第47話 十八年消えなかった窓の灯
第一会議室は、すでに会議をする場所ではなくなっていた。
長机は壁際へ寄せられ、中央の床には幾重もの円が描かれている。
魔法陣。
星間座標固定式。
血の公域の追跡紋。
エルドア辺境領の旧地図。
現在の北辺共同領地図。
それぞれ別の技術で作られたはずの線が、床の上で無理やり一つに重ねられていた。
蒼汰には、どこからどこまでが魔法で、どこからが機械なのか、まるで分からない。
分かるのは一つだけだった。
部屋にいる全員が、父の葬儀より先に、一人の母親へ連絡を取ろうとしている。
イザベルが床へ広げた二枚の地図を見比べながら、細い銀針を動かす。
旧ファン村の中心は、この丘です
ですが十二年前の河川改修で南側が沈んでいます
移住先のレーヴェ村は、旧家屋材を再利用して北東へ移した可能性が高い
家まで分かるのか
蒼汰が尋ねると、イザベルは地図から顔を上げずに答えた。
家そのものは分かりません
ですが、移住台帳には土地番号が残っています
土地番号は消えても、隣接関係は残る
井戸、共同炉、祠、畑の向き
人は地名を変えても、暮らしやすい並びを完全には捨てません
父さんが国境線消した時も、そんなこと言ってたのか
守が頭の奥でぼそりと言う。
あの時は湖になったから、並びもだいぶ変わった
それをさらっと言うなよ
エレノアが銀色の端末を操作する。
空間座標、仮固定
ただし現地の冬期閉鎖結界が強いです
通常の通信門では反射されます
カーミラが床へ伸びる深紅の線を見下ろす。
反射層はこちらで薄くします
ただし、破壊はしません
村全体を吹雪から守る結界ですので
グラディウスが腕を組む。
ならば私の門は貫通ではなく、外側へ接続する
結界の内側から、先方に開けさせればよい
どうやって知らせるんですか
蒼汰が聞く。
グラディウスは当然のように答えた。
門を叩く
いや、玄関みたいに言われても
門とはそういうものだ
守が頭の奥で言う。
だいたい合ってる
父さんまで乗るなよ
冬城が部屋の入口から入ってくる。
現地との事前連絡が取れました
全員の動きが止まった。
蒼汰は思わず一歩前へ出る。
母親と?
いえ
レーヴェ村の村長代理です
ミリア・エルファン様はご自宅にいらっしゃいます
現在、村の者が迎えに向かっています
生きてるんだな
はい
今年七十一歳
歩行には杖を使用されていますが、大きな病はないとのことです
蒼汰は息を吐いた。
台帳に記録があるだけではない。
本当に、今も生きている。
エリオが消えた時、母親は五十三歳だったことになる。
若くはない。
だが、七十一歳になった今も、毎年同じ日に窓へ灯を残している。
蒼汰は手の中の木笛を見る。
守
何だ
母親が毎年灯を残してたの、知ってたのか
六年前までは
それまで毎年、報告を受けてた?
ああ
何て報告されてた
今年も灯が点いている、と
それだけ?
