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花菖蒲のほとり  作者: B星
第2章 ② 別邸 8歳
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◆048. 思いがけない出来事 2/2


 まずは視線を合わせないと、と顔を見上げた。顔を凝視してしまった。たぶん、口も開いていたと思う。


大地だいち……」


「なんで、お嬢様がここに……」


「何してるの!?」思わず大きな声が出てしまった。


「シーッ、シーッ」大地が人差し指を口の前に立てた。


 両手で口元を押さえた。休暇中の大地が、なぜここにいるのだろうか。


「どうしたの? その服」


 大地は濃い灰色の制服を着ていた。


「こ、これは~、仕事だよ。今、仕事中なの」


「それ、騎士の制服だよね。新聞に載ってるの、何回も見たことあるよ」


 騎士は仕事柄、記事の写真に姿が写りこんでいることが多い。事件や事故、災害などの現場には必ずいるからだ。

 特集を組まれることも多い。騎士は女性に人気がある。騎士の写真が多く載っていると売り上げが違う、と以前コラムで読んだことがある。


 騎士への道、という特集は写真だらけだった。この特集は、騎士についての説明と、騎士の制服についてという二部構成になっていた。


 前半部分にはこのようなことが書いてあった。


 騎士として働くためには、騎士団に所属しなければならない。騎士団とは、城や町などに設けられている騎士の仕事を行う機関のことだ。入団するためには、騎士の資格が必要となる。


 騎士の資格には等級がある。下級騎士、中級騎士、上級騎士の三つだ。

 下級騎士は決められた地方で、中級騎士は城内を除く国内で、騎士として振る舞える。上級騎士になると、城内も含まれるようになる。

 上級騎士の資格は、試験ではまず取れない。中級騎士になり、実務経験と実績を積みながら目指すのが一般的だ。同じ方法で、下級騎士から中級騎士を目指すことも可能だ。


 騎士の資格を持っていても、騎士団に所属しないとその資格は活かせない。騎士として働くためには、所属する騎士団を探さなければならない。

 どの騎士の資格を取得したかで、入れる騎士団と入れない騎士団が出てくる。例えば、城内勤務の騎士団に入るためには、上級騎士の資格が必要となる。


 自ら騎士団を立ち上げることもできるらしいが、詳しいことは書いてなかった。


 後半は、制服の写真がたくさん載っていた。たぶん、こちらが特集のメインだ。紙面もほぼこちらに割かれていた。


 騎士の制服は基本同じデザインだが、どの等級の騎士かで、一部デザインが違う。ここが違うと比較していた。所属している騎士団で、マントや手袋などのデザインが違ったりする。その比較もしていた。


 細かいところは忘れてしまった。


 でも、大地の着ている服が、騎士の制服だということはわかる。



「騎士の……、制服の見本を着て、見せる仕事だよ」


(かなり怪しい。でも、そういう仕事がないこともないよ――)


「なんですか? その仕事。そんな仕事があるんですか?」


 後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、慶一けいいちが立っていた。


「大地さん、騎士の制服似合いますね。菖蒲あやめさんとは、お知り合いですか?」


「知り合いというか~、なんというか~」


「大地はうちの使よ……ふぐっ」後ろから伸びてきた手に、口をふさがれた。


「使用人のことは絶対内緒。絶対に言うな。わかったか?」大地はかがむと、耳元でささやいた。


「どうかしましたか? さあ、入団の報告に行きましょう」


(入団? 騎士の制服着て、入団って……)


