運命の夜会.3
レオポルド王太子殿下の荒い息遣いだけが聞こえる中、呑気な声をあげたのはアダルバート様だ。
「おや、これはすまないことをしました。落とした拍子で試し撮りをした映像が流れてしまったようだ。途中で映像が止まったが、壊れたのかもしれない。なんならここで修理しましょうか?」
にこっと笑った顔は、口角だけが上がったものだった。
悪魔や魔王と言われる存在が笑ったら、きっとこんな顔をしているだろう。そんな周囲を凍てつかせる笑みを浮かべたまま、アダルバート様は目線だけを私に向けた。
(やるべきことは分かっているだろう?)なぜか、そう言われた気がした。いや、そう解釈する。
「レオポルド王太子殿下、私、おふたりの想いと決意の強さを目の当たりにして、身を引く覚悟ができました」
「なっ。リアナ、突然何を言いだすんだ?」
今日は二回も名前を呼んでくださるなんて、記念すべき日だ。もう二度と呼んで欲しくない。
私は国王陛下に向かって、カーテシーをする。
「私を婚約者に指名していただいたことに、改めて感謝を申し上げます。ですが、私はもう、レオポルド王太子殿下の妻となれません。どうか、ご理解ください」
ゆっくりと頭を上げると、苦虫を噛み潰したような顔で国王陛下は私を見下ろしていた。
「成績優秀な私に愚息の補佐をさせるため、婚約者に指名した」とまで名言していないのだから、これぐらい許容範囲だろう。
それに、息子が教会の禁止事項を破ったのだから、今はそれどころではない。
私の両親はというと、どうしてよいのか分からず口をパクパクさせていた。夫婦揃って金魚のようだ。
彼等とは反対に、私は思いっきり息を吸うと、ありったけの声で叫んだ。
「この場に置いて、私、リアナ・クリムウェルはレオポルド王太子殿下との婚約を解消することを宣言いたします!」
広間中に響き渡る私の声は、清々しいほどに綺麗だ。こんなに晴れやかな気持ちになるのは、いつぶりだろうか。
目の前では、私の元婚約者であるレオポルド王太子殿下が青い目を吊り上げ、顔を真っ赤にさせていた。
私はレオポルド王太子殿下とセレスティアの前で、これでもかと優雅に微笑んだ。
「真実の愛を誓われたおふたりの行く末が幸多きことを、願っております」
さっきまで羞恥に歪んでいたセレスティアの顔に、喜色が走る。
彼女はこれから何が起こるかちっとも分かっていない。
それに対し、レオポルド王太子殿下は顔色を悪くしていた。それはそうだろう、面倒な仕事を押し付ける人間がいなくなったのだから。彼だって自分の能力を知っている。王太子としてやっていける自信がないから、私との婚約を受け入れていたのだ。
「おや、どうやら俺は余計なことをしたようだな」
アダルバート様の口調は、大根役者も真っ青の棒読みだった。
さっきまであれだけ流暢に芝居をしていたのに、絶対にわざとだ。だけれど、私はそれが嬉しくて仕方ない。
アダルバート様は、私との約束を守るためにとんでもない指輪を作り、ここに来てくれた。
「いいえ、引き際を弁えない私の背中を押してくださいました」
「それならよかった。ところで用が済んだので帰るが、送っていこうか。ここにはいずらいだろう」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきます」
アダルバート様が肘を付き出す。そこに私が指をかけると、歩き始めた。ちょっと歩幅が大きくて早足になってしまうけれど、今の私にはちょうどいい。
そうして広間をあとにして馬車停めまで来ると、アダルバート様はエスコートを止めて腕をぐんと上に伸ばした。
「これだから夜会は肩が凝る」
「ありがとうございます。約束を覚えていてくださったんですね」
嬉々として礼を言うと、アダルバート様はさっきまでの紳士的な表情を脱ぎ捨て、けだるそうに「当たり前だろう」と答えた。
「これで古代魔法書の修復に専念できる。で、修復はいつ終わるんだ? 前代未聞の魔道具まで作ってやったんだから、さっさとしてくれ」
すぅ、と目の前からキラキラが消え去った。
そう言えば、こういう人だった。どうして忘れていたのだろう。
「破れた紙の素材から調べなくてはいけないので、少なくとも半年はかかるかと」
「半年? そんな話は聞いていないぞ。約束が違うじゃないか」
憮然とした表情に、ついつい私の目も据わってしまう。
「約束が違うのはこっちのセリフです。穏便に婚約解消してくださると仰っていましたよね。あれのどこが穏便ですか?」
「穏便の範疇で映像は止めた」
「どこがですか。結構きわどかったですよ? あのあとも覗き見をしていたのですか?」
「いや、不足の自体がおきて、それ以降の映像は俺の手元に届いていない」
何が穏便の範疇だ。映像が取れていないだけじゃない。
「とにかく、時間はかかりますが、古代魔法書は必ず修復します」
「当然だ。とんだ茶番に付き合わされた」
茶番をしたのはアダルバート様だと思う。
ジト目で睨んでいるとアダルバート様は「あぁ疲れた」とため息を吐いた。そしてさっさと馬車に乗り込む。さっきのエスコートでも感じたけれど、アダルバート様はきっとエスコートし慣れていない。
私も馬車に乗っていいものか迷っていると、無表情な顔で「早くしろ」と怒られてしまった。さっと御者が来て、手を貸してくれる。こちらはさすが、侯爵家の従者だ。
座席に座ると同時に、馬車が進みだす。ポクリポクリと石畳を踏む蹄鉄の音に耳を傾けているうち、冷静になってきた。
レオポルド王太子殿下の不貞発覚による婚約解消は、かなりの荒業だった。だけれど、私はやっと自由になれたのだ。
もう、レオポルド王太子殿下やセレスティアに関わる必要はないし、悪口も言われない。
手段が乱暴だったことには反省点があるかもしれないけれど、喜びのほうがはるかに大きい。
私が感慨にふけっていると。唐突にアダルバート様が言葉を発した。
「で、ソーニャが言うには」
「ソーニャさん?」
急に出て来た名前にオウム返しで問うと、アダルバート様は軽く頷き続きを口にした。
「自ら婚約解消したら、リアナは両親に怒られるだろうと言っていた」
「それは……その通りです」
言ったいどれだけ責められ、怒られ、詰め寄られるか。それですめばいいが、とんでもない男を婿養子にだなんて言いだしかねない。もしくは後妻に嫁に出され、予定通り従兄弟がクリムウェル伯爵家を継ぐ可能性もある。
「だから、魔術師の寮に連れていくことにした。今夜から、そこで暮らすといい」
「はい?」
「そうすれば、古代魔法書の修復作業の進捗も、逐一分かるからな」
「はい??」
まるで決定事項のように言われ、頭の中を「?」が飛び交う。
そう言えば、城壁の後ろは小さな森になっていて、そこに魔術師の寮があると聞いた覚えがある。まさかと窓の外を見ると、その話を裏付けるかのように、緑の葉が生い茂っていた。
もしかして私、悪魔に捕獲されたのだろうか。




