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花菖蒲のほとり  作者: B星
第2章 ② 別邸 8歳
51/351

 049. 〔46-48. 思いがけない出来事〕(黒羽)

※『46. らしくない』『47. 思いがけない出来事 1/2』『48. 思いがけない出来事 2/2』の、黒羽くろは視点。


 一昨日、大地だいち隼人はやとは、出かけていていなかった。だいたいどちらかは家にいるので、二人ともいないのは珍しい。

 そんな日は旦那様が家にいる。二人とも出かけられる日は旦那様が家にいられるときだけ、と言ったほうが良いのかもしれない。


 家庭教師は旦那様がしてくれた。旦那様が家庭教師のときは、復習の時間に充てられる。隼人に教えてもらったことを理解しているかどうかを確認してくれる。

 夕食も旦那様が作ってくれた。朝食は隼人が作った。朝早くから出かける隼人が、自分の分を用意するついでだからと作っておいてくれた。昼食は僕が作った。温かいうどんにした。


(お嬢様、ボーッとしてて……。とってもかわいかったな~)



 僕が勉強している間、お嬢様はボーッとしていた。休憩中には、お茶を熱がったりしていて可愛らしかった。

 勉強が再開されると、お嬢様が「まさかね」と言った。その後も、独り言を口にしていた。はっきりと聞きとれた。旦那様に指摘されて、あたふたしていて可愛らしかった。


 夕食の準備を手伝った。カレーライスだ。旦那様は作り始める前、腕を組んで悩んでいた。「量が……」と呟いていた。

 旦那様は、量を多く作ってしまう。カレーの場合、ルーのパッケージに分量が書いてある。でも、それを見ても、これじゃ足りないんじゃないか、と増やしてしまう。結果、多くなる。


「カレーは多くなっても大丈夫だと思います」


 悩んでいた旦那様に声をかけた。旦那様が、僕に顔を向けた。


「それもそうだな」


 組んでいた腕を下ろし、野菜を手に取った。「隼人がなんとかするだろう」と呟きながら、野菜の皮をむき始めた。


 夕食の時間になった。旦那様がはじに座り、その正面にお嬢様が座った。お嬢様の隣に、隼人が座った。僕は旦那様の隣に座った。旦那様がいる夕食のときは、旦那様とお嬢様は定位置だが、僕たちはその時々で変えている。


 カレーはとても美味しかった。僕が炊飯器にセットしたご飯も、少しかために炊けていて満足だった。

 良い一日だったな、と思っていた。


慶次けいじが遊びたがっている」


 旦那様の言葉に、ご飯が喉に詰まりそうになった。むせそうになったのを、なんとか耐えた。あまりまずに飲み込んでしまったご飯を、水で流し込んだ。


 お嬢様はすぐに断った。僕は安堵した。でも旦那様がそれを許さなかった。お嬢様はうなずくしかなかった。


 僕はおもしろくなかった。だからといって旦那様に、連れていかないでほしい、なんて言えるわけがなかった。

 おもしろくない分、お嬢様にいっぱい甘えさせてもらおうと思った。


「はあ」


 お嬢様はため息をいていた。お風呂から上がり、部屋に向かうときも。髪を乾かしているときも。乾かした髪をとかしているときも。何度も何度も、ため息を吐いていた。


 ため息の原因はわかっていた。甘えさせてもらうつもりでいたが、なんだか気の毒になってしまった。


慶次けいじ様は、話しやすいから大丈夫ですよ」


 励ましていた。お嬢様は心ここにあらずで、下を向いたまま気のない返事をした。可愛らしくて抱きしめた。


 ベッドの足側に並んで座っていた。横から肩の辺りに腕を伸ばして、引き寄せた。お嬢様の頭が胸元におさまった。体勢が辛いと、嫌がられるかと思った。でも、お嬢様は「え? なに?」と驚いただけで、そのままお喋りを続けた。


