30 消滅風 1
「…………分かった。ただし、少しでも怪しい動きをしたら殺す。消滅風を防げなくても殺す。いいな!?」
アルギナが本気を出せば、私なんて簡単に殺されるだろう。消滅風がなにかも分からない私にとって理不尽極まりない条件だ。それでも、リュゼと再会する為には受け入れるしか道はない。
「……構いません。」
「その言葉、忘れるんじゃねぇぞ。」
ドスの効いた唸り声に、私は唾を呑みながら頷いた。
ようやくツタから解放されて床を踏みしてた脚は、立っているだけで震える。
今頃になって死の恐怖が込み上げてきた。
ツタに喉を締め殺されそうになった感覚。
足が地に付かない浮遊感。
濡れた髪から落ちる雨粒。
その全てが本物で、ここが現実なんだと訴えていた。
魔法とは、便利なだけじゃない。
とても凶悪な力なんだと実感させられる。
「ホルン、危ないからここで待ってろ。」
複雑な面持ちのホルンは小さく頷いた。
「てめぇはさっさと着いて来い。」
当然なのだけど、アルギナの態度は私とホルンで雲泥の差がある。まずはこの男から信頼を得なければならないと思うと、足がすくむ。
——……私に、この困難を乗り越えられるだろうか?
さっきの虚勢が剥がれ落ちていく。
今すぐにでも逃げ出したい。
リュゼに、会いたい……。
『僕らの弟子だろ?』
背中を押す声が聞こえた気がした。
顔は見えないけど多分、笑ってる。
いつもの飄々としたあの顔で。
このぐらい出来るだろって、挑発してるんだ。
——やっぱり、私の師匠達は意地悪ね。
彼らの無実と居場所を突き止められるのは私だけだから。立ち止まってはいられない。
私は震える脚に鞭打って歩き出す。
思っていたより脚はとても軽かった。
「ホルン様。こちらのネックレス、お返しします。」
気まずそうに顔を背けていたホルンに、直したネックレスを手渡した。
「ネックレスを壊してしまい、申し訳ございませんでした。」
「い、いえ……。」
部屋の扉の方でアルギナが「早く来い」と叫んでいる。
「それから……、ここまで案内して下さりありがとうございました。感謝します。」
丁寧に礼を尽くし、私は部屋から走り出した。
心の中で師匠達に「行ってきます」と呟きながら……。
魔塔の内部は、螺旋状の大階段が下から上まで果てしなく続いていた。塔の中心は吹き抜けで、本や妖精、植物など、あらゆる物が漂っている。そんな中をアルギナは一切躊躇わず、飛び降りた。
「早く来い、外の魔法使い!!」
そんなことを言われても、私はこの高さから飛び降りるなんて出来ないのだ。大慌てで螺旋の大階段を駆け降りて彼の後を追った。
「色無しのくせに風魔法も碌に使えないのか?」
鋭い視線と共に野次が飛んでくる。
息を切らしながらようやく追いついた場所には、宙を揺蕩う一枚の扉があった。
「私は、修復魔法、以外、使えません。」
「あ゙あ゙!? 嘘つくんじゃねぇ。基礎魔法だぞ!!」
「嘘ではありません。蛇口を、捻った方が早い言われましたので。」
「はぁ? 蛇口捻るより魔法かける方が早いだろ。」
アルギナの常識は私にとっての非常識。
呆れる彼に言い返す言葉が見つからない。
百年と言う時代の差がこれほど憎いとは。
「プーカ、いるか?」
言葉を探している私を置き去りに、アルギナは扉に付いたベルを鳴らした。
「プーカいないよ。」
目の前には扉しかない。
扉の先に部屋はないのに、中から子供のような愛らしい声がした。
「緊急事態だ。頼む。」
「えー。プーカお昼寝してるよ。」
「代償は払う。」
「……言ったね。ちゃんと言ったよ。」
ギィッと軋む音と共に、扉は開かれた。
内側から出てきたのは小さな一匹の仔馬。
「ふぁー……。プーカ眠いからいつもより高くて良いよね。」
仔馬が喋っている。
青みがかった毛並みに黄色の瞳。
普通の仔馬ではないと一目で分かった。
あれは妖精なのだろうか?
