魔術師の巣窟.3
「あ、あの」
「必要なものを持ってきたぞ」
「えっ?」
なんのことか見当がつかないでいると、アダルバート様は木箱の蓋を開けた。
中に入っていたのは、私のワンピースや靴、寝間着、それからお金の入ったポーチだ。
「これ……私の部屋にあったものです。クリムウェル伯爵家へ行かれたのですか?」
「あぁ、両親と話はつけてきた。これで実家から邪魔されることはないから、古代魔法書の修復に専念できるぞ」
「えーと。話をつけてくださった、とは?」
恐る恐る聞くと、アダルバート様はすっと目を逸らした。待って、お願い。説明をして。
困惑している私に、ソーニャさんが助け舟を出してくれる。
「つまり、リアナは不本意な結婚をする必要もないし、実家に帰らなくてもいいってことですか?」
「そうだ」
ぶっきらぼうに答えると、アダルバート様は空いている私の隣に腰をかけた。
エルダン様が素早くグラスを用意して、ミルクを注ぐ。その間にアダルバート様はポケットから巾着を取り出し、口を縛っていた紐を解いた。
中から出てきたのは、十センチぐらいの長方形で薄茶色のバー。コーンフレークをぎゅっっと固めたような感じのものだ。
なんだろうと思いつつ、「ありがとうございます」と木箱のお礼をすると、アダルバート様は私を見ずに「穏便に婚約解消をさせてやると約束したからな」と答えた。
ぶっきらぼうな口調から、本当に穏便に話し合いが行われたのだろうかと、心配になる。
私が疑わし気な視線を向ける先で、アダルバート様は薄茶色のバーを口にした。ガチッと歯を立てる音がしたから、見た目通りに硬そうだ。
ついつい、ぼりぼりと食べる姿を眺めていると、アダルバート様は軽く首を捻り、巾着からもうひとつのバーを取り出した。
「食べるか?」
「あ、ありがとうございます。そうだ、エルダン様の焼かれたパンを食べられますよね。お皿をご用意いたします」
受け取ったバーは、見た目よりずしりと重い。何かがぎゅぅぅと究極まで圧縮されたような感じだ。
アダルバート様のパンを用意しようと腰を浮かすと、「必要ない」と制されてしまった。
「俺はこれしか食べない」
「えっ。そうなのですか?」
「あぁ。これは俺が開発した魔法植物で作ったもので、生きるのに必要な栄養素が全部詰まっている。つまりこれだけ食べれば、生存は可能だ」
ボリボリと頬を膨らませて咀嚼しながら、アダルバート様は私にも食べるように目で促してくる。
そんなすごいものをポンとくれるなんて、意外と優しいのかも知れない。私の荷物も持って来てくださったし。
ではさっそくと口にした私の視界の隅で、エルダン様とソーニャさんが「あぁ」と目を覆う。え、どうして?
そう思った途端口に広がったのは、今まで感じたことのない刺激と複雑極まりない味だった。
「ちょ、げほっ。これは……」
「リアナ、早くミルクを飲んで。それでも駄目なら吐いていいから」
ソーニャさんが駆け寄ってきて、悶える私の背中を撫でる。
これは、人が口にしていいものではない。
言われたとおりにミルクを飲むと、口内に感じていたチクチクとした刺激はなくなったけれど、代わりに得も言われぬ、もわっとした香りが口の中に広がった。
牛乳と何かが科学変化を起こしたんじゃないかと、疑うほどだ。
「ミルクより水のほうがいい。はい、これを飲んで」
今度はエルダン様が水をくれた。ありがたく飲み干すと、異臭が幾分かマシになる。
「な、なんですか。これ」
「だからさっき言っただろう。これだけで生きていける活気的な発明だと」
「いえいえいえいえいえ。無理です。これだけでは生きていけません。むしろ毎食これを食べるなんて、人間離れした所業ですよ」
「そこまで褒めてもらえるとは思わなかった」
「褒めていません!」
つっこむ私の横で、アダルバート様は食事を終える。時間にして数分だ。
そしてなんでもないような顔をして席を立つと「では、魔塔へ行ってくる」と言って部屋を出ていった。
「あの。アダルバート様の食事はいつも、このバーなのでしょうか」
私の手にはまだ、食べかけのバーがある。すごいものなのかも知れないけれど、もう口にする勇気はなかった。
「そうよ。特性栄養バーと名付けられているわ。いつ、どれぐらいの量を食べていらっしゃるのかは不明だけれど、生きているから問題ないと思う」
「倒れたりされないのですか?」
「時々ね。夏にうっかり水分を摂るのを忘れていると、アダルバート様だけでなく私やエルダンも気を失ったことがあるわ」
魔術師にとってそれは普通なのだろうか。常識人だと思っていたソーニャさんを見る目が変わっていく。
「それに、今日はアダルバート様の機嫌はいいほうだ」
エルダン様がパンを味わいながら、教えてくれた。
「そうなんですか?」
「だって、魔塔へ行ってくるとわざわざ言っていたからな。普段なら無言でいなくなるから、いつ出て行って帰ってきているのかも分からない」
この数十分で、私は気づいた。
ここで暮らすのであれば、疑問を抱いてはいけない。そういうものなのだと鵜呑みにするんだ。深く考えては駄目だ。
そう自身に言い聞かせ、改めて床に置かれたままの木箱を見る。
両手いっぱいに抱えるほど大きな木箱には、私の大事なものが入っていた。きっと侍女が詰めてくれたのだろう。
そしてそれを、アダルバート様が持ってきてくれた。
たとえその理由が、古代魔法書の修復に集中させるためであろうと、アダルバート様が私のためにしてくれたことに変わりない。
少し胸がほわんと温かくなる。
案外、楽しく過ごせるかもしれないと、私はこれからの生活に期待をしたのだった。