「おじょ……、菖蒲あやめ?」大地が私の口から手を離し、横から顔をのぞき込んできた。


 大地の手は濡れていた。


 大地のほうを向き、慶一には聞こえないよう小さい声で聞いた。


「出ていっちゃうの?」


「泣くな。あとでちゃんと話すから」


 大地の手が、何度も頬をぬぐった。


菖蒲あやめちゃん、どうしたの?」


 カチャカチャと音を立てながら、慶次けいじが戻ってきた。お茶のポットとカップを乗せたお盆を持っている。


「め、目にゴミが入っちゃって。見てもらってたの。お手洗い、お借りしますね。……失礼します」


 大地の手が顔から離れた。大地のことをチラリと見てから視線を外し、自分の手で涙をぬぐいながら、トイレへ向かった。



 再び慶次と遊び始めて三十分ほど経った頃、ドアがノックされた。大地と慶一が入ってきた。


 大地は着替えていた。いつも休みの日に着ているようなラフな服装ではなかった。白いシャツを着て、父が仕事に行くときのようなちゃんとした服装をしていた。少し着崩してはいたが。


「慶次、一緒に新しい飲み物を取りに行こうか」


 慶一が慶次を誘った。慶次は嬉しそうな顔をした。元気な声で、「うん」と返事をして、慶一と一緒に部屋を出ていった。


 部屋のドアが閉まると同時に、大地が切り出した。


「お嬢様。俺、騎士団に入ることになった」


「うん、おめでとう。鍛えてたもんね」


「ああ、ありがとな」


「お祝いしないとね!」


「別にいいよ。ほら、他にもあるだろ、言いたいこと。言ってみろよ」


 大地は私の頭をグリグリとなでた。なでたあと、軽くポンポンと叩くと、私の隣に腰を下ろし、あぐらをかいた。


「いきなりだったから、驚いちゃった!」


「そうだな」


「試験とかってどんなことやるの?」


「いろいろだよ」


「制服、意外と似合ってたね!」


「俺はなんでも似合うだろ」


「え、えっと……」


 大地の適当な返事に、文句を言いたかったがうまく言葉が出てこなかった。顔を見ていられなくなってしまい、視線を斜め下に落とした。


(驚いたって言った。試験について聞いた。制服を褒めた。あとは、あとは……)


「……もうないよ。もう、言いたいことなんて、何もない」


「言え」頬を正面から片手で掴まれた。口がタコになってしまう。


「いふぁい。はなひぃて」


 いつもより頬を掴む力が強い。頬が痛くて、涙が出そうだ。


「言うなら、離す」


「はなひぃて~」


「言うか?」


「いふぅ~」うなずくと、手が離れた。


「ほら、言え」


「もうっ! 痛いっ!」頬を両手でさすりながら、大地のことをにらんだ。大地は、ふっ、と鼻で笑った。


「出ていっちゃうの?」


「ああ」


「近くの騎士団じゃないの?」


「ああ」


「そ、そうなんだ。ずっ……、い、いつかは出ていっちゃうと思ってたけど。でも、もっと一緒にいられると思ってた……かな」


 少し嘘をついた。いつかは、なんて思っていなかった。大地が腰かけ前提の使用人だということを、すっかり忘れていた。なんとなく、ずっと一緒にいられると思ってた。


「いつ、いなくなっちゃうの?」


「三月下旬」


「すぐ……だね。四ヶ月ないね。隼人はやと黒羽くろはは知ってるの?」


「隼人は知ってる。黒羽にはこれから。お嬢様と一緒に報告するつもりだったんだけどな。まさか、ここで会うとは」大地はため息をいた。


「お父様に、無理やり連れてこられたの」


「無理やり?」


「ひどいんだよ、お父様。行くか? て聞かれたから、行かないって言ったのに。行くって言うまで、許してくれないんだよ。これはもう無理やりだよね。強制っていっていいよね」


