筆頭魔術師のストーカー化.1
魔術師の寮で暮らし始めて一週間が経った。寮と王宮図書館を往復するだけの私の日々は、意外なほど依然と同じに過ぎている。
違うのは、料理を始めたことぐらいだろう。
エルダン様の作るパンはとても美味しい。だけれどそれだけではやっぱり物足りないというものだ。そこでお世話になっているお礼も兼ねて、スープを作ることにした。
作ったあとは魔道具のひとつである冷暗庫に入れて、好きなときに小鍋に取り分け、温めて飲むスタイルを取っている。当初は飲んでくれないかもと不安だったけれど、気づけばいつの間にか空になっていた。
顔を合わす機会があると、ソーニャさんもエルダン様も褒めてくれるから、概ね好評のようだ。当然ながら、特性栄養バー以外の食事を受け付けないアダルバート様からの感想はない。
そのアダルバート様だが、二日に一度は王宮図書館を訪れ、修復はまだかとせっついてくる。いい加減鬱陶しいのだが、婚約解消を手伝ってくれたのは事実なので無下にもできない。
今日も別の本の修復をする私を、後ろから覗き込んできた。
「いつ古代魔法書の修復に取りかかるんだ?」
「今、特殊な溶液に紙の一部を浸している最中です。もう少しお待ちください」
紙とは植物繊維をぎゅっと固めたものだ。どの植物から作られているのかを知るために、まず修理する本の端を切り取り溶液に浸す。
それを、おおよそ十日から二週間ほどかけてゆっくりと繊維の状態にばらしていく。そして繊維を顕微鏡で調べ、紙に使用されている植物を特定するのだ。
「二日前も同じことを言っていた」
「明後日も同様の答えですので、質問しなくてもいいと思います」
こうもしょっちゅう来られると、塩対応になってしまう。
だけれど鋼の心臓を持つ、もしくは空気を読まないアダルバート様は、ちっともめげることなく私の手元を指差した。
「それが本の修復方法か?」
私が今しているのは、王宮図書館に寄贈された図鑑の修復だ。様々な鳥が色鮮やかに描かれていて、美術品としての価値もある。
その図鑑の一ページが破れていたので、新しい紙を貼り付ける作業をしている最中だ。
「そうです。紙に使われている植物が特定できると、次にその繊維で紙を作ります。そして出来上がった紙を切って本が破れた箇所にあてがい、修復します」
破損個所より数ミリ大きく紙を切り、破れ目に合うようにさらに形を調整する。
「のりで貼るのか?」
「いいえ、のりだと後々変色する可能性があります。ですから、繊維を調べるときに使った特殊な溶液を、さらに濃縮させたものを使います」
破損個所と、新しく作った紙を0.5ミリほど重ね、下に布をあてがう。
そこにスポイトで特殊な溶液を一滴垂らし、筆で二枚の紙になじませていく。
実際にやって見せると、アダルバート様は興味を持ったようでさらに顔を近くさせてきた。耳にかかる彼の息が、ちょっと集中の邪魔をする。
「筆で特殊な溶液を馴染ませていくと、双方の紙の繊維が解けてきます。その繊維を再度絡ませるように筆を小さく動かして、二枚の紙をひとつにしていくんです」
「なるほど。理屈は分かった。なかなか細かい作業だな」
「そうですね。でも私、この作業が好きなんです」
筆で馴染ませるにつれ、二枚の紙がまるでもとから一枚だったかのように繋がっていく。まるで魔法のように破損個所が分からなくなる過程は、私のお気に入りだ。
修復が終わったところで顔をあげると、アダルバート様は感心したように顎に手を当てていた。
「魔法なら、すぐにできてしまうんでしょうね」
「今の時点で本を修復する魔法はない。もっとも、その古代魔法書を修復すれば簡単にできるだろう」
「そうなんですか。それはちょっと悲しいです」
「どうしてだ?」
「だって簡単にできてしまうなら、修復師という仕事は必要なくなります。今私がしている仕事が意味のないことになってしまうのは、寂しいです」
私はこの仕事が好きだ。地味だ、ただの修復だろうと言われているのは知っているけれど、地道な作業を重ねて本が息を吹き返すのを見るのは楽しい。
それが一瞬で終わってしまうとなると、達成感なんてないんだろうな。
てっきり「そうだな」と言われると思っていたけれど、アダルバート様はちょっと考えたあと「そんなことはない」と言った。
「ずっと見ていたが、修復とは熟練の技が必要なものだと思う。また、繊維を特定できるのは、今まで調べ書き残した繊維の資料があるからだ。魔術師は魔法を研究する。それはとても地味で小さなことの積み重ねなんだ。だから同じように努力を続けている者に対して、意味がないなんて思わない」
いつも突拍子もない言動ばかりのアダルバート様の言葉が、びっくりするほどまっすぐ私の胸に届いた。物事の本質を語るかのような口調は、いつもより熱を帯びている。
「……ありがとう、ございます」
「どうして礼を言うんだ?」
「そんな風に言ってくださって、嬉しいんです。アダルバート様ってまともなことも仰るんですね」
ぎゅっとアダルバート様の眉間に皺が寄る。しまった、ついうっかり余計なことまで言ってしまった。
「俺はいつもまともだ」
「そうですね」
私が喰い気味で肯定すると、アダルバート様は納得したかのように頷いた。この人、変わり者だけれど素直な性格なのではないだろうか。それに、仕事を馬鹿にしない。
レオポルド王太子殿下は私を見下し利用しようとしたけれど、アダルバート様はいつも対等に接して、私の仕事に対しても理解を示してくれている。
「ついでに言うと、いい人だと思います」
「!! な、なんだ突然」
「えっ?」
どうしたことか、アダルバート様が分かりやすく狼狽えだした。そっぽを向くと、片手で顔を隠しもじもじとしている。私の位置から見える耳は真っ赤だ。
もしかして、照れている?
いい人だと言っただけなのに?
アダルバート様は極端に対人能力に劣っている。もしかしてこんな風に褒められるのは初めてなのかもしれない。
これは可愛いと思ってしまっても仕方ないだろう。狂暴なグリズリーの急所を知った気分だ。いつか手懐けてやる。
そう決めた私は、さっそくひとつ提案することにした。
「ところでアダルバート様、お腹がすきませんか? 一緒にランチを食べましょう」
つまりは、餌付けだ。




