◆046. らしくない
昼食を済ませ、食休みをし、歯磨きをして、眠たい午後の家庭教師の時間になった。
私は本を読みながら、黒羽が勉強しているのを、一番離れた席から眺めていた。
今日の先生は、大地でも隼人でもない。二人とも今日は休みだ。大地は休みを五日間取り、泊まりがけでどこかへ出かけていった。最終日まで帰ってこない。三日もの間、顔を見ないなんて初めてかもしれない。隼人は今日だけ休みを取り、買い物などに出かけた。夕食前には帰ってくると言っていた。
「問題ないな。よく勉強している」
父は黒羽を褒めると、大きな手で頭をなでた。黒羽は嬉しそうな顔をしている。
「少し休憩するか」
「僕、お茶をいれてきます」
「いや、いい。私がやる。休んでいなさい」
立ち上がろうとした黒羽を止めると、父は立ち上がり台所へと入っていった。
(うーん。旦那様と使用人とは……。まあ、正確には使用人じゃないけど)
前々から思っていた。華族らしくないな、と。華族というより、私の記憶の中にある貴族のイメージと違う、といったほうが良いのかもしれない。
隼人と黒羽が旦那様と呼ぶので、父は旦那様なんだなと思えるが、らしくはないと思う。家事能力はあるし、私や大地たちの送り迎えをしたりもする。
大地が、忠勝さん、と呼ぶのを聞くと、旦那様と使用人というより、倶楽部の先輩後輩といったほうがしっくりくる。実際、同じ剣術部だったので、先輩後輩ではある。父は大地の九個か十個上の先輩だ。
(前はもう少し、旦那様と使用人ぽかったような気がするんだけど。馴れなのかな)
私が前世の記憶を得た日から、三年以上経っている。以前より、今のほうが親しくなっているのは当たり前なのかもしれない。
(らしくないのは、私もだけど……)
私も、お嬢様、と呼ばれてはいるが、お嬢様らしくないと思う。いや、絶対にらしくない。お嬢様らしいことなど、何一つしていない。私の中にあるお嬢様像から、かけ離れている。
大地たちとの関係も、お嬢様と使用人たちとは違うと思っている。妹と年の離れた兄たちのようだと思う。
黒羽は、兄というよりは弟のような気がする。兄妹みたいだ、と言うと嫌がる黒羽に、弟などと言ったら怒られそうだが。
「……め。菖蒲」
「へ?」
開いた本に視線を落としたまま、ボーッとしていた。いつの間にか、正面に父が座り、その隣に黒羽が座っていた。テーブルの上にはお盆が置かれていた。お盆には、お茶と一枚ずつ包装された煎餅が三枚乗っていた。
「あ、ありがとう! 美味しそうだね」
本を閉じ、隣の椅子に置いた。父がお茶の入ったマグカップを、目の前に置いてくれた。袋に入った煎餅を一枚取り、そのまま砕いた。袋を開け、欠片を一つ摘まみ、口に入れた。香ばしいお醤油の味が口の中に広がった。
(食事も普通なんだよなあ)
私が思い浮かべる、華族の食事風景が二つある。一つは、使用人が一皿ずつ配膳するコース料理を食べる。もう一つは、テーブルいっぱいに並べられた料理を少しずつ食べるだ。
一応、礼儀作法でテーブルマナーは習っている。でも今までに、そのような食事はしたことがないし、そのような料理も見たことがない。
隼人が作るのは家庭料理だ。私の前世の記憶にある、日本の一般的な家庭で出てくる料理と同じだ。いや、一般的ではないかもしれない。料理好きで料理上手なお母さん、またはお父さんのいる家庭の料理だ。隼人は簡単なものから、凝ったものまで作れる。レパートリーが多い。しかも、何を作っても美味しい。
「今日の夕食は、お父様が作るんでしょ?」
「ああ」
「何作るの?」
「カレーだ」
「やった! 楽しみ」
今日は隼人が休みなので、父が夕食を作る。父が作る料理も、馴染みのあるものばかりだ。
(なんだろう。この、今日はお母さんがいないから、お父さんがご飯を作るぞ感)
「ふふっ、ぶっあ、熱っ」
「だ、大丈夫ですか?」
なんだか可笑しくなってしまって、吹き出してしまった。マグカップに口をつけていたので、吹き出した息でお茶が跳ねた。
黒羽があわてて立ち上がった。テーブルを回り込んで、こちらにくると、私の頬に片手を添えた。もう一方の手で、ハンカチを使い口元を拭いた。
「だ、大丈夫。ちょっと、熱かっただけだから」
「本当ですか? 火傷してませんか?」頬に手を添えたまま、ジーッと口元を見つめている。
「うん。平気」
「気をつけなさい。十分後に再開する」
お茶を飲み終わった父は、そういうと食堂から出ていった。たぶん、トイレだ。
「黒羽は? トイレ、大丈夫?」
「そうですね……。僕も行ってきます」
「いってらっしゃ~い」
