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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第44話 帰れるとは、まだ言えない


勇者さま。

ぼくは、ちゃんと帰れますか。


幼い文字が、古びた紙の上に残っていた。


蒼汰は何度読んでも、その一文から目を離せなかった。


小さな木笛。

十八年前の記録。

父が最初に帰せなかった九歳の少年。


そして、地下空間の奥に現れた扉。


未帰還者記録室。


父はこの問いへ答えられないまま、十八年間抱えていた。

それを今になって、息子へ押しつけてきた。


蒼汰は木笛を握りしめる。



何だ


この子は、死んだのか


分からん


父の返事は短かった。


分からない?


崩れた門の向こうへ落ちた

命が切れた反応はなかった

だが、帰還経路も見つからなかった


生きてる可能性があるのか


ある


だったら、どうして十八年も


探した


守の声が低くなる。


何度も探した

境界路も

漂流域も

閉鎖世界も

時間のずれた領域も

行けるところは全部見た


それでも見つからなかった


ああ


蒼汰は紙を見下ろした。


父は諦めたのだろうか。


いや、諦めた人間が、十八年も木笛を保管するはずがない。

最初の記録に名前を残し続けるはずもない。

死後にしか開かない地下室へ、こんな問いを置いておくはずもない。


じゃあ、何で俺なんだよ


守は答えなかった。


父さんが答えろよ

この子が聞いたのは、勇者さまにだろ


私は勇者じゃない


今そこを訂正するなよ


大事なところだ


大事じゃない


蒼汰の声が地下空間へ響いた。


冬城もリュシエラも何も言わない。

二人とも、少し離れた場所から蒼汰を見ていた。

助け舟を出せない問いだと分かっているのだろう。


蒼汰は木笛を箱へ戻そうとした。


だが指が動かなかった。


帰れると答えるのは簡単だ。


大丈夫。

きっと帰れる。

父は探していた。

自分も探す。


そう言えば、聞こえはいい。


けれど十八年間、父ですら見つけられなかった。

世界と世界の境界を直し、国を救い、魔王と友人になり、星間航路まで動かした父が、帰せなかった一人だ。


蒼汰が簡単に帰れると言うのは、あまりにも無責任だった。


リュシエラ


はい


吸血鬼は、嘘を見抜けるのか


ある程度は

心音や血流、匂いの変化で判断できます


じゃあ、俺がこの子に帰れるって言ったら


嘘になります


即答だった。


蒼汰は少しだけ顔をしかめる。


容赦ないな


慰めを求められましたか


求めてない


では、正確に申し上げました


冬城が静かに言う。


守様も、おそらく同じ理由で答えられなかったのだと思います


帰せる保証がなかったから?


はい

守様は、希望を持たせるための嘘をひどく嫌われました


蒼汰は小さく息を吐いた。


それも、父らしい。


家でもそうだった。

大丈夫だとはあまり言わなかった。

代わりに、やれるところまでやるとか、駄目なら次を考えるとか、妙に現実的なことばかり言っていた。


子ども相手でも、根拠のない約束はしない人だった。


けれど、この紙を書いたエリオは九歳だ。


怖かったはずだ。

門が崩れ、知らない場所へ落ち、帰れるかどうかも分からない。

そんな時に欲しかったのは、境界理論でも正確な見込みでもない。


誰かの返事だった。



何だ


この紙は、いつ見つけた


門が崩れた直後だ


じゃあ、この子は向こうへ落ちる前に書いたのか


いや


守の声が、少しだけ沈む。


崩落後

一度だけ、境界の隙間から届いた


蒼汰は顔を上げた。


届いた?


ああ

木笛と一緒に


返事を送れなかったのか


送った


何て


守は長く黙った。


蒼汰は待った。


地下空間の青白い光が、わずかに揺れている。

未帰還者記録室の扉には、細い光の線が走ったままだ。

だが開く様子はない。


やがて守が言った。


必ず探す

待っていろ、と


帰れるって言ったんじゃないのか


言えなかった


何で


保証できなかったからだ


またそれだ。


正しい。

父は正しい。


でも九歳の少年が一人で待っている場所へ送る言葉として、それだけで足りたのだろうか。


返事は届いたのか


分からん


守の声がさらに低くなる。


送信路が途中で切れた

届いた反応も取れなかった


だから、答えられなかった扱いなのか


……ああ


蒼汰は初めて理解した。


父は答えなかったのではない。


答えが届いたかどうか分からなかった。


エリオの問いが十八年間ここに残っているのは、父の返事が完了していないからだ。


それで俺に、もう一回答えろって?