「カレーの匂いがする~」


 僕からカレーの匂いがすると、胸元に顔をすり寄せてきた。可愛らしかった。


 お嬢様は、「行きたくない」と僕の腕の中でぼやき続けた。たまに、顔をすり寄せてきた。可愛らしくてたまらなかった。頭をなでた。抱きしめるよりも、頭をなでてあげたかった。

 しばらくの間、愚痴を言い続けたお嬢様は、「ありがと~」と体を離した。


 お風呂に入るために、お嬢様の部屋をあとにした。僕は上機嫌だった。

 お嬢様に甘えようと思っていたが、逆に甘えてもらえた。とっても可愛らしかった。

 おやすみなさいのキスを指先にできた。嬉しかった。


 指先にキスをするときに、「僕は、美少女よりもお嬢様がいいです」と言った。

 お嬢様は独り言で、美少女、かわいい、という言葉を発していた。容姿を気にしているのかと思って、そう告げた。美少女なんかより、お嬢様のほうが可愛らしいと思う。


 いつも、かわいい、と言っているが、美少女ですね、と言ったほうが良いのだろうか。この場合、美しい、だろうか。

 僕としては、かわいい、がお嬢様にピッタリだと思う。でも、お嬢様が喜ぶ言葉があるなら、それを言うようにしたいと思った。



(美しいですね。なんか言いにくいな。あとは……)


「綺麗だね」


「ぶっ」


「あっ、隼人、汚ない!」


「す、すみません。でも、黒羽が変なこと言うからですよ」


 隼人と向かい合って、昼食をとっていた。今日は炒飯とスープだ。

 大地はまだ休暇中だ。旦那様とお嬢様は、小清水こしみず邸に出かけていていない。


「何が綺麗なんですか? 景色の話ではありませんよね?」


 吹き出したご飯を片付けながら、隼人が聞いていた。


「お嬢様は、なんて言われたら喜ぶのかなって」


「お嬢様に綺麗ですか? ちょっと違うような。まだ早いような……。急にどうしたんですか?」


「この前お嬢様が、美少女とか、かわいいとか、独り言を言っていて。美少女よりもお嬢様がいい、ってお嬢様には言ったんですけど。お嬢様は、かわいいより、美少女って言われるほうが、嬉しいのかなって」


「美少女よりもお嬢様がいいって言ったんですか?」


 隼人は少しだけ眉をひそめて、僕を見た。僕はうなずきながら、炒飯を頬張った。


「それはまた、受けとる側による言葉を……。美少女よりもお嬢様ってことは、お嬢様は美少女じゃないって言っているようなものですからね」


「あ、そんなつもりは……」


「ふふふ。半分、意地悪ですよ」


「隼人、ひどい」


「そう受けとる人もいるでしょうし。美少女よりも私のほうがいいんだ、と喜ぶ人もいるでしょう」


「お嬢様は?」


「そうですねえ。両方、ですかね。どうせ美少女じゃない、って可愛らしく頬を膨らませてから、でもそれよりも私がいいんだ、と可愛らしく喜ぶでしょうねえ」


「かわいい。ふふふ」


「私の想像なので、実際どう思ってるかはわかりませんけどね」


 隼人のいうお嬢様の様子がありありと想像できて、笑みがこぼれた。隼人も頬を緩ませながら、水を飲んでいる。

 どう思っているのかは、あとで聞いてみようと思った。


「それにしても……。思ったよりも不貞腐ふてくされてないんですね」


「僕? ですか?」


「ええ。お嬢様が旦那様と出かけたので。出かけた理由が理由なので、ブスッとするのかと思いましたけど……」


「それは、まあ、嫌は嫌なんですけど。僕よりもお嬢様のほうが嫌がってたから」


「あ~、そういうことですか。お嬢様、頑張ってましたねえ」


 一昨日の夜に、小清水邸に行くことが決まった。お嬢様は、相当行きたくなかったらしい。昨日の朝晩、何度か旦那様に行きたくないと訴えているところを見た。全て無言で返され、お嬢様はうなだれていた。


