◆047. 思いがけない出来事 1/2
小清水伯爵邸にやってきた。
父に強制的に連れてこられた。行くかどうかは聞かれたが、行く以外は選ばせてもらえなかったので、強制だと思っている。
今日までに昨日一日猶予があった私は、何度か父に行きたくないと訴えた。そのたびに、やっぱり行く、というまで無言で見つめられた。
せめてもの反抗として、来る途中の馬車の中で、わざとブスッとしてそっぽを向いた。隣に座っていた父は、私を抱きよせると、両手で頬を摘まんだり揉んだりした。やめてというとやめてくれたが、ブスッとすると同じことを繰り返された。結局、私が根負けした。
馬車の中で、父が話してくれた。今日は、剣術部の集まりだそうだ。仲の良かった人たち数人が来るらしい。父と小清水伯爵は、友人だった。そういえば、慶次が遊びたがっている、と呼び捨てにしていた。伯爵家のご子息ではなく、友人の息子扱いなのだろう。
小清水邸には、父の友人たちの中で一番早くたどり着いた。そのおかげで、挨拶する相手は、最小限で済んだ。
父とともに、小清水伯爵と慶一、慶次に挨拶をした。
慶一のことをちゃんと見たのは初めてだ。慶次が言っていたように、細くスラッとしている。髪色は焦げ茶色で、長めのミディアムを横分けにしている。前から見るとわからないが、後ろ髪が長く、一つに結んでいる。しっぽ髪は十五センチくらいだった。しっぽ髪以外は、慶次と同じ髪型だ。慶一のことを大好きな慶次が、真似をしているのかもしれない。
挨拶が済むと、慶一の斜め後ろにいた慶次が前に出てきた。
「お茶とお菓子を用意してあるんだ。あと、ゲームも。こっちだよ、行こう」
そういうと、慶次は私の手を取った。
慶次とは、滅多に会う機会はないだろうと思っていた。それは間違いだった。出席した全てのお茶会で、顔を合わせていた。
父に招待状を出す相手は、剣術部または騎士団関係者が多い。小清水家の男子は、剣術を習い騎士を目指す。父の剣術部関係者でも、騎士団関係者でもある。出席するお茶会がかぶるのは、当たり前のことだった。
「この部屋だよ」
慶次は手を離すと、ドアを開けてくれた。
客室のような部屋の床には、ふかふかのラグが敷いてあり、大きいクッションが四つ置いてあった。ラグの外に低いテーブルが一台置いてあり、ジュースとお菓子が用意されていた。ジュースの瓶は、氷と水を張った透明なボトルクーラーに入れてあった。
「床に座るようにしちゃったんだけど……。大丈夫だったかな?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ、どうぞ。クッションは自由に使ってね。お茶もお菓子も、どうぞ」
「ありがとうございます」
「何して遊ぶ? まずは、リバーシとかどうかな?」
「いいですね。やりましょう」
二人で向き合い、床に座った。二人の間に盤を置き、中央に白黒二つずつ石を置いた。じゃんけんをした。勝った慶次は、黒を選び、先に石を置いた。
「菖蒲ちゃん、今日は来てくれてありがとう。僕、嬉しいな」
黒い石に挟まれた白い石をひっくり返した慶次は、私のほうを向いて、にこっと微笑んだ。
「い、いいえ、そんな。私のほうこそ、一緒に遊べて嬉しいです」
「本当? 良かったあ」
胸が痛んだ。一昨日の夜から今日ここへ向かう馬車に乗り込むまで、なんとか行かずに済ませる方法はないかと考えていた。馬車に乗ってからは、早く帰りたいと思っていた。
慶次のことが嫌いなわけではない。慶次は気さくで話しやすい。一緒に遊べて嬉しいという言葉は、嘘ではない。
湖月家の別邸に、慶次が遊びにくるという話だったら、快く頷いていた。
私が拒んだのはこの場所だ。小清水邸に来たくなかった。
自分の家以外の、華族の生活を知りたいとは思った。私の前世の記憶にある、少女漫画に出てくるような貴族の生活を送っているのかどうか知りたかった。でもそれは、本か何かで確認できればよいと思った。
私は自分自身の振る舞いに、礼儀作法に自信がない。だから、伯爵家という未知の領域に踏み込みたくなかった。
挨拶が苦手だ。初めましての挨拶ならまだよい。二度目三度目が辛い。顔と名前が覚えられない。挨拶のあとに、気の利いた会話を続けることもできない。言葉遣いも怪しい。
テーブルマナーも苦手だ。習ってはいる。習ってはいるが、普段の生活では使用していない。
もし、お食事でも、なんてことになって、コース料理が出てきたら大変だ。習っているときだけ、なんとなくこなしている作法を、披露しなくてはならなくなる。
作法から外れた行いをしてしまったら、父にまで恥をかかせてしまう。
普段から気をつけていればよいだけの話だということはわかっている。だが、私は楽なほうに流されてしまう性分だ。
「あーあ。負けちゃった」
