17 君に死なれたら…
「あ、おはよう。キロエ。」
小さな鳥の囀りが朝を知らせる。
からりと晴れ。澄んだ朝の空気はどこか特別だ。
今日も始まったぞと、世界が言っている。
「よく眠れた?」
目を開くと映る見慣れた天井。
隣から少し掠れた聞き慣れた声。
「……おはよう、ございます。」
一つ一つに違和感はない。
ただ、二つ同時が問題なのだ。
「あの……、リュゼ。質問があります。」
「どうぞ。」
「なぜ、リュゼが私の部屋のベッドで一緒に寝ているのでしょうか?」
彼は夜這いを仕掛けるような人間ではないと信頼していたけれど、認識を改めるべきだろうか?
「もしかして、覚えてないの?」
「…………覚えていません。」
ベッドから身体を起こす私の隣で、リュゼはまだ寝たまま。「大変だったんだよ」と、ため息を吐きながら我が物顔で枕を占領した。
「昨日の夜。帰ってきた僕に泣き腫らしたキロエがさ、抱きついたまま寝ちゃったんだ。」
「あっ……」
そうだった。思い出した。
一日ぶりにリュゼを見たら涙が止まらなくなったんだ。
彼の大きくて冷たい手が、頭を撫でてくれるのが心地よくて。そのまま意識を手放してしまったんだ。
「クルッポは疲れたと言って手伝ってくれないから、僕一人でここまで運んできたんだよ。」
「そうでしたか……。ご迷惑をお掛け致しました。」
リュゼに向かって頭を下げるも返事がない。
もしかして、まだ怒っているのだろうか?
恐る恐る顔を上げると、リュゼの黄金瞳は何も言わず、ただ静かに、ずっとこちらを見ていた。
「…………それから?」
枕をギュッと握りながら、挑発的な視線で。
リュゼは待っている。
今の私なら、彼の欲しい物が分かるの。
それがなんだかくすぐったくて。
「ここまで運んで下さり、ありがとうございます……。」
顔が火照る。
「どういたしまして。」
満足げに、口角を上げて笑っている。
春の朝の特別と同じ。なんだかフワフワしていた。
「あの、運んで頂いたのは理解しましたが、なぜリュゼもここで眠っていたのですか?」
「そんなのもちろん。そこにベッドがあったから。」
「……………………そう、ですか。」
彼の生態はまだまだ不思議に溢れている。
「っていうのもあるけどさ。キロエは今日一日お休みだって伝えたかったんだ。ほら、横になりなさいな。」
「いえ、私は起きます。」
「ダメだよ。魔法を使った後の疲労は凄いんだから、ちゃんと休まないと。」
彼の手招きを無視し、立ち上がろうとした私の腕をリュゼが力強く引き寄せた。そのおかげでベッドの上に逆戻り。横にはいつもより近い距離のリュゼがいる。
「私は魔法なんて使っていません。」
使おうとしたけど、使えなかったんだから。
ニアの万年筆を直してあげたかったのに。
「キロエは魔法を使ったんだよ。」
「でも、万年筆は直りませんでした……。」
「うーん……。あれだけの魔女の涙を使っておいて、直らないはずがないんだけど。なにがあったのか詳しく教えてくれる?」
一向に起き上がることを許してくれないリュゼに、「もちろんです」と頷きながら、ニアとの出来事を伝えた。
燃え焦げた万年筆の詳しい損傷具合。
ニアの込めたい想い。
それから彼女の仕事と想い人のこと。
「へぇー……。ダリルっていう研究者は面白いね。」
「はい。とても興味深いです。……リュゼは、」
——私と会う前から、私を知っていたのですか?
その問いの答えを、私は知ってどうするんだろう。
聞きたいようで聞きたくない。
「どうしたの……?」
答えを知ってしまったら、私は〝特別〟でなくなってしまうのだろうか?
「…………あ、いえ。なんでもありません。」
「そう。話を聞く限り、やっぱりキロエは魔法を使ったみたいだね。ただ、使う魔法を間違えたんだ。万年筆を直せなくて当然だよ。」
使う魔法が違った?
