7 お前が産まれてきたせいで嫁に行くんだ。
——都合の良い人…………?
リュゼの言葉の意味が、理解できなかった。
「じゃあ、ごゆっくり。僕は自室で寝てるから、見つかったら教えてね。」
バタンと閉じられた扉は、リュゼとの間に確かな境界線を引かれたようで。声が、出なかった……。
「あの、貴婦人。」
振り返るとキキディベルが姿勢良く立ってこちらを見上げていた。
「……えーっと。私、ですか?」
「はい。名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「キロエと、申します。」
「キロエ嬢。巻き込んで申し訳ない。でもどうかお力をお貸し下さい。」
小さいながら誠意のこもった綺麗な礼だ。それにしても、さっきまでの態度とは打って変わって、驚くほど礼儀が良い。
「あの、私は貴族ではないのでそこまで畏まらないで下さい。」
「あ、そっか。姉上や母上と同じような美しい所作をしていたからつい。」
じゃあキロエと呼ぶね、とさっきまでの無邪気な少年に戻ったキキディベル。彼に昔の自分を重ねると気が重い。
彼はちゃんと家族の一員なのだろう。
その役割をちゃんと果たせているのだろう。
家族の名前を出して笑えるのがその証拠。
——あの頃の私は……、それが出来なかった。
「俺は右の方を探すよ。キロエは左側をお願い。」
「あ……、分かりました。」
現実は暗い。
窓の外に広がる景色のように暗い。
手元にある小さなランプがないと転んでしまうほど、おぼつかない。
この大量の物と本の中から明け方までに小さな部品を探すなんて。深い森の中で目印を付けた一本の枝を探すのと同じぐらい難しい。
――いっそ諦めてしまえば楽なのに……。
「ないなぁ……。」
キキディベルは探し続ける。
さっきまで震えて死にそうだったのに。
「なんでこんなにガラクタが多いんだ。あの店主、掃除もまともに出来ないのかよ。」
その瞳は、小さな炎を揺らしているようで。
とても危うかった。
時刻はもう夜が深い。
探し始めて随分と時間が経ったように思う。
指の爪ほどの部品を探すには、ガラクタを一個ずつ丁寧にランプに翳していく他ない。もしかしたら本の隙間に挟まっているかも。
まだ床の半分が終わったぐらいだ。
壁一面の棚は手付かず。
到底、時間が足りない。
体力だって、もう限界だ。
「クソッ!! 本当にあるんだろうな!!」
キキディベルが悔しそうに足踏みをする。それでも、手は止めなかった。
「…………あの、諦めないのですか?」
リュゼの言う通り、こんな苦労をしなくても代わりのオルゴールを買ってしまえば良い。例え瓜二つが見つからなくても。もっと可愛くて、もっと出来の良い物を。
「どうしてもあれじゃなきゃ、ダメなんだ……。」
「なぜですか?」
「あれは、姉上の物なんだ。姉上がずっと大事にしていたオルゴールで。花嫁道具として一緒に隣国へ持っていくはずだった物を、俺が壊してしまった。」
もちろんわざとじゃない、と訴える彼の瞳には、涙が溢れていた。
「姉上と俺は十歳離れていて、僕が産まれたのは本当に奇跡だってみんなが祝福してくれた。でも、姉上だけはずっと俺を嫌っていた。その理由がずっと分からなかったんだ。」
その場に座り込んだキキディベルは、身体を丸めて両手で自身を包み込む。なにをしても嫌われるという彼の話に胸の奥がザワついた。
「私にも……、記憶があります。なにが正解か分からなくて、失敗を繰り返して。もっと嫌われてしまう。」
まるで砂地獄にハマってしまったように、喉がジリジリと焼けていく感覚。
「うん。俺もそう。姉上と仲良くなりたくて、父上の期待にも応えたくて。でも上手くいかない。」
踠けば踠くほど、速く堕ちていく。
「俺は姉上ほど賢くなかったから。」
そして、その穴の深さを知るんだ。
果てしなく底が見えない穴の中では、抗うことも馬鹿らしく思えてしまう。
「でも、姉上の結婚が決まってからは少しだけ、俺に話してくれるようになったんだ。」
「…………え?」
——そんなことで……?
「父上のこと、気を付けること、そしてこの家をちゃんと守りなさいって。俺、嬉しかったんだ。」
懐かしむような、綻んだ笑み。
私と同じだと思っていたキキディベルが急に、遠い存在に見えた。
「今まで一度も入れてもらえなかった姉上の部屋にも入れてくれるようになって。花嫁衣装を見る姉上は、本当に幸せそうだった。」
どうして……?
なんで花嫁衣装を見ると幸せになるの?
