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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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68/102

第68話 名前のない口座でも、貯めた金は本人のもの



応接室へ入ってきた女からは。


古い紙幣と。

磨かれた鉄格子の匂いがした。


硬貨を数える木皿。

帳簿を綴じる糊。

金庫室の油。

長年、人の金を預かってきた石造りの建物。


銀行というより。


失くしてはいけない物を。

明日まで残す場所の匂いだった。


年齢は七十代前半ほど。


背は高くない。


だが姿勢は正しく。

歩幅も一定。


黒の礼装の上には、深い緑色の肩掛け。


胸元には。


一枚の硬貨。

閉じた箱。

持ち主へ戻る一本の矢印。


それらを組み合わせた銀の徽章が留められている。


白髪は短く整えられ。


右目には、細い鎖で繋がれた片眼鏡。


後ろには若い貯蓄院吏が二人。


一人が分厚い預金台帳。


もう一人が、小さな鉄箱と、深緑と青色の旗包みを抱えていた。


冬城が告げる。


王都市民貯蓄院。


元窓口長、フリーダ・ケルナー様です。


ミナ・アルベル様が。


まだ正式な生活名を選ばれていなかった頃。


本人名のない貯蓄口座の開設を認められた方になります。


女――フリーダは蒼汰へ深く頭を下げた。


奏多蒼汰殿。


私はフリーダ・ケルナー。


王都市民貯蓄院で四十六年間。


市民の預金。

払戻し。

名義変更を担当しておりました。


そして守殿に。


預かるなら。


金を入れる入口だけでなく。

持ち主が出せる出口まで作れと迫られた者です。


蒼汰は一拍置き。


頭の奥へ問いかけた。


守。


何だ。


ミナさん。


給料を受け取った直後に

貯金しようとしたんだよな。


ああ。


最初の給料くらい。


全部使ってもよかったんじゃないか。


それを決めるのは

ミナだ。


珍しく最初から正しいな。


金をどう使うかは

本人へ口を出すなと。


直前に怒られたからな。


覚えたばかりだったのかよ。


蒼汰は椅子へ座る。


フリーダも向かいへ腰を下ろした。


机の上へ。


厚い預金台帳が置かれる。


口座名義。

居住地。

生年月日。

本人署名。

本人印。

預入額。

払戻額。

利息。

保証人。


その頁の途中。


口座申請者名。


未選択。


生活名。


選択中。


救助番号。


非公開。


本人印。


三線一欠。


初回預入希望額。


銀貨三枚。


手元保持。


銀貨一枚。

銅貨八枚。


口座開設。


拒否。


理由。


正式名義なし。


その横へ。


父の字が強く書き込まれていた。


金に名前がないんじゃない

持ち主の名前がまだ決まってないだけだ

持ち主がいるのに

口座だけ作れない理由にするな


蒼汰は記録を見つめる。


銀貨三枚を預けて。


残りを自分で持ちたかったんですね。


はい。


フリーダが答える。


ミナ様は。


最初の賃金。


銀貨四枚。

銅貨八枚のうち。


銀貨三枚を貯蓄し。


残りを。


靴紐と。

作業用の小さな刃物を買うため

手元へ置くつもりでした。


守が頭の奥で言う。


刃物は

親方にまだ早いと止められた。


じゃあ靴紐だけ買ったのか。


ああ。


左右で違う色の。


それは次の話で聞きそうだな。


フリーダが片眼鏡を上げる。


当時。


市民貯蓄院の口座開設には。


正式名。

居住地。

本人署名または登録印。


三つが必要でした。


これは。


銀行が人を選ぶための条件ではありません。


預かった金を。


別人へ渡さないための条件です。