そうだ


勝手すぎるだろ


分かってる


父の返事に反論はなかった。


蒼汰は紙を机の上へ置く。


帰れるとは言えない。

帰れないとも決まっていない。


なら、何を答えればいい。


しばらく考えてから、蒼汰は未帰還者記録室の扉へ近づいた。


青い線の中央に、小さな窪みがある。

木笛と同じ形だった。


蒼汰は木笛を差し込む。


ぴたりと収まった。


扉の表面に、新しい文字が浮かぶ。


未帰還者エリオ・ファンへの回答を入力してください。


音声認証。

回答者名を先に告げてください。


蒼汰は目を閉じた。


勇者ではない。

父でもない。

世界を救ったこともなければ、境界の直し方も知らない。


それでも、父が残した問いの前に立っている。


蒼汰は口を開いた。


奏多蒼汰


扉の光が一度だけ揺れる。


管理者、奏多守との関係を告げてください。


息子


継承者として回答しますか。


蒼汰はすぐには答えなかった。


継承者。


その言葉が重かった。


父の仕事を継ぐつもりなんてない。

境界管理者になるとも決めていない。

この地下室を見つけてから、まだ一時間も経っていない。


蒼汰は振り返る。


冬城さん

これ、はいって答えたら、父さんの仕事を全部継ぐことになるんですか


現時点では分かりません


そこは分からないんだ


申し訳ありません


リュシエラが扉を見つめたまま言う。


ただし、問いへの回答を継ぐことと、役職を継ぐことは別だと思われます

この術式は、管理権限ではなく責任の連続性を確認しています


責任だけ先に継がされるのかよ


守殿らしい設計です


全然褒めてないだろ、それ


はい


蒼汰は額を押さえた。


本当に父は最後まで面倒くさい。


仕事を継ぐかは選ばせる。

だが、帰せなかった子への返事だけは先に渡してくる。


拒否することもできるのだろう。

ここで帰ることもできる。

母の手紙にも、手を離して自分の人生を生きていいと書かれていた。


けれど、九歳の少年の問いを見たあとで、見なかったことにはできなかった。


蒼汰は扉へ向き直る。


問いへの回答だけ、継ぎます


一瞬の沈黙。


継承範囲を確認。


未帰還者への応答責任のみ。


承認しますか。


はい


青い光が蒼汰の足元まで伸びた。


未帰還者エリオ・ファンへ回答してください。


蒼汰は木笛を見る。


父の言葉は、届いたか分からなかった。


なら同じことを言っても意味がない。


蒼汰はゆっくり息を吸った。


エリオ


声がわずかに震えた。


俺は、勇者じゃない

君を帰せなかった奏多守の息子だ


扉の光が静かに脈打つ。


蒼汰は続けた。


君が帰れるかは、今の俺には分からない

十八年探しても、父さんは君を見つけられなかった

だから、絶対に帰れるとは言えない


後ろで冬城が息を呑む気配がした。


だが蒼汰は止めなかった。


最初から希望だけを言うつもりはなかった。

届くかどうか分からない相手だからこそ、嘘はつきたくなかった。


でも

君のことを忘れたわけじゃない


父さんは十八年間、君の名前を最初の頁に残してた

木笛も、手紙も捨てなかった

帰せなかったことを、終わったことにしなかった


蒼汰は一度だけ目を閉じる。


それに

今日からは俺も君を知ってる


守が頭の奥で息を止めたような気がした。


帰れるとは、まだ言えない

だけど、もう父さん一人だけが君を探してるわけじゃない

俺も名前を覚えた

ここにいる冬城さんも、リュシエラも知った


だから

少なくとも、一人で待たせるつもりはない


蒼汰は木笛へ手を添えた。


帰る方法があるなら探す

ないなら、ないと分かるところまで調べる

父さんが途中で終わったなら、その続きだけは見る


これが今の俺に言える全部だ


静寂。


何も起きない。


扉の光も変わらない。


蒼汰は少しだけ眉を寄せた。


駄目だったか


そう思った瞬間、木笛から小さな音がした。


風を吹き込んだわけではない。

誰も触れていない。


それでも、かすかな一音が地下空間へ響いた。


高く、細く、子どもが試しに鳴らしたような音だった。


青い扉の文字が変わる。


回答記録完了。


未帰還者への応答路を再接続します。


蒼汰は目を見開いた。


再接続?


