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花菖蒲のほとり  作者: B星
第1章 別邸 5歳、6歳
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◆009. 僕のもの 2/2


 秋も終わりかけの頃、黒羽くろはと私は喧嘩をしていた。


「ひどい! ありぇーない!」


「お嬢様こそ、なんでわかってくれないんですか!」



 事の起こりは、こうだ――。


 探検中に、隼人はやとを見かけた。長い髪をおろし、結わえ直しているところだった。

 器用に、後頭部からゆるい編み込みをしていく。毛先十五センチほど残してゴムで結んだ。


「