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花菖蒲のほとり  作者: B星
第2章 ③ 別邸 9歳
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 057. 僕にしてほしい(黒羽)

黒羽くろは視点。


 大地だいちが夏期休暇中に、一泊二日で遊びに来てくれた。今日は二日目だ。


 大地はお嬢様を連れて、黒国丸くろくにまる円境湖えんきょうこ近くの草原に出かけていった。今日は草原でゆっくりせずに、眺めてそのまま帰ってくると言っていた。

 しばらくすると、二人が帰ってきたのが見えた。お嬢様を迎えに、裏庭へ向かった。


 大地が先に黒国丸から降りた。次に、お嬢様を抱き上げて降ろそうとした。でも、すぐには降ろさずに抱っこをした。

 お嬢様の髪に顔を寄せて、抱きしめた。お嬢様は、髪の毛を左右二つにわけて、耳の上辺りで結んでいた。僕が結んだ。その片方に鼻先をうずめるように寄せていた。


「このくすぐったい髪、久しぶりだな」


「くすぐったい髪って何?」


「うーん。この髪の毛のこと」大地がお嬢様の顔をのぞき込みながら、結んである髪の毛をすくうようになでた。


「説明になってない! どうせ、癖っ毛です~。はねてます~」お嬢様は口を尖らせた。


「悪いなんて言ってないだろ。ほら、黒羽と先に行ってろ。俺はやることがあるから」


 大地はそう言いながら、お嬢様を地面に降ろした。


「はあい」


 お嬢様は、黒国丸に「ありがとう。またね」と挨拶をした。黒国丸と大地が馬小屋に入ると、僕のほうを向いた。近づいてきたお嬢様は、驚いた表情で僕の顔をのぞき込んできた。


「どうしたの?」


「何がですか?」


「何がって……」


 お嬢様は僕の顔に手を伸ばし、頬をなでた。


「目にゴミでも入ったの? それとも、何かあったの? 大丈夫?」


 自分の頬を触ると濡れていた。


 僕は泣いていた。


 馬小屋に入る大地を見ていたお嬢様は、抱きしめられたからか、少し照れた顔をしていた。大地がなでた髪の毛を、くしゃっと握りしめていた。フリルのようになっているTシャツのそでが、ふわりと浮いた。


 ふと、昨日のことを思い出した。突然、お嬢様は髪の毛をふわりと浮かせた。隼人はやとが変なことを言ったせいではないかと、大地は言っていた。でも、結局、原因はわからずじまいだった。あのとき話していたのは大地のことだった。お嬢様は大地の話に反応したのではないかと思った。


 胸が苦しくなった。


「黒羽、大丈夫?」


 僕の頬をお嬢様の手が何回もぬぐった。


「お嬢様……」


 お嬢様のことを抱きしめた。先ほど、大地が触っていたところに、グリグリと頬をすりつけた。


「どうしたの?」


 お嬢様は、ほどほど、とは言わず抱きしめてくれた。そっと背中をさすってくれている。


 お嬢様が苦しいと言って逃げないくらいの力で、できるだけこうしていられるように抱きしめていた。


「おい、ほどほどにしとけよ」


 いつの間にか大地が近くに来ていた。お嬢様と引き離された。大地の手が、僕の肩に置かれていた。


「触るなっ!」


 ハッとした。


 大地の手を、思いきり払い除けていた。


 こんなことをするつもりではなかった。大地とお嬢様が、驚いた顔で僕を見ていた。


「あ……、えっと……」


 二人の顔が見れず、目を泳がせた。どうしたらよいかわからず、その場から逃げ出した。お嬢様に名前を呼ばれたが、振り返らず自室に逃げ込んだ。ベッドにうつ伏せになり、枕に顔をうずめた。



