魔術師の巣窟.2
翌朝、起きたのは昼前だった。
あれだけのことがあったのだ、相当疲れていたのだろう。寝すぎて身体がちょっと
痛い。
昼食はどうしたらいいのかな。昨晩、台所やお風呂の場所は教えてもらったけれど、どんなルーティンで暮らしているのか全く分からない。
とりあえず階段を降りると、そこはちょっとしたエントランスになっていた。とは言っても、エントランスと呼ぶには少々小さい。五メートル四方ぐらいだろうか。
右手に扉があり、左が玄関だ。とりあえず今いる建物の外観を知りたくて外に出ると、周りは一面、木々が葉を茂らせていた。
後ろ歩きで建物から離れ、ぐるりと首を動かす。
森の中に建てられたバンガローと言う言葉がしっくりくるような建物だった。お城の真後ろとは思えない、静かな場所だ。
裏側に回ると、野菜や薬草が植えられた畑がある。誰が育てているのだろう。絶対にアダルバート様ではない。
そのまま時計回りに進んで玄関に戻り、今度はもうひとつの扉を開ける。
中央に大きなダイニングテーブルがあって、囲むように椅子が四脚並んでいた。その奥にある扉から、パンの焼ける匂いがしてくる。
匂いにつられて扉を開けると、男性がひとり腰に手を当てオーブンの前に立っていた。
背は百七十五センチほどで、茶色い髪は寝ぐせで乱れている。
「あの」
おずおずと声をかけたが、男性は振り向きもせず、手のひらを私に向け制した。なぜか緊迫した空気が流れる。
どうしたものかと固唾を飲んでいると、男性は急に動きだしオーブンを開けた。そうして素早くミトンを手に嵌め、鉄板を取り出す。
「よし! 焼け色完璧!」
近くの作業台に鉄板を置き、ミトンの嵌った両手を天井に着き上げた。それから思い出したように私を振り返る。
「えーと、君は?」
私より少し年上らしい男性は、怪訝そうに首を傾げる。
「リアナ・クリムウェルと申します。昨晩、アダルバート様のご紹介でここへ来ました」
「あぁ、そう言えばルーシャさんが部屋を掃除していたっけ。初めまして、俺はエルダン・ディーマス。で、今日からここに住むんだよね」
「……そのようです。私、魔法が使えませんが、ここに居ていいのでしょうか?」
「アダルバート様の紹介なら問題ないんじゃないかな。部屋も開いているし。そんなことより焼き立てのパンを食べよう。今日の出来はかなりいいから、期待してくれ」
エルダン様は嬉々としてパンを皿に乗せていく。この人、魔術師だよね?
呆気に取られていると、パンが乗ったお皿を次々と手渡された。隣りの部屋のダイニングテーブルに並べろということだろう。このマイペースさは、やっぱり魔術師だ。
とりあえず適当にお皿を並べていると、ソーニャさんが階段を降りてきた。髪はいつもの三つ編みではなく、首の後ろでまとめただけのラフな姿だ。
「おなよう、リアナ」
「おはよう、ございます?」
もうお昼だよなと思いながら答えると、ソーニャさんは空いている席に座った。そうして私に自分の前の席を薦める。
「座る場所は決まっていないの。皆、それぞれに研究をしているから食事の時間もバラバラだし、眠くなったら寝て、起きたら研究するって感じよ」
「そう、なんですか」
「うん、だからリアナも自分の生活リズムで好きにしてくれたらいいよ。あと、エルダンにはもう会ったのよね?」
ソーニャさんが台所を指差す。私が頷くのとほぼ同時に、パンが盛られた籠を持ったエルダン様が顔を出した。
「ソーニャさん、今日はいいタイミングですね」
「窓を開けて寝ていたから、パンの香りで起きたの。今日のパンは何?」
「ブルーベリーとラズベリーを生地に練り込みました。ちょっとハードですが、このカリッとした感じがいいと思います」
「うーん、美味しそう」
さっそくソーニャさんがパンに手を伸ばす。
エルダン様はもう一度台所に行くと、ミルクとグラスを三つ持って戻ってくる。
ソーニャさんがパンをちぎって口に運び、美味しそうに咀嚼した。
「エルダンはね、火の魔術師なの」
話ながら、三つのグラスにミルクを注いでくれる。
「火力の大きさや温度にこだわっていた時期があって、その流れでパン作りにはまったのよ。研究が忙しくても毎日焼いてくれるの」
「そうなんですか。とても上手に焼けています」
ルーシャさんの隣に座ったエルダン様が、さっきからチラチラと私に視線を送ってくる。きっと早く食べて感想を言って欲しいんだ。
ハード生地のパンを一口ぶん手でちぎり、口に入れる。焼きたてパンのいい香りが鼻から抜け、口の中にブルーベリーとラズベリーの甘味と酸味が広がる。噛むほどに小麦の風味が増して、これは。
「とても美味しいです!」
つい大きな声を出してしまうと、エルダン様は「よしっ」と拳を握った。
あれだけ真剣な顔でオーブンを睨んでいたのが分かるこだわりようだ。
「残ったパンは籠に入れて布巾をかけ、ここに置くようにしているんだ。好きなときに食べていいよ」
エルダン様がパンを焼く時間もバラバラだから、運次第の早い者勝ちらしい。なんとしても毎日食べたいものだ。
「パン以外の食事はどうされているのですか? 皆さん、それぞれが都合のいい時間に食べていると聞きましたが、自分の分は自分で作るスタンスでしょうか?」
オーブンの横にはコンロもあり、広い調理台もあった。鍋は見かけなかったけれど、コンロの下や上には戸棚があったから、きっとあるはず。
でもふたりの答えは、私の予想とは違った。
「研究で忙しいから、基本的にお城の食堂ですますか、街で買って食べているわ」
「そうなんですか」
「俺は定期的に缶詰や瓶詰を届けてもらっている。腹が減ったら齧れる干し肉も便利だな」
パンにはあれだけこだわりがあったエルダン様だけれど、それ以外の食事には興味がないらしい。本当に研究中心の仕事をしているんだ。
妙な関心と、栄養は大丈夫なのかという心配をしていると、バンと玄関の扉が開く音がした。振り返るとそこには、大きな木箱を抱えたアダルバート様がいて、ずかずかと私に向かってくる。