それだけだ
守の声が少し低くなる。
ミリアは、捜索の結果を毎年聞いた
私は毎年、まだ見つからないと答えた
それでもあの人は
なら来年も灯をつける、と言った
蒼汰は返事ができなかった。
父は十八年間、少年を探していた。
母親は十八年間、窓へ灯を残していた。
二人とも、相手がまだ諦めていないことだけを支えにしていたのかもしれない。
冬城が端末を見る。
ミリア様が村の通信所へ到着されるまで、十五分ほどです
その間に、説明を決めないとな
蒼汰が言うと、部屋にいる何人かがこちらを見る。
何をどこまで話すか。
息子は生きている。
だが帰れるとは、まだ言えない。
十八年間、世界の隙間で待っていた。
声は届いた。
その全てを、七十一歳の母親へ一度に伝えることになる。
カーミラが静かに言う。
希望を隠す必要はありません
ですが、帰還を約束するべきでもないでしょう
グラディウスも頷く。
事実だけを伝えろ
息子の声が届いた
場所も分かった
帰還路はまだない
それで十分だ
十分、かな
蒼汰が漏らす。
守が頭の奥で返す。
十分じゃない
だが、今あるのはそれだけだ
分かってるよ
エレノアが蒼汰を見る。
もう一つあります
何が
エリオ本人が
母親の記憶を帰還先として選べるかどうかです
蒼汰は眉を寄せる。
どういうことだ
帰還先記憶は、こちらが与えるだけでは成立しません
対象者本人が、その記憶を自分の帰る場所として認識する必要があります
十八年経ってる
向こうではそこまで経ってないかもしれないけど
覚えてるか分からないってことか
はい
イザベルが補足する。
家が建て替えられていても問題ありません
村が移っていても大丈夫です
重要なのは土地そのものではなく、エリオが帰る場所として覚えている何かです
母親の声だけじゃ駄目なのか
声は強い錨になります
ですが、より具体的な記憶があれば安定します
匂い。
音。
食べ物。
寝床。
窓から見える景色。
エリオが帰る場所だと思えるもの。
蒼汰は頭の奥へ問いかける。
父さん
エリオの家について、何か知ってるか
少しだけ
何を
母親が焼く平たい胡桃パン
入口の風鈴
寝台脇の壁に、背丈を刻んだ跡
庭に白い花
何でそんなに知ってるんだ
捜索の報告に行くたび、家へ通された
守の声は淡々としていた。
最初の数年は、エリオの寝台もそのままだった
移住後も、寝台板だけは運んだと聞いた
それ、錨になるんじゃないか
なるかもしれん
じゃあ何で六年前から追えなくなった
行政区の改定と、通信路の廃止が重なった
現地へ行こうとした頃には、私の体も悪くなっていた
蒼汰は唇を噛む。
父は三日前まで地下で探していた。
だが、もう現地へ行くだけの体力は残っていなかったのだろう。
それでも誰かに頼まなかった。
本当に、どうしようもない。
グラディウスが守の棺がある方角を見る。
何か分かったか
蒼汰は頷く。
胡桃パン
入口の風鈴
背丈を刻んだ寝台板
庭の白い花
父さんは、それを覚えてる
イザベルがすぐに記録する。
十分です
母親本人の記憶と一致すれば、帰還先記憶として組み上げられます
冬城が端末を確認する。
現地より連絡
ミリア様が通信所へ到着されました
部屋の空気が変わった。
全員がそれぞれの位置へ移動する。
グラディウスが床の円へ手を向ける。
カーミラの足元から深紅の紋様が広がる。
エレノアの端末から銀色の粒子が浮き、イザベルの地図上に細い線が走った。
冬城が蒼汰を見る。
最初にお話しになるのは、蒼汰様でよろしいですか
俺?
エリオ様と実際に会話されたのは、蒼汰様です
また、守様のご子息であることも
ミリア様にとって重要かと思われます
蒼汰は木笛を握る。
何を言えばいいのかは、まだ分からない。
だが、父の代わりに謝るつもりはなかった。
父の失敗を軽くするためでもない。
ただ、今起きていることを伝える。
グラディウスが言う。
開くぞ
床の円が光る。
最初は、何もない空間に細い縦線が生まれた。
線が左右へ開く。
その向こうに、吹雪が見える。
白い風。
石造りの小さな建物。
橙色の灯り。
厚い毛皮を着た人々。
映像は揺れ、何度か途切れかけた。
だがエレノアが端末を操作すると、輪郭が安定する。
