恋路を邪魔する悪女の日常.3
明日からは、午前、午後の二回投稿になります。
ここは王宮図書館の奥にある修復室だ。司書や他部署の人が修復を必要とする本や書類を持ってくることはあるけれど、五月蠅いほどの足音は立てない。
オズモンド様も奇妙に思ったらしく、背を伸ばし私と目を合わせる。と、ふいに扉が大きく開いた。
「おい、この地図はこの部署にあったものか!」
一枚の地図を顔の横でぺらぺらさせながら立っているのは、昨日あったばかりのアダルバート様だ。
不機嫌そうな顔は相変わらずで、ついでに言えば顔色が悪い。地図を片手にし、もう片方の手には分厚い本を持っていた。
地図と言われ、私は急いでアダルバート様に駆け寄る。
「はい、そうです。どうしてアダルバート様が持っていらっしゃるのですか?」
「昨日、修復を頼んだ本の間に挟まっていた」
えっ、と思い振り返ると、オズモンド様が「そう言えば」とポンと手を叩いた。どうやらうっかり紛れてしまったらしい。
「わざわざ届けていただきありがとうございます」
お礼を言って手を伸ばそうとしたのだが、アダルバート様は地図をさらに高い位置に掲げてしまう。私より三十センチほど高い彼に腕を伸ばされると、もはやジャンプしても地図に手が届きそうにない。
「あ、あの。返しに来てくださったのですよね?」
おずおずと伸ばしていた手を引っ込めながら聞くと、アダルバート様に睨まれた。
「違う」
「へっ?」
「俺はこの地図を修復した人間を探しに来たのだ」
なぜに。理由が分からず絶句していると、アダルバート様は視線を私とオズモンド様に交互に向けた。
すかさずオズモンド様が激しく首を振る。裏切者!
「つまり、君が地図を修復したというわけか」
「……はい」
意味が分からないまま、とりあえず頷く。
地図は五百年前の王都を描いたものだ。地図自体は珍しいものだが、描かれている内容は教科書にも載っているし、観光客用にレプリカが販売されているほどで、目新しくはない。
「宝の地図ではございませんよ?」
「分かっている!」
赤い瞳がぎろりと鋭くなる。うっ、怖い。
しかしそれならどうして、その地図にこだわるのか。いや、アダルバート様が探しているのは修復師。つまり、私だ。
「あの、私に何か御用でしょうか」
「この修復作業は素晴らしい。そこで君に頼みたいことがある」
「はい?」
呆気に取られている私の横をすり抜け、アダルバート様は部屋の中央にある作業台に進む。そして地図をぽいっと机の上に放り投げると、手にしていた本を大事そうに置いた。
「この古代魔法書の修復を依頼したい」
「古代魔法書、ですか」
オズモンド様が老眼鏡をかけ、置かれた本を上や左右から眺める。
「触れてもいいでしょうか?」
「構わない」
ポケットから白い手袋を取り出し、丁寧な手つきで本を手にする。私もそれに倣うように、手袋を嵌めた。
「これはどこで手に入れられたのですか?」
「半年前に、この国の南側の領地で遺跡が発掘されたのは知っているだろう。その神殿の中にあったものだ」
「ほぉ、あの遺跡ですか」
その遺跡については、王都に出回るタブロイド紙にでかでかと取り上げられていた。
水路を作っている最中に偶然発見された古代遺跡で、多くの発掘品が出ているそうだ。そのひとつが、私の前にある古代魔法書らしい。
「あ、あの。私も拝見していいでしょうか」
おずおずと伸ばした両手のひらに、オズモンド様が古代魔法書を慎重に置く。
古代魔法書は、縦二十センチ、横十五センチぐらいで、八センチほどの分厚さだった。ずしりとした重みと一緒にカビの匂いがツンとする。当然ながら、埃だらけで色褪せ、脆くなっていた。
「この古代魔法書の修復をご依頼ということですね」
「そうだ」
そう言って、アダルバート様は地図を再び手にして、私の前でひらりとさせた。
「地図と同様、古代魔法書も五百年前のものだ。この地図の修復はまだ途中だが、実によくできている。そこでこれを修復した者なら、古代魔法書の修復もできると判断した」
勝手に判断されても、困ります。
地図の修復は私の趣味でしたものだ。そもそも、これだけの厚みがある本を修復するとなると、何ヶ月かかることか。
