第3話
「わあすごい。これって……」
「余り物で作っただけなんですけど、オムライスです。あとサラダと汁物持ってきますね」
ローテーブルに2人分のオムライスの皿を置いた正記は言った。余り物で作ったとはいえ、なかなかの完成度ではないかと心の中で自賛する。そういえば、この人は食べられないものとかないんだろうか。作る前に聞いておけばよかったかもしれない。
だが、そんな心配は杞憂だったようで、まじまじとオムライスを見つめていた男は、
「なんか申し訳ないなあ。私も手伝えばよかったね」
「そんなことないですって。さっきのお礼と思ってください。」
サラダと味噌汁(洋食に味噌汁はいかがなものかとは思ったが、コンソメが切れていたのだ。仕方ない)、箸などを持ってきた正記は、先程と同じところに座って手を合わせた。
「いただきまーす」
「……いただきまーす」
それを見た男も、真似するように呟く。そしてスプーンを持って、ぎこちなくオムライスを掬った。
「おいしいね」
「ありがとうございます。お口に合ったんなら良かったです」
そう言いながら、正記はこっそりオムライスを食べる男を観察していた。やはり見た目は黒いスーツを来た普通の成人男性といった風だ。黒曜石とでも形容するべきなのだろうか、瞳は異様に黒く感じるが、いっそ呑気なほど温和な表情で中和されている。外見だけで言えば完全にどこにでもいるサラリーマンだ。こうしていると人間としか思えないが――
「ううん」
ふいに男が箸を持って固まった。持つといっても使うため持ったという感じではなく、両手で1本ずつ拾って考え込んでいるようだ。
「……あ、箸だとサラダ食べにくいですよね。フォーク持ってきます」
正記はそう言って、急ぎ足でキッチンまで戻った。
棚の引き出しからフォークを取り出しながら反省する。そうだ、記憶喪失だって言っていたじゃないか。何を忘れているかくらい察さないと。
「どうぞ」
「あー、ありがとう」
箸をいじくり回していた男は、フォークを受け取ってそう言った。形状的にもフォークの使い方はなんとなく察したらしく、先端をレタスに突き立てて食べ始めた。
しばらく無言の時間が続く。男がつけたテレビの話し声と、匙が食器に当たる音だけが響く。そうしている内に、男がスプーンを置いて満足げに言った。
「おいしかった〜。ありがとうございました!」
「どうも。お皿とかはそっちに置いてもらえればいいんで」
正記はそう言って、キッチンの方を指さす。というか食べるの早いな。よっぽどお腹が空いていたのだろうか。
男よりも遅くはあったが、正記も食べ終えて手を合わせた。2人して皿類をキッチンに運ぶ。
「あのー、そういえば今日泊まられますよね?父の布団があるんで1日くらいなら……」
「えっ、本当にいいの?ダメ元で言ってみただけだったんだけど」
「本当に1日だけならって話ですよ!明日になったらとりあえず病院行ってみてください。記憶障害なら多分脳外科とか……」
「優しいなあ、えーっと……ごめん、名前聞いてなかったっけ」
「あ、正記です。そういえば呼び方の話なんですけど、」
モグラさん、とかどうですかね。と、正記は心なし小さな声で言った。
「モグラサン?」
「ああ、あの、モグラっていうのは土の中で生きてる動物なんですけど、その、地面割って出てきたのがモグラっぽいなと思って……」
流石に動物の名前なんて失礼だと思われるだろうか、と不安になったが、男は頷いて、
「なるほど、すごくいいと思う。響きが可愛いね。」
「じゃあ、モグラさんで……」
名前が決まったことが嬉しいのか、男はニマニマしながら再び頷いた。
と、突然男は表情を変え、辺りをうかがうように見回した。
「どうかしました?」
「何か聞こえる」
「何か……?」
正記も耳を澄ましてみる。何も聞こえないじゃないかと思った矢先、耳が微かに音を拾い始めた。それはどんどん大きくなり、正記にもその音の正体が判別出来るようになった。
――羽音だ。
「モグラさん、これ――」
「正記くんは中にいて」
モグラはそう言い残し、窓に近づいてカーテンを開けた。
正記が怪物を視認したのと、怪物が窓に突撃したのはほぼ同時だった。ベランダの柵が邪魔だったのかそこまでの威力は出なかったようだが、それでも窓は割れそうなほど軋む。
それは間違いなく先刻正記たちを襲った羽虫の怪物だった。拳銃で吹き飛ばしたはずの翅は、元通り怪物の背に生えている。別の個体か、あるいは生え変わりでもしたのか。いずれにせよ、モグラが自由に動けるように自分は隠れていたほうがいいかもしれない。正記はキッチンの突き当たりに逃げ込んだ。
モグラは窓を開け放ち、ベランダに張り付く怪物に手を伸ばした。あの正体不明の亀裂がどこかにあるのだろうか、モグラは怪物をどこかに投げ捨てようとしている風だった。
