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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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70/102

第70話 同じでなければならないのは、色ではない



応接室へ入ってきた男からは。


乾いた木屑と。

金属油。

古い革靴の匂いがした。


木工所の朝。


まだ鋸が動き始める前。


作業台。

床。

工具。

服装。


事故へ繋がる異常がないか。


一つずつ確認してきた者の匂いだった。


年齢は七十代半ばほど。


身体は大きい。


肩幅も広く。

右腕は、左腕より少しだけ細い。


黒の礼装の袖口から見える右手には。


親指。

人差し指。

中指。


三本しかなかった。


残る二本は。


手のひらの途中から失われている。


胸元には。


一足の作業靴。

直角定規。

中央で止まった鋸刃。


それらを組み合わせた銀の徽章。


腰には。


細い金属製の検査棒。

小さな秤。

折り畳み式の長さ測定具。


後ろには若い安全監が二人。


一人が厚い作業規則集。


もう一人が、横長の木箱と、青と黄色と灰色の旗包みを抱えていた。


冬城が告げる。


王都木工職人組合。


元工房安全監、ハンス・ヴェルナー様です。


ミナ・アルベル様が。


青と黄色の靴紐を使用し

初めて工房へ出勤された朝。


左右同色同型という作業規則に基づき。


工房への入場を止められた方になります。


男――ハンスは蒼汰へ深く頭を下げた。


奏多蒼汰殿。


私はハンス・ヴェルナー。


王都木工職人組合で三十八年間。


作業前検査。

事故調査。

安全規則の改定を担当しておりました。


そして守殿に。


規則から色の文字だけを消せばよいと迫られ。


色を消す前に。


なぜ書かれたのかを調べろと

言い返した者です。


蒼汰は一拍置き。


頭の奥へ問いかけた。


守。


何だ。


また最初に。


規則を変えろって言ったんだな。


ああ。


色が違うだけだったからな。


でも。


理由はあったんだろ。


あった。


知らずに消そうとした?


……最初は。


蒼汰は額へ手を当てた。


ハンスの視線が、わずかに厳しくなる。


守殿は。


工房入口で。


色が事故を起こすのか。


起こさないなら

今すぐ規則から消せ。


そう仰いました。


蒼汰は椅子へ座る。


ハンスも向かいへ腰を下ろした。


机の上へ、作業規則集が置かれる。


服装。

髪。

袖口。

手袋。

靴。

靴紐。

工具帯。

保護眼鏡。


作業場へ入る前に。


確認する項目が細かく並んでいる。


当時の規則。


第十二項。


作業靴は左右同型。


靴底の高さ。

材質。

摩耗状態を揃えること。


靴紐は左右同色同型。


長さ。

太さ。

伸縮。

留め具を揃えること。


破損。

汚染。

結び目の緩みがある場合。


入場を認めない。


蒼汰は文章を見つめる。


色以外にも。


同じにしなければならない物が

かなり書かれている。


父の字が。


同色の二文字を囲み。


横へ大きく書かれていた。


色が違っても

長さと強さが同じなら歩ける

ただし

見た目だけで同じと決めるな

左右とも調べろ


蒼汰は少し眉を上げる。


途中から。


ちゃんと検査する話になってるな。


最初は。


色なんか見なくていい。


そう書こうとした。


守が答える。


止められた?


