【第15話】色鮮やかな天幕と、小さな春を作る『醸しのまじない』
翌日からは、ユアンの案内で南の市場をあちこち巡る買い食い周りが始まった。
「アルセア、あそこの屋台の串焼き、すっごく美味しいんだよ!」
「ユアン、こっちの甘いお菓子は何? 蜜の匂いがするわ!」
強い日差しに照らされた市場は、色鮮やかな天幕が連なり、活気に満ち溢れていた。
わたしたちは、香辛料をたっぷりとまぶして炭火で焼かれた羊肉の串焼きを頬張り、その辛さを冷たくて甘い木の実の汁で流し込む。
チュニア語での値段交渉も、ユアンの真似をしながら身振り手振りを交えてやってみると、屋台のおじさんたちは「西から来た嬢ちゃんがチュニア語を喋るなんて!」と大笑いして、おまけの揚げパンを袋に入れてくれたりした。
見るもの、食べるものすべてが新しく、そしてどこか懐かしい。
チュニアの南の空気は、人々の笑い声とスパイスの香りでいつも満たされていた。
◆◆◆
『父さんへ。
古都からの長旅を終えて、無事にチュニアへ到着しました。
今は北部の協会へ向かう前の春休みを利用して、南部の街にあるルームメイトのユアンの実家でお世話になっています。
チュニアの南部は、わたしたちの故郷の村よりもずっと暖かくて、湿り気を帯びた海風が心地よいところです。
ユアンのお母さんのメイファさんはとても優しくて、毎日お腹がはち切れそうなほど美味しいチュニア料理を作ってくれています。
先日、ユアンに案内してもらって南部の賑やかな市場へ行ってきました。
そこには、父さんや母さん、エルナに食べさせてあげたいものがたくさんありました!
お酒を飲む父さんには、南の海で採れた新鮮な牡蠣と小エビの塩辛をたっぷり練り込んだ本場の「壺漬け」や、香辛料をまぶして炭火で焼いた羊肉の串焼きをぜひ食べてもらいたいです。
甘いものが好きな母さんやエルナには、冷たくて甘い木の実の汁や、屋台のおじさんがおまけしてくれた揚げパン、それにナッツと蜜がたっぷり入った焼き菓子が絶対に気に入ると思います。
みんなで一緒にこの美味しいものを食べられないのが本当に残念だけど、メイファさんの台所でしっかり作り方を教わっているから、いつか村に帰った時に作ってあげるから待っていてね。
アルセアより』
◆◆◆
市場から帰ると、わたしはメイファさんの台所に立って、本格的なチュニアの家庭料理を教わるようになった。
食材の切り方、香辛料の合わせ方、火の通し方。
特にわたしが夢中になったのは、やはりあの『壺漬け』の仕込みだった。
「いい、アルセアちゃん。野菜を塩で揉む時は、力を入れすぎちゃダメ。葉っぱの繊維を壊さないように、優しく、赤ん坊をあやすようにね」
メイファさんの手元を見つめながら、わたしも一緒になって白菜の間に真っ赤な薬念を丁寧に塗り込んでいく。
「お母さん、アルセアは魔法で温度が分かるから、発酵の才能はわたしより上かもしれないよ」
横でニンニクをすりおろしながら、ユアンが笑った。
「あら、それは心強いわね。でもね、アルセアちゃん。壺漬けを美味しくするのは温度だけじゃないの。大切なのは『待つ』こと。野菜と塩と海の恵みが、壺の暗闇の中でお互いに手を繋いで、新しい味に生まれ変わる時間を、信じて待ってあげることなのよ」
メイファさんの言葉は、かつてお師匠さまが言っていた『魔法の理』の話にどこか似ていた。
自然の営みに寄り添い、力を引き出す。
料理も魔法も、根っこにあるものは同じなのだ。
「ねえ、アルセア」
仕込みを終えて、大きな素焼きの壺に蓋をした後、ユアンが真剣な顔でわたしに向き直った。
「わたしが医食の魔女として習った、とっておきの魔法を教えてあげる。アルセアなら、きっと北部に行っても役に立つはずだから」
「とっておきの魔法?」
「うん。……『醸しのまじない』」
ユアンは壺の冷たい表面に両手をぴたりと当て、目を閉じた。
「お母さんが言うように『待つ』ことは大事。でも、魔女はただ待つだけじゃなくて、壺の中に小さな『春』を作ってあげることができるの」
わたしもユアンに倣って、壺の反対側に手を当てる。
ユアンの手から、じんわりと穏やかで微かな魔力が流れ込んでくるのを『聴いた』。
「壺の中の野菜と微生物たちの声に耳を澄ませて。彼らが一番心地よく呼吸できる温度に、魔力でほんの少しだけ環境を整えてあげるの。そして、味と味が結びつくための時間の流れを、ほんの少しだけ背中を押してあげるように……そう、こんな風に」
それは、大がかりな環境結界や、植物を急成長させるような強い魔法ではない。
もっと繊細で、優しくて、命の営みにひたすら寄り添うような微細な魔力操作だった。
壺の内側が、わずかに温かさを帯びる。
すると、さっき仕込んだばかりの野菜と塩と薬念が、目には見えないほどの小さな泡を立てながら、急速に、けれどとても自然な形で結びつき始めたのを『聴いた』。
「……すごいわ。壺の中が、喜んで歌っているみたい」
「ふふっ。これができれば、寒い北部の街でも、ちゃんと美味しい壺漬けが作れるよ」
ユアンは目を開けて、誇らしげに微笑んだ。
この時ユアンから教わった『醸しのまじない』の繊細な温度管理と時間操作の感覚が、のちに極寒の雪山でわたしの命を救い、大魔法を行使するための完璧な土台になろうとは、この時のわたしには知る由もなかった。
◆◆◆
ユアンの実家での温かくも刺激的な春休みは、あっという間に過ぎていった。
南の街の太陽と、メイファさんの手料理、そして命の営みに寄り添う『醸しのまじない』。
それらを胸に深く刻み込んだわたしは、北部の協会へ出発する前夜、古都から持ってきた真新しい羊皮紙にペンを走らせた。
『父さんへ。
チュニア南部の街の郵便局から、二通目の手紙を出します。
今日、市場の奥を歩いていたら、布や衣服を扱っている通りに出ました。
色鮮やかな天幕が連なるその場所で、わたしは真っ先に父さんのことを思い出したの。
こっちの市場には、わたしたちの村では見たこともないような、チュニア独自の色鮮やかな織物や服が所狭しと並んでいました。
南の強い日差しによく映える、燃えるような赤や、スパイスみたいな深い黄色の布地が風に揺れていて、本当に綺麗だったわ。
父さんは村でただ一人の布職人として、村中のみんなの服を縫い繕ってくれているでしょう?
だから、この素晴らしい異国の織物や、見知らぬ職人たちの見事な技術を、ぜひ父さんの目で見せてあげたかったです。
ここチュニア南部は暖かくて、村を出る時に父さんとエルナが二人がかりで作ってくれたあの分厚くて上等なウールの外套の出番はまだないけれど、これから向かう北部の街は刺すような冷たい風が吹くそうなので、きっと大活躍してくれると思います。
父さんが織ってくれたこの外套のおかげで、どんなに寒い場所でも頑張れそうです。
もうすぐユアンとお別れして、北部の協会へ出発します。またお手紙を書くわね。
アルセアより』