でもなんでも直す魔法はリペアのはず。
「リペアはさ、例えるとパーツの揃ってるパズルを完成させる魔法なんだよ。どれだけ複雑でもパーツさえあれば完成出来る。それがリペア。」
思い返してみれば、キキのオルゴールは壊れただけでパーツは全て揃っていた。それに比べて、ニアの万年筆は所々部品が破損していた。
「つまり、今回の場合はパーツが足りていなかったってことですか?」
「ご名答。だからリペアの魔法は掛かっても、万年筆は直らなかった。」
「では、あの万年筆は直せないのですか?」
ニアに、私が絶対に直すと言ってしまった。
このままでは約束が、果たせない。
「いいや。直せる。僕が君に教える二つ目の魔法でね。」
「二つ目……。」
「そう。〝復元〟の魔法さ。」
修復と復元。
その違いは一体……。
「それにしても、初めてで凄いじゃないか。」
リュゼの冷たい手が、また私の頭を撫でる。
彼の手は頭から少しずつ下へ進む。
耳の輪郭を通り、耳たぶを撫で、更に進む。
「あ、あの、リュゼ……?」
なにも言わず、ただ、ゆっくり穏やかに笑って。
その手は頬へ……。
戸惑って動けない私を嘲笑うように、彼は触っていた頬を勢いよく抓った。
「リュゼっ!? いた、いたいでしゅっ!!」
「なにが魔法を使ってないだ。あんなに巨大な魔法を打っておいて。僕が居ない間に魔力切れで倒れたらどうするつもりだった!」
魔力切れ?
なんのことかさっぱり分からない。
とりあえず頬が痛い。とても痛い!
「はなじて、くだしゃい、……リュセ!!」
「僕は今怒ってるんだよ。一粒で足りる魔女の涙をあんなに一気に使うなんて、信じられない。どうして僕の言うことが聞けないかなー。」
お仕置きだ、と黄金瞳を吊り上げて。
掴んだリュゼの手はビクともしない。
この家のルールはリュゼなのだから、言うことを聞けない私に非がある。それは分かるのだけど、
「魔女の涙の使用量りゃんて、教わってませぇん!!」
「あれ、そうだって?」
パッと離された頬がジンジンと痛む。
リュゼの不思議そうな表情に私は勢いよく頷いた。
「魔女の涙は魔力の塊。魔法使いが使うと魔力促進剤みたいな効果が出るって話、しなかった?」
「……初耳です。」
「一日一粒が適量って話も?」
「……物凄く、初耳です。」
私の頬を抓っていた彼の指先は、居心地悪そうに自身の癖っ毛の髪に移動した。
「アハハ、ごめんね。……ええーっと。ほっぺた冷やす氷、今すぐに取ってくるから!」
そこまでしなくてもいい、と言うより先にリュゼは部屋から出て行った。
バタンと音を立てて閉まる扉。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静か。
部屋に残ったのは、いつもと違う匂い。
——彼の……、香り。
まるで森林にでも居るような心地の良い。
男性的じゃない、自然の香り。
どこで売っている香水なのだろう?
