第31話 泣く順番ではなく、運ぶ順番
棺のある広間へ戻る前に、蒼汰は広間脇の長卓をまた一度だけ見た。
父の知らない顔が、少しずつではなく、もうはっきりとした形で並んでいる。
兵站局の黒箱。
商隊旗。
大勲章。
削られた勲札。
宮旗。
裂かれた婚約書類。
銀の燈。
祭壇布。
学監棒。
教育日誌の複写。
夜紋。
盟約写し。
羅針儀。
消えた線の地図。
銀の主席笛。
規定集。
巨大な解除鍵。
河渠院旗。
帰還優先灯の運用標。
統制塔旗。
鐘槌。
礼楽院旗。
真鍮札。
図書院旗。
銀筆。
紋章院旗。
打診槌。
医学院旗。
赤い指揮灯。
消防局旗。
焼けた識別札。
捕虜交換局旗。
黒い配炭札。
蔵政院旗。
どれも父が褒められた証というより、父がどこかで誰かの順番を勝手に組み替えた痕だった。
蒼汰は深く息を吐いた。
次は、児童保護名簿だっけ
冬城が頷く。
はい
王都児童保護名簿の移送順位を一頁、守様に破棄された保護院長の方です
……今度は子どもか
そうなります
守が頭の奥でぼそりと言う。
遅いと切れる側だった
それも、またその理屈なんだな
だいたいそうだろう
リュシエラが横で静かに言う。
子どもの移送順位は、夜の側でも荒れます
泣く声に引かれて順番を乱すと崩れますし
逆に秩序だけで切ると、あとで壊れますので
慰めが一個もないな
慰めてはいませんから
蒼汰は小さく呻いて、応接室へ向かった。
扉が開く。
今度の部屋の空気は、布と石鹸と乾いた木の匂いがした。
薬品ではない。病室でもない。けれど清潔で、少しだけ甘い。
保育室の奥にある職員室か、洗いたての寝具を積んだ保護院の倉庫に近い匂いだった。
中央に立っていたのは、女だった。
年齢は五十代後半くらいだろうか。
背は高くない。だが小さく見えない。長く子どもの前に立ち、泣く声を聞き、叱り、抱え、送り出してきた人間だけが持つ芯の強さがあった。
黒の礼装の上に、薄い藍色の長布を肩から垂らしている。看護師でも聖職者でもない。保護院長という肩書がしっくり来る顔立ちだった。
髪は白に近い灰色で、きっちりと後ろへまとめられている。目元は柔らかい。だが、その奥に長い疲れがある。
後ろには若い職員らしき男女が二人。
ひとりが平たい木箱を、もうひとりが分厚い名簿と、薄い青の旗包みを抱えていた。
冬城が告げる。
王都中央児童保護院総院長、マルタ・エーデル様です
守様に、王都児童保護名簿の移送順位を一頁、破棄されたご当人でもあります
女――マルタは、蒼汰を見て深く一礼した。
奏多蒼汰様
声は穏やかだった。
だが弱くはない。子どもの泣き声をくぐり抜けても届く声だった。
私はマルタ・エーデル
王都中央児童保護院総院長
そして、守様に移送順位の一頁を破棄された者です
蒼汰は一拍置いてから言った。
……その人、本当に大事な紙ばっかり壊してますね
マルタの目元が、ほんの少しだけ和らぐ。
ええ
しかもだいたい、いちばん忙しい夜に
守が頭の奥でぼそりと言う。
忙しい時じゃないと意味がないからな
そういうとこなんだよなあ……
冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。
マルタも向かいへ腰を下ろした。
動作が静かだ。急いでいないのに、いつでも立てる座り方だった。
マルタは分厚い名簿を机の上へ置いて開く。
頁の端に焦げ跡がある。
そして一か所だけ、丸ごと破られたように抜けていた。
蒼汰は目を細めた。
破棄って、比喩じゃないんだ
はい
その頁は、物理的に消えました
マルタの声音は淡々としていた。
もう何度も説明した話なのだろう。
その年、王都南外縁で暴動と流行熱が重なりました
保護院は、孤児、預かり児、療養中の子、身元照会待ちの子を分散移送しなければならなくなった
夜のうちに
蒼汰は黙って聞く。
父が口を出しそうな匂いが、最初からある。
児童移送には順位があります
年齢、病状、受入先、親族照会の有無、警護人数、移送距離
