恋路を邪魔する悪女の日常.2
次回投稿は、夜になります。
魔塔の前まで来た私は、本を片手で抱え直し、もう一方の手で頬をぱちんと叩く。あそこまで言われて傷つかないほど、私の心は頑丈ではない。
「今は仕事に集中しなくては」
泣いてなるものかと涙腺に喝を入れ、頬を叩いた手で扉をノックする。すぐに明るい声がして、魔術師のひとりであるソーニャさんが顔を出した。
燃えるような赤い髪を三つ編みにした彼女は、眼鏡の奥にある灰色の瞳をにこりと細め「あら、リアナじゃない」と笑った。三十歳手前ぐらいだろうか、魔術師は気難しそうなイメージがあるけれど、ソーニャさんはとても社交的だ。
「修復を承っていた魔法書をお届けに来ました」
「ありがとう。ぼろぼろだったから大変だったでしょう」
「私は少し手伝っただけです。オズモンド様がほとんど修復されました。確認していただけますか?」
「もちろん。お茶も淹れるわ!」
にこりと微笑む顔に悪意はない。私の噂を知っているはずなのに、ソーニャさんはいつも優しくしてくれる。
そんな彼女の誘いを、私はゆっくり首を振って断った。
「ありがとうございます。でもまだ仕事が残っていますので」
「そうかぁ。新作の薬草ティーができたから味見をしてもらおうと思ったのに、残念」
ソーニャさんは肩を落とすと、椅子を引いて座り、魔法書に目を通し始めた。
魔術師たちが普段何をしているのか、私は知らない。きっと誰も知らないのではないだろうか。
各自魔法の特訓をしたり、魔法書の解析、魔法の研究をしているというのが一般認識だけれど、では具体的にと聞かれると、時折魔塔を訪れる私にも分からない。
一冊目を丁寧に見たソーニャさんは、これなら大丈夫だと思ったようで、二冊目と三冊目はページをぱらぱらとさせただけで確認作業は終わった。
「問題ないわ。オズモンド様の修復はいつも完璧ね」
私としては全部じっくり確認して欲しいところだけれど、必要があればまた修理依頼があるだろうと気に留めないことにする。
「そのように上司に伝えます。では私はこれで失礼します」
立ち上がったところで、ソーニャさんに呼び止められた。
「今度はリアナに修復を頼んでもいい?」
「私にですか?」
「うん。オズモンド様がこの前、リアナは益々腕をあげたって褒めていたの。だから指名しちゃおうかなと思って」
わぁ、そんなことを言ってくれていたなんて。じわじわと喜びがこみ上げてくる。二年間頑張ってきた甲斐があった。
だから「是非!」と言いたいところなのだが、そうはいかない。私はできるだけ自然な笑みを顔に貼り付けながら、眉を下げた。
「実は今月いっぱいで王宮図書館を辞めるんです。一年後に開かれる結婚式の準備に加え、来月から政務を手伝うように言われております」
「あぁ、そうか。……それはとても残念だわ。リアナ、大丈夫?」
私を慮ってくれて、ソーニャさんの灰色の瞳が心配そうに揺れる。その心配を吹き飛ばすように、私は笑ってこぶしを握って見せた。
「はい。勉強は好きですし、きっと大丈夫です」
「そうじゃなくて。勉学について心配はしていないわ。レオポルド王太子殿下とうまくいっていないのでしょう?」
「……そこは、結婚したら変わると信じていますから、平気です」
無理やり口角を上げる。本当は全然平気なんかじゃない。きっとあのふたりは、私が王太子妃となっても関係を続けるだろう。公の場で私を蔑ろにするにきまっている。
それが一生続くのかと思うと、身体が冷たくなり、胸がじくじくと痛む。誰にも本音を言えず、ひたすら耐えるだけの日々を想像すると、鉛を飲み込んだように胸が重い。
貴族の娘に生まれたのだから、愛のある結婚なんてできないだろうと思っていた。だけれどせめて、お互いを尊敬し、尊重しあえる人と添い遂げたかった。
私の表情が曇ったせいか、ソーニャさんの眉が泣きそうに下がる。これ以上長居をしては涙が出てしまうかもしれない。
「では失礼します!」
だから明るく別れを告げ、ドアノブに手をかける。
でもそれは握られる前にこちらに向かって開かれた。ついでに黒い塊が、ドンと私にぶつかってくる。
「いや、そう考えるとマシルスの理論と相違が生じる。しかし魔法学の根底にあるのがコテウル理論であるから……」
「……」
黒い塊は、まるで私なんていないかのように横をすり抜け、入り口脇にある階段に足を乗せた。
誰かは知らないけれど、やっぱりいるんだな、ザ・魔術師というような世間離れした人。妙な関心を覚えつつぶつかった鼻の頭を撫でていると、ソーニャさんが「アダルバート様!」と名前を呼んだ。
「さっき出かけたばかりで、もう戻ってきたのですか。それから、レディにぶつかって無視は駄目ですよ?」
「レディ? どこにそんなものがいた?」
これは、私がレディでないと言っているのだろうか。それとも本当に私の存在に気づいていないのだろうか。
ソーニャさんが「ですから」と私を手のひらで指すと、彼は赤い瞳をこちら向けて、初めて私が居たことを認めたように瞬きをひとつした。どうやら後者だったようだ。