守の声が頭の奥で響く。


下がれ、蒼汰


その声には、今までになかった緊張があった。


蒼汰は反射的に一歩下がる。

冬城がすぐ隣へ入り、リュシエラも前へ出た。


未帰還者記録室の扉に走っていた青い線が、一斉に明るくなる。


古い金属が軋む。


扉がゆっくりと内側へ開いた。


冷たい風が吹き出してくる。


中は暗かった。


第一保管区画の青白い光が差し込むと、ようやく部屋の輪郭が見えた。


壁一面の棚。

何百もの小箱。

名前の刻まれた札。

巻かれた地図。

境界反応を記録した細長い紙束。


エリオだけではない。


父が帰せなかった者たちの記録が、そこには並んでいた。


蒼汰は言葉を失う。


青い本では、ほとんどが全員帰還になっていた。


だが、全員ではなかった。


一つ。

二つ。

十。

二十。


名前がある。


人間だけではない。


魔族。

獣人。

長命種。

星間民。

種族不明。


父は救えた数の陰に、救えなかった者を一人ずつ隠さず残していた。


冬城が低く呟く。


これほど……


リュシエラの表情も固い。


母上も、ここまでは知らなかったはずです


蒼汰は棚の最初を見る。


エリオ・ファン。


その箱の横に、小さな銀の板があった。


最終捜索日。


三日前。


蒼汰は目を見開いた。


父が死ぬ直前の日付だった。



何だ


三日前まで探してたのか


ああ


体、もう悪かったんだろ


悪かったな


それでも来たのか、ここに


ああ


何で誰にも頼まなかったんだよ


守は少し黙った。


私が帰せなかったからだ


その答えに、蒼汰の中で何かが切れた。


違うだろ


声が地下室へ響く。


守は黙っている。


違うだろ、父さん

帰せなかったのは父さんでも

探すのまで一人でやる必要なかっただろ


……そうだな


母さんにも

冬城さんにも

他のやつにも頼めただろ

これだけ父さんを慕ってる人がいるなら

一人くらい手伝えって言えただろ


そうだな


何で言わなかったんだよ


長い沈黙。


やがて守が、ひどく静かな声で答えた。


助けてくれと言うのが

苦手だった


蒼汰は何も言えなくなった。


世界の制度には口を出す。

王の命令も破る。

鐘を止める。

封印棚を開ける。

国境線すら消す。


それなのに、自分の失敗を誰かに手伝ってもらうことだけはできなかった。


本当に、どうしようもない父だった。


蒼汰はエリオの銀板へ手を伸ばす。


最終捜索結果。


反応なし。


ただし、その下に父の字で追記があった。


完全消失の証明なし。

捜索終了を認めない。


蒼汰は紙片を指でなぞる。


終わらせなかったのだ。


十八年経っても。

自分が死ぬ直前でも。

何の反応もなくても。


父はエリオを未帰還のまま残した。


死亡にも、消失にも、捜索終了にも変えなかった。


その時。


部屋の奥で、低い機械音が鳴った。


棚のさらに向こう。

大きな円形装置の中央に、一本の細い光が点る。


冬城が振り返る。


境界観測器が起動しています


リュシエラが目を細める。


先ほどの応答路再接続が原因です


危ないのか


現時点では分かりません


またそれかよ


装置の中央で光が揺れる。


一度消えかける。

また点る。


弱い。

あまりにも弱い。


だが確かに、何かの反応があった。


円形装置の横にある記録紙が、ひとりでに動き始める。

細い針が紙面を走り、波形を刻んでいく。


守の声が震えた。


嘘だろ


蒼汰は初めて、父のそんな声を聞いた。


何だよ


この反応……


守は言葉を止める。


父さん


十八年前と同じだ


蒼汰は装置を見る。


木笛が、もう一度だけ鳴った。


今度は先ほどより少し長い。


そして円形装置の中央に、幼い声のような雑音が混じった。


途切れ。

歪み。

ほとんど聞き取れない。


それでも、最後の部分だけは確かに聞こえた。


……まってた。


地下空間の誰も動けなかった。


蒼汰は木笛を見つめる。


帰れるとは、まだ言えない。


だが十八年間届かなかった返事は、確かにどこかへ届いた。


そして、父が最後まで捜索終了を認めなかった少年は、境界の向こうで今も待っていた。


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