拠点と侵入者
町外れの鬱蒼とした森へと足を踏み入れた俺は、冒険者ギルドで受けた『薬草の採取』という、いかにもF級冒険者らしい地味な依頼をこなしていた。
もちろん、普通に歩き回って探す必要はない。
「エディット、周辺検索──『薬草』」
脳内で念じると、視界に透過するマップが広がり、半径数メートル以内にある薬草のグラフィックが緑色に強調されて浮かび上がった。移行度5%の権限でも、これくらいの簡易検索なら造作もない。
「あったな」
しゃがみ込み、生い茂る雑草の隙間から目的の薬草を摘み取る。
ギルドの老職員が言っていた通り、俺が歩いた後の地面は、踏み荒らされるどころか、土壌の汚れが浄化されて瑞々しい若草が芽吹いていた。歩くだけで周囲を「最適化」してしまうパッシブ効果は、どうやら完全に定着してしまっているらしい。
一通り依頼分の薬草を集め終えた俺は、森のさらに奥、人の気配が完全に途絶えたエリアへと足を向けた。
目的は、これからの旅の拠点作りだ。
いくら田舎町が快適だからといって、宿屋暮らしを続けていれば、いつ「ALL 0の無能がなぜか平然と暮らしている」と怪しまれるか分からない。王都の奴らに生存がバレないためにも、人目のない場所に自分だけのセーフハウスを確保しておくのが賢明だった。
「このあたりでいいか」
目の前には、幹の直径が大人三人がかりでも抱えきれないほどの、巨大な大樹がそびえ立っていた。長い年月を経て半ば枯れかけており、内部は巨大な空洞になっている。
俺はその大樹の幹に、そっと右手を触れた。
【巨木の枯れ木:耐久値 50 / 居住適性 5】
「よし、エディット開始」
脳内の画面を開き、文字通り「世界を書き換える」作業に入る。
まだ移行度5%。使えるリソースは極めて限られている。空間そのものを創造して大宮殿を建てるような真似はできないが、今ある「既存のオブジェクト」の数値を弄るだけなら、5%の権限でも十分に可能だった。
俺はまず、大樹の【耐久値】の項目を指先でスライドさせ、引き上げられる限界まで数値を引き上げた。さらに、【居住適性】のデータを上書きし、新たな属性を追加していく。
『──対象のデータを書き換え。属性:【隠蔽】【自動修復】【空間拡張:小】を付与します』
ピカッ、と静かな光が大樹の表面を走る。
傍から見れば、相変わらず古びた大樹のままだ。しかし、その中身は一瞬にして変貌を遂げていた。
恐る恐る、大樹の空洞の中へと足を踏み入れる。
外見からは想像もつかないほど、内部は広々とした1LDKほどの空間に拡張されていた。
地面からはひんやりとした不快な湿気が消え、まるで高級旅館の畳の上にいるかのような、心地よい木の香りと適度な温もりが満ちている。外からの光は遮断されているはずなのに、壁そのものが淡く発光し、室内を穏やかに照らしていた。
さらに、エディットで付与した【隠蔽】の効果により、この大樹は外から見れば「ただの頑丈な枯れ木」にしか見えない。魔力感知を使おうが、物理的に突っつこうが、中にこれほどの空間が広がっているとは絶対に気づかれない仕様だ。
「上出来すぎるな。5%の出力でこれなら、文句の付けようがない」
備え付けの、木の幹をエディットして作った即席のベッドに腰を下ろす。
道中で拾った『折れない木の枝』を壁に立てかけ、俺は一息ついた。
ふと気になり、ギルドで見た王都の様子をもう一度確認するため、懐から安物の通信水晶を取り出す。これ自体には何の機能もないが、俺がほんの少しだけエディットを施し、王都の魔導電波を強制傍受できるように書き換えておいたものだ。
水晶の表面に、ノイズ混じりの映像が浮かび上がる。
『──繰り返します。王都防衛線の結界低下に伴い、周辺の魔獣の活性化が確認されました。市民の皆様は、不要不急の外出を控えてください!』
画面の向こうでは、防壁の上で、全身を酷く汚したレナードが怒号を上げていた。
「クソがっ! なぜ結界の補修が間に合わないんだ!? 宮廷魔術師団は何をしている!」
「レ、レナード様! 魔力炉の出力自体が5%落ちているため、どれほど魔力を注ぎ込んでも、結界の強度が物理的に戻らないのです!」
隣で必死に書類を抱えながら弁明しているのは、青い顔をしたバルトだった。
「うるさい! 僕は公爵家の次男だぞ! なぜこんな、下級の魔物の相手を前線でさせられなきゃいけないんだ!」
レナードが苛立ちを紛らわせるように剣を振るうが、いつもなら一撃で両断できるはずの魔獣を倒しきれず、逆に手痛い反撃を喰らって無様に地面を転がっている。
彼らはまだ、これが「ほんの始まり」に過ぎないことを知らない。
世界システムが俺というマスターとの同調を進めるにつれ、移行度はこれから10%、15%と上がっていく。そのたびに、王都が依存している旧システムは、さらにその分の出力を失っていくのだ。
「まぁ、せいぜい頑張れよ」
俺は通信水晶の画面を消し、ベッドに寝転がった。
──その時だった。
脳内に、それまでとは明らかに異なる、警告を告げる赤色のシステムテキストが割り込んできた。
『──薬草の採取完了を検知。世界の最適化に伴い、マスター権限の移行度が上昇します』
『現在の移行度:6%』
『チーン──警告。移行度の上昇に伴い、周辺の“世界のバグ”を検知しました』
『マスター、対象のデータを即座に確認してください』
「なんだ……!?」
俺は跳ね起きた。
【隠蔽】を施したはずの、この神木の拠点の外。そこに、異常に濃密な「歪み」のような気配が急速に近づいてきているのが肌で分かった。
慌ててエディットの検索画面を開く。
マップ上に表示されたのは、こちらに向かって倒れ込むように進んでくる、一つの小さな光点だった。
直後。
ドサッ……と、神木の入り口を塞ぐ【隠蔽】の結界を文字通り「すり抜けて」、室内の床に何かが転がり込んできた。
「なっ……!?」
入ってきたのは、魔物ではなかった。
ぼろぼろに引き裂かれた白銀の法衣を身にまとった、一人の少女だった。
綺麗な金髪は泥に汚れ、その全身からは、痛々しいほどの傷から血が流れている。
なぜ【隠蔽】の結界をすり抜けられたのか。
驚きながらも俺が彼女に視線を集中させると、その頭上に異様なステータスが表示された。
【 ??? 】
・腕力:■■
・魔力:■■
・エラー:世界システムによる【因果消滅】の対象
【 状態:世界から存在を強制削除中(残り時間:10分) 】
「……世界から、消されかけてる?」
少女の身体のあちこちが、まるでバグを起こした映像のように、時折ピキピキとデジタルノイズを走らせて透き通っている。
そして、彼女がハァハァと荒い息を吐きながら、必死に俺を見上げて伸ばしたその手には──王都の紋章が刻まれた、ボロボロの『至高の石碑の破片』が握られていた。
『警告。対象は旧世界システムが排除を決定した不具合です。マスター権限が6%に達したため、引き寄せられました。選択してください──排除しますか? それとも、システムを書き換えて保護しますか?』
脳内の無機質な声が、俺に決断を迫る。
王都の秘密を握っているらしき謎の少女と、移行度6%になった俺の力。
静まり返った神木の中で、俺たちの視線が交錯した。