「ふわぁ……」
この香りは安心する。
そんな事を思っているの睡魔に襲われた。
リュゼの言っていた話の続きを聞かないといけないのに。もっと魔法について教えて貰わないと。
下の方から、クルッポの鳴き声がする。
それからリュゼ。
まるで子守り唄みたい……
——こんな日が、ずっと続けば良いのに……。
安らぎは最高の添い寝。
吹き抜ける風は寒すぎず暑すぎない。
まだ今日は始まったばかり。
「起きないと……。」
そう思いながら、重たい瞼は閉じていった。
「キロエ……、大丈夫?」
額がひんやりと冷たい。氷が乗ってるんだ。
瞳を開けると、リュゼがベッド横の椅子に座ってた。
「…………もう夜ですか!?」
ちょっと目を閉じただけなのに。
窓の外は真っ暗だ。
「申し訳ございません。すぐに起きます!」
「いやいや。寝ててよ。」
「ですが……、」
私は居候の身。
魔法も上手く使えないのだから、せめて出来ることをして役に立たないと。
「安心して、今日の仕事は全部終わってるから。それに君、熱が出てるんだ。安静にしていて欲しいな。」
……そういえば身体が熱いし重い。
四肢の節々が悲鳴を上げているように痛む。
無性に喉が渇くのもそのせいだろう。
「熱が出た原因は、魔女の涙を過剰に使い過ぎたから。あれは使用者の魔力を増幅するんだ。魔力は体力と同じ。個人差はあるけど限界もある。要は、魔力の使い過ぎで身体が限界を迎えているんだよ。」
今朝、リュゼが言っていた魔力切れとは、こうなる事を言っていたのか。
「…………なんだか、昔を思い出します。」
「どうして?」
「小さい頃、お母様から罰として鞭打ちをよくされていたのですが。その後、こうやって熱と身体の痛みが出ていました。」
リュゼと出会ったあの屋根裏部屋で、寝苦しい夜を何度も過ごしたものだ。当時を思えばこの程度、さほど問題ではない。
「このぐらいなら、冷水を浴びれば治ります。」
「そんな拷問みたいなこと。まさか今までそうやってきたとか、言わないよね?」
「はい。しておりました。」
「…………。」
ネーベル家では私の面倒を見てくれる人なんていなかったから。自分で治すしかなかった。
「色々試しましたが、冷水を浴びるのが一番早いです。」
「…………キロエはさ、今まで一人で生きてきたんだろうけど。今は僕が居るんだから、もう少し頼ってよ。」
夜空に浮かぶ満月がそこに居る。
君が進むべき道はこちらだと、暗い世界を優しく照らす。
そんな月だ。
なのに、どこか危うげで。
光は分厚い雲に負けてしまいそう。
「………………寂しい、のですか?」
リュゼは太陽だと、思っていた。
なににも負けない。
我が道を行く、圧倒的な光の中にいる人だと。
「……どうしたら、寂しく、なくなりますか?」
貴方らしくない。
そんな顔をしないで。
そう思ったら自然と、右手はリュゼの頬を撫でていた。
「私は、リュゼのお役に、立てますか……?」
貴方にはヘラヘラと笑っていて欲しい。
クルッポと他愛のない話をしながら、陽だまりの中にいて欲しい。
——その為なら、私……。
「リュゼの為なら。なんだって、しますから……。」
——だからどうか、お役に立たせて下さい。
「…………僕は。君にそんなことを言わせるために、弟子にした覚えはないよ。…………そうじゃ、ないんだ。」
なんだか、頭がぼぉーとしてきた。
思考が足りていない。
きっと熱が邪魔をしている。
「僕は……。僕の、願いは…………っ!!」
「りゅぜ……?」
なんでもっと苦しそうな顔を、してるの……?
「キロエが、立派な魔法使いの修復師になる事、だよ。」
困らせない訳じゃ、ないのに。
なんで上手くいかないんだろう……。
リュゼのなにか言いたそうに動かす唇が、切ない。
「もう、あまり……が、ないんだ。」
今、なんで言ったの?
声が小さすぎて聞き取れなかった。
「キロエ、………………すまない。」
どんどんリュゼが、リュゼの顔が近付いてくる。
なんで…………?
「んっ……」
なんで、リュゼの顔がこんなに近いの……?
「…………あ、……んふぅ。…………りゅ、ぜ。」
唇がひんやりと冷たいのに、口内は燃えるように熱い。
舌が、なにか生き物に絡め取られてる。
逃げたいのに……、逃げ場が、ない。
「君に死なれたら、もう。……僕、凄く寂しいよ。」
——なに、これ……?
「僕の魔力を少し流し込んだから。明日には良くなるよ。おやすみ。…………良い夢を。」
今朝とは違う。
部屋の扉は音もなく閉じられた。
「………………はぃ。おやすみ、なさい。」
唇を摩るとまだ、触感が残っている。
身体はさっきよりずっと熱い。
——私……、リュゼに、キスされたんだ…………。
でも、何故だろう。
取り乱し、逃げるように去って行くリュゼの背中の方が、何倍も気になって眠れなかった……。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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また次回、お会いしましょう。