「申し訳ございません。私は来月、仕事を辞めることになっています。ですから修復は上司であるオズモンド様にご依頼ください」
「いやいや、古い書物の修復なら、リアナのほうがうまい。儂ではその地図ほど上手に修復できないだろう」
「そんなことはありません」
「本当だ。この魔法書に使われている紙と同じものは、修復室に保管していない。ここにある紙やインクを使っての修復なら儂のほうがうまいが、紙やインクの材料を特定して、同じものを作る手腕はリアナのほうが上だ」
一瞬、厄介ごとを押し付けようとしているのかもと考えたけれど、オズモンド様はそのような方ではない。真面目な顔からも、本当にそう評価してくれているのが伝わってきた。じわっと胸の奥から喜びがこみ上げ、ついつい口元が緩みそうになる。
その口元を意識的に引き締めて、私はアダルバート様と向き合った。
「アダルバート様、申し訳ございませんが、やはりこのご依頼は受けかねます」
古代魔法書をテーブルに置き直し、頭を下げる。背後でオズモンド様も頭を下げる気配がした。
事情が事情だけに、納得いただけると思ったのだけれど。
「それは困る。どうしても辞めなくてはいけないのか」
なかなかにしつこい性格だった。
「はい。来月からレオポルド王太子殿下の婚約者として、政務を手伝います。それと並行して、一年後の結婚式の準備も進めます。そのため、王宮図書館の修復師の仕事は辞めなくてはいけないのです」
これ以上ないほど申し訳ない声で説明をする。これできっと諦めてくれるだろうと思ったのだけれど。
「どうしても、王太子妃にならなくてはいけないのか?」
予想以上に食い下がってきた。
「レオポルド王太子殿下と結婚することは決まっていますから」
「あんな馬鹿と結婚するより、この古代魔法書を修復するほうが有意義だ」
なんと、大勢の人が思っていても口にできなかった一言を、こうもあっさりと発言できるなんて。
魔術師は偏屈者が多く一般常識が通じないと聞くが、ここまで来ると拍手を送りたくなる。
うっかり頷きそうになる顎を押さえ、私は神妙な顔を作る。馬鹿の二文字には激しく同意だが、聞かなかったとにしよう。
「国王陛下のご命令ですから」
「と言うことは、君の意志ではないと
「……陛下のご意向に従うのが、私の意志です」
ふむ、とアダルバート様が顎に手を当てる。どうやら納得してくれたようだとほっとしたのも束の間、ぐっと私に顔を近づけてきた。
「あ、あの」
「たとえばだが、穏便に王太子との婚約を解消できるとしたら、どうする?」
「そんな方法があるのですか!?」
ぐっと食い気味に返事をした私に、アダルバート様はにやりと笑った。不愛想な顔しかしていなかったけれど、退廃的な雰囲気に意味深長な笑顔は妙に色香がある。
威圧的な雰囲気に圧倒されて今まで気づかなかったけれど、よく見ればこの人、かなりの美丈夫だ。王子様タイプではなく、悪魔的な魅力がある。
そんなことを考えていると、アダルバート様は背筋を伸ばして私から離れ、古代魔法書を手にした。
「俺を誰だと思う? 魔術師団の筆頭・アダルバート・ラインフットだ。もし君がこの古代魔法書を修復してくれるなら、王太子妃の椅子から解放してやろう」
悪魔の囁きは、私の耳に甘く響いた。
その地位と人を威圧し平服させる姿が、頼もしく見える。悪魔に命を差しだすときは、皆こういう甘美な気持ちになるのだろうか。
背後でオズモンド様が私を制止する声がしたけれど、脳がそれを言葉として処理をしない。
「本当ですか?」
その問いで充分だったようで、満足そうに赤い瞳が細まる。
「取引成立だな。追って連絡をするから、修復作業に取り掛かってくれ」
アダルバート様はそれだけ言うと、今度はカツカツと軽快な足音をさせ部屋を出て行った。
「おい、リアナ。いいのか?」
「はい。だって王太子妃にならずにすむんですよ。それなら私、悪魔に魂を売っても悔いはありません」
そう宣言した私の顔は、陶酔したように視線が定まっていなかっただろう。契約したのがまさか悪魔を越える所業をするとは、このときの私は思いもしなかったのだ。
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