同じ名前。

似た顔。

同じ住所。


それだけで払戻しを行えば。


口座の持ち主ではない者が

金を引き出せる。


ですから。


正式名義を記録し。


署名や印を照合する。


ミナ様には。


登録済みの本人印がありました。


ですが。


正式名義がない。


印が盗まれた時。


誰の口座を止めればよいか確認できない。


名前が決まったあと。


以前の口座を

新しい名前へ正しく繋げられない可能性もある。


私は。


安全のため。


生活名が決まるまで

現金を保護院へ預けるよう提案しました。


蒼汰は少し眉を寄せる。


保護院へ預けたら。


ミナさんの貯金にはならないんですか。


記録上は。


ミナ様預かり金。


そう残す予定でした。


しかし。


口座の名義人は保護院長。


引き出す時には。


保護院長の署名が必要。


使途も。


衣服。

食事。

就業道具。


保護院が適切と認めた物に限られる。


守殿は。


それは貯蓄ではなく。


保護院が許可するまで

金を取り上げているだけだと仰いました。


守。


言い方はきついけど。


今度は最初から正しい気がする。


そう思った。


だが。


フリーダには。


預かり金制度が必要な理由もあった。


フリーダが頷く。


身寄りのない未成年へ。


多額の現金を

そのまま持たせることには危険があります。


盗難。

詐欺。

脅迫。

年長者による取り上げ。


本人が望まない形で

使わされる可能性もある。


保護院の管理口座は。


そうした危険から

子どもの金を守る制度でした。


実際。


多くの子どもを守りました。


守殿は最初。


鍵の付いた箱を

本人へ渡せばよいと仰いました。


父さん。


ああ。


かなり単純だな。


鍵を持ってる本人から

箱ごと奪われたら終わりだろ。


そう言われた。


誰に。


ミナとフリーダに。


フリーダの目元がわずかに厳しくなる。


私は守殿へ。


金庫は。


鍵を持っている者を守る物ではない。


鍵を奪おうとする者からも

持ち主を守らなければならないと説明しました。


すると守殿は。


箱を貯蓄院へ置き。

鍵だけ本人へ渡すと言われました。


鍵を失くしたら。


蒼汰が尋ねる。


守殿は。


予備鍵を貯蓄院が持つと。


それでは。


貯蓄院だけで開けられる。


本人の意思なく

中を確認できる。


なら二本の鍵を。


本人と貯蓄院が一本ずつ持ち。

両方揃わなければ開かないようにする。


父さん。


今度は少し良さそうだけど。


本人だけでは引き出せません。


フリーダは即答した。


貯蓄院側が拒めば。


本人の金なのに

本人だけでは使えない。


守殿は。


では貯蓄院が拒否できない規則を作れと仰いました。


蒼汰は額へ手を当てる。


規則を破られる可能性を

考えてるから鍵を分けてるんだろ。


ああ。


言われた。


同じところを回ってるじゃん。


守は少し不満そうな気配を見せた。


フリーダが続ける。


ミナ様は。


私たちの議論を。


しばらく黙って聞いていました。


そして。


なぜ。


自分の金を預ける方法を。


自分抜きで決めているのかと尋ねました。


応接室が静かになる。


蒼汰は頭の奥へ言う。


父さん。


……ああ。


また本人へ聞く前に

制度を作り始めたのか。


時間がかかると思った。


本人抜きで作って。


あとで怒られる方が

時間かかってるだろ。


否定はできん。


フリーダの口元が、ほんの少しだけ動く。


守殿と私が黙ると。


ミナ様は。


自分が何をしたいか説明しました。


全部を預けたいわけではない。


全部を持ちたいわけでもない。


今日使う分は。


自分で持つ。


今月使わない分は。


安全な場所へ置く。


必要になれば。


