3 気にしなくて良いんです。貴方は貴方のままで。
ボロボロと……、
ボロボロと昨日の夜が剥がれていく。
今日の朝が始まろうとしていた。
「ああ……、綺麗な暁だ。僕たちの門出に相応しい。」
隣を飛ぶリュゼはそれが美しいと笑う。
彼にはこの景色がそう見えているのか、と思った。
私は……、脚に上手く力が入らなかった。
この感情はなんと名前が付くものなのだろうか。
恐怖?
感動?
後悔?
全部違う気がする。
そんな簡単な名前が付くものではないような。上手く言い表せない。強いて言うなら、得体の知れないものに追いかけられている、そんな感じ。
――美しいなんて、到底思えない。
「やっぱり、自由な空はいいですね。」
自由……?
これが?
こんなものが自由というの?
「キロエ?」
私の想像していた自由はもっと楽しくて、ふわふわと手触りの良いなにかを体現したものだと思っていた。
「わ、たし……っ、言われたことはちゃんとやります。時間がかかるかも知れませんが、……ちゃんと。なんだってします。」
「キロエッ!?」
「無能な人形ですが、リュゼの役に立てるように頑張ります。妹のマリーとは似ておらず可愛くもないし愛想も良くないですが、それでも努力しますっ!!」
「落ち着いて。急にどうしたんですか?」
空中で動きを止めたリュゼが向き合って私の顔を覗き込む。
「キロエ?」
「だから……っ!!」
気持ちが悪い。
上手く息が吸えない。
呼吸の仕方が、分からない。
「キロエ!? 過呼吸になってないかい!?」
気持ち、悪い……
なにこれ、どうしよう。
迷惑をかけちゃダメなのに。
「深く息を吸って!」
この人に家族と同じような視線を向けられたら、生きていけないのに。ちゃんと、もっと上手くやらないと。
「ああっ……、クソ!!」
視界がぼやける。
上手く頭が回らない。
キモチガ、ワルイ……。
「キロエ、後で恨まないで下さいね!」
「んぅ……っ、」
唇に、ひんやりと冷たいなにかが押し当てられた。それがリュゼの唇だと気がついたのは、少し時間が経った頃。
生暖かい空気が彼を通して送られてくる。
狭まった血管が目一杯広がって酸素が身体を満たしていくのを感じた。心臓のバクバクも鳴りを潜めて、ようやくリュゼの唇が離れた。
「ハァ……、はぁ……」
「ちゃんと息、出来てますか?」
リュゼの頬を朝焼けの赤が染めていた。
きっと私も同じだろう。
そんなことを思いながら小さく頷いた。
「わたし、ちゃんと。命令されたことはできるようになりますから……、」
「ちょっと待って。」
今度はリュゼの手のひらが私の唇を押さえ付けた。
「待ってください。僕が欲しいのは弟子です。言うことを聞くお人形じゃない。」
「あ……、すいません。」
そうだ。
私は人形ではない自分を〝選んだ〟からここにいるんだ。
「絶対、手放しませんから。」
「…………え。」
「なにに怯えているのか分かりませんが、残念ながらもう貴方は僕の弟子なんです。勝手に死のうとしないで下さい。」
彼の言葉でさっきまでの気持ち悪さが嘘みたいに消え去った。普通なら狂気的に聞こえる言葉を真顔で言っている。この不思議で変わった男。
「全く、僕は貴方の師匠なんですからね。」
握りしめられた手から伝わる熱は、辺りに舞う雪すら溶かしてしまいそう。なのにどこか心地良い。
「…………よろしく、お願い、します。」
「はい、承りました。」
満足そうな笑顔に太陽の光柱が重なる。
そのとき、私は朝の美しさを初めて知った気がした。
正直なところ、リュゼを全面的に信用は出来ない。
彼の陽だまりの笑顔の奥にある闇の大きさは、得体が知れないから。それでも、信じたいと思ってしまう。彼にはそうさせる何かがあるように思えた。
「というか、さっき……、その、唇に触れたのに……」
さっきまでの勢いが嘘みたくモゴモゴと喋るリュゼは、どうやら人工呼吸の話をしているらしい。
「あ、えーっと。ありがとう、ございます?」
「はぁー……。」
「ポー………。」
リュゼのため息とクルッポの呆れた鳴き声が同時に返ってきたところで、太陽は本格的に今日を始めたのだった。
「そういえば、さっき言っていた話ですが……。」
