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傾き始める世界

王都を離れ、のどかな街道を歩きながら、俺は脳内に浮かぶ半透明の画面を操作していた。


視界の隅で明滅しているのは、無機質なシステムテキスト。


『──マスター権限の移行度:5%。世界書き換え機能エディットを部分的に開放します』


まだ、たったの5%。

世界のすべてを意のままに操るには程遠く、今の俺に使える機能といえば、自分が直接触れたもののデータをほんの少し弄れる程度だ。人類のシステムを超越したとはいえ、神としての目覚めは静かに、そして緩やかに始まっている段階だった。


「5%、ね。まあ、今の俺にはこれくらいがちょうどいいか」


実家であるエルロッド公爵家を追放され、身分も家も失ったはずなのだが、俺の心は不思議なほど軽かった。むしろ、幼い頃から「神童」と持て囃され、周囲の期待や実家の利権に縛られていた日々に比べれば、今の状況は最高のリフレッシュとさえ言える。


お試しがてら、俺は道端に落ちていた手頃な「木の枝」を拾い上げた。ただの乾燥した、どこにでもある枯れ枝だ。

視線を集中させると、その枝の簡易的なステータスが脳内に表示される。


【木の枝:耐久値 1 / 攻撃力 1】


実につまらない数値だ。俺は指先でその画面に触れ、データをほんの少しだけ書き換えて確定させてみた。


ピカッと一瞬だけ、周囲の誰にも感知できない不可視の光が走る。

手元の枝のステータスが、一瞬にして書き換わった。


【折れない木の枝:耐久値 MAX(不可視) / 攻撃力 1】


見た目はただの薄汚れた枯れ枝のままだ。しかし、今のこれなら、どれほど硬い岩石を全力で叩き割ろうとも、傷一つ付くことはない。世界システムの根幹を部分的に弄るということは、そういうことだった。


「5%でこれか。完全に同調したらどうなるんだか……」


俺は苦笑しながら、その「折れない木の枝」を護身用の杖代わりに持ち、さらに街道を進んだ。


一昼夜ほど歩き、俺は王都の隣領にある小さな町へと辿り着いた。

石造りの素朴な建物が並ぶ、活気はあるが静かな田舎町だ。ここならエルロッド公爵家の悪名も、俺が「ALL 0」の無能の烙印を押されたという噂も、まだ届いていない。


まずは旅の資金を得るため、そしてこの世界の現状を調べるため、俺は町の片隅にあるうらぶれた冒険者ギルドへと足を向けた。


重い木製の扉を押し開けると、中には錆びついた武器を手入れする冒険者たちの姿がちらほらと見えた。王都の洗練された騎士たちとは違い、泥臭いがどこか人間味のある空間だ。

俺はまっすぐ受付へと向かう。そこにいたのは、眠そうに古い書類をめくっている年配の男性職員だった。


「はい、新規の登録かい? それとも依頼の受注かい?」


「登録をお願いしたい。それと、これが俺のステータス証明書だ」


俺は王立式典の間で強制的に発行された、あの『ALL 0』の結果が記載された魔導紙を差し出した。

これを見せれば、普通の人間なら目を丸くして驚くか、あるいは「冷やかしなら帰れ」と怒り出すかのどちらかだ。王都の検査官やレナードのように。


だが、その老職員は違った。

魔導紙に書かれた数値を一瞥し、それから眼鏡を少しずらして、じっと俺の全身観察し始めた。その目は、長年の経験に裏打ちされた深い光を宿している。


「……おいおい、腕力も魔力も、全部が綺麗にALL 0か。こいつは驚いたな。だが、お前さん……本当に無能か?」


「え?」


予想外の反応に、俺は少し目を瞬かせた。


「伊達に何十年もこの田舎で受付をやってねえ。ALL 0ってのは、普通なら生きて呼吸することすらできねえ数字だ。筋肉を動かすにも、心臓を動かすにも、人間なら最低限の『生命力』の数値が要る。それが完全にゼロってのは、理論上、ここに立っていること自体がおかしいんだよ」


老職員は不敵に笑い、俺の足元を指差した。


「それに、お前さんの歩き方には一切の隙がねえ。何より……お前さんが一歩歩くたびに、このギルドの床に染み付いていた古い魔獣の瘴気や汚れが、綺麗に『浄化』されて消えていってる。見な。お前さんの足跡のところだけ、床が新品同様にピカピカだ」