そして何より、途中で暴れないか、途中で切れないか
それらを総合して決める
守が頭の奥で言う。
そこまでは間違ってなかった
そこまでは、な
蒼汰が心の中で返す。
マルタは続ける。
その夜の名簿も、手順としては正しかったのです
乳児を先に
高熱児をその次に
歩ける年長児は後列へ
受入先の安定した子から先に出す
そうしなければ、移送車も職員も足りない
蒼汰は少しだけ頷く。
合理的だ。
合理的すぎるくらいに。
問題は、十一歳から十四歳の子たちでした
マルタの指が、破れた頁のあたりで止まる。
親族を失った直後
泣かない
騒がない
指示を聞く
大人から見ると、手がかからない
だから後ろへ回りやすい
蒼汰は少しだけ目を伏せた。
嫌な予感がした。
それはたぶん、父が見逃さない類の順番だ。
守殿が来たのは、第二便の編成中です
本来は医療物資の搬送路確認だけで終わる立場でした
ですが守様は、移送名簿を見てすぐ
これ、泣かない子を後ろへ回してるな、と言いました
蒼汰は小さく息を呑む。
またか
またです
マルタは、ほんの少しだけ苦笑した。
私は反論しました
泣かない子は移送しやすい
歩ける
指示も入る
限られた便数なら、後ろへ回るのは当然だと
すると守様は、そうだな、と一度だけ頷いて
そのあとで、泣けない子を最後尾へ置くと、切れる場所を誰も見なくなる、と言いました
部屋が静かになる。
蒼汰はその言葉を胸の中で反芻した。
泣けない子。
父は、そこを見るのか。
マルタは低く続ける。
当時、保護院には兄弟を途中で失った子
家が燃えたのを見た子
親の遺体確認をさせられた子
そういう子が何人もいました
泣いて暴れる子より、むしろ静かすぎる子の方が危ない
分かっていました
でも、あの夜の名簿では後ろへ回した
なぜなら、移送しやすかったからです
守が頭の奥でぼそりと言う。
移送しやすいと、残していいは違う
蒼汰は何も言えなかった。
それで、父さんは?
名簿を奪いました
マルタは即答した。
私は止めました
副院長も
護送係も
ですが守様は聞かない
一頁を見て、これは違うと言って、その場で破いたのです
蒼汰は目を閉じた。
また物理だ。
本当に、父は紙を壊すのが好きなのではなく、切る順番が気に入らないと物理になるらしい。
破いて、どうしたんですか
新しく並べ直しました
マルタは机へ別紙を置いた。
父の字と、後から書き写された整った字が混じっている。
泣く子を先に、ではありません
静かな子を中ほどへ繰り上げた
乳児と高熱児の次
長距離組の前
理由は簡単です
途中で切れた時に、まだ大人が見られる位置に置くためです
切れる、って
蒼汰が聞くと、マルタはまっすぐ答えた。
感情がです
体ではなく
心が
マルタの目元に、長い夜を知る者の疲れが少しだけ滲む。
守様は言いました
泣く子はまだ引っ張れる
静かな子を最後にするな
そこで切れると、戻す道が細い、と
蒼汰は、また言葉を失った。
父は本当に、どこでも同じことを見ていた。
戻れるかどうか。
切れるかどうか。
その子たちは、どうなったんですか
第二便へ繰り上げました
結果として、移送中に二名が初めて泣き
一名が途中で呼吸を乱し
一名が暴れて車から降りようとした
全員、職員の手が届く位置だったので対応できた
もし第三便以降なら、夜明け前まで誰も見られなかったと思います
蒼汰は、喉の奥が少し熱くなるのを感じた。
それは劇的な救助ではない。
でもきっと、その夜にしか間に合わない類の救いだった。
マルタは平たい木箱を開ける。
中に入っていたのは、木の札だった。
名札というより、移送札だろう。淡い白木に、第二便と刻まれ、その下に赤い鉛筆で小さく追記がある。
静かな子、ここへ
守の字だった。
蒼汰は少しだけ笑った。
もう本当に、どこでも書くな……
ええ
しかも職員に見つかるところへ平然と
マルタの声に、ごくわずかな苦笑が混じる。
これは、その夜実際に第二便の箱車へ結ばれた便札です
本来なら倉庫で廃棄されるものですが
今日はこちらを持参しました
