蛇足:夫の介護を避けたいと思った理由(スルー推奨)画像あり
先のページで、私は夫婦の介護問題が生じる前に、こっちの世界に私だけが転移出来て良かったと書いた。
話としてはそれで、さらっと流してもよかったのだが、
そんなに 私が夫を嫌っていたのかなどと、変に誤解されるといやなので ちょっとだけ補足します。
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大脳の発達と老化の観点から
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・脳の全体像に関しては、私の大学時代には おおよそのことが分かっていました。
その当時、すでに 人間の縦断的研究(ある一定数の赤ん坊を産まれてから毎月 毎年観察・診断記録をつけて分析研究する)ですでに20代~30代くらいまでの子供の発達の過程がわかっていました。
お向かいの国では、
人の頭に電極を差し込んだり、人の脳の一部切除という野蛮な手法による脳の研究のあとに、
観察・評価による縦断的研究、各種統計手法を活用した横断的発達研究が大規模に始まったのです。
・そして 私がこちらに転移してきたころには、人の脳の変化(発達と老化)については、おおよそ50代・60代くらいまで、縦断的研究が進んでいたと思われます。
・その結果、大脳生理学で出された知見のごく一部、すなわち教育・福祉で、『支援や介護が必要な人」にかかわってきた人の観察と分析的知見と合致する部分だけを抜き出すと (と言っても 私の薄れかけた記憶を基にした話なので間違っていたらごめんなさい)
①大脳は、各部位それぞれに 特定の機能を持つ。
②各部位に蓄えられた情報が、神経伝達網を伝わって、目的を持った行動や意味ある活動(俗にいう思考や理解)につながる
③脳全体の働きをまとめて より高度な知的活動につなげてるのが前頭葉
大脳のイメージ図 (図の下側黄色の部分は小脳)
㋐聴覚は胎児の頃から、視覚は出生直後から発達を始める
さらに 「ハイハイ・歩くと言った大きな動き」から やがて「手先の動き、その他細やかな身体活動」へと動作の学習が進む。
それゆえ、絵本の読み聞かせは0歳から 発達に合わせて絵本の種類を選ぶ、
人間の基本的な動き(つかむ・歩行)の発達促進のための「赤ちゃん体操」は首が座り始めた頃から、親子のスキンシップの一つとして導入されるが、楽器の演奏やスケート・ボール遊びと言った身体機能を高めるお稽古事は だいたい3歳前後ごろから習い始める、といった社会的風潮は理にかなっていると言える
ちなみに 胎教として胎児に音楽を聞かせることの効果は不明だが、
両親・家族の声に新生児が反応しやすいことから、おそらく母の胎内にいる時に耳にした人の声については、ある程度「聞きなじんでいるのではないか」という仮説はある。
㋑海馬を含む大脳辺縁系は、認知、情動発現、および記憶形成のすべての過程に関与している。
それゆえ、私が学生時代、この大脳辺縁系を賦活さえようと、「抱っこ・揺りかご・なでる」などの接触が奨励されていた。
スキンシップにより その子の情緒が安定したり、他者の存在に親しみを持てるようになればそれはそれでいいけど・・
過大な期待を抱くほどでもないような、ごく自然な情愛のこもったコミュニケーションの一環のような気がしないでもない。
㋒私が学生時代、「学習障碍児」と言えば クラムジーチャイルド(俗にいう不器用な子)を中心に、学習機能の一部の発達に遅れがある子を指していた。 おそらくは 頭頂葉を中心とした大脳の一部や大脳辺縁系の一部の発達の乱れのある子のことだったのではないかと思う。
この子供達の脳をまんべんなく賦活させるために、フロスティグなどによる促進学習プログラムが主として幼稚園児、場合によっては、6・7歳の子供に適応された。
このプログラムは 的確に使えば非常に効果的であったが、残念ながら私の出身国では そのプログラムを使いこなせる人が、現場にほとんどいなかった。
このプログラムを適切に使えば約半年で、クラス担任を悩ます子供達(=できそうなのにできない子)の問題が一気に解決できたのに、非常に残念なことである。
(私は 小学生に対しては、その子が自分が努力してもできないポイントに対して その子が実践可能な別の手法でアプローチすることを 約90分の面談で本人に伝え、真摯に指導する気構えのある担任にも子供に話した内容を説明して、おおむねそれが子供自身の学習成果につながっていた。