保護院長へ理由を説明せず。

自分の判断で引き出したい。


ただし。


誰かに印を奪われた時。


簡単に全部を取られないようにしたい。


名前を選んだあとも。


同じ貯蓄を続けたい。


以前の名前が見つかっても。


口座を失いたくない。


蒼汰は小さく頷く。


求めていることは。


かなりはっきりしている。


安全に残す。


自分で使う。


名前が変わっても繋げる。


一つも捨てたくない。


フリーダは。


最初。


それほど多くの条件を

一つの口座で満たすのは難しいと答えました。


守殿は。


なら口座を一つにする必要はないと言いました。


蒼汰は父の気配へ尋ねる。


また増やしたのか。


三つに分ける案を出した。


何を。


使う金。

残す金。

絶対に出さない金。


最後のは誰が決めるんだよ。


私が。


父さん。


……すぐ怒られた。


当然だろ。


フリーダも静かに頷く。


ミナ様は。


絶対に出さない金を

なぜ守殿が決めるのかと。


守殿は。


将来困った時のためだと答えました。


ミナ様は。


将来困った自分が

今の守殿より判断できないと決めるな。


そう返しました。


蒼汰は少し笑う。


ミナさん。


強いな。


ああ。


かなり。


フリーダが預金台帳の別頁を開く。


最終的に。


口座は一つ。


ただし。


預け入れた金を。


本人が二つへ分ける方式になりました。


即時払戻し分。


本人印と割符があれば

その日に引き出せる。


保留貯蓄分。


本人が自分で決めた期間。


払戻しを一度待つ。


一週間。

一か月。

半年。


期間は自由。


ただし。


保留を解除できないわけではありません。


緊急時には。


本人が。


なぜ今使いたいかを説明するのではなく。


解除する意思を

二度確認する。


一度目。


窓口で申請。


二度目。


時間を空け。


別の担当者へ確認。


理由は聞かない。


本人の金ですから。


使用目的を

貯蓄院が審査する権利はありません。


では。


なぜ二度確認するんですか。


脅されていないか。


誰かが隣で

急がせていないか。


一度目と二度目で

本人の意思が変わっていないか。


それだけを確認するためです。


守殿は最初。


二度も来させるのは不便だと反対しました。


私は。


不便をなくすために

安全をなくすのかと答えました。


守殿は。


では。


来なくても二度確認できる方法を考えろと。


何を作ったんですか。


二枚の選択札です。


若い貯蓄院吏が鉄箱を開く。


中には。


二枚の薄い金属札。


一枚は青。


一枚は白。


どちらにも。


三線一欠の印。


青い札。


払戻し申請。


白い札。


払戻し確定。


最初の窓口で。


青い札だけを提出する。


貯蓄院は。


登録された連絡方法へ

白い札を届ける。


本人は。


時間を置いたあと。


白い札を。


同じ窓口でも。

別の支所でも。

巡回貯蓄吏へでも渡せる。


二枚が揃えば。


払戻し。


誰かが青い札を盗んでも。


白い札がなければ

保留貯蓄は出せない。


誰かが。


本人の住む場所で白い札を奪っても。


青い申請がなければ使えない。


一か所。

一人。

一つの鍵だけで。


全額が動かない仕組みです。


蒼汰は二枚の札を見る。


でも。


本人が二枚とも盗まれたら。


それでも危険はあります。


フリーダは答える。


完全に防げる仕組みではありません。


だから。


金額の上限を設けました。


保留貯蓄全てを

一度に払戻す場合。


窓口長が。


本人の契約印。

割符。

選択札。


三つを確認する。


さらに。


名前ではなく。


本人が口座開設時に選んだ

確認図を使いました。


確認図?