「出かけるとき、ブスッとしてましたねえ。ふふ」


「してました。かわいかったです!」


「そうですねえ」


 午後の勉強の合間も、終わってからも、隼人とお嬢様の話をしていた。どんな顔をして帰ってくるかなど、予想しあったりした。


 そろそろ夕食の準備を、と隼人が立ち上がったところで、馬車の音が聞こえてきた。聞いていた予定よりも早かった。


 僕が出迎えた。旦那様はお嬢様を抱えて降りてきた。お嬢様は眠っていた。ドアが開けにくいだろうと思って、部屋までついていった。お嬢様をベッドに寝かせるのも手伝った。


(グッスリ眠って……る?)


 お嬢様は運ばれているとき、薄目を開けたり、寝ぼけることもなく、ただ静かに眠っていた。旦那様も起こす素振りすら見せなかった。違和感があった。


「大丈夫だ。眠っているだけだ」


 旦那様はそういうと、部屋を出ていった。


(大丈夫? 眠ってるだけ? あ……)


 違和感の正体がわかった。ただ眠っているわけではないということが。たぶん、氣力きりょくれて、気を失い眠っている。


 お嬢様の頭をなでた。こんなことになるほど、怒るようなことがあったのかと心配になった。


 何回かお嬢様の頭をなでたあと、夕食の準備の手伝いをするために食堂に向かった。食堂から、旦那様と隼人の話し声が聞こえてきた。


「…………がいらしてたんですか?」


「ああ。私たちが集まることを知ってな」


「それで、大地さんが」


「無理やり連れてこられたらしい。知っていたら、菖蒲あやめは連れていかなかったんだが」


氣力きりょくが漏れるほど、悲しかったんですね」


「悲しい、か。どうだろうな……」


 僕が食堂に入っていくと、二人は話をするのをやめ、こちらを向いた。

 旦那様は椅子に座っていた。隼人は旦那様の近くに立っていた。旦那様の前にお茶が置いてあったので、隼人が出して、そのまま話をしていたのだと思う。


「黒羽、話がある」


「なんでしょうか?」


 近づくと座るように言われたので、旦那様の正面に座った。隼人は立ったままだった。


「大地のことだ」


「大地?」


 お嬢様の話かと思っていたので、聞き返してしまった。そういえば、先ほど聞こえてきた会話にも、大地の名前が出てきていた。


「大地は、騎士団に入ることになった。三月の下旬にはここを出ていく」


「大地が? 騎士団に? 出ていく?」


「そうだ」


 思わず隼人に視線を向けた。隼人は目が合うと、困ったような顔で微笑みながらうなずいた。


「本人の口から伝える予定だったんだが。今日、偶然菖蒲(あやめ)が知ってしまった。先に伝えておいてくれと、大地に頼まれた」


「そう……だったんですね。騎士団に入るだなんて、大地、すごいですね」旦那様に笑顔を向けた。


「ああ、そうだな」


 夕食の準備中も、夕食のときも、大地の話になった。僕は少しだけはしゃいでいた。




 二日後、大地が帰ってきた。旦那様がいない、四人での夕食だった。昼食のときと同じ席に座った。


「もう知ってると思うけど、報告がある」大地が話を切り出した。


「ご飯が冷めちゃうからあとで」お嬢様は、いただきます、といってご飯を食べ始めた。


「そうですねえ。先に食べましょう」


「いただきます」


「お前らなあ。……まあ、そうだな。食べ終わったらな」


 大地は、話を聞こうとしなかった僕たちに呆れた顔をした。視線を隼人、僕、お嬢様の順に向けて、最後に少しハッとして話を後回しにした。

 ご飯が冷めると言ったお嬢様の声は、ちょっとだけ震えていた。泣きそうなお嬢様に気づいたのだと思う。


 その話には触れないように、夕食を済ませた。隼人が食後のお茶をいれてくれた。