「その前に……、かわいいっ」黒羽が抱きついてきた。私の頭にグリグリと頬をすり付けている。
「……何が、かわいいの?」
「全部。あと、熱がってて、です」
「う、うーん? まあ、よくわかんないけど。はやくトイレに行ってきなよ」
「もう少し、と言いたいところなんですけど……。行ってきます」
食堂から出ていく黒羽を見送ったあと、マグカップに口をつけた。火傷をしないように気をつけて、お茶をすすった。
(そういえば、お父様って……。私と黒羽のこと、注意したりしないなあ)
父は、私が黒羽に、あーん、と何か食べさせても、何も言わない。黒羽が私に食べさせてもだ。一緒に居眠りをしていても、何も言わない。
さすがに黒羽も、父の前では抱きついたりしない。でも、おかしな発言は結構していると思う。
父が何も言わないのは、黒羽のことを息子のように思っていて、兄妹が仲良くしていると見ているからだといいなと思う。田中ひな先生の件で黒羽に気を使ってる、というのはあってほしくない。
(本当の息子、本当の兄妹だったりして)
母は再婚だが、前の結婚では子どもを授かることができなかった。となると、父の子どもということになる。父の話を聞いた限りでは、父は母に心底惚れ込んでいたと思う。でも、母が前の結婚していた数年間がある。
「まさかね……、そんな……」
そんなことはないと思いたい。でも、若い独身男性だ。何もしなかった可能性は低い。
母と結婚する前の期間にそういうことがあったとする。だとしたらなぜ、その人と結婚しなかったのか。父は子どもができたら、必ず責任は取ると信じたい。責任を取りたくないような相手と、そういうことをしないと信じたい。
(でも、私のためにとか勧められて、再婚考えちゃうしなあ)
「意外と流されやすい……のかな」
もし、私と黒羽が異母兄妹だとしたら、黒羽はどうするのだろうか。兄妹だろうが傍にいる分には関係ない、とでも言うのだろうか。
(言いそうな、言わなそうな……。まあ、兄妹はないか)
息子なら、援助制度など使用しないだろう。いや、しかし、母に気を使った、もしくは、黒羽に将来の選択肢を残した、と考えられなくもない。
黒羽と私は似ていない。髪色も、黒色と茶色で違う。でも、お互い母に似たという可能性もある。
(うーん。これは、考えれば考えるほど深みに……)
もし兄妹だというならば、似ていてほしかった。黒羽は美少年だ。だったら私もそうありたかった。
「美少女じゃないと」不公平だ。マグカップに残っていた冷たくなったお茶を、ゴクゴクと飲んだ。
母に似ているこの容姿に、不満があるわけではない。写真で見た母は可愛らしかった。このまま、母のように成長できるなら嬉しい。誰しもが認めるような可愛らしさではないかもしれないが、私は気に入っている。
(絶世の美少女とかよりも、お母様に似てて嬉しいかな。……うん、お母様似で良かった!)
隼人と黒羽が、かわいい、と褒めすぎるからいけない。そんな風に言われるほど可愛らしくはないと否定的になってしまう。否定的にならないと、私はかわいい! と勘違いしてしまいそうで怖いという気持ちもあったりする。
父が私のことを可愛がるのはわかる。大地はもっと褒めてもよいと思う。
隼人は褒めすぎだが、九割くらいは理解できる。たまにわからないときもあるが、可愛らしい服を着たから、など褒める理由がわかる。
黒羽に関しては、わけがわからない。息を吐くように、かわいい、と言う。何をしても、かわいい、と褒める。
「かわいいって何? 口癖?」
「なんのことだ?」
「だから、わた……、え?」
少し下を向いていた顔を上げて、見回した。勉強を再開していた父と黒羽が、こちらを見ていた。
「独り言か?」
(もしかして、声に出てた? どれくらい出てた? 気になるけど聞けない)
「そ、そう。本を読みながら、本に話しかけちゃった」
「本?」
「うん、本。あ……」
本は隣の椅子に置いたままになっていた。私の目の前には、私の食べかけの煎餅と、マグカップが置いてあるだけだった。父と黒羽の分は、片付けられていた。
「寝ぼけてるのか?」
「それだ! じゃなくて、そうみたい。ウトウトしてたみたい」
「そうか? まあ、いい。黒羽の邪魔はしないように」
「はい。ごめんなさい。静かにしてます」
本を手に取り、開いた。
(黒羽といえば、お茶会……)
黒羽のお茶会での人気はすごい。お嬢様たちにモテモテだ。
(そうか、お茶会に来ている女の子たちはお嬢様か)
お嬢様たちと比較して、自分のお嬢様度合いを確認してみようと思った。あまり意味がなかった。交流していないので、比較できることが、身なりと言葉遣いくらいしかなかった。