知力に問題がない子の場合、自分が学習場面のどの点に関しては、どれだけ努力しても成果が上がらなかったという現実を しっかりと自覚しているのである。
こちらは それが「学習過程のどこにひっかかっているのか」を見極め そこを迂回したり、その弱点部分を攻略する方法を、言い換えるなら「その子の特性に応じた学習方法を本人が使いやすい形で」伝えるだけで 課題の解決につながった、
(当然 一人一人に会った学習方法=対処法を、組み立てて提示しなければいけないが)
その視点を指導者に体験的に学ばせる手法としても フロスティグの発達促進法は きわめて実践的効果があると私は評価している。というか 私は そういう視点を フロスティグのプログラムを通して学んだ。
(大学の教官の言っていることは 言葉の羅列がメインでよくわからなかったが(笑)
あの教官は技法と理論を紹介するばっかりで、実地の子供への指導力がどれだけあったのだろうか?? と今にして思う。受講生に対してはめちゃカリスマ性はあったけど・・
当時は新しい技法を紹介すれば、それにくいついて 実践的研究を深めようとする教師がまだまだ居た時代だからねぇ。大学の教官は 宣伝力があれば務まる時代でもあったのかもしれない)
㋓一方、人間が社会の一員として生きていくうえで必要なあらゆることに関する事柄にかかわってくるのが、前頭葉である。
この前頭葉は、脳の各部位の発達のバランスをとる役割と言っても過言ではないと私は考えている。(専門家は とかく小難しいことを言うけれど)
この前頭葉の発達は 非常にゆっくりしている、
それは 脳の各部位の発達のバランスをとる役目をしているから必然の結果ともいえる。
それゆえ 心理学的に「青年期の終わり」とみなされる25歳から昨今では35歳あたりまで、いやいや天才的ともいわれる「能全体の活用=発達促進」を自ら行っている人の場合は、生涯にわたって発達を続けるのが前頭葉であるという研究者もいる。
「支援学級」という制度が発足してから、いつのまにやら、教室で教師が扱いにくい子、かつて「情緒に課題あり」とされていた子らが、「学習障害・要支援」の範疇に繰り込まれてしまった。
やれアスペルガーだ、自閉症だ、学習障害だ、薬を飲ませようetc
世の中には 興味の範疇が狭かったり、情動によってつい体動いてしまったり、一点集中型の俗にいう「気が利かない・気の回らない」そういう子は普通にいる。
この子達の大半は 「そういうタイプの子だねぇ」と 辛抱強くその子にあったかかわりを周囲の大人達が教育的配慮の伴う指導を根気よく続けてていけば、前頭葉が十分に発達する青年期の終わり(20代後半から30代の前半)には、社会人として 特に違和感なく仕事のできる人間に育つ。
(=それは ご本人が 意識して そういう社会的行動をとることができるようになるという意味で。
だから 気を抜いたときには もともとの地金が出やすくなるが
その地金も社会的逸脱ではなく 「個性だね」と周囲があきらめを持って許容する範囲に収まる)
逆に そういう正しい意味での特別指導(それは 親と教師の忍耐によって支えらえるのだが)を行わず、
「個性の尊重」という美名を掲げて、その子への細やかな注意(=指導)をせずにほっておくと、
どんどん その子どもは逸脱していき、不良になったり、逆に本人が「生きづらさ」を感じて情緒的に拗らせひどい場合には神経症タイプに、あるいは ゆっくりと精神疾患(いわゆる人格障害から 分裂病タイプ)へと移行していくケースもでてくる。
何でもかんでも「xx」という診断名をつけて 児童生徒を「特別支援学級」に入れて、触らぬ神に祟りなしとばかりに「ハイ終わり」にしてしまう 昨今の学校運営・教育行政に、私は あらゆる角度から反対の立場をとるに至った。
(なぜ その子に対する指導実践に役立てるために、
幾通りもある指導法の中から、対象児童に適応できる指導法が一つしかないような 学習に関する間口の狭い子供のために、
その子にピッタリの指導法を的確に短時間に見つけ出すことにより、その子の学習意欲とその子の生活時間を無駄にしない指導実践を行うために開発された「検査法」を使って、
単純に学級担任がその子を受け持つのが嫌だからという本音を正当化するための、
その子をラベリングして「支援対象」として学級という学びの場から放り出すための手段として、
あたかもそれが 「適正」(実は追放を絶対化するための)手段として 「検査」を流用してラベルをつけることのみに終始するのか?