通信門の向こうで、髭の濃い男が頭を下げた。
こちらレーヴェ村通信所
村長代理、ノルベルトです
冬城が一歩進む。
こちらは奏多守様の葬儀会館です
ご協力に感謝いたします
ノルベルトの目が見開かれる。
守様の……
はい
男はすぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。
あの方には、旧村の冬越しで一度助けていただきました
本来なら私も弔問へ向かうべきでしたが、冬路が閉じておりまして
守が頭の奥で言う。
来なくていい
村を見てろ
伝えなくていいからな
分かってる
通信門の向こうで、人々が道を空ける。
杖を突いた小柄な女性が、ゆっくりと前へ出てきた。
白い髪。
深い皺。
分厚い毛織りの肩掛け。
右手には木の杖。
左手には、小さな油灯を持っている。
炎は弱い。
だが吹雪の近い通信所へ来るまで、消さずに運んできたのだろう。
女性は通信門のこちら側を見た。
蒼汰と目が合う。
ミリア・エルファン様ですね
冬城が確認する。
女性は頷いた。
はい
ミリアです
声は震えていた。
守様が亡くなられたと、先ほど伺いました
蒼汰は小さく頭を下げる。
息子の、奏多蒼汰です
ミリアは蒼汰の顔をじっと見た。
守様の……
はい
お父上には
長いあいだ、エリオを探していただきました
蒼汰は何も言えなかった。
ミリアが胸元へ油灯を寄せる。
今年も、見つからなかったのですね
その問いに、蒼汰は息を止めた。
彼女はまだ何も知らない。
通信所へ呼ばれた理由も。
父の葬儀場から連絡が来た意味も。
おそらく、守が亡くなったことで捜索終了を告げられるのだと思っている。
だから油灯を持ってきた。
息子を待つ最後の灯を、誰かに消せと言われても消さないために。
蒼汰はゆっくり口を開く。
見つかりました
通信門の向こうで、誰も動かなかった。
ミリアの目だけが、わずかに見開かれる。
今
何と
エリオが見つかりました
ミリアの手の中で、油灯が大きく揺れた。
村長代理が慌てて支えようとする。
だがミリアは杖を握り直し、自分で立ち続けた。
生きて
いるのですか
蒼汰は嘘をつかなかった。
声が届きました
本人だと確認できる血の反応もあります
生きています
ミリアの唇が震える。
十八年。
その年月の全てが、一瞬で顔に現れたように見えた。
泣くのかと思った。
だがミリアは泣かなかった。
先に聞いた。
どこにいるのですか
世界と世界の間です
白い道がある場所で
一人で待っています
一人で
はい
ミリアは目を閉じた。
油灯を持つ手が震えている。
守が頭の奥で、何も言わなくなった。
蒼汰は続ける。
帰る道は、まだ作れていません
すぐ帰せるとも約束できません
でも場所は分かりました
もう一度、声を繋げられます
ミリアが目を開ける。
声を
はい
エリオと話せます
その瞬間、彼女の膝が崩れかけた。
村長代理と女性職員が両側から支える。
蒼汰は通信門へ手を伸ばしかけた。
だが距離がある。
触れることはできない。
ミリアは支えられながら、それでも油灯を離さなかった。
あの子は
私を覚えていますか
まだ確認できていません
蒼汰は正直に答える。
帰還路を作るには
エリオが帰る場所を思い出す必要があります
家や、家族の記憶が必要です
ミリアは油灯を見下ろした。
家は
もうありません
声がかすれる。
旧村は水に沈みました
今の家も、昔とは違います
夫も
長男も
もういません
蒼汰は何も言えない。
十八年前のまま残っているものは少ない。
だが、父が覚えていたものがある。
胡桃パン
蒼汰が言うと、ミリアが顔を上げた。
入口の風鈴
エリオの背丈を刻んだ寝台板
庭の白い花
ミリアの目が、大きく見開かれる。
守様が
話されたのですか
父さんが覚えていました
頭の中にいるとは説明しなかった。
だが嘘ではない。
ミリアの目から、初めて涙が落ちる。
あの方は
そんなことまで
守が頭の奥でぼそりと言う。
覚えてただけだ
蒼汰は心の中で返す。
それを十八年覚えてるのを、普通は覚えてただけって言わないんだよ
ミリアはゆっくり呼吸を整えた。
風鈴はあります
まだ?