ああ。


ハンスが頷く。


ミナ様が工房へ来られた朝。


右足には青。


左足には黄色。


新しい靴紐が通されていました。


靴そのものは。


保護院支給の作業靴。


左右同型。


靴底の摩耗も少ない。


問題は。


靴紐の色でした。


私は。


規則違反として入場を止めました。


ミナ様は。


前日。


店で安全性を確認して買ったと説明。


長さ。

素材。

太さ。


同じ物であると。


ですが。


工房安全監の立場では。


店の説明だけで通すことはできません。


工房内には。


回転鋸。

削盤。

穿孔機。

滑車。

搬送軸。


紐が。


一度でも機械へ巻き込まれれば。


靴だけでは済まない。


足。

脚。

身体。


一瞬で引き込まれます。


ハンスは。


欠けた右手を机の上へ置いた。


私は。


見習いだった頃。


作業手袋の縁を

回転軸へ巻き込まれました。


人差し指と親指は

何とか残った。


薬指と小指は。


戻りませんでした。


規則へ。


無意味な項目を加えるつもりはありません。


ですが。


理由の分からない違いを。


本人が大丈夫だと言っただけで

通すこともできない。


蒼汰は静かに頷く。


ハンスは。


違う色が嫌だったわけではない。


規則が。

左右の靴紐を揃えろと求めている。


その揃えるべき物の中へ。


なぜ色まで含まれているのか。


すぐ説明できなかった。


だからこそ。


勝手に例外へしなかったのだ。


守殿は。


色が違うことと。


長さが違うことを

同じ規則違反として扱うのはおかしいと仰いました。


私は。


同じ項目に書かれている以上。


同じ確認をする必要があると答えました。


すると守殿は。


規則の書き方が悪い。


今すぐ書き直せと。


父さん。


言った。


工房が始まる前に

できると思った。


規則集。


何頁あるんだ。


四百二十七頁。


無理だよ。


色の部分だけなら

一行だ。


その一行が。


他の規則へ繋がってたんだろ。


……ああ。


ハンスが規則集の古い改定記録を開く。


靴紐が。


左右同色同型とされた理由。


最初の規則では。


左右同長同材。


色についての指定は

ありませんでした。


規則が変わったのは。


北第三工房で

巻き込み事故が起きたあとです。


一人の職人が。


右足の靴紐だけを交換した。


古い左紐。


麻製。

蝋引き。

伸びにくい。


新しい右紐。


祭礼用の飾り紐。

柔らかい絹混じり。

伸びやすい。


色は。


どちらも黒。


職人は。


同じ色だから同じ物だと思った。


作業中。


右紐だけが伸び。


結び目から余った部分が

長く垂れた。


その紐が。


床近くを通る回転軸へ巻き込まれた。


職人は転倒。


足首を骨折。


機械も破損しました。


蒼汰は首を傾げる。


それなら。


同色を求める規則じゃなくて。


同じ素材を求める規則になるんじゃないですか。


その通りです。


ハンスは答えた。


ですが。


事故後の報告には。


左右の紐を

見た目で比較しやすくするため。


同色同型を使用すること。


そう書かれました。


色が違えば。


別の商品を混ぜている可能性がある。


同じ色なら。


同じ組から取った可能性が高い。


当時は。


一本ずつの商品管理が存在しませんでした。


店は。


同色二本を一組で売る。


工房も。


同じ一組を左右へ使う。


それが。


最も簡単に。


材質と長さを揃える方法だったのです。


蒼汰は小さく息を吐く。


色そのものが。


安全を作っていたわけではない。


同じ色の二本なら。


同じ組から来たと考えやすい。


確認を簡単にする目印だった。


守が頭の奥で言う。


だが。


ミナは。


別の組から一本ずつ買っていた。


だから。


色だけ見れば規則違反。


実際の長さや素材は。


店で確認済み。


父は。


そこを調べろと求めたのだろう。


ハンスが続ける。


私は。


規則の由来を説明しました。


守殿は。


では。


青と黄色の紐を

実際に調べればよいと。


私は。


工房入口には

紐の素材を調べる器具がないと答えました。


守殿は。


靴具店へ戻ればよいと。


ミナ様は。


工房へ出勤したのに。


なぜまた店へ戻らなければならないのかと

怒りました。


父さん。


今度は。


ミナさんの仕事を止めてるぞ。


ああ。


守が答える。


そこで。


工房で調べる方法を探した。


ハンスは机の横長の木箱を開く。


中には。


五つの古い検査具が入っていた。


長さ板。

太さ穴。

引張りばね。

蝋量を確認する白布。

結び目試験棒。


これらは。


工房内にあった物を

組み合わせた即席の検査具です。


長さ板は。


