


どこへ帰す。


家族は。


身体は。


時間は。


帰還後。


どう暮らす。


今まで聞いてきた。


全部が。


必要になる。


「……親父」


「なんだ」


「十四番」


「もし行くなら」


蒼汰は言った。


「迎えに行く前に」


「帰したあとのことまで」


「考えないとな」


少し。


沈黙。


それから。


守が。


静かに答える。


「ああ」


「それでいい」


冬城が。


次の名簿へ。


手を伸ばした。


その時。


透明な保管箱から。


音がした。


――こん。


全員が。


一斉に。


振り返る。


蒼汰の表情が。


硬くなる。


しかし。


二度目は。


来なかった。


代わりに。


箱の中。


封筒の表面へ。


小さな文字。


一行だけ。


浮かんだ。


――うみは。


蒼汰が読む。


次。


――まだ。


守の声が。


止まった。


そして。


最後。


――つながっている。


エルナの顔色が変わる。


「蒼汰」


「はい」


「第十四区画」


「旧校舎だけじゃないかもしれない」


冬城が。


マルタが出ていった扉を見る。


蒼汰も。


同じ方向を見た。


三十四年前。


父が。


港の底で塞いだ。


境界亀裂。


守が。


頭の中で。


低く呟いた。


「……まさか」


遠ざかっていた。


マルタの足音が。


ぴたりと。


止まった。


扉の向こうから。


声がした。


「蒼汰!」


さっきまでとは違う。


鋭い。


港湾総監の声。


「今」


「魚が動いた」


蒼汰が。


立ち上がる。


扉の向こう。


マルタが担いでいた。


死んでいるはずの守魚。


その尾が。


一度だけ。


床を。


叩いた。


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