 コンコン


 ドアがノックされた。無視した。


「黒羽、入るぞ」


 大地が入ってきた。枕から顔を上げなかった。


「どうした? 何かあったのか?」


「おい」大地の手が背中に触れた。枕をギュッと握りしめ、無視をした。


「俺は今日帰る。時間がない。だから、引かないぞ。言いたいことがあるなら言え。なんだ? お嬢様と湖に行ったのが気に入らなかったのか?」


「違う! そんなんじゃない!」枕から顔を上げ、大地をにらんだ。


 大地とお嬢様が黒国丸で出かけることが気に入らないのは、最初からだ。今さらそんなことで、こんな気持ちになったりはしない。


「黒羽……」


 大地の手が伸びてきて、頬をぬぐった。にらんだままの僕の目の下を、大地の親指がなでた。大地の心配そうな顔を見て、にらめなくなってしまった。


「大地は悪くない。ごめんなさい……」


「お嬢様か?」


「お嬢様も悪くない」


「じゃあ、なんだ? 小さなことでもいい。話してみろよ」


 お嬢様の氣力きりょくれるようになったのは、僕がきっかけだった。僕だけではなかったかもしれないが、確実に含まれていた。怒ったからだった。

 湖で漏れているところを見たこともあった。遠くからだったが、タオルがふわりとしたのを見た。あれは話を聞いて、恥ずかしかったのと、怒ったからだと思った。


 昨日のと、さっきのは、なぜ漏れたのだろうか。怒っているようには見えなかった。少しだけ頬を染めた、あんな顔をして、どのような気持ちで氣力が漏れたのだろうか。



「とらないで。お嬢様のこと、とらないで」


「黒羽?」


「とっちゃ、やだ……」涙がこぼれた。


「なんだ、やっぱり、湖に連れてったのが気に入らなかったのか。前からよく行ってただろ? 久しぶりだったから、耐性がなくなったのか?」


「そうじゃない」体を起こし、大地に向き合った。


「そうじゃないって……。まさか、俺がお嬢様をどうこうしようとしてるって言いたいのか?」


 大地はとても驚いた顔をした。


「昨日、隼人が、女たらしとか変なこと言ったからか?」


 大地は下を向いて、はあ、とため息をいたあと、改めて僕のほうを向いた。


「あのなあ、俺とお嬢様、いくつ離れてると思ってんだ? 十六歳差じゅうろくだぞ? 一回り以上離れてるの! とるとか、とらないとか、ないだろ」


「そんなのわからないっ」ジッと見つめた。


「わかるの。少なくとも、俺はないから。俺、二十五歳にじゅうごなんだけど。さすがに、九歳きゅうさいとかないから」


「じゃあ、年が近かったら、いてっ」頭を小突かれた。


「そんなの意味ないだろ。年の差がまることなんてないんだから」


「それは、そうだけど……」


「それだけか?」


「それだけって。大事なことだけど……」


「他には?」大地にグリグリと頭をなでられた。


「ない……」


「本当か?」


「うん」


「まあ、俺に言えないことなら、隼人に言えよ」


「わかってる」


「なら、よし」さらにグリグリとなでられた。


 顔を洗ってからお嬢様の部屋に行け、と言われた。言われた通りに、お嬢様の部屋に向かった。部屋に入ると、テーブルにクッキーとジュースが準備されていた。


「黒羽、ここに座って」


 お嬢様にうながされ、ソファーに座った。


「はい、あーん」隣に座ったお嬢様がクッキーを食べさせてくれた。心配そうな顔をしている。


「さっきはすみませんでした。もう、大丈夫です」


「本当? 何かしちゃってたら、言ってほしいんだけど」


「お嬢様も、大地も、悪くないです。僕が……、僕の機嫌が悪かっただけです」


「そうなの? なんだか元気がないよ?」


「大丈夫です。気にしないで……く…………」


(そうだ……)


「お嬢様がキスしてくれたら、元気になれます」なんとなく、思いつきでお願いしてみた。


「わかった」


「え?」


 お嬢様は立ち上がると、僕と向かい合った。僕の顔を、両手で挟むように掴んで引き寄せると、ひたいにキスをしてくれた。


「元気でた?」


「も、もう一回」


「それじゃあ……」


 今度は、左のまぶたにしてくれた。


「もう一回、いてっ」


 唇ではなく、お嬢様の右手がひたいにとまっていた。


「ほどほど」


 お嬢様はそう言ったが、ひたいから右手を退けると、そこにキスをしてくれた。僕はひたいに触れながら、「はい」とうなずいた。


「辛いときとか、ちゃんと教えてね」お嬢様が隣に座りながら、顔をのぞき込んできた。


「お嬢様、大地のこと好きですか?」


「好きだよ」


 お嬢様は顔色を変えることなく、平然と答えた。「隼人も黒羽もみんな好きだよ」と言いながら、クッキーを食べた。


 クッキーとジュースを平らげてから食堂に向かった。食堂では、大地と隼人が同じようにクッキーを食べていた。お嬢様の部屋から下げてきたコップなどをテーブルに置き、隼人の隣に座った。お嬢様は僕の隣に座った。


