古代魔法書の修復.1
アダルバート様の餌付けに成功して数日後。私は緊張した面持ちで溶液の中から繊維を取り出した。
「それが古代魔法書に使われていた紙の繊維か」
「はい」
「それを顕微鏡で観察するんだね?」
アダルバート様と私の会話に、可愛らしい声が加わる。
声の主は緑色の瞳をきらきらさせて、繊維片を乗せたプレートを覗き込んできた。背伸びをする姿が可愛らしいのだけれど、転ばないかと心配になってしまう。
「ハースタント殿下、踏み台をお持ちいたしましょうか?」
「大丈夫だ! ねえ、僕も顕微鏡を見てもいい?」
なぜか王宮図書館奥にある修復室に、第二王子であるハースタント殿下がいる。
今月から貴族学園に入学したハースタント殿下は、入学と同時に行われる検査で魔術師の素質があることが分かった。
魔力が多く、魔石を使わずに少量だけれど水を発生させたのだ。
魔力をコントロールして魔法が操れるようになるのは十歳以降だと言われていて、ハースタント殿下のように貴族学園入学時の検査で分かる場合も多い。
魔力量も充分なことから、ハースタント殿下は学園終了後、魔術師のいる塔へ足を運ばれるようになった。
そうして奇怪なことに、あのアダルバート様に憧れてしまった。
アダルバート様がどこへ行くにもちょこちょこと後ろをついていき、健気にも特性栄養バーを食べようとしたらしい。もちろん、ソーニャさんたちが全力で止めたそうだ。アダルバート様を「僕の師匠だ」と慕い、髪型まで真似しようとしている。
どうやったらアダルバート様への推し活を辞めさせることができるのだろう。可愛い子を不毛な地へは送れない。
そんなことを考えながら、顕微鏡のピントを合わせる。三本の繊維がねじれたように絡みあい、繊維自体に産毛のようなものがびっしり生えていた。
「ハースタント殿下、ご覧になってください」
席を譲ると、ハースタント殿下は待っていましたとばかりに腰をかけた。でも、すぐに目の位置が顕微鏡の高さと合わないことに気がついて、椅子の上で膝立ちになる。
「これが紙の繊維か」
「はい。紙には、動物の皮を使ったものと、植物から作ったものがあります。後者の繊維を調べると、どの植物から作った紙かが分かるのです」
椅子から転げ落ちないか気にかけながら、修復室の壁際にある棚へ行き、分厚い資料集をよいしょと取り出す。それを部屋の中央にある作業台に置いた。
特徴のある繊維だったので植物には心当たりがある。パラパラとページを捲って、すぐに目当ての植物について書かれたページを見つけた。
「この植物か?」
アダルバート様が前の席に座る。私は本を回転させ、アダルバート様から見やすいように置いた。
「カルタミアという植物です。高さ一メートルほどの低木で、秋に赤く小さな花を咲かせます。使うのは枝や幹ですね」
資料集は、代々この修復室で受け継がれているものだ。
今まで観察した繊維の絵と、その植物の絵が手書きで左側に描かれ、右側には繊維を取り出すまでにかかった時間や特徴など実験方法について説明がされている。
「実験方法について詳しく書かれているが、カルタミアという植物についての記述は少ないな」
「名前さえ分かってしまえば、問題ありません。ここは王宮図書館ですから、あらゆる植物の図鑑が揃っています」
ちょっと待ってくださいと断って、私は修復室を出た。扉の横にいるハースタント殿下の護衛に軽く頭を下げ、図書館へ向かう。王族専門の護衛騎士は制服が違うから分かりやすい。
目当ての植物図鑑をすぐに見つけ戻ってくると、ハースタント殿下はアダルバート様の隣に座って資料集を覗き込んでいた。
その向かいに腰を降ろしながら、手にしていた植物図鑑を広げる。
「これです。五百年前、この国の南側にある領地を中心に生息していた植物ですね」
「この魔法書が作られた時期と一致するな」
「はい。しかし近年、南部で焼き畑農業が盛んになったことで数が減少しています。今では、この山中にあるのではないかと噂されるぐらいで、確証はありません」
植物図鑑に描かれた国の略図の南側が赤で囲われていた。それが当時の生息地だ。赤丸内にある山のひとつに、赤い矢印が入っている。
「では今は、矢印で指された山にしかないのか」
うーんと唸り声をあげながら、アダルバート様が頬杖を突く。隣にハースタント殿下がいると言うのに、不遜な態度は相変わらずだ。
ハースタント殿下が、少し身を乗り出す。
「アダルバート、ここへ行くのか? それなら近くに別荘があるから使うといい」
そこから少し離れた街を、小さな指が差した。なんたる大盤振る舞い。だけれど王族が使う別荘を伯爵令嬢の私が使っていいのだろうか。
純粋な申し出をどう断ろうかと考えていると、アダルバート様が「必要ございません」と躊躇なく口にした。
言い方こそ丁寧だったが、そこまでばっさり切り捨てなくてもいいのではないだろうか。ここは私がフォローしなくてはと、ハースタント殿下に視線を向けると、意外なことにハースタント殿下はけろっとしていた。
「そうか、ではもし必要となったら言ってくれ」
これはきっと、アダルバート様が無礼なだけで悪意はないと分かっておられるご様子。まだ小さいのに、なかなか人を見る目があると感心していると、徐にアダルバート様が立ち上がった。
「では行くぞ」
「はい?」
手を差しだされ、反射的に重ねる。すると次の瞬間、修復室がぐわんと歪んだ。
絵の具を水に落として掻き混ぜたように、いろんな色が筋になって渦を作る。視界がぐるぐる回り吐き気がして堪らず瞼を閉じると、今度は身体が上下左右に動いて、その浮遊感に胃がせり上がってきた。