「ふふふ。まずは一勝です」
盤の上は、ほぼ白で埋まっていた。私の圧勝だった。
「もう一回いい?」
「もちろん」
「あ、やっぱりその前に、お菓子食べよう? 美味しいのがあるんだ」
「はい、食べましょう」
二人でテーブルのそばに移動した。
慶次は膝立ちし、コップの隣に置いてあったコースターを手に取ると、私の前と自分の前に敷いた。ボトルクーラーからジュースの瓶を取り出すと、布で丁寧に水滴を拭いた。
慶次が瓶のキャップを開けたところで、ハッとした。
「あ! 私がやりますよ」
慶次は首を横に振った。
「菖蒲ちゃんは、お客様なんだから、いいの。はい、どうぞ」
慶次はコップにジュースを注ぐと、私の前にあるコースターの上に置いてくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
慶次は、にこっと微笑んだ。
自分の分をコップに注ぎ、コースターの上に置いた。瓶のキャップを閉め、ボトルクーラーの隣に並べた。
座り直すと、コップを手に取り、美味しそうに一口飲んだ。
「そういえば、その~、使用人……、いないんですね?」
「使用人?」
首を傾げた慶次の目を見て、頷いた。
「慶次様のそばについていて、こういうの、注いだりするのをやってくれそうだなって……」
「あ~、それはね……」慶次は言い淀んだ。
「なんですか?」
「んっと……ね。菖蒲ちゃん、苦手でしょ? 知らない人。いたらきっと、気にしちゃうよね?」
「え……」
「ほ、ほら。いつもお茶会の最後に、菖蒲ちゃんのお父様が……、菖蒲ちゃんに……」
「あ~……」
「ごめんね? 気を悪くしちゃった? 怒っちゃった?」
慶次はコップを置いて正座をした。シュンとしている。父とのやり取りを思い返し、少しボーッとしたことを、怒ったと思ったようだ。
「ち、違います」私もあわてて正座をした。
「慶次様に気を使わせてしまって。自分に少し呆れてしまったというか……。こちらこそ、すみません」
「本当に? 怒ってない?」慶次は上目遣いで首を傾け、私のことを見つめた。
「はい。むしろ、感謝してます。慶次様、当たってますよ。私は知らない人が苦手です。二人きりで、とっても助かってます。ふふっ」
慶次の心遣いが嬉しかったのと、仕草が可愛らしかったのとで、思わず笑みがこぼれた。慶次は、私が笑ったのを見ると、ホッとした様子で足を崩した。
慶次が足を崩したので、私も足を崩した。ジュースを飲もうと、コップに口をつけた。
「今日も誰にも話しかけなかったな」
「ぶっ」
突然、慶次が父の口ぶりを真似た。ジュースを口に含む前で良かった。
「えへへ。似てた?」
「え、ええ。よく覚えてますね」
「うん。何回か聞いたからね」
お茶会のたびに、友だちを作りなさい、せめて話しかけなさい、と父に言われる。私はその言いつけから逃げている。もちろん、苦手だからだ。
数人で話しているところに入っていく勇気はない。ご新規様お断りかもしれない。一人でいる子は、一人でいたいのかもしれない。親と一緒にいる子は、親子の時間を邪魔されたくないかもしれない。いろいろと理由をこじつけ、話しかけずにいた。
それをお茶会の最後に、父に指摘されていた。慶次の真似たセリフで。
「……また負けちゃった。僕、お手洗いに行ってくるね。あと、飲み物もらってくる」
「あ、私も一緒に」
「僕一人で大丈夫」
「でも……」
「菖蒲ちゃんはお客様。ここで、ゆっくりしてて。じゃ、行ってくるね」
慶次は立ち上がり、部屋を出ていった。盤上の石を集め、ふたつある石置き場にきれいに戻した。
「はあ」ため息が出た。
遊び疲れたわけでも、気疲れしたわけでもない。自分のダメさ加減にため息が出た。
慶次は、とても気を使ってくれている。父とのやり取りを見ていたといっても数回だ。その数回で、私の苦手意識を汲み取り、二人きりで遊べるようにしてくれた。しかも、飲み物を注いだり、運んだりしてくれる。本来なら使用人がやるはずだった仕事を、慶次が請け負ってくれている。
(それに比べて、私ときたら……)
初めて会ったとき、慶次は女の子の態度を気にしていた。ここに来ることを断っていたら、どう思っただろうか。
来れない理由があったとしても、傷ついたかもしれない。断るための建前かもしれないと、悩んだかもしれない。お詫びの手紙を書いたら印象が違ったかもしれないが、そんなつもりは更々なかった。
(……私もトイレに行っておこうかな)
ドアを開けて廊下に一歩踏み出したところで、別の部屋のドアが開いた。誰かが出てきた。
このまま、ソッと部屋に戻ろうかと思った。でも、見つかったような気がした。
(挨拶するしかないか……)
ため息が出そうになるのを我慢して、廊下に出てドアを閉めた。