親たちと父はどうだろうかと思ったが、こちらのほうが比較できることがなかった。身なりだけだった。
父は剣術をやっているからか、体型も姿勢も良い。傷隠しをつけているが、堂々としているので、格好良く見える。娘の贔屓目かもしれないが、父よりも良い服を着ている人たちに、全然引けを取らない。
(うーん。普段の生活を見てみないとわからないか……)
普段の生活を見せてもらえたら、比較ができる。でも、工場見学のように見せてもらうことはできないだろう。となると、そこに入っていくしかない。それは無理だと思った。
そこに入っていくということは、私も相応の振る舞いをしなければならない。私にはできない。
(華族の生活、みたいな本でも買ってもらえばいっか)
比較は本で、と思っていた。
「いただきます!」
熱々のご飯とカレーをスプーンですくい、よく冷ましてから頬張った。
「美味しい!」
「そうか」
「とっても美味しいです」
「本当に。同じルーを使っているのに、不思議ですねえ」
黒羽も隼人も美味しそうにカレーを頬張っている。
隼人の作るカレーも美味しいが、隼人は父の作るカレーのほうが好きらしい。
隼人は予定よりも早めに帰ってきた。食事の準備をしていた父に、手伝います、と申し出たが、休日なのだから休みなさい、と断られていた。準備ができるまでの間、私とお喋りなどをして過ごした。
「菖蒲。明後日、小清水家に招かれている。一緒に行くか?」
「私も? なんで?」
「慶次が遊びたがっている」
「うーん。行きたくないかな」
伯爵家の日常を垣間見るチャンスだ、と思わなかったわけではない。それよりも、面倒だなという気持ちが勝った。
スプーンを一回二回と口に運んだところで、視線を感じた。
黒羽に視線を向けた。水を飲んでいた。
隼人に視線を向けた。目が合った。にこっとした隼人は、ゆっくりと視線を父に向けた。その視線につられて、私も父に視線を向けた。
父が、ジッと私のことを見ていた。無言の圧力を感じた。
「うっ……。え、えっと……。そ、そうだなあ。行かなくてもいいなら、行きたくないかな」
「そうか。明後日だ。忘れないように」
「は、はい……」
(うう、なんで? 気が重い……)
父と一緒にお風呂に入った。湯船に浸かりながら、やっぱり行きたくないな、と遠慮がちに言ってみた。父は何も言わず、手の水鉄砲で攻撃してきた。やめてと言っても攻撃はやまず、行きますと言うと攻撃はやんだ。
髪を乾かしてもらう前、黒羽はなぜかブスッとしていた。でも、私は黒羽そっちのけで、ため息を吐きまくった。憂鬱だった。
「慶次様は、話しやすいから大丈夫ですよ」
「はあ。そうだね」
「あっという間ですよ」
「はあ。そうだね」
「…………かわいいですね」
「はあ。そうだね」
「かわいいっ」
「えっ? なに?」
黒羽の胸に抱き寄せられて、ハッとした。また、ボーッとしていた。
「独り言も、ため息も、かわいい」
「……独り言、何て言ってた?」
「流されやすい、美少女、かわいい、とかなんとか」
「そっか。良かった」
どうやら独り言は、聞かれても問題のない内容だったようだ。
(あ、カレーの匂い)
黒羽の胸元に、鼻をくっつけて匂いを嗅いだ。
「お、お嬢様?」
「カレーの匂いがする~。カレーは美味しかったのに。なんで、あんなことに。面倒くさい、行きたくない」
微かなカレーの匂いを嗅ぎながら、行きたくないと愚痴り続けた。黒羽はいつものように抱きしめるのではなく、私の頭をなでていた。
「は~。グチグチ言っちゃってごめんね。気分悪かったよね」
「いいえ。そんなことありませんよ」
「そう? 聞いてくれて、ありがと」
「いつでも、聞きますから! いつでも、どうぞ!」
「うん。ありがと~」
力強い黒羽の返しにお礼を言いながら、黒羽に預けていた体を起こした。黒羽の顔を見ると、にこにこしていた。さっきまでブスッとしていたと思ったが、いつの間にか満面の笑みに変わっていた。
部屋を出るために、ドアの取っ手に触れた黒羽だったが、何かを思い出した様子で戻ってきた。
「美少女よりも、僕はお嬢様がいいです」
そういうと、私の手を取り、指先にキスをした。おやすみなさい、と言いながら部屋を出ていった。
ベッドにボスンと横になった。キスされた手を天井にかざした。
(美少女よりも、か……)
これから先、黒羽のハートを射止めるのはどんな人なのだろうか。黒羽が幸せになれる相手なら、美少女であろうがなかろうがかまわないなと思った。
かざした手を胸の上におろした。
「はあ」
また、ため息が出た。明後日のことを思うとやはり憂鬱で、眠りに落ちるまでの間に、何度もため息を吐いた。