検査結果を基にした保護者との面談によって子供の所属を決めると言いながら
実態は 検査結果を振りかざして保護者を押し切っているのが現実。
そして 頑固にそれに同意しない親というのは たいてい 宗教かイデオロギーにかぶれているから
実質的にクレイマー予備軍を校内に発生させ、その子のクラスメートたちに不当な「我慢」を強いる結果になっているのである。
許しがたい!
予算確保のため 加配教員を得る手段の為に、「支援学級」と「適正就学委員会」を悪用するな! と言いたい。
これは
・検査キッドを売りたい出版社
・検査法を次々と更新することで名声と収入(印税と講習会参加費の徴収)を維持したい教授連中
・マスごみの批判と親の願望にふりまわされて、あらゆる決定に対する責任を負いたいない教育行政
・無能なデモしか教師集団
・処方箋を売りたい医者
・診断名のついた子供や大人を受け入れることにより福祉予算を受け取りたい業界、
が結託した結果なのだろうけど。
(本来「発達研究」のために使用する検査法を、教育実践の場に持ち込むことそのものがおかしいのだが><
そういう根源的な疑問・批判を受け付けない大学もおかしいのよねー。
臨床心理士とか学校カウンセラーと言った認定資格にも ふかーくふかーく出版社が絡んでいるから、資格制度をつくるたびに、関連業界の皆様と大学経営者がウハウハになるのよ><)
注)検査法というのは、「研究目的」「スクリーニング(対象者のふるい分け(選別)のため」「対象者にとって最も効果のある 治療や学習指導や支援活動方法を選択するため」と 目的ごとに
異なる設計を成されているのである。
私が 適正就学指導現場で使われている検査法、これは臨床心理士たちが検査法そのものの分析すら間違えていることが多いのだが(某施設で 評価点を出すための諸表をまちがえたまま数年使用されていた事例を私は体験した、その施設の方が出したデータ分析に疑問を抱いて、諸表を使わず自分で計算して、諸表の誤りを出版社に指摘したら、それは 誤記訂正表を数年前にだしたのに その施設ではその訂正表をなくして 誤った記述の諸表を使用しているだけだったというオチがついた)、そのような初歩的、あってはならないミスは論外として、なぜ その検査法を適正就学指導で用いるのか?その理由として
新しい検査法を担当者が講習で受けてきたから、という理由がまかり取っていた現実><
「検査法」の何たるかを理解していない人間が 「検査」して判定を下す理不尽さ!
