第4話
顔に感じる冷気で目を覚ました。モグラに朝の挨拶がてら外を見てみると、ちらちらと白い雪片が降っていた。地上は既にうっすらと白みがかっている。この寒い中一晩中部屋の外でじっとしていたというのに、モグラはケロリとして、
「あ、起きたの」
などと言った。正記も若干の申し訳なさを感じながら
「おはようございます……」
と返事をした。
「うん、おはようございます。夜は何も来なかったみたい。今日はどうする?」
「どうするも何も、病院ですよ。開くまでにすぐ行かないと」
モグラを部屋に入れた正記は、スライスチーズを乗せたトーストと紅茶をキッチンから運んできて、ローテーブルに乗せた。昨日のように匙や箸を使う食事ではなかったからか、モグラは特に戸惑うことなくトーストにかぶりついた。
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでしたー」
ほぼ同時に食べ終わった正記にならうように、モグラも手を合わせる。
それからは正記の言った通り、2人で近くにある大学病院へと向かった。何かモグラの記憶を取り戻す足がかりにならないかと期待していた正記だったが、異常は見当たらず、経過観察とのことだった。当然のごとくモグラは保険証を持っていなかったので、正記が全額支払うことになったのだが、普通の方法ではどうしようもないということが分かっただけでも収穫だと思うことにしよう。当てはもう1つある。
「何してるの?」
家に帰ってきて、おもむろに拳銃の弾数を確認しだした正記にモグラは尋ねた。
「あの亀裂を探しに行きます。モグラさんにも手伝っていただけると助かるんですが……」
そう、当てというのはあの怪物が現れた奇妙な亀裂のことだ。怪物はモグラを狙ってどこかに連れて行こうとしていたように見えた。もしモグラが亀裂の向こう側から来たのなら、道路を割って出てきたのも、地中に亀裂が発生したと考えた方が自然だ。つまり、あの亀裂を通ってどこに繋がっているのかを知ることができれば、モグラの記憶の手がかりが見つかるかもしれない。
残り弾数は2つ。予備の弾はモグラのトランクに入っているとは思うが、万が一あの怪物が複数で襲ってきた時に1人で対応できるかは不安なところだ。それに、モグラを家に置いておいて、また怪物が来たら今度こそさらわれるかもしれない。それを避けるためにも、モグラにはついてきてもらった方が安全だと思う。
正記の心中を知ってか知らずか、モグラは頷きながら、
「なるほど、分かった。どこで探す?」
「えーっと……」
考えていなかった。昨日2度も出くわしていたものだから、出歩いていれば見つかるものと思っていた。冷静に考えれば、あんな非現実的な現れ方をするものが簡単に見つかるとは思えない。
「どうしようかな……ひとまず外出ますか。昼はどっかで適当に食べましょう」
とりあえず人気のない場所あたりを歩いていれば出てくるとは思う。モグラの誘拐が目的なら相手も派手な行動は控えるはずだ。命の恩人をエサにするような真似は心が痛むが、モグラのためでもあると信じてやってみるしかない。
そう考えてモグラと家を出たのはいいものの、近所の建物の裏や田んぼのあぜ道を2時間以上うろついても一向に出てこない。一体何が問題なのだ。昼間なのがいけないとでも言うのかと誰かに問いただしたい気分になった正記ではあったが、その問い詰める相手もいない状況ではモグラに
「ありませんねえ」
と話しかけるのが精一杯だった。モグラは散歩でも楽しんでいるかのような呑気さで
「ないねえ」
と返した。ないねえではないだろという言葉が喉元までせり上がってきたが、自分の都合に付き合わせているのは確かなのでぐっと堪えて、
「場所変えますか。もっと町と離れた所なら……」
「わかった」
2人は雪に薄く覆われたあぜ道を引き返し、正記の目指す場所へと向かった。
「こ、ここなら……」
「ずっと登ってたけど大丈夫?息切れてるよ」
謎の亀裂を求めて歩く2人は、町外れの山にも足を運んだ。ここは中腹あたりだが、雪は地上よりも心なしか多く、かなり寒い。それに加えて、あまり人の手で整備がなされていないため、足場も悪く歩きづらい。部活が運動部だったこともあり、体力には自信があった方だが、やはり引退して期間があいていることもあるのだろうか、妙に疲れた。それにひきかえモグラは、武器だの道具だのがこれでもかと入ったトランクを片手に携えているにも関わらず息一つ乱れていない。
「大丈夫です……というか、道中でも見つかりませんでしたね、あれ」
「なかったよね。昨日はあんなに開いてたのになあ」
「手分けして……というのは危ないですよね、色々。まあまた歩きますか」
「あ、そっちは気をつけて……」
1歩足を進めた瞬間、正記を強烈な目眩が襲った。足がもつれて考えてもない方向に進む。地面を踏むはずの足が空を切った――崖だ。
「正記くん!」
モグラが手を伸ばして正記を掴もうとする。しかしわずかに届かない。正記は急斜面を転がるように落ちていった。
全てが一瞬で起こったような感覚だった。正記はまず全身への衝撃で我に返った。
「いたたたた……」
上半身を起こしながら上を見上げる。随分下まで落ちてしまったようだ。斜面は枝や石が至る所から突き出ていて、登るのは難しくないように見える。早くモグラの所へ戻らなければと立ち上がろうとした瞬間、右足に鋭い痛みが走った。
「いっ……!」
落ちる途中で捻ったのか、まだ目に見えて分かるわけではないが怪我をしてしまったようだ。まずいことになった。これでは満足に歩けもしない。どうにかできないかと辺りを見回そうとしたその時、
「……」
あの亀裂があった。それも、這って移動できるほど近くに。
「……これは……」
どうするべきなのだろう。怪我を負っている体で怪物の巣に繋がっているかもしれない場所に行くのはあまりにも危険ではないか。しかし、もしモグラがここに来て怪我を見たら、亀裂なんてそっちのけで家に連れていかれるのは間違いない。そうしたら母の手がかりは――
正記は少しだけ考え込んで、やがて顔を上げると、カバンの中に手を入れて拳銃を握りしめ、亀裂の方へと進んでいった。