フリーダが台帳の一部を見せる。


花。

鳥。

橋。

靴。

星。

木。


小さな絵が並んでいる。


ミナ様は。


靴の絵。


その下に。


左右の紐の色が違う靴。


これを選びました。


本人だけが知る秘密ですか。


完全な秘密ではありません。


忘れれば

本人も引き出せなくなる。


ですから。


絵そのものは本人へ控えを渡す。


ただし。


どの部分を確認するかは。


本人が決める。


ミナ様の場合。


左右の紐の色が違う。


そこまでが確認情報でした。


父さん。


それ。


靴紐を買ったあとに決めたのか。


ああ。


まだ買う前だ。


何で左右違う色にするって

決まってたんだ。


店に同じ色が

一組残ってなかった。


それで次の話に繋がるのか。


守が少し得意そうな気配を出した。


フリーダが続ける。


本人印。


割符。


二枚の選択札。


確認図。


多すぎるという意見もありました。


守殿も。


途中から。


一つ減らせないかと仰いました。


父さんが減らそうとしたのか。


ああ。


珍しいだろ。


何を減らそうとした。


確認図。


なぜ。


左右違う靴紐を忘れるとは

思わなかった。


ミナさんが決めたんだから。


父さんの判断で

外しちゃ駄目だろ。


それで残した。


蒼汰は小さく息を吐く。


少しずつ。


父は覚えている。


本人が選んだ安全策を。


自分が不要だと思ったからと。

勝手に外してはいけない。


初回口座開設。


名義欄。


生活名選択中。


公開口座名。


本人非表示希望。


本人印。


三線一欠。


初回預入。


銀貨三枚。


即時払戻し分。


銀貨一枚。


保留貯蓄分。


銀貨二枚。


保留期間。


一か月。


蒼汰は顔を上げる。


銀貨三枚を全部。


一か月残したんじゃないんですね。


はい。


フリーダが答える。


銀貨一枚は。


いつでも引き出せるようにする。


銀貨二枚は。


一か月使わないと。


ミナ様ご自身が決めました。


守殿は。


全額保留にした方が

貯まると仰いました。


父さん。


……一度だけだ。


フリーダ。


二度です。


また回数で揉めるのかよ。


一度目。


口座を作る前。


二度目。


銀貨を分ける時です。


守が黙る。


ミナ様は。


守殿へ言いました。


貯金は。


使わないことを

大人へ褒めてもらうためにするのではない。


自分が。


あとで使いたい時に

残すためにする。


全部を残すか。

一部を使うか。


自分で決める。


守殿は。


二度目でようやく。


口を出さなくなりました。


蒼汰は頭の奥へ言う。


父さん。


二度目までは出してたんだな。


靴紐より。


刃物を買った方が

仕事には役立つと思った。


親方に止められたんだろ。


だから。


どっちも買わず

全額貯めればよいかと。


極端なんだよ。


フリーダが台帳の受領欄を示す。


ミナ様は。


銀貨三枚を窓口へ置きました。


一枚ずつ。


自分で分けた。


即時払戻し皿へ一枚。


保留貯蓄皿へ二枚。


そして。


三線一欠の印を押した。


名義は。


まだありません。


それでも。


口座は開かれた。


誰かの保護金ではない。


保護院長の名義でもない。


救助番号でもない。


生活名を選んでいる途中の。


一人の本人が持つ口座です。


一か月後。


ミナ様は。


保留期間を更新しました。


銀貨二枚は。


そのまま残す。


さらに。


次の賃金から

銀貨一枚を追加。


半年後。


生活名として

ミナ・アルベルを正式登録。


口座名義も更新。


ただし。


以前の口座を閉じ。


新しく作り直したのではありません。


生活名選択中の口座へ。


新しい名を追加した。


三線一欠の印。

預入記録。

選択札。


全て継続。


名前がなかった時に貯めた金も。


ミナ・アルベルの金として。


切れずに繋がった。


蒼汰は小さく頷いた。


名前が決まる前のミナも。


名前が決まった後のミナも。


同じ人だ。


金も。

仕事も。

時間も。


途中で誰か別のものにはならない。


フリーダが鉄箱の底から。


小さな貯蓄証を取り出す。


青い布張り。


表には。


名前が書かれていない。


三線一欠の印だけ。


中を開くと。


最初の預入。


銀貨三枚。


生活名。


選択中。


名義更新。


ミナ・アルベル。


以前の名義を抹消する線はない。


横へ。


追加記載されている。


これは。


ミナ様の最初の貯蓄証です。


現在は。


本人の許可を得て

制度資料として保管しています。


本式の日だけ。


守殿へお見せするよう

預かりました。


守が頭の奥で言う。


かなり貯まったのか。


蒼汰は少し呆れる。


そこ聞くのかよ。


フリーダの目がわずかに細くなる。


守殿は。


後日も。


窓口へ来るたび

ミナ様の預金額を尋ねられました。


もちろん。


お答えしておりません。


本人の情報です。


父さん。


心配だった。


心配でも駄目だろ。


ミナには。


直接聞いたのか。


聞いた。


答えてくれた?