木材を測るための物。


太さ穴は。


木栓確認板。


引張りばねは。


小型秤。


白布は。


塗料確認用。


結び目試験棒は。


滑車の軸見本。


本来。


靴紐を検査する道具ではありません。


ですが。


必要な条件は調べられる。


守殿は。


それぞれを机へ集め。


青と黄色。


二本を外すよう

ミナ様へ頼みました。


蒼汰は少し眉を上げる。


本人に。


外せって頼めたんだな。


最初。


守殿が屈んで

外そうとされました。


父さん。


……急いでいた。


ミナ様に。


自分の靴へ勝手に触るなと

手を払われました。


蒼汰はため息をつく。


最近の父。


ずっとミナさんに怒られてないか。


かなり教わった。


よく嫌われなかったな。


嫌われていた時期もある。


あったのかよ。


ハンスの口元が、わずかに動く。


ミナ様は。


ご自身で靴紐を外されました。


青一本。

黄色一本。


最初。


長さ。


青。


七十・二センチ。


黄色。


七十・一センチ。


差。


一ミリ。


規定。


五ミリ以内。


合格。


次。


太さ。


同じ検査穴を通過。


ただし。


黄色の方が。


蝋が少し多く

最初は通りにくかった。


守殿は。


太さが違うと言いました。


私は。


表面の蝋を布で馴染ませ。

再検査。


両方通過。


合格。


次。


引張り。


同じ重さを吊るし。


伸びを測る。


青。


二ミリ。


黄色。


二・一ミリ。


規定内。


合格。


次。


結び目。


作業靴と同じ穴へ通し。


通常の結び方。


試験棒を。


百回回転。


余り部分が

規定線を越えて垂れないか確認。


青。


問題なし。


黄色。


問題なし。


最後。


汚染の見え方。


蒼汰は顔を上げる。


色で。


そこまで変わるんですか。


変わります。


ハンスは答えた。


工房で注意する汚れは。


木屑。

機械油。

赤い塗料。

血液。


紐へ付着した時。


見つけやすい色と

見つけにくい色がある。


当時。


同色を求めたもう一つの理由は。


左右の汚れを

比較しやすくすることでした。


片方だけ。


濃く見える。

色が変わる。

艶が出る。


それで。


油や血へ気づく。


色が違えば。


比較が難しくなる。


守が頭の奥で言う。


そこで。


私は。


両方白にすればよいと言った。


父さん。


ミナさんが。


わざわざ青と黄色を買った意味

全部消してるぞ。


すぐ却下された。


誰に。


全員に。


ハンスが淡々と頷く。


白い靴紐は。


木屑や血液を見つけやすい。


ですが。


油が染みると。


洗っても落ちにくい。


毎日交換する必要が出る。


また。


白い紐を強制すれば。


染色工房の在庫も。

靴具店の販売も。


全て変えなければならない。


守殿は。


では。


全員を青と黄色に。


蒼汰は額を押さえた。


父さん。


二色なら

左右の違いも分かりやすいと思った。


ミナさんの選び方を。


全員へ強制したら駄目だろ。


ああ。


それも。


すぐ言われた。


ハンスが続ける。


結局。


青と黄色。


それぞれへ。


工房で使う物を

少量付けて確認しました。


木屑。


青、確認可能。

黄色、確認可能。


機械油。


青、光沢変化で確認。

黄色、色の濃化で確認。


赤い塗料。


青、確認可能。

黄色、確認可能。


血液を使うことはできないため。


同じ濃度の赤褐色検査液。


両方。


確認可能。


色が違っても。


異常を見つけられる。


ただし。


見つけ方は違う。


青は。


色より艶を見る。


黄色は。


明るさの変化を見る。


同じ見方はできない。


ですが。


それぞれの色で。


何を見ればよいか分かれば

検査は可能でした。


蒼汰は少し考える。


左右を比べるのではなく。


右は右。

左は左。


それぞれ。


正常な状態を知っていればいい。


父の字で。


規則集へ追記がある。


左右の色を比べるな

昨日の右と今日の右

昨日の左と今日の左を比べろ


ハンスが頷く。


守殿は。


同じ色でなければ

異常が分からないという考えを。


左右比較から。


個別確認へ変えました。


ただし。


私は。


色だけ自由にすればよいとは

最後まで認めませんでした。


長さ。

太さ。

伸び。

結び目。

汚れの見やすさ。


それらが。


作業条件へ合うか。


二本とも検査する。


違う色を使うなら。


左右で。


確認する異常の見え方が違う可能性を

本人が理解する。


そこまで確認して。


私は。


ミナ様の入場を認めました。


蒼汰は小さく息を吐く。


規則を無視したのではない。