そんな大事なものを
はい
大事なものです
マルタは頷く。
守様は勲章より、こうした順番札の方が近い
あの方は、名簿の整いより
途中で誰の手が届くかにうるさかった
ですから、これがふさわしい
さらに、薄い青の旗包みが開く。
現れたのは旗だった。
王旗でも市旗でもない。児童保護院旗だ。
淡青地に白と銀で、小さな扉と灯と三本の線が刺繍されている。
子どもを送り出し、受け取る側の旗だった。
本式の日
王都中央児童保護院は、この旗を半旗とします
また移送庫の第一灯を十九呼吸だけ早く点けます
あの夜、守様が静かな子たちを一便早く出したことを忘れていないと示すために
蒼汰は、その情景を思い浮かべた。
夜明け前の保護院。
半旗。
いつもより少し早く灯る第一灯。
それは父への礼として、やけに似合っていた。
マルタは最後に、一枚の紙片を差し出した。
守の字だった。
泣く子はまだ引ける
静かな子を後ろへ置くな
戻す時に、一番遠くなる
蒼汰は、それを読んでしばらく黙った。
父はまた、同じことを違う場所で言っている。
切れる前に。
遠くなる前に。
後ろへ置くな、と。
マルタは静かに立ち上がる。
奏多蒼汰様
私は守様に、児童保護名簿の一頁を破棄されました
ですがそのおかげで、静かすぎた子たちの切れる場所を近くへ戻せた
ゆえに礼を申し上げます
蒼汰は木の便札と旗と紙片を見てから、ゆっくり言った。
……預かります
ありがとうございます
去り際、マルタは一度だけ棺の方角を見た。
それから蒼汰へ向き直る。
守様は、たぶんご家庭でも
よく泣く人より、何も言わない人の方を気にする方だったのでしょうね
蒼汰は少しだけ目を瞬いた。
そして、息を吐いた。
……ああ
そうかもしれないです
俺が怒ってる時より、怒ってないふりしてる時の方を、変に見てた気がする
でしょうね
マルタの目元が、ほんの少しだけ和らぐ。
あの方は、声の大きい傷より
黙ったまま深く入る傷の方を、先に見ていたのだと思います
それだけ言って去っていく。
扉が閉まる。
応接室に戻った静けさの中で、蒼汰は木の便札をそっと持ち上げた。
軽い。
でもその軽さの中に、一便早く出られた子たちの夜が入っている気がした。
守
何だ
あんた、本当にそういうとこばっか見てたんだな
見えると、放っておけんからな
それ、嫌な才能だよ
便利でもある
蒼汰は小さく息を吐いた。
怒る気にもなれない。
むしろ、少しずつ父の見ていたものが見えてきてしまっている。
冬城が静かに近づく。
かなりお疲れかと
うん
でも……
父さんが切らせたくなかったの、順番だけじゃないのかもな
どういう意味でしょう
蒼汰は木札を見下ろした。
声を上げられるやつより
上げられないやつの方を先に見てたんだなって
冬城が小さく頷く。
ええ
守様は、かなりそうです
リュシエラが横で静かに言う。
夜の側でも同じです
牙を見せる者より、静かに引く者の方が後で深く切れますので
蒼汰は少しだけ笑った。
父さん、どこでも本当に面倒なことしてるな
守は少しだけ黙った。
それから低く返す。
そうかもしれん
冬城が机上の品を整える。
少し棺のおそばへ戻られますか
うん
戻りたい
蒼汰は新しく増えた木の便札と旗を抱え直す。
もう本当に持ちきれない。
それでも、やっぱりどれも置いていけない。
扉へ向かいながら、何となく聞く。
次は?
冬城はほんの少しだけ考えた。
守様に、王都埋葬台帳の未確認欄を一行、消された墓政司の方です
蒼汰はその場で止まった。
……また空白かよ
守が頭の奥で低く返す。
未確認のまま埋めるなって話だ
本当に最後まで同じだな
蒼汰は深く息を吐いた。
父、奏多守は、死んでからもなお、世界の静かすぎる側ばかりを勝手に前へ寄せ続けていた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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