靴紐が買えるくらいはある、と。


絶対教える気ない返事じゃん。


守は不満そうに黙った。


フリーダが深緑と青色の旗包みを開く。


深緑の地。


中央には。


名前の書かれていない青い貯蓄証。


その左右へ。


青と白の選択札。


下には。


一枚の硬貨を。


二つの皿へ分ける手が刺繍されている。


本式の日。


王都市民貯蓄院では

この旗を半旗とします。


同時に。


全口座で。


名義変更中。

身元確認中。

旧名連結中。

保護口座から本人名義へ移行中。


そうした理由で。


本人が自分の金を

引き出せない状態になっていないか確認します。


名義は。


金の持ち主を明らかにするためにある。


持ち主を。


金から遠ざけるために使ってはならない。


ただし。


名前が違うからといって。


確認せず払戻しもしません。


旧名。

現在名。

本人印。

割符。

過去の取引。

本人が選んだ確認方法。


記録を繋ぎ直す。


そして。


誰かが善意で預かっている金も確認します。


保護院。

学校。

雇用主。

家族。


本人が。


自分で管理したいと望んでいるのに。


安全のためという言葉だけで

返されていない金がないか。


一件ずつ。


本人へ聞きます。


守殿が。


最初。


鍵箱。

二重鍵。

三分割口座。

全額保留。


多くの案を勝手に決め。


ミナ様へ怒られ続けた末。


ようやく作られた制度です。


守が頭の奥でぼそりと言う。


全額保留は

案というほどでは。


蒼汰は伝える。


父さんが。


全額保留は案というほどじゃないって。


フリーダの片眼鏡が光る。


本人へ二度勧めたものは。


十分、案です。


守。


……分かった。


父さんが認めました。


それなら結構です。


フリーダは最後に。


父の字が残る紙片を差し出した。


預かるのは

本人があとで使うためだ

出せない金庫を

安全とは呼ぶな

名前が決まっていなくても

金の持ち主は決まっている

使う分と残す分は

持ち主自身に分けさせろ


蒼汰は紙片を何度も読み返した。


父の二十三通も。


似ている気がした。


父は。


いつか伝えるために書いた。


だが。


地下へ預け。

鍵を掛け。

一通も出さなかった。


失われてはいない。


だが。


受け取るはずの蒼汰から見れば。


存在しないのと同じだった。


守。


何だ。


二十三通。


父さんは。


安全に残したつもりだったのか。


……少しは。


誰にも見られないように。


ああ。


でも。


俺が読めなかった。


ああ。


出せない金庫に

預けたのと同じだな。


守は黙る。


長い沈黙のあと。


そうだな。


小さく答えた。


蒼汰は続ける。


一通目。


今度。


ちゃんと俺に渡せよ。


持ってくるのは

お前だろ。


地下からはな。


でも。


読むか決めるのは俺。


話すか決めるのは父さん。


両方揃って。


初めて渡したことにする。


守の気配が少し揺れる。


分かった。


今度は。


迷わず答えた。


フリーダが立ち上がる。


守殿。


あなたは。


口座を開くことばかり

急がれました。


私は。


口座を開かないことで

金を守ろうとした。


どちらも。


本人が何を望むかを

後ろへ置いていた。


守が答える。


ああ。


蒼汰が伝える。


ああって。


フリーダは続ける。


ミナ様は。


私たちへ。


自分の金を。


使う分。

残す分。


自分で分けたいと伝えました。


難しい制度が先にあったのではありません。


本人の希望が先。


制度は。


その希望を安全に実現するために作る。