色だけを見て。


安全か危険かを決めるのをやめた。


本当に必要な項目を。


一つずつ調べ直した。


何分かかったんですか。


最初の検査は。


四十三分。


ミナ様は。


出勤初日に

四十三分遅刻しました。


蒼汰は父の気配へ言う。


父さん。


仕事を始めるための検査で。


仕事に遅れてるじゃん。


ああ。


守が少し気まずそうに答える。


だが。


遅刻扱いにはしなかった。


なぜ。


安全確認のために

工房側が止めた時間だからです。


ハンスが答えた。


当初。


親方は。


始業鐘に間に合わなかったため。


見習い日当から。


四十三分を差し引こうとしました。


守殿は。


本人が遅れて来たわけではない。


入口で止めたのは工房。


工房の規則を確認した時間まで

本人へ払わせるな。


そう仰いました。


蒼汰は小さく頷く。


そこは正しいな。


守が答える。


そこも。


そこは。


だよ。


ハンスは続ける。


ミナ様は。


検査中。


何もしていなかったわけではありません。


紐を外し。

長さを測り。

結び目を作り。

結果を記録した。


安全規則の改定へ。


本人も参加している。


その時間は。


待たされた時間ではなく。


仕事の一部と判断。


初日の日当は。


全額支払われました。


蒼汰は青と黄色の紐を見る。


最初の買い物。


最初の工房。


最初の安全確認。


全て。


一つずつ。


本人が参加している。


誰かが。


代わりに決めたのではない。


ハンスが作業規則集の改定後の頁を開く。


新第十二項。


作業靴は。


左右とも

作業内容へ適合するものを使用。


靴底の高さ。

材質。

摩耗。

固定方法。


歩行へ影響する差がないこと。


靴紐は。


左右それぞれについて。


長さ。

太さ。

伸縮。

強度。

結び目。

余り部分。

汚染確認性。


作業規格へ適合すること。


色は。


同一である必要はない。


ただし。


使用者本人が。


各色で。


油。

木屑。

塗料。

破損。


異常を確認できること。


組で購入したか。

一本ずつ購入したか。


安全判断へ使用しない。


ハンスは。


さらに下の一文を指でなぞる。


安全監は。


規則と異なる外見だけを理由に。


作業者を排除しない。


異なる部分が。


安全機能へ影響するか確認する。


影響しない場合。


違いを残す。


影響する場合。


本人へ理由を説明し。


安全を満たす代替方法を

共に探す。


蒼汰は少し眉を上げる。


かなり。


広い規則になったんですね。


はい。


靴紐だけではありません。


左右で色の違う手袋。

片方だけ形の違う保護具。

身体へ合わせて改造した工具。

異国式の作業服。

義手用の留め具。


外見が。


標準品と違う。


それだけで止めるのではなく。


必要な安全条件を調べる。


ただし。


本人が望んでいるから。


それだけで通しもしない。


安全へ関係する部分は。


誰に対しても

同じように確認します。


蒼汰はハンスの右手を見る。


三本の指。


標準の作業手袋は。


合わなかったのではないか。


ハンスは蒼汰の視線へ気づく。


私は。


事故後。


五本指の手袋を使い続けました。


余った薬指と小指の部分を。


中へ折り込む。


ですが。


作業中。


折り込んだ布が

手のひらでずれた。


工具を握りにくい。


一度。


鑿を落としました。


それでも。


規則では

五本指手袋を着用すること。


そう書かれていた。


私は安全監になったあとも。


自分だけ。


規則へ合わない手を

規則へ合わせていました。


蒼汰は静かに聞く。


青と黄色の紐の検査を終えたあと。


ミナ様が。


私の手袋を見て言いました。


その余った二本は。


何の安全のために付いているのか。


私は答えられませんでした。


守が頭の奥で言う。


ミナは。


人が我慢してる部分を見つけるのが早かった。


父さんの隠し事も。


かなり見抜かれてたんだろ。


ああ。


ハンスが続ける。


守殿は。


すぐ。


指の数に合う手袋を作れと言いました。


私は。


特殊品は高いと答えた。


守殿は。


組合費で作れと。


私は。


一人のために

予算を使う前例がないと。


守殿は。


一人の安全のために使えないなら。


何人集まるまで

指を落とせば予算が出る。


そう尋ねました。


応接室が静まる。


父らしい。


かなり強い言葉だ。


だが。


ハンスは怒らなかったらしい。


必要な言葉だったのかもしれない。


私は。


その日の午後。


三本指用の作業手袋を

試作してもらいました。


最初の物は。


指の間が狭すぎた。


二つ目は。


親指の角度が合わない。