しかし、じっとしている怪物ではない。翅を羽ばたかせ、モグラの手の届かない場所まで飛翔する。その行為で巻き起こる強風はさっきと同じで、カーテンは狂ったようにはためき、積まれていた食器までもがカチャカチャと音を立てた。
「……!?」
次の瞬間、怪物は突如モグラに掴みかかった。鋭利な鉤爪がモグラのスーツを捕らえ、そのまま諸共に飛ぼうとしているように見えた。モグラも柵を掴んで抵抗するが、やはり片手だけではどうにも振り払えないようだ。
「モグラさん!」
正記がキッチンから飛び出した。テーブルの隅に置いてあった拳銃を取り、弾を取り出して手のひらに包む。目の前で命の恩人がさらわれそうになっている。何をしてもいいから助けたい。無我夢中で祈りを込めた。
「……よし!」
握りしめていた弾を再び装填し、怪物の脚に狙いを定める。翅よりは的が小さいといっても、鉄骨くらいの太さはある。強風に耐えながら、正記は思い切って引き金を引いた。
怪物が甲高い声を上げ、モグラを手放した。モグラは間髪入れず体勢を立て直すと、脚を1本失くした怪物を掴んで放り投げた。
1拍おいて、風が止んだ。おそらく先程と同じで、怪物はあの謎の亀裂に帰っていったのだろう。
しばらく呆然としていた正記だったが、やがてハッとしてモグラに駆け寄った。
モグラはベランダに立ち尽くして、あの亀裂があったのであろう空を見つめていた。また怪物が現れたならすぐにでも叩き返してやろうという気概が伝わってくるようだった。
「大丈夫ですか……?」
正記が遠慮がちに話しかけると、モグラは空から目を話して振り返った。
「うん、平気……っていうのは体の方だけどね。捕まりそうになったのはちょっと焦ったなあ」
「あれ、やっぱりどこかに連れていこうとしてましたよね……あれについても覚えてはないんですよね」
「そうなんだよね。私何かしたのかなあ」
そう言ったきりモグラは考え込んでしまった。正記もたった今の出来事について考えようとし、なぜか母の夢を思い出していた。母は夢の中でこの拳銃を自分から取り上げていた。夕飯の前にモグラに言ったとおり憶測の域を出ないが、この拳銃は母の所有物だと考えられる。モグラが持っていたトランクの中身もそうかもしれない。自分が拳銃の使い方を知っていたのは、母に教えられたか、使っているところを見たことがあるかのどちらかだろう。
モグラが母の持ち物を持っているということは、少なからず母と接点を持っているということだ。拾ったか盗んだかしたかもしれないが、それでも記憶が戻ればどこでそれをしたかわかるだろう。つまり、モグラの記憶は母の居場所を知るための重要な鍵なのだ。彼を手助けすれば母に会えるかもしれない。それに、あの怪物が襲ってくる理由が分かれば命の危険を感じなくても済む。とりあえず1日だけと言ったが、これはモグラと離れる訳にいかなくなってきた。
「あのー、モグラさん、さっき1晩だけって言ったんですけど……」
「よし、決めた」
正記の話を遮って、モグラは言葉を発した。何事だと戸惑う正記に、モグラは
「今日は寝ないで見張ってるね。私だけじゃどうにもできないかもしれないけど、あの虫みたいなやつがいつ来るかわからないし。」
「えっ……と、それじゃ悪いですよ。さっきのこともありましたし、疲れてるんじゃ」
「大丈夫大丈夫。2度も助けられちゃったから、そのお礼と思って」
モグラは手を振って笑った。怪物の行動を見る限り、狙われているのは明らかにモグラだった。ここでモグラにいなくなられても困るが――
「……そうですね。じゃあ、お願いできますか?」
「任せて!正記くんの方こそさっき気絶までしてたんだから、ゆっくり休むといいよ」
してましたねそういえば。
ともかく、今まで経験したことのない出来事の連続で体も心も疲れ気味なのは事実だ。モグラの言う通り、早いところ休んでしまった方がいいだろう。
「じゃあ、また朝に。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
窓は全部閉めず、半分だけ開けておいた。12月の寒気が入り込んで部屋の空気を冷やしていく。ストーブは切っておいた方がいいかもしれないと思ったが、外にいるモグラのことを思い出してやめておいた。お皿を洗うのは明日でいいか、どうせ今日金曜だし。はやく風呂に入ろうとローテーブルを横切った時、不意にトランクが目に入った。
近づいてよく見てみる。所々擦り切れていて、使い込まれているのがよく分かる。手を伸ばそうとして、やめた。元々はともかく、今はモグラの持ち物だ。許可なく触るのはいいことではないだろう。
タオルと着替えを準備しながら、寒空の下空を見つめているであろうモグラのことを考える。突然の出会いだったが、彼が自分にとってここまで重大な情報を持っているかもしれないとは思っていなかった。明日は忙しくなるかもな。正記は来る日のことを考えそう思った。