はい
音は悪くなりましたが
いまも家の入口に
寝台板も
移住の時に持ってきました
白い花は、この土地では育ちませんでした
ですが種を少しだけ
乾かして残しています
そして胡桃パンは
ミリアの口元が、泣きながら少しだけ緩む。
今も焼けます
あの子が好きだった形で
イザベルが地図へ書き込む。
エレノアは数値を確認し、カーミラが血の硝子板へ手を添えた。
第二錨を構成できます
エレノアが言う。
ただし、記憶の一致確認には
エリオ本人との再接続が必要です
今、繋げられるか
蒼汰が問う。
可能です
通信門を維持したままでは負荷が高いですが
短時間なら
ミリアがすぐに言う。
お願いします
即答だった。
体調への負担があります
冬城が告げる。
構いません
ミリアは油灯を強く握る。
十八年待ちました
今さら、少し疲れることを恐れません
蒼汰はその言葉に、父と似たものを感じた。
似ているというより、父が逆らえなかった種類の人なのだろう。
守が頭の奥で小さく言う。
昔から、ああだ
知ってるんだな
何度も怒られた
何したんだよ
捜索中に食事を抜いた
それは怒られるわ
他にもある
聞かなくていい
エレノアが装置を調整する。
地下の境界観測器へ遠隔接続します
木笛を中央へ
蒼汰は床に描かれた円の中心へ、木笛を置いた。
カーミラがエリオの血を保存した硝子板を、その隣へ置く。
ミリア様
イザベルが通信門の向こうへ呼びかける。
お持ちの油灯を、できるだけ入口に近い場所へ置いてください
また、エリオ様が覚えていると思われるものを、一つずつお話しください
ミリアは頷いた。
油灯を通信門の前へ置く。
吹雪の村にある小さな灯。
異世界の葬儀会館に置かれた木笛。
二つの間を、銀と深紅と青白い光が繋いでいく。
木笛が震えた。
ひゅう。
細い音。
蒼汰は身を乗り出す。
エリオ
聞こえるか
雑音。
少し長い沈黙。
やがて、幼い声が届く。
……そうた?
聞こえてる
今日は、会わせたい人がいる
ミリアの肩が震えた。
誰かは言わなかった。
覚えているかどうかを確かめるためだ。
エリオ
ミリアが呼ぶ。
その声は、七十一歳のものだった。
十八年前より低く、かすれ、震えている。
それでも。
木笛が強く鳴った。
円の光が一気に広がる。
……かあ、さん?
通信門の向こうで、ミリアが口元を押さえた。
声にならない嗚咽が漏れる。
エリオ
今度は、はっきり呼んだ。
エリオ
母さんです
長い雑音。
その向こうから、幼い泣き声が聞こえた。
……おそい
ミリアは泣きながら頷く。
ごめんなさい
……ずっと
まってた
分かっています
ごめんなさい
母さん、迎えに行けなくて
違う
蒼汰は思わず口を挟んだ。
ミリアがこちらを見る。
謝るのは違うと思います
エリオも、たぶん謝ってほしいんじゃない
何を言えばいいのか、蒼汰自身にも分からなかった。
だが、父が十八年間抱えた罪悪感と同じものを、母親にまで背負わせたくなかった。
ミリアはしばらく蒼汰を見つめた。
それから涙を拭い、木笛へ向き直る。
エリオ
……うん
窓の灯は
一度も消していません
木笛の音が止まる。
帰ってきた時
暗いと困るでしょう
ミリアは泣きながら笑った。
風鈴もあります
少し音が変わりました
でも、まだ鳴ります
寝台板も
あなたの背丈の印ごと持ってきました
胡桃パンも焼けます
少し焦げた端が好きだったでしょう
雑音の向こうで、エリオが息を呑む。
……くるみ
はい
……まるいやつ
違います
あなたが好きだったのは、星の形です
少しの沈黙。
……そうだった
ミリアは涙を流したまま笑う。
そうです
端を五つ作って
一番小さいところから食べていました
蒼汰の隣で、冬城が静かに目を伏せた。
カーミラも、グラディウスも何も言わない。
誰もが、母と子の会話が帰る場所を作っていくのを待っていた。
エレノアの端末に文字が現れる。
帰還先記憶、一致率上昇。
四十一。
五十八。
七十三。
だが、そこで止まった。
足りない。
エリオの声が小さくなる。
……いえ
どこ?
ミリアの表情が揺れる。
家は変わりました
村も移りました
……じゃあ
かえれない?