◇
・話を元に戻すと、大脳生理学と人間の発達研究という基本に立ち返ると、
①脳血管障害で 大脳の一部が損傷することによって発生する 失語症。
今やウェルニッケ失語症・ブローカー野失語症と、細かく分類されている
②脳の神経細胞の減少により起きるアルツハイマー型認知症
③前頭側頭型認知症
④前頭葉の働きが弱まることにより、対人関係に問題が生じやすくなる老人
と言った具合に 能のどの部分の機能障害の結果かによって、加齢に伴う「呆け」と昔は言われていた事柄も 細かく分類されるに至った。
・そして「呆ける」まで行かずとも、前頭葉というのは、発達するのもゆっくりだけど、
老化(加齢に伴う機能低下)も早く始まるらしくって、
子供の頃、前頭葉の働きが十分でなく、いろいろとコミュニケーション面で
他者を悩ませていた子供というのは、
どうも、お年寄りになった時に、再度 昔のコミュニケーション上の課題が表に出てくるようなのです。
(老人ホーム入居者の過去歴の分析や、介護問題で悩む家族からの相談事例等からの考察)
専門家は 前頭葉の働きの低下に着目して、その結果として対人関係の障害を上げますが、
教育学的視点で 人の成長と老化をみていると、
前述の仮説が、当たらずとも遠からずにあたるのではないかと私は思っています。
・そういう観点でいうと、
私は 産まれてこの方半世紀近く 人間関係で苦労してきたので
当然情緒的にも傷ついたことも多く、その感情を押し殺して生きていたので
前頭葉の働きが低下したときには、前頭葉の働きによる抑制力が衰えて、
「おこりっぽくて 猜疑心や 不安の強い」嫌なボケ方をするのではないかと自分のことを思っていました。
(これは 老人介護で苦労した年配女性(昔のお嫁さんたち)も よくそんなことを言ってましたが、
私も 歳をとるにつれ、そうかもしれないと思うようになったのです)
一方の夫は、「自己中・視野の狭い・典型的マイペース男」
はっきりって、「特別支援対象」そのものの性格、
(夫のコピーのような行動特性を持った息子を見ていても本当にそう思う。
なまじ夫は数字の記憶力が高く、夫の両親は子供の学力にしか興味がない人達で、
私の息子は数の記憶だけでなく知能全般が私同様に高かったので、
二人とも知力で学校生活を乗り切り、理性(前頭葉の働き)で 普通に社会生活を送っていますが、
私や 息子の兄弟からすると、家族としては 一緒にくらしていて、しんどいと感じる面は多々ありました。
もちろん 私が 社会的な規範・倫理・他者への気遣いという点について 息子には徹底的に 繰り返し繰り返し伝え続けましたので、息子に関しては 今は問題ナッシングですが。
(夫からは 細かすぎると横やりを入れられながらも)
「保育士(教師)生活ウン十年にしてこんな子初めて」とさんざん担任達から愚痴られながらも
「かわいいところもあるかならねぇ」と「時々表に出る突飛さや"年齢の割には幼いを行動」を受け入れてくださった保育士さん達、
そして 学校時代は、「どうか根気よく注意をしてやってください。他の子の100倍くらい繰り返して注意しなければ身につかないけれど、1年単位で見れば 社会性が育ってますから。この子が接する大人全員で注意をし続けなければ、「気にする方(注意する人)の方が悪いから付き合わない」という自己解釈して、誤った方に進んでしまうので、どうか あきらめずに ほかの子なら許されない社会的常識からこの子が外れた行動をした時には その都度細かく注意してください。その場で矯正しようとするのではなく、その場で注意(=制止のことばかけ)だけをその都度お願いします」とお願いし続けて学校生活を過ごし、普通学級から帝大に進学した息子。
(一応 先生に注意されれば その場でおとなしく注意を受け入れ行動をあらためるようには小学校入学までにしつけておきましたから。
その分 家に帰ってから、毎日のように「学校で こんなん言われた」と文句を言い倒し、
「それは先生の言っていることが正しい」と私はさとし、息子は不機嫌さを私にぶつけ、