言われて振り返ると、確かに俺が歩いてきた動線だけ、年季の入った床が不自然なほど綺麗に磨き上げられたようになっている。

移行度5%とはいえ、神格の力が俺の存在そのものとジワジワ同調しているせいで、俺が歩くだけで周囲の環境の「不具合」が自動的に正常化エディットされてしまっていたらしい。


「まあ、世の中には測定器じゃ測れねえ訳ありの天才ってのが時々いる。うちは実力主義だ、数字ステータスなんて飾りさ。ようこそ冒険者ギルドへ、歓迎するよ、カイ」


王都の奴らとは違う、まともな人間の対応に少し心を和ませながら、俺は登録手続きを進めた。

手続きを待つ間、俺はギルドの壁に設置されている通信用の巨大な水晶へと目をやった。

そこには、遠く離れた王都の「現在の様子」がリアルタイムのニュースとして映し出されている。


──実は、世界の核である『B×C』を宿した俺が去ったことで、王都には静かに、しかし決定的な「バグ」が始まりつつあった。


通信水晶の画面の向こうでは、王都の魔導騎士たちが防具を歪ませ、困惑した顔でインタビューに答えている。


『緊急ニュースです。本日正午、王都を覆う大結界の出力が、原因不明のまま一律で【5%】低下しました。さらに、王宮の地下にある巨大魔力炉のエネルギー変換効率も、同時にぴったり5%減少。現在、宮廷魔術師団が総出で原因の調査にあたっていますが、未だに解決の目処は立っていません──』


画面が切り替わり、王都の防衛線の様子が映し出される。

突如として結界のパワーが落ちたせいで、いつもなら結界に触れただけで消滅するはずの下級の魔物たちが、容易に防壁へと取り付いていた。


『くそっ! なぜだ! なんで一撃で倒せないんだ!? スキルの威力が落ちてないか!?』


画面の端で、必死に剣を振るっているのは公爵家の次男レナードだった。いつもなら周囲に取り巻きを連れてふんぞり返っている男が、今や泥に塗れ、焦りと恐怖で顔を歪ませている。


さらに画面はエルロッド公爵家の領地へと移る。

『また、エルロッド公爵領内における、魔導具の動作不良も深刻です。すべての魔導具が一斉に出力不足に陥っており──』


『我が家の家宝の魔導剣が動かん! 一体どうなっているんだ! 早く修理をしろ!』

カメラの向こうで、青い顔をして職人たちに怒鳴り散らしているのは、俺を嘲笑って部屋の荷物を家畜の餌場に捨てた執事長のバルトだった。


俺はそれを見て、小さく息を吐いた。


(なるほどな……。移行度5%の俺が抜けたから、王都のシステムが綺麗に『5%分』だけ機能不全を起こしているのか)


あの王都の結界も、魔力炉も、エルロッド家の繁栄も、すべては世界システムが俺という「神格の器」を維持するために、その副産物として周囲に分け与えていた恩恵に過ぎなかったのだ。

奴らは「ALL 0の無能のカイが死んで清々した」と笑い、俺を身代わりにして生き延びたつもりでいたが、自分たちが寄生していた世界の酸素そのものを、自らの手で追い出したことに未だ気づいてすらいない。


「身の丈に合わない特権を振りかざして、中身の伴わない数字を誇るから、そうなるんだよ」


画面の向こうで大混乱に陥っているレナードたちの無様な姿を遠くから眺めながら、俺は老職員から手渡された新しい冒険者プレートを受け取った。


「ありがとよ、おっさん。じゃあ、まずは手頃な採取依頼でも行ってくる」


「おう、無理はするなよ、ALL 0のルーキーさん」


茶化すように見送ってくれる老職員に手を振り、俺はギルドを出た。

まだ移行度はたったの5%だ。これから10%、20%と同調が進むにつれて、王都のシステムはさらに引きずられるように崩壊していくだろう。そして俺の手元には、より強大な「書き換え権限」が戻ってくる。


まずはこのエディット機能を使って、自分専用の快適な隠れ家でも森の奥に作るとしよう。

じわじわと自滅していくかつての実家や王都の様子を、特等席で眺めるための、最高の拠点を──。

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