「それじゃ、改めて。俺、三月で、ここを辞めることになった。三月の二十……何日かに、ここを出ていく」


「何日かって。はっきりしませんねえ」隼人が片手を頬に添えて、ため息をいた。


「まあ、まだ先だし。遅くても一週間前には出ると思うけど。準備にどれくらいかかるか。実家にも一度帰るし」


「大地の実家ってどこにあるんですか?」


 そういえば、聞いたことがなかったなと思い尋ねた。大地の家のことをほとんど知らないことに気づいた。隼人のこともだ。


「王都だよ」


「結構、遠いですね」


 馬なら一日、馬車ならもう半日くらいかかると思う。


「あ! そうだ、名前! 名字教えてよ! もう教えてくれてもいいでしょ?」お嬢様が声を上げた。


 お嬢様は、大地と隼人に、何回か名字を尋ねていた。でも大地は、自分の名字が嫌いだ、といつも教えてくれなかった。隼人は、大地が教えたら教えると言っていた。


「俺、自分の名字嫌いだ……、いや、もういいか。楽々浦(ささうら)、だよ」


「ささうら……。隼人は?」お嬢様は視線を大地から隼人に移した。


山科やましな、ですよ」


「そうなんだ! そっかあ」


 泣きそうな顔をしていたお嬢様だったが、やっと名字を教えてもらったことに満足したのか、笑顔になっていた。


(ささうら……、ささうらって……)


「よし、一緒に風呂でも入るか」


「え? なんで?」お嬢様は眉をひそめた。


 お嬢様は八歳になってから、旦那様とだけお風呂に入るようになった。旦那様とは、あと一年と言っていた。


「寂しいんだろ? 一緒に入ってやるよ」


「寂しくない! 寂しくなくはないけど……。お風呂はひとりで入る! 大地のスケベ! じゃ、行ってくる。絶対に来ないでよ!」


 お嬢様は立ち上がると、大地をにらんでから食堂を出ていった。


 僕は視線をテーブルに落とし考えた。


(父親も、兄も剣術をやっていて……。ささうら……、もしかして、楽々浦?)


「も~、大地さんってば……。からかって」


「泣かれるよりはいいだろ」


「それはそうですけど。泣かないのは無理ですよ」


「まあ、もう泣いたしな」


「やっぱり……。これからも泣くでしょうね」


「楽々浦って……。なんで、ここで使用人を……」二人の会話に割り込み、視線を大地に向けた。


 大地と隼人が、こちらを向いた。


「前にも言ったろ? 自分探しだよ」


「そう思いますよね。私も最初、そう思いました」隼人が、うんうんと二回(うなず)いた。


「隼人はなんで……」


「大地さんだけ言わないよりはいいかと思って。それだけですよ」


 そういってお茶を一口飲んだ隼人は、お嬢様の話に戻した。大地に小清水邸に行く前の話をし、大地から小清水邸で起こった話を聞いた。

 大地はお嬢様の氣力きりょくが漏れた原因を、悲しくて泣いたからだと教えてくれた。


 お風呂から出たお嬢様が、僕のことを呼びに食堂に戻ってきた。

 お嬢様にも原因を聞いた。


「そ、それは……。あ、えっと……。急な話に驚いて泣いちゃって! そ、そしたら、大地がバカにしてきて! すっごく頭にきたの!」


 そういうと、お嬢様は大地のことをキッとにらんだ。大地はお嬢様のことをジーッと見つめていた。


「私は、悲しくて、だと思っていたのに」隼人がため息をいた。


「だから、そう言ってるだろ。なんだよ、やめろよ。また、罰とか言い出すなよ」


「私は別に……。お嬢様を信じますので、怒らせた大地さんが悪いとは思ってますけど」


「僕も大地が悪いと思う」


「私も~」


 大地以外の三人でうなずきあった。隼人が「きっと天罰が下りますよ」と小さな声で呟いていた。


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