「不満は不満として行動を改めるのが君の課題だ(規範を学習して身に着けるのも勉強のうち)」と私は諭す、の毎日でしたが。
まあ 理屈っぽく「なんで守らなあかんねん」と絡んでくることについて、一つ一つ論理的に説明して、その規範の必要性を伝えることがどれだけ大変で疲れることだったことか><
長男は敏な子で 数学年上の知識を説明させられることが多くて大変でしたけどw
(子供の社会的経験や情緒的発達を見極めながら、その場で どこまでの知識を与えるかの判断が大変だった)
次男の視野の狭さを広げるために「規範を守ることの必要性&他者を気遣う必要性&まんべんなく学習することの必要性」を説き続けることは ひたすら忍の一字でありました。
なにしろ思春期の反抗期には、感情的になった教師から執拗な暴言を浴びせられ続けて、とうとう不登校宣言までした息子。
一方私のほうも 毎日のように電話で執拗に絡んでくるその担任に「お前告げ口しているこどもか」と感じてうんざりしましたけど、
翌年の担任交代まで忍の一次でしたね。親子ともに。
もちろん不登校は許さなかった私w 理不尽な相手をスルーすることも 社会人になるための学習事項と息子に教えましたけど><
とにかく担任の前でふてくされた表情を見せて相手を苛ただせるなと、それは学級のほかの子に対して迷惑な結果を及ぼすからと 我が子に教えることに どんだけ苦労したか><
そもそも 息子が担任を馬鹿にする表情を見せたのは、その担任がクラスのほかの子をいじめているのを見て腹が立ったから、というのが始まりだったようですが。(これはその学級の子らからの証言もあり)
不満をあらわすのに そういう非生産的方法をとって、クラス全体に迷惑をかけてるじゃないかと指摘したら、滅茶苦茶 家で不機嫌を態度で表していた息子。
それでも 学校で担任に「ふくれっ面を見せて結果的に相手を煽る行為」を自粛するようになったので ┐(´д`)┌ヤレヤレでした。 あいかわらず 担任は 言いがかりをつけに来ていたようですが><
そういう 一人できの悪い担任もいましたが、ほかの元担任達は、学年末になると、成長した息子の姿を見て「この1年でほんと立派になって ゆっくりでも確実に成長を続けてくれて、びっくりした」と皆さん満足してくれましたけど・・
そして 私はひたすら担任に感謝の念を述べました。
だって 学級活動の中で一人の子に注意を続けることの大変さというか面倒さもわかるから。
「またお前か」と怒鳴ったり叱りつけたり嫌味で攻め立てるのではなく、一言制止のことばがけをかけるだけって、教師としてそれなりに 感情を抑制して平静さを保つ訓練をされてないとできないことだもの。
その陰で母と兄弟たちはどれだけ苦労したことか><;
やはり特異な兄弟がいると子らも学校でほかの子に対して気を使うものねー)
◇
だから 私が先にボケたら、夫は私を見捨てるか 下手したらネグレクト虐待に走るだろうと私は感じていますし、
夫の前頭葉の働きが低下したら、私の方が これ以上はフォローできないと、逃げます。
フォローし続けるだけの精神力が枯渇しかかっていたので。
だから 相手が好きとか嫌いとかの観点ではなく
歳老いて私の精神力が弱まったら 夫のフォローができないから、
介護問題が生じる前に 私が異世界転移という形で夫婦生活から離脱できてよかった
&
本質的に自己中な夫の性格を知っているから 私がボケたら、夫から虐待される未来しか浮かばない
という点で 介護問題が生じたら、二人の同居は不可能どころか無理という将来像しか浮かばなかったのです。
以上
画像出典
https://theotol.soudan-e65.com/article/214 より抜粋加工
参考
「大脳辺縁系」については、
https://www.akira3132.info/limbic_system.html#%E5%89%8D%E5%B8%AF%E7%8A%B6%E7%9A%AE%E8%B3%AA
の図と説明が分かりやすいかと思います