守殿。


次に何かを預かる時は。


ご自分が返しやすい形ではなく。


相手が受け取りやすい形を

先に尋ねてください。


守の声が低く返る。


分かった。


蒼汰は伝える。


分かったって。


フリーダは深く頷く。


それなら。


二十三通も。


ご子息が受け取れる形で

お渡しください。


一度に二十三通を

机へ積むことは。


返却とは呼びません。


守の気配が固まる。


蒼汰は笑いそうになる。


父さん。


釘刺されたぞ。


一通ずつだ。


覚えてる。


フリーダは。


父の棺がある方角へ深く一礼する。


守殿。


本日の保留口座確認。


本人意思なく

払戻し停止となっていた口座。


十二件。


うち。


六件は本日中に解除。


四件は本人確認方法を再設定中。


二件は。


本人が保留継続を希望。


私たちは。


解除した件数だけを

成果にはしません。


残すと本人が選んだ金も。


正しく残します。


守が静かに答える。


頼む。


蒼汰は伝えた。


父さんが。


頼むって。


フリーダは一礼する。


承りました。


女は応接室を去った。


扉が閉まる。


古い紙幣。

鉄格子。

乾いた朱肉。


そして。


名前の書かれていない青い貯蓄証が残る。


蒼汰は。


青と白の二枚の札を持ち上げた。


守。


何だ。


話を一つ渡したって残す印。


十二個の候補。


三つまで絞れた?


ああ。


何。


一つ目。


父さんが話したら

俺が机を一回叩く。


それ。


怒ってるみたいだろ。


二つ目。


紙へ丸を付ける。


普通すぎるな。


三つ目。


湯呑みを一つ並べる。


蒼汰は少し考える。


それは。


父さんと話したあとに

二人分のお茶を置くってことか。


ああ。


父さんは飲めないけど。


構わない。


蒼汰は小さく笑う。


じゃあ。


それで。


一通読んで。

一つ話したら。


湯呑みを二つ並べる。


受取証代わり。


守の気配が。


少しだけ和らぐ。


分かった。


冬城が。


青い貯蓄証。

二枚の選択札。

市民貯蓄院旗。


それらを長卓へ運ぶ。


そして。


次の名簿を開いた。


蒼汰様。


うん。


次の方は。


ミナ様が。


最初の賃金で靴紐を買われた。


王都南市場の元靴具商。


イルゼ・マイヤー様です。


蒼汰は少し笑う。


やっぱり靴紐の話か。


はい。


ミナ様は。


右足に青。

左足に黄色。


異なる色の靴紐を

一本ずつ購入しようとされました。


ですが。


当時の市場規則では。


靴紐は同色二本を一組として販売し。


異なる組から一本ずつ抜くことは

認められていませんでした。


守が頭の奥で言う。


在庫管理が崩れるからな。


父さん。


最初は。


二組買えばいいって

言わなかっただろうな。


……言った。


ミナさんの最初の給料だぞ。


左右に一本ずつしか使わないのに。


四本買わせようとしたのか。


余った二本は予備になる。


本人は二本だけ欲しかったんだろ。


ああ。


また怒られたんだな。


ああ。


蒼汰は。


名前のない貯蓄証を見る。


自分で働いた金。


自分で残す額を決め。


自分で使う額を決めた。


だからこそ。


店へ着いたあとまで。


大人たちが。


正しい買い方を

勝手に決めてよいわけではない。


次に待っていたのは。


同じ色で揃っていなくても。


右と左。


本人が選んだ二本なら。


それを一足分の一組として売った。


小さな靴具店の話だった。


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