帰れるとは、まだ言えない。
その言葉が、蒼汰の胸へ戻ってくる。
ミリアは油灯を見る。
それから、何かを決めたように村長代理へ顔を向けた。
ノルベルト
通信所の扉を開けてください
外は吹雪です
少しだけで構いません
村長代理は迷ったが、すぐに職員へ指示した。
通信所の外扉がわずかに開く。
吹雪の音が流れ込んでくる。
その風に押され、ミリアの持っていた油灯の炎が大きく揺れた。
同時に。
どこか遠くで、澄んだ金属音が鳴った。
ちりん。
小さな風鈴の音。
吹雪の中では場違いなほど軽い音だった。
エリオの声が止まる。
ミリアが問いかける。
覚えていますか
もう一度。
ちりん。
……うちの
おと
エレノアの端末の数値が跳ね上がる。
八十一。
九十二。
九十九。
帰還先記憶、認証。
第二錨、固定。
床を走る銀色の線が、一気に太くなる。
木笛から明るい音が響いた。
第一錨。
対象血液。
第二錨。
帰還先記憶。
二つの光が、はっきりと繋がる。
ミリアは通信門の向こうで、何度も頷いた。
家は変わりました
村も違います
でもエリオ
あなたが帰ってくる音は、まだあります
……かえって
いい?
ミリアは迷わなかった。
帰ってきてください
声は震えていた。
けれど、今度ははっきり届いた。
どれだけ姿が変わっていても
どれだけ時間がずれていても
母さんが分からないほど大きくなっていても
帰ってきてください
エリオが泣く声が聞こえた。
ミリアも泣いている。
蒼汰は木笛の横で、帰還先を示す光が固定されたのを見る。
第二錨ができた。
残るのは第三錨。
待機者証明。
父に帰された者たちが、エリオを迎えるという意志。
すでに百二十六名以上が集まっている。
これで帰還路が作れる。
そう思った瞬間。
エレノアの表情が変わった。
待ってください
端末の数値が激しく揺れる。
何だ
蒼汰が問う。
第二錨の固定で
漂流域の周辺構造が見え始めました
帰還路を出せるのか
いいえ
エレノアが表示を拡大する。
白い道の先に
もう一つ反応があります
蒼汰は眉を寄せた。
もう一つ?
エリオ以外に誰かいるのか
違います
エレノアの声が低くなる。
これは生体反応ではありません
漂流域そのものが
エリオの帰還を妨害するように動いています
円形の表示に、黒い影が現れる。
白い道を囲むように、巨大な何かが形を作っていく。
グラディウスが目を細めた。
十八年の漂流で
道が主を得たか
どういう意味だよ
蒼汰が聞く。
守の声が、頭の奥で重く響く。
長く同じ者を閉じ込めた境界路は
そいつを中心に、自分を維持し始めることがある
エリオを帰したら
道そのものが崩れる
だから出したくないってことか
ああ
黒い影が、白い光点へ近づく。
エリオの声が震えた。
……そうた
くらいの、きた
蒼汰は木笛を握る。
何が見える
……おおきい
みちが、うごいてる
通信門の向こうで、ミリアが油灯を胸へ抱く。
エリオ
……かあさん
灯を見て
風鈴の音を聞いてください
帰る方だけを見て
黒い影が白い道を覆い始める。
第二錨の光が揺れる。
エレノアが叫ぶ。
接続低下
このままでは、再び座標を失います
蒼汰は木笛へ向かって声を上げた。
エリオ
目を閉じるな
……こわい
分かってる
でも聞け
風鈴は鳴ってる
母さんの灯もある
帰る場所はもう見つかった
黒い影が迫る。
……でも
みちが
道が何だ
蒼汰は木笛を強く握る。
父さんは
帰る道が閉じそうな時、毎回勝手に順番を変えてきた
鐘を止めて
門を開けて
灯を残して
帰ってきたやつを帳簿より先に中へ入れた
守が頭の奥で言う。
蒼汰
だから今度も同じだ
父さん一人じゃない
母さんがいる
俺たちもいる
外には百人以上、迎えるやつがいる
道の方が邪魔するなら
道の順番を変える
グラディウスが、ゆっくりと笑った。
よく言った
カーミラの瞳が深紅に染まる。
第三錨の準備を
冬城が即座に端末へ指示を飛ばす。
広間の待機者全員へ通達
迎えの儀礼を開始します
通信門の向こうで、ミリアが油灯を高く掲げる。
エリオ
帰ってきてください
白い道で待つ少年。
窓に灯を残した母親。
父を送りに来た百を超える弔問客。
三つ目の錨が、いま初めて一つの場所へ向かって動き始めた。
そして父、奏多守が十八年間一人で押し返せなかった境界路を、今度は父に帰された者たち全員が、外側からこじ開けようとしていた。