「…………分かりません。」
「キロエ、どうしたの?」
「なぜ、幸せが分かるのですか?」
「そりゃあ、好きな人のところに嫁ぐんだ。幸せだろ?」
そういうものなのだろうか?
私は第一王子のフェリカ様を好きでなかったからいけなかったの?
フェリカ様を好きだったら、彼はマリーと恋に落ちたりしなかったのだろうか?
——……今となっては、どうだって良いことだ。
そっと目を閉じてフェリカ様を消した。
「キロエ、眠たいの?」
「いいえ。今日はまだ起きていた時間の方が短いので大丈夫です。続きを聞かせてください。」
キキディベルはゆっくりと息を吸った。
「俺、姉上と話せたことが本当に嬉しくて。隣国へ嫁ぐ前にどうしてもなにか贈り物をしたかったんだ。だから、あの日。姉上の許可なく部屋に忍びこんで、オルゴールを見つけて触っていたら……、」
「落としてしまったのですね。」
小さく頷く。
目に見えない感情の糸は当然、呆気なく切れてしまうもの。
「姉上は凄く怒っていた。父上と母上から初めて買って貰った贈り物だったのにって。それから……、本当は、自分がこの家を継ぐはずだったって。」
一度切れてしまえば、押し殺していた感情は洪水のように溢れ出す。理性なんて軽く壊してしまえるぐらいに。
自分自身でも驚くほど、止められないんだ。
「お前が……、産まれてきたせいで嫁に行くんだって。」
キキディベルの大粒の涙が床を濡らした。
我が国は女性の社会進出が未だ厳しい。
貴族は尚のこと、道具として結婚を迫られる。
幾ら聡明な長女でも、次に男児が産まれれば後継はその男児となる。辺境伯の場合、長らく子供を授かれなかった夫妻が長女に後継教育をしていたのだろう。
『婿をもらうが一族はお前が守れ』と言い聞かして。
そんな彼女は、奇跡的に産まれた弟にあっさりと後継の座を奪われた。
「姉上が怒るのは当然なんだ。」
なにも思わないはずがない。
そう言うものだと割り切るには、彼女はまだ幼すぎる。
「ずっと……、俺の存在が姉上を苦しめていたなんて。俺、知らなかったんだ。」
そして、彼も。
事実を受け止めるには、幼すぎる。
「仕方がない、のではないでしょうか?」
どう頑張っても、事実は変わらないし。
関係を修復するには、互いを傷付けすぎている。
「家族なんだ。そんな簡単に諦められないよ!」
「…………諦め、ない。」
「姉上は春になる前に隣国へ嫁ぐことが決まっている。俺はそれまでに絶対、このオルゴールを直して姉上に謝るんだ。そして、立派な領主になるって。ちゃんと認めてもらうんだ!」
決意を胸に、キキディベルはまた部品探しに明け暮れた。
「諦めない……。」
——ああ……、そうか。
私は六歳の誕生日、諦めたんだ。
家族も、婚約者も。
感情も……。
キキディベルみたいに立ち向かうべきだったのに。
私は……、なにも出来なかった。
あれは最良の選択肢なんかじゃなかったんだ。
一番楽で、浅はかで、愚かな不正解だったのね……。
「私も、最後まで手伝います。キキディベル様の想いを諦めないために。」
「キロエ、ありがとう。俺のことはキキって呼んでよ。」
涙を拭う幼い背中は温かい。
「はい。キキ、頑張りましょう。」
「よしっ、絶対見つけるぞ!」
それから、リュゼが描いた小さな部品の絵を頼りに部屋の中を探し回った。ランプの中の蝋燭が一本、また一本と溶けていく。
「空が、白んできました……。」
「クソ!!」
冷気が頬と指先を赤く染めた。
「まだだ。まだ朝じゃない。」
鳥が鳴き、部屋に光と影が出来始めた頃、棚の奥で小さな〝それ〟が見えた。
「これは……。キキ、ありました。」
「本当!?」
「はい。間違いありません。」
「や、やったーっ!!」
飛び跳ねて喜びを体現するキキ。
その表情を忘れずに残しておきたい、そう願いながら見守った。
「ふぁー、おはよう。調子はどう?」
タイミングよく扉から顔を出したリュゼに、キキがグイッと近づいた。
「クソ店主、見つけたぞ。これでオルゴールを直してくれるんだろうな。」
「え、本当に見つけたの!?」
探せと言った張本人が一番驚いている。その姿にキキが怒り、愚痴をまき散らしていた。
「ハハハ、大丈夫。約束は守るから。キロエ、しっかりと見ておくんだよ。修復師の仕事を教えてあげる。」
オルゴールと部品を受け取ったリュゼは、ポケットから杖を取り出した。
「これから見せる魔法は、君に教えるたった二つの魔法の内の、一つ目だから。」
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また次回、お会いしましょう。




