禁忌の力
神木の拠点の外に出ると、世界はすでに旧システムの制御を離れ、急速に変貌しつつあった。
頭上を覆うのは、毒々しい紫色に変色した雲。かつて瑞々しい緑を誇っていた森の木々は、一瞬にして黒く腐り落ち、地面からはヘドロのようなバグの霧が噴き出している。
「ハハ……ハハハハ! 見つけたぞ、エルロッド家の汚物が! ここに隠れていたか!」
引き裂かれた空間の隙間から現れたのは、かつて俺の身の回りの世話を焼き、そして誰よりも冷酷に俺を追い出した執事長、バルトだった。
だが、その姿に往時の品格など微塵もない。
白目はどす黒く染まり、全身の皮膚には血管のように不気味な赤黒い文字列が走り、激しく脈打っている。王都の地下から引きずり出した不具合の塊を無理やり肉体に宿したせいで、彼の存在そのものがノイズとなって崩壊しかけていた。
「バルト、ずいぶんと無様な姿になったな。それが公爵家に尽くした男の末路か」
俺は、そこらへんに落ちていた木の棒を片手に、冷淡に彼を見据えた。
「黙れ無能が! お前が消え去れば、王都の結界も、我が公爵家の栄光もすべて元に戻るのだ! この禁忌の力、貴様のような ALL 0 に扱えるはずもない神の領域の力で、塵一つ残さず消滅させてくれる!」
バルトが狂ったように咆哮すると、彼の背後から数条の黒い触手のようなバグの奔流が飛び出し、大気を消滅させながら俺へと殺到した。触れれば肉体だけでなく、魂のデータごとこの世界から消去されるであろう一撃。
後ろで見ていたエルフィリアが、思わず悲鳴に近い声を上げる。
「カイ様……!」
「言ったはずだ。向こうから剥き出しで来てくれて、都合がいいってな」
俺は一歩も動かず、ただ手元にあるただの木の棒を、迫り来る黒い奔流に向けて静かに突き出した。
「エディット。データ強制吸入。対象、バルト・エルロッドの全エラーログ」
その瞬間、世界の理が強制的に書き換わった。
バルトが放った必殺の黒い奔流が、俺の持つ枯れ枝の先端へと、まるで掃除機に吸い込まれるように収束していく。どれほど禍々しいバグの力だろうと、今の俺は世界システムのマスター権限を持つ存在だ。不具合を修正し、自分のリソースとして取り込むことなど、呼吸をするよりも容易い。
「な……ば、馬鹿な!? 吸い込まれていく……私の、神の力が!? なぜ貴様のようなゴミに遮られる!」
バルトは狂ったように叫び、さらに体内の黒い霧を噴出させようとした。だが、もう遅い。一度繋がったエディットのパスは、バルトの肉体の奥深くに眠るエラーデータまでをも、強引に逆流して引きずり出し始めていた。
「が、あ、あああああッ!? 身体が……私の中の力が、引き剥がされる……っ!」
バルトの全身を走っていた赤黒い文字列が、光の粒子となって俺の木の棒へと流れ込んでいく。吸い上げれば吸い上げるほど、俺の脳内には、心地よいシステムの覚醒音が何度も何度も鳴り響いた。
マスター権限の移行プロセスが急速に加速します、という無機質な声が頭を揺らす。
移行度が20パーセント、25パーセント、それどころか王都が隠していた秘匿データまで巻き込んだことで、30パーセントへと一気に跳ね上がっていく。
「あ、ああ……エルロッド家の、栄光が……私の数字が……消える……」
すべてのバグの力を吸い尽くされ、文字通り空っぽになったバルトは、その場に力なく崩れ落ちた。彼のステータスは、俺のドレイン効果と合わさって、今や見る影もないほどに低下している。立ち上がることすらできない、本当の無能になったのは奴の方だった。
「バルト。王都に戻ったら、親父やレナードに伝えておけ。ALL 0の悪魔は、お前たちが思っているよりも、ずっと近くにいるってな」
俺が冷たく言い放つと、バルトは恐怖に顔を歪めながら、泥に塗れて無様に這いずり、王都の方角へと逃げていった。かつて俺を虫ケラのように見下していた男が、今は虫ケラのように地を這っている。
「素晴らしいです、カイ様……。一歩も動かずに、あの禁忌の力を手懐けてしまうなんて」
エルフィリアが感嘆の息を漏らしながら、俺の側に駆け寄ってくる。
だが、俺は手元の木の棒を見つめたまま、小さく眉をひそめていた。
「……いや、少し早すぎるな」
「え?」
脳内に響くシステムのアナウンスは、まだ終わっていなかった。移行度が30パーセントに達したことで、世界システムの根幹にある、より深い権限が解放されようとしていたのだ。
上級エディット機能である、世界改変・概念置換の解放を通知します、という声。
そして、その直後に響いたメッセージが、俺の目を見開かせた。
マスター権限の30パーセント突破に伴い、旧世界システムが最終防衛フェーズへと移行しました。王都の最上位権限者であるエルロッド公爵、および現国王に対し、マスターの抹殺を目的とした神罰執行権が強制授与されます。
「神罰……? 国王たちに、世界システムが直接武器を与えたってことか」
遠くの空で、王都の方角から、今までとは次元の違う神聖で、かつ圧倒的に凶悪な黄金の光柱が天へと突き抜けるのが見えた。
世界そのもののバックアップを受けて、国を挙げて本気で俺を殺しにくる。
スローライフを気取るには、世界は俺を放っておいてくれないらしい。
俺は手元の枝を握り直し、不敵に笑った。