「分かったから。そこの女と二人、南の住民街の消滅風が発生した場所まで頼む。」
「うわぁー! 君が新しい色なしだね!!」
アルギナに指差され、目が合ったプーカは宙を走り私の側へとやって来た。
「はじめまして。私はキロエと申します。」
「僕プーカ。みんなの言う通り、君はとっても良い匂いがするね。凄く良い匂い。だから……、今回は特別。キロエに僕の力を貸してあげる。」
こちらの緊急なんてお構いなしのプーカは、私の周りをピョンピョンと跳ね回りながら言う。
「よろしいのですか?」
「うん、良いよ!」
「駄目に決まってるだろうが!!」
鼻先を撫でて、とはしゃぐプーカに手を伸ばした瞬間、アルギナの鋭い怒号と彼の腕から伸びたツタが私とプーカを遮った。
「てめぇ、簡単に妖精に貸しを作るんじゃねぇ。常識だろうが!!」
「えっ!?」
「妖精は人外。決して友にはなれない。代償を伴う契約上の関係性しか築けない者たちだ。人間の常識なんて一切通用しねぇ。貸しなんて作ったら心臓をくれと言われてもおかしくないんだぞ。」
残念そうに項垂れるプーカが「あと少しだったのに」と小さく呟いた。その愛らしい声と似つかわしくない言葉に私は背筋を凍らせる。
「プーカ。俺の魔力をくれてやる。」
「えー。でも僕、キロエからしか貰いたくないよ。」
「こいつは魔塔の魔法使いじゃねぇ。やれるもんはねぇんだよ。」
急いでいるあまり苛立つアルギナと駄々をこねる子供のようなプーカ。この二人の関係を見ていると、リュゼとクルッポの関係が異常だったのかも知れないと思えてきた。
「ええー。つまんない。」
「我慢しろ。時間がねぇんだよ。」
アルギナの顔は怒りに満ちていくも、プーカは依然として首を縦に振らない。どうにかプーカを説得させられないだろうか。
「やだ! アルギナの魔力は食べ飽きたんだもん。」
……プーカは魔力を食べるの?
それなら、これが使えるかも知れない。
「じゃあ、交渉はなし。僕、眠いから帰るね。」
「あの、プーカ。これでどうでしょうか?」
差し出したのは、ポケットに入れっぱなしになっていた魔女の涙。魔力が宿るこれなら交渉材料になるかも知れない。
「それ、僕にくれるの!?」
「は、はい。」
「ちょうだい! どこでも連れて行ってあげる!!」
プーカは嬉しそうに魔女の涙を一粒食べ、仔馬から立派な成長馬に変化した。
「おい、なんだそのとんでもなく高価な涙は!?」
プーカの変化に驚く私の隣で、アルギナも「それを何処で手に入れたんだ!?」と驚いていた。
「私の涙ですが……。」
「…………あ゙あ゙!?」
今日一番の怒号に思わず肩を震わせる。
「……てめぇ。その涙のこと、絶対に口外するなよ。」
「何故ですか?」
「それ一粒で城が買える価値があるからだ。」
アルギナの蒼白した顔が、今の話を本当だと物語っていて。私はそっと魔女の涙をスカートのポケットに仕舞い込んだ。
「外の魔法使いってのは常識がないのか? それともてめぇがおかしいのか?」
「認識のズレがかなり大きいと思います。ですので、私はアルギナ様と対話の機会が欲しいのです。」
そうすれば絶対に歩み寄れる。
多分、彼はちゃんと話せば分かってくれる人だ。
「いつでも行けるよ! 早く行こうよ!」
「……分かってる。てめぇが消滅風を防げたらな。」
先にプーカの背に乗ったアルギナ。
彼から差し出された手を掴んで私もプーカの背に跨った。
「その消滅風ってなんなのですか?」
「てめぇ、それも知らないで防げるって言ったのか!?」
「はい。切迫しておりましたので。」
「おいおい、嘘だろ……。」
ため息を吐くアルギナを横目に、プーカは勢いよく宙を駆け出した。漂う扉の向こうはなにもないはずなのに、一歩踏み出せば、そこには見知らぬ住民街が広がっていた。
逃げ惑う人々。
耳をつん裂く悲鳴や鐘の音が鳴り響く。
まるで戦争でも始まったかのような光景だ。
さっき見たリャナンシーの漁り場はみんな笑っていたのに。楽しそうだったのに。ここにそんなものは一つもない。
「振り落とされないでね。」
プーカは人々が逃げる方とは真逆に物凄い勢いで空を駆けていく。
「逃げ出そうなんて思うんじゃねぇ。てめぇはもうやると言っちまったんだからな。」
追い風に乗って香る土と草とレンガの匂い。
見えてきた〝消滅風〟と呼ばれるモノの正体。
プーカは速度をゆっくりと減少し、そして止まった。
「僕、ここまでー。降りて。」
目の前にはあるのは風と呼べる代物じゃない。
「あれ、が……、消滅風、なの、ですか……?」
〝消滅風〟
そんな生優しいモノじゃない。
「ああ、そうだ。」
私の目の前を這うように移動する〝消滅風〟は、そこにある家も草も土も全部。全てを丸呑みにしながらこちらへ向かってくる。
「あれが通った後はなにも残らない。まさしく、消滅するんだ。気張れよ、外の魔法使い。食われたらてめぇも消滅するからな。」
アルギナは懐から取り出した杖をスレッジハンマーに変化させ、背に背負った。
——あんなの、どうやって修復するの……!?
私の目の前には消滅風と呼ばれる〝大蛇〟がいた。
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