ネーベル家を離れて随分と経つ。
飛行するのにも慣れ、下を見下ろす余裕まで出来た頃、リュゼがおもむろに口を開いた。
「さっき、ですか?」
「そう。妹さんと似ていないって。」
「ああ……。妹というより、私は家族の誰にも似ていないんです。」
手で掬う自身の髪は灰を被ったような鉛色。
両親と妹は金糸のような髪をしていた。
瞳だって、全く違う。
湖畔みたく美しい蒼の瞳を持つ三人に対して私は、不吉な紫の瞳。
目鼻立ちすら全く違う。
両親が私を愛さない理由はここにあったのかもしれない。
「この容姿のせいで、父は母の不義を疑ったほどだったそうです。」
「鑑定はしましたか?」
「はい。もちろん、両親の実子でした。」
お父様がこの異様な娘を毛嫌いしつつ、第一王子の婚約者に仕立て上げたのは、世間体を保つためだったからだろう。
「ふむ。やっぱり、ですか……。」
「やっぱり?」
リュゼは神妙な面持ちで頷いた。
「魔法が盛んに使われていた時代、魔法都市ベルハーラはなぜ誕生したと思いますか?」
突然の質問に戸惑う。
彼の問いは私も常識の斜め上の発想だ。
なぜ消失したのか、ではなくなぜ誕生したのか、なんて。考えたことすらなかった。
「あの時代、魔法都市なんてなくても皆が平等に魔法を使えていました。それなのになぜベルハーラが誕生し、栄えたと思いますか?」
かの土地が消失してもう百年が経つ。
不思議なことに、リュゼはまるでベルハーラを見てきたような言い方をした。
「分かりません……。」
「キロエと同じような人が誕生し始めたからですよ。」
「私、ですか?」
そう、貴方です。と相槌を打つリュゼはどこか楽しげ。
彼の中でベルハーラは特別な場所のように思えた。
「ベルハーラは〝救済都市〟なんです。」
「……そんな話、初めて聞きました。」
「ベルハーラの記録は百年前の消失と共に多くが失われましたからね。知らなくても当然です。」
じゃあなんでリュゼが知っているの、と問いたい言葉は、彼の早口で語るベルハーラの中に掻き消された。
「救済と言ってもその実態は、保護が最優先されていました。その多くがキロエと同じような子供達です。当然、親とは違う容姿、髪色、ひいては全く違う系統の魔法を使える子供が淘汰されないように。そんな優しい想いで作られた都市だった…………。らしい、ですよ?」
「なんで最後が疑問系なんですか?」
「ハハハ。とにかく、人間は自分と違う未知を受け入れがたい愚かな生き物なんです。」
全く嘆かわしい、とため息を付く姿はまるで老人みたいで。私とそう対して歳の変わらない容姿とのアンバランスが絶妙。
「だから、まぁ。気にしなくて良いんです。貴方は貴方のままで。」
ポンッと私の頭を撫でる大きな手は、やっぱりひんやりと冷たい。けど、温かい。
この人は、ずるい……。
絶対に私を否定しない。
本当に、弟子として扱ってくれているのが分かる。
ホッとした胸に違和感が走った。
小さな針が刺さってしまったみたいに、疼く。
「あ、見えました。もう着きますよ!」
リュゼが指差したのは山林にひっそり佇む小さな家。
上空から見るとここら辺の地形がよく分かる。近くには小さいながら町が見えた。長閑で良さそうな場所だ。
「クルッポ、周囲に気付かれないように頼むよ!」
「ポッポポーッ!!」
私達はクルッポを先頭に上手く目的の建物の前に降り立った。上空から見たら小さく見えた家は、ただの家じゃないことに気がつく。
「ここは……、骨董店?」
「いいえ、うちはなんでも直す修復店リペアリア。」
「修復店……?」
そんなお店、聞いたことがない。
それもなんでも直すって、一体どういうことだろう?
「もちろん店主はこの僕リュゼ。そして副店主はクルッポ。」
「クルッポー!」
混乱する私を置いてリュゼは楽しげに紹介し、クルッポは元気よく鳴く。そして、私を指差した。
「で、貴方は今日からこのリペアリアの〝従業員兼修復師〟です。よろしくね。」
――ん? ええーーと……、
「魔法使いの弟子では、ないのでしょうか……?」
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また次回、お会いしましょう。