髪もシャツもトラウザーも全部真っ黒な男性が「ぶつかったか?」と首を傾げると、ソーニャさんはあからさまにため息を吐いた。
「アダルバート様、もう少し一般常識を身に着けられてはいかがでしょうか?」
「なぜだ。そんなもの知らなくても、俺はまったく困らない」
「周りが困るんです!」
ソーニャさんの抗議などどこ吹く風だとばかりに、アダルバート様の表情は変わらない。
彼の名前をもう一度頭の中で復唱した私は「あっ」と思わず声を発してしまう。
「もしかして、伝説の魔術師・アダルバート様ですか!」
魔法を使える人が少数のこの国で、筆頭魔術師と言われるのがアダルバート様だ。国内でも名家と言われるラインフット侯爵家の次男で、幼いときからその頭角を表し、魔法研究の第一人者と評されている。そしてかなりの変わり者だとも。
私の問いに、アダルバート様は眉根を寄せることで応えた。そしてすぐに私への興味を失せ、テーブルに置いたままだった魔法書に目線をやる。
「それを持っていくぞ」
「えっ、待ってください。私も必要なんです」
「俺のほうが必要だ」
「三冊同時に読めませんよね。私が読みたいのは赤い表紙の……」
「三冊ぐらい同時に読める」
どうやって? いや、きっと凡人には分からない方法があるのだろう。言い合うふたりに小さく頭を下げ、私は再び強い日差しの下へ飛び出した。
目を細め、手でひさしを作って空を見上げる。
この自由を謳歌できるのも、あと僅かだ。
次の日、いつものように王宮図書館に出勤した私だったけれど。
「あれ、ここに置いたはずなのに」
さっきから本をどかしたり、やりかけの修復本をパラパラ捲ったり、はたまた床に這いつくばったりして探しものをしている。いったい、どこにいったのだろう。
「……リアナ、何をしているんだ」
名前を呼ばれ四つん這いの姿勢で机の下から這い出ると、榛色の目を不審そうにさせ私を見下ろすオズモンド様がいた。手にはトレイがあり、どうやらハーブティーを持ってきてくれたらしい。
「それが、骨董品市で見つけた地図が見当たらないんです。このあたりに置いたはずなのですが」
月に一度、開催される骨董品市では、壺や食器だけでなく服や本、古い地図なんかも販売される。多数の人にはゴミのようであっても、そこに価値を見いだす人は一定数いるわけで、毎回賑わっている市だ。
先日、その市で五百年以上前の地図を見つけた。正式に五百年前と鑑定されたわけではない。あくまでも店主の自己申告なのだが、古びた紙とインクから五百年前の可能性は高いと判断し、購入したのだ。
オズモンド様にも見てもらい、おおよそそれぐらいの年代物だと言ってもらったので、私の鑑定眼もなかなかのものだろう。
特段地図に興味があったわけではない。ただ、その年代の書物を修復する機会は少なく、練習台にちょうどいいと思ったからだ。値段もお手頃だったし。
「あぁ、その地図なら、修復具合を見て欲しいと儂のところに持ってきただろう。まだ預かったままだ」
「あっ、そうでした。紙の修復が終えたので、確認していただこうとお願いしていました」
修復作業はまず紙から始める。
時代や作られた場所によって使用されている紙は異なるから、同じ紙が手に入れば、それを適切な大きさに切って修復箇所につぎはぎをしていく。
紙を単純に貼り合わせるのではなく、本とつぎはぎに使う紙の繊維を溶かし融合させて、もとから一枚の紙であったかのように修復するのだ。
顕微鏡を使うことも多く、神経を研ぎ澄ませながら進めなくてはいけない。また、使われている紙が現存しない場合は、材料を集め紙を作るところから始める。
紙の修復を終えると、今度は文字の修復に取りかかる。使われているインクの成分を調べ、同じものを使って掠れた文字を修復していく。
筆跡をまねるのはもちろん、経年劣化した他の文字から浮かないよう、インクの掠れや筆圧を調整する必要がある。
もちろん文字自体が破損したり、全く読めない場合もある。
その場合、単語の一文字が欠けているなど、欠損した文字が明らかな場合は修復するが、それ以外の場合はそのままにしておくのが決まりだ。勝手な推測による修復は禁止されている。
オズモンド様は自分の執務机に向かい、「このあたりに置いたはずなんだが」と探し始めてくれた。私はぐちゃぐちゃになった書類を整理しつつ、その背中に声をかける。
「趣味でしていたものですから、急ぎません。見つかったら声をかけてください」
「いやいや、リアナがここにいるのはあと一ヶ月だからな。その間に文字の修復もやりたいだろう」
五百年前の地図の修復に成功してスキルアップしても、もうその技術を使う機会はない。だから急ぐ必要なんてないのに、オズモンド様は地図を探す手を止めない。
ソーニャさんといい、オズモンド様といい、こういう人たちとずっと一緒に仕事をしていたかった。
オズモンド様の曲げた背中が涙でじわりと歪む。
しんみりとしていると、そんな私の心中にふさわしくない荒々しい足音が扉の向こうから近づいてきた。
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