「ぶはっ。なんだそれ。つーか、なんで嫌がるんだよ」


「だって、挨拶が……。礼儀作法が……」


「おい、教えてやってるだろ」


「だって、普段使わないでしょ」


「ちゃんと覚えとけよ」


 大地の手が伸びてきて、頭をグリグリとなでた。頭を揺らされて、まっていたものがこぼれてしまった。


「ううっ。だって、大地、教えるの下手へたなんだもん。覚えられないよ。うっ」


「悪かったな。下手へたくそで」


 涙をこらえきれなかった。大地の手が、親指が、何度も涙をぬぐった。


「お嬢様。俺にお願いしたこと覚えてる?」


「大地にお願い? グルグルしてとか?」


「叶えてあげたくなったんだよ。いや、俺も同じ気持ちだったっていうか。そうだな……。後押し……、後押しをしてもらったんだよ」


「大地も同じ?」


「ああ」


「後押し?」


「何度か、な」


 お願い、後押し、思い当たらなくて首をかしげた。


「どういうこと?」


「まあ、気にするなよ」


「気になるよ!」


「気にするな」


「いてっ」ひたいにデコぴんをされた。


(も~。教えてくれる気ないな……)


 ひたいをさすりながら、少しだけ口を尖らせて聞いた。


「大地の役に立てたってこと?」


「ああ、そうだよ」


 大地がなんのことを言っているのか、私にはわからなかった。説明をしてくれる気もないようだ。でも、大地の役に立てたことは確からしい。


 ひたいをさすっていた手を下ろした。


(なら、まあ、よくわからないけど、いっか)


「そっか。良かった!」


 にこっと微笑むと、涙が目尻からこぼれた。大地の手が伸びてきて、目元をなでた。


「ありがとな。お嬢様」


 私の涙をぬぐった大地の手が、そのまま後頭部に添えられた。少し引き寄せられ、ひたいにキスをされた。


 思いがけない行為に、ちょっとの間、固まった。じわじわと顔が熱くなるのを感じた。たぶん、顔が赤くなっている。もしかしたら、耳まで赤いかもしれない。


「お嬢様、髪が……」


「え? あっ! 大地が似合わないことするから! どうしよう!」


 父が言っていたように、一度氣力(きりょく)れてから、本当に漏れやすくなった。

 初めてのときのような激しいいかりでなくても漏れてしまう。感情が高ぶると、興奮すると漏れてしまう。しかも、興奮したからといって、絶対に漏れるというわけでもない。漏れたり漏れなかったりする。非常に厄介だ。


「おもしろいな。こんなことでも、そんな風になるんだな。怒ってないのにな」


「おもしろくないよ! まだ、制御できないんだよ!」


「ふーん」


 大地が指で、私のあごを引き上げた。スッと大地の顔が近づいてきて、顔の横で止まった。頬と頬が触れそうだ。


菖蒲あやめ


 耳元でささやかれた。聞いたことのない優しい声で名前を呼ばれて、熱くなっていた顔がさらにカアッと熱くなった。

 大地は、顔を正面に戻すと、もう一方の手を頬に添えた。指先が耳に触れている。私のことをジッと見つめている。


 大地の顔がゆっくりと近づいてきた。


(え?)


(あれ? これって?)


(ちょ、ちょっと待って!)


(経験あるけど、ないんだよ)


(したことある、はずなんだけど、待って)


(いきなり、そんな!)


(ど、どうしよう、もうくっついちゃう~!)


 ボフンッ、擬音で表すならこんな感じだろうか。


 全身から一気に氣力きりょくが噴き出した。髪の毛は一瞬で舞い上がり、服も真下から風を受けたように膨らんだ。


「あったかいんだな」大地が呑気に呟いた。


 私は呆然として、動けずにいた。


 ガチャッ


 髪の毛や服が落ち着いたあたりで、ドアが開いた。


「大地さんって、そういう趣味だったんですね」


 慶一が平然と言った。慶次はクッキーの缶を持ったまま固まっていた。


「別に何もしてないけど」


 大地はそういったが、私たちの格好は今にもキスしそうなままだ。


「してないけど、した! バカ大地! どうするのこ……れ……」


 大地のひたいを叩いてやろうと思って、立ち上がった。でも、手の平がひたいに届く前に、体の力が抜けた。そのまま大地に向かって倒れこんだ。


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