三つ目。


ようやく。


工具を握れた。


五本指の手袋と。


同じ見た目ではありません。


ですが。


私の手を守るための機能は

同じでした。


ハンスは。


右手をゆっくり握る。


私は。


ミナ様を止めた規則によって。


自分も長年

止められていたと気づきました。


標準と同じであること。


安全であること。


二つは。


重なる場合もあります。


ですが。


同じではありません。


蒼汰は頭の奥へ言う。


守。


父さんにも。


耳が痛い話じゃないか。


何が。


父親は。


他の家の父親と

同じじゃなくてもいい。


英雄でも。

境界管理者でも。


でも。


同じでなければならない部分はある。


守が黙る。


帰ること。


話すこと。


家族に。


自分が生きてるか。

危ないか。


伝えること。


他の父親と。


仕事や生き方が違うのはいい。


でも。


父親の安全規格みたいな部分まで。


違ってていいことにはならない。


父の気配が遠くなる。


蒼汰は続けた。


毎日同じ時間に帰れとは言わない。


全部話せとも言わない。


でも。


何も言わずに消えるのは。


色が違うんじゃなくて。


紐が切れてるんだよ。


長い沈黙。


やがて。


守が小さく答えた。


……そうだな。


ハンスが横長の木箱の底を開く。


中には。


古い木製の検査板が入っていた。


左側に。


青い靴紐。


右側に。


黄色い靴紐。


下へ。


長さ。

太さ。

伸び。

結び目。

汚染確認。


五つの検査穴と目盛り。


中央には。


大きな文字。


色ではなく

働きを揃える


これは。


あの朝に作った

最初の靴紐機能検査板です。


守殿は。


規則集を棺へ入れるより。


こちらを残せと仰いました。


規則の文章は。


時代に合わせて変わる。


ですが。


違う物を見た時。


何が同じでなければならないか

調べる考え方は残せる。


蒼汰は検査板へ触れる。


青と黄色。


見た目は違う。


だが。


同じ長さ。

同じ強さ。

同じ作業へ使える。


一方。


同じ黒い紐でも。


素材や伸びが違えば危険になる。


目へ見える同じ。


実際に働く同じ。


二つは。


必ずしも一致しない。


ハンスが旗包みを開く。


灰色の地。


中央には。


一足の作業靴。


右の紐は青。


左の紐は黄色。


その下へ。


銀色の直角定規と。

引張りばね。


旗の端には。


三本指の作業手袋が刺繍されている。


本式の日。


王都木工職人組合では

この旗を半旗とします。


同時に。


全工房で。


標準と違うという理由だけで

使用を止められている道具や装具を確認します。


安全条件へ合わない物は。


止めます。


本人が気に入っているからといって。


危険を通すことはしません。


ですが。


色。

形。

左右。

指の数。

身体への合わせ方。


標準と違っていても。


必要な機能を満たしているなら

使用を認める。


満たしていない場合も。


標準品へ無理に戻すだけではなく。


本人に合う方法を探します。


また。


規則の理由を。


安全監自身が説明できない場合。


理由が分かるまで

一時的に確認を止めることはあります。


ですが。


昔から書いてある。


それだけで。


人を止め続けることはしません。


守殿が。


理由を調べず

色の文字だけを消そうとし。


私が。


理由を説明できないまま

色だけでミナ様を止めた。


その両方を。


繰り返さないためです。


守が頭の奥で答える。


それでいい。


蒼汰は伝える。


父さんが。


それでいいって。


ハンスは一度だけ頷いた。


最後に。


父の字が残る紙片が差し出される。


同じ見た目を揃えるために

人を止めるな

違う物を通すために

安全まで軽く見るな

本当に揃える必要があるのは

色ではなく

使った時の働きだ


蒼汰は紙片を何度も読み返した。


父にも。


多くの見た目があった。


家では。


無口で。

少し頼りなく。

変な冗談を言う父親。


外では。


勇者。

修理係。

管理者。


見た目も。

呼ばれ方も。

役割も違う。


だが。


どの名前であっても。


人を置き去りにしない。


戻れる道を残す。


預かったものを。


本人へ返す。


その働きは。


ずっと同じだった。


そして。


父親として欠けていた働きもある。


家へ言葉を届ける。

自分の状態を伝える。

一人で決めない。

帰る。


蒼汰は。


英雄の父へ。


普通の父親と同じ見た目を求めたいわけではない。


ただ。


父親として。


必要な働きだけは

果たしてほしかった。


守。


何だ。


父さんの二十三通。


見た目は。


全部手紙なんだよな。


ああ。


でも。


ちゃんと。


俺に届く働きをしなかった。


……ああ。


今度。


一通目を読む。


そこで。


父さんが。


自分の言葉で話す。


湯呑みを二つ並べる。


そこまで終わって。


初めて一通として合格な。


守の気配が。


少しだけ緊張する。


検査が厳しくないか。


父さんが。


人に求めてきた確認よりは

簡単だよ。


五つの検査もない。


一つだけ。


何だ。


父さんが。


逃げずに話したか。


守はしばらく黙り。


やがて答えた。


分かった。


ハンスが立ち上がる。


守殿。


あの朝。


あなたは。


色は安全と関係ないと決めつけました。


私は。


色が違うから危険だと決めつけた。


ミナ様は。


どちらにも。


実際に調べてくださいと仰いました。


守が答える。


ああ。


蒼汰が伝える。


ああって。


ハンスは続ける。


安全規則は。


人を同じ姿へ並べるための物ではありません。


同じ場所で。


違う人間が。


それぞれ無事に働き。


家へ帰るための物です。


守殿。


あなたも。


多くの場所で

違う名を使って働かれた。


それ自体は。


規則違反ではありません。


ですが。


家へ帰るという働きまで

省いてよい理由にはならない。


守の気配が固まる。


蒼汰は少し驚く。


ハンスも。


同じことへ気づいていたらしい。


男は。


父の棺がある方角へ向き直る。


守殿。


本式の日。


あなたは。


英雄として送られるのでしょう。


修理係として。

管理者として。

友人として。


多くの名で。


ですが。


最後に。


ご家族のもとへ帰る時は。


父親として。


ただいまと言ってください。


外で使った名と

同じである必要はありません。


ただし。


家へ帰る働きだけは。


省かないように。


長い沈黙。


守が。


低く答える。


分かった。


蒼汰は伝えた。


父さんが。


分かったって。


ハンスは深く頭を下げる。


それなら結構です。


本日の工房入場検査。


標準外装具。


三十一件。


うち。


機能検査合格。


二十四件。


調整後合格。


五件。


危険のため使用停止。


二件。


停止した二件には。


代替品を本日中に用意します。


止めたまま。


本人を帰らせません。


守が静かに答える。


頼む。


蒼汰は伝えた。


父さんが。


頼むって。


承りました。


ハンスは応接室を去った。


扉が閉まる。


木屑。

革。

金属油。


そして。


色の違う二本の紐を。


同じ力で引く検査板が残った。


蒼汰は。


青と黄色の紐へ指を掛ける。


同時に。


ゆっくり引く。


二本とも。


ほとんど同じだけ伸びた。


見た目は違う。


だが。


働きは同じ。


冬城が。


機能検査板。

改定規則集。

木工職人組合安全旗。


それらを長卓へ運ぶ。


そして。


名簿を一度閉じた。


蒼汰様。


うん。


これで。


ミナ・アルベル様の就業開始に関わる

一連の弔問は終了となります。


蒼汰は。


少しだけ息を吐いた。


名前のない少女が。


名前を選ぶまで。


仕事。

給料。

貯蓄。

買い物。

服装。


生活の一つ一つに。


名前を持たない者を想定していない規則があった。


父は。


何度も間違え。


何度も本人へ怒られ。


それでも。


どれかを諦めさせず。


先へ進める道を作った。


冬城は。


閉じた名簿の上へ。


別の緑色の名簿を置く。


次の方は。


王立北部種子庫。


元保管長、オットー・グリュン様です。


蒼汰は顔を上げる。


種子庫?


はい。


北部大飢饉の際。


食料庫に残されていた穀物を。


今すぐ全て配れと命じた守様へ。


春に蒔く種まで食べれば。


今年を越えても

来年を失うと反対された方になります。


守が頭の奥で言う。


最初は。


全部配るべきだと思った。


父さん。


また全部かよ。


目の前で。


腹を空かせてる人間がいた。


でも。


種まで食べたら。


次の年は。


もっと食べ物がなくなる。


ああ。


だから。


守は少しだけ間を置いた。


今夜食べる穀物と。


春へ残す種を。


同じ袋のまま数えるのをやめた。


蒼汰は。


青と黄色の紐を見る。


同じ穀物。


同じ袋。


見た目は同じでも。


働きは違う。


一つは。


今日。


人の腹を満たす。


もう一つは。


土へ蒔かれ。


次の収穫になる。


次に待っていたのは。


空腹の者へ食料を残しながら。


まだ見えない春へも。


種を残した冬の話だった。


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