運命の夜会.1
一ヶ月後。レオポルド王太子殿下の誕生日を祝うパーティが、今夜開かれる。
本来なら今日が退職日となるのだが、アダルバート様の言葉を信じて私は辞表を提出していない。
「本当に大丈夫なのかしら」
レオポルド王太子殿下の瞳の色に合わせた青いドレスをまとった私の憂鬱そうな顔が、目の前の鏡に映っている。
ドレスはお父様が用意したものだ。婚約して二年経つが、私はドレスはおろか花束ひとつもらったことがない。それは両親も知っているはずなのに、娘が王太子妃になるという事実にばかり目がいって、私の気持ちを慮るつもりは欠片もない。
「はぁ。アダルバート様とはあの日以来、お会いしていないし」
嵐のように仕事場に来て、古代魔法書の修復を頼むと帰っていったアダルバート様は、以降姿を見せなかった。手紙のひとつもないまま今日を迎え、本当に婚約解消ができるのかもはや疑わしい。
ただ、今朝になってアダルバート様から小さな箱が届けられ、開けるとネックレスが入っていた。
私の瞳と同じオレンジ色の宝石がついたネックレスの意味は分からないが、着けろという無言の圧は感じたので、今は私の胸元で輝きを放っている。
扉がノックされ、侍女が両親の用意が整ったことを教えに来てくれた。
当然ながら、レオポルド王太子殿下がお迎えに来たことは一度もない。なんなら婚約の挨拶に来たことさえない。
気まずい雰囲気で馬車に乗り、落ち着かない気持ちで窓の外に視線を向ける。
侍女が張り切って飾り立ててくれたおかげでいつもより華やかだけれど、私の気持ちは沈んだままだ。
きっと今頃、レオポルド王太子殿下はセレスティアを迎えにコラティア男爵家へ行っているはず。セレスティアは、レオポルド王太子殿下が見立てた真っ青なドレスを身にまとい、気恥ずかしそうに頬を染めているだろう。
庇護欲誘う可憐な笑みと、肉感豊かな身体に目を細めるレオポルド王太子殿下の顔が、くっきりと脳裏に浮かぶ。
「……ナ。リアナ、聞いているの」
「は、はい。申し訳ありません」
名前を呼ばれ顔を向けると、両親が鬼のような形相で私を睨んでいた。
「今夜はレオポルド王太子殿下の傍にずっといるのよ」
「べったりと腕を絡ませ、セレスティアが付け入る隙を見せるな」
「政務を手伝うようになれば、王族の一員として認められる。そうなれば、こっちのものよ。愛人のひとりぐらい大目に見て、あなたは自分の確固たる地位を築くの。あの愚鈍な王太子なんて、手のひらの上で転がしたらいいわ」
「あぁ、そうして我が家に利益をたっぷりともたらすんだ」
もう何度も言われた言葉が、重く胸を塞ぐ。呼吸が苦しくなる。
王太子妃の椅子に座る私こそ、彼等の望む娘の姿なのだろう。
私を見て欲しい。私の言葉に耳を貸して欲しい。そんな思いがこみ上げ、喉元でぐっと止まる。
「はい。分かりました」
飲み込んだ言葉が錘となって心に沈む。
再び窓に視線を向けると、しっかりと白粉をはたいたはずの顔が、どんよりとしている。顔色が悪く今にも吐きそうなのに、両親の目にすでに私は映っていない。
ふたりはレオポルド王太子殿下をけなし、セレスティアを罵り、醜い顔で悪態を吐く。
本当に、今夜穏便に婚約解消ができるのだろうか。
それはもう、奇跡のような出来事に思えた。
夜会会場は、お城の一角にある広間で開かれる。
十段ほど階段を上がった先にある扉は外側に開かれ、中から賑やかな声が聞こえてきた。真っ赤な絨毯を辿って広間に入ると、まず目に飛び込んできたのが大きなシャンデリアだ。壁のいたる箇所に掛けられた鏡がその輝きを反射させる。
カーテンはレオポルド王太子殿下の瞳の色を彷彿とさせる青色で、金糸で華やかに刺繍がされている。大理石の床は磨き上げられ、カツカツとヒールの音を響かせた。
広間に一歩踏み入れるなり、突き刺さるような視線が向けられる。
「本当、あさましいわ」
「あんなに愛し合っている二人を引き裂いてまで、王太子妃になりたいなんて」
「私なら身を引くわね」
侮蔑の言葉は、きっとわざと聞こえるように言っている。
いたたまれず両親を窺うと、清々しいほど澄ましていた。
「お父様、お母様……」
「おどおどする必要はないわ。皆、リアナが羨ましいだけなのですから」
「そうだ。権力さえ握れば、自ずと我らにこびへつらってくる奴らだ。気にするな」
その鋼の心臓が羨ましいと思ったことは、今日ほどないだろう。当然私は彼等のように開き直ることもできず、俯きながら広間を縦断する。
向かった先にいるのは、国王陛下と王妃陛下、それからレオポルド王太子殿下もそこにいた。
国王陛下が隣にいるので、セレスティアは同席していない。まず、お父様が挨拶の言葉を述べる。
「我が国の太陽であられる国王陛下にご挨拶申し上げます」
その言葉に合わせるように、母と私が頭を下げる。
「よく来てくれた。明日から政務を手伝ってもらう。頑張るように」
「はい」
レオポルド王太子殿下を補佐するために選んだのだと、国王陛下の目が圧力をかけてくる。国王陛下は頷く私に満足すると、隣に立つレオポルド王太子殿下へ話を振った。
「間もなくダンスが始まる。レオポルド、当然リアナと踊るのだろう?」
「……はい、国王陛下」
少し間があったものの、さすがのレオポルド王太子殿下もここで嫌とは言えない。
「リアナ」と久しぶりに私の名を呼ぶと、手を差しだしてきた。
断ることができないのは私も同じだ。
感情を押し殺して手を重ねれば、レオポルド王太子殿下は国王陛下に見えない角度で顔を顰めた。
まるで私たちが手を取るのを待っていたかのように演奏が始まり、レオポルド王太子殿下のエスコートで中央へと踊り出る。
曲に合わせてステップを踏むと、いやいやながらもレオポルド王太子殿下も踊り始めた。
「分かっていると思うが、自分が選ばれたなどと思うな」
「はい」
低い声には憎しみしか込められていない。そんなにセレスティアが大事なら、王命を断って愛を貫くぐらいの根性を見せればいいのに。
「どうしてお前のような地味な女と結婚しなくてはいけないんだ」
「申し訳ございません」
「とにかく、子供を二、三人産めばいい。それぐらいの相手はしてやる。だけれど俺が愛するのはセレスティアだけだ。お前は子供を産んで俺のために働くことだけを考えろ」
ヒヤリと心の奥が冷たくなった。じわじわとこみ上げてくるのは怒りだろうか、絶望だろうか、それともこれからの人生に対する恐怖だろうか。
目の前の男に触れられた手のひらが、小さく震える。
全身が彼を拒絶している。
この男に、私は純潔を捧げるのか。身体を暴かれ触れられ、そして子供を宿す。
求められるのはただ子供を産むためだけの器。そのあとは、彼の手足となって馬車馬のように働かされるに違いない。
「なんだその顔は。お前の取り得は頭だけなんだから、せいぜい俺に尽くすことだな」
私は今、どんな顔をしているのだろう。
じわっと目尻に涙が滲むけれど、ダンスの途中だから拭うことすらできない。
まるで両手足を鎖で縛られ、心に錘をつけられたかのようだ。
顔の筋肉は氷ついたように動かず、呼吸の仕方も分からなくなってくる。目の前がどんどん真っ暗になっていって、それでも足を止めることは許されない。
これから先、私はこうやって生きていくんだ。
心は死に、ただ使われるだけの道具。
――私はなんのために生まれてきたの?
倒れてしまう、そう思ったとき音楽が鳴りやんだ。解放された手から徐々に体温が戻り、視界がクリアになっていく。
だけれど置かれている状況は何ひとつ変わらず、レオポルド王太子殿下は私を残してさっさと広間の端へ向かった。
そこにいるのは、頬を紅潮させ目を潤ませるセレスティアだ。
国王陛下たちに目を配ると、レオポルド王太子殿下の行動に気づいていながら平然としている。彼等もまた、セレスティアの存在を暗黙の了解としているのだ。
「……婚約解消できるようにしてくれるんじゃなかったの」
口から出たのは、アダルバート様への愚痴だった。
だって、他の誰を頼っても、私を助けてくれないのは明らかだもの。いえ、アダルバート様だって、結局何もしてくれなかった。
彼もまた、古代魔法書の修復に私を利用したかっただけなのだ。
ぼたり、と涙がドレスに零れる。慌てて指先で目尻を拭い、呼吸を整える。ここで無様な姿を披露するわけにはいかない。それが私のなけなしの矜持だ。
気持ちを落ち着けようとゆっくり深呼吸していると、音楽隊が楽器を構える姿が視界に入った。二曲目が始まるようだ。
レオポルド王太子殿下は私には見せなかった蕩けるような笑みを浮かべながら、セレスティアを恭しくエスコートする。
それを周りの人が、うっとりと眺めた。真実の愛で結ばれた恋人を応援するように、拳を握る人もいる。
気づけば私はまだ、広間の中央にいた。このままではいけないと慌てて隅へ向かおうとすると、バンと勢いよく扉が開かれた。皆の視線が一斉にそちらに向く。