「はい、黒羽」


 隼人がクッキーを差し出してきた。口を開けて、それを食べた。隼人は目を細めて、逆の手で、僕の頭をなでた。


「ふふ。久しぶりに会ったから、甘えたくなっちゃったんですかねえ」


(甘えたくって……)


 そんなつもりではなかったが、そう解釈されてしまったことに顔が赤くなった。


(とらないで……は、なかったかな)


 もっと別の言い方があったのではないかと、さらに恥ずかしくなった。


 お茶を飲みほした大地は、「帰る」と立ち上がった。支度をし、黒国丸を表庭に連れてきた。旦那様には、帰りがてら本邸に寄って挨拶していくそうだ。


「グルグルして!」お嬢様が大地に手を伸ばした。


「またかよ」


 大地は、一瞬だけ僕を見てから、お嬢様をぶら下げて回った。それから、お嬢様の顔を見て笑ったあと、抱きよせた。「また遊びにくるから」と頭をなでた。お嬢様は、お腹に抱きついていた。大地に頭をポンポンと叩かれると、お嬢様は大地から離れ、手の甲で目の辺りをぬぐっていた。


「黒羽、ちょっとこい」


 大地に腕を掴まれ引き寄せられた。隼人とお嬢様から少し離れ、二人に背を向け肩を組まれた。


「お嬢様のこと好きなのはわかるけど、あんまり思い詰めるなよ。何かあったら、隼人に相談な」


 大地の顔を見て、うなずいた。


「あと、隼人は……、俺も、か。お嬢様のこと好きだけど、黒羽の好きとは意味が違うからな。俺と隼人の好きは、俺たちが黒羽のことを好きなのと同じだから。勘違いするなよ」


 うなずくと、頭をグリグリとなでられた。


「隼人はすぐにお嬢様のこと可愛がるけど許してやれよ。本当に可愛がってるだけだからな。それに、あと少しだけだから……」


「あと少し……?」


「まあ、気にするな。とにかく、俺も隼人も、黒羽からお嬢様をとるつもりはないからな。ああ、でも、お嬢様が黒羽のことを嫌がったら、そのときはわかんないけど」


 そんなことはあるはずがないと大地をにらんだ。目が合った大地は、ふっ、と笑った。


「俺たちがどうこうする前に、忠勝ただかつさんが手を打つか……。ま、気をつけろよ」肩をポンポンと叩かれた。


 大地は隼人と少し話をしたあと、黒国丸に乗り、去っていった。隼人がしゃがみ込み、お嬢様の涙をいていた。大丈夫だからと逃げようとするお嬢様を、まあまあ、と掴まえてかまっていた。



 僕はお嬢様のことを観察した。いつもしているが、大地の話題のときはより注意して観察した。話に反応して、髪の毛をふわりとさせることはなかった。

 ただ、時折、少しだけ頬を染めてふわりとさせることがあった。


 大地のことが好きか、と不意打ちで何回か聞いてみた。大地ばかりでは変かと思い、隼人や僕にしてみたりもした。誰のときでも、みんな好き、と平然と答えていた。


(恋じゃない? 気づいてないだけ?)


 大地に恋をしているのか、わからなかった。でも、聞けなかった。聞いたことで、お嬢様がそのことに気づいてしまい、意識してしまうことが怖かった。


(僕に、恋してほしい。僕に、あの顔を向けてほしい)


 今は、どれだけ顔を近づけても、僕にあの顔はしてくれない。照れることはあっても、あの顔とは少し違っていた。それに、そのときだけではなく、僕のことを思い描いてあの顔をしてほしい。


 お嬢様が誰のことを好きになっても、絶対にそばにいる。その気持ちは今も変わらない。でも、お嬢様が誰かのことを好きになるということが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。


(かもしれないってだけなのに。胸が……)


 できることなら僕のことを好きになって、僕のそばにいてほしい。


(できるなら、いや、絶対に振り向かせてみせる。でも、どうしたら……)


 僕に恋をしてもらうには、どうしたらよいのだろうか。僕はもう何度もお嬢様のことを好きになっている。恋をしている。それなのに、どうしたらそういう好きになってもらえるのかは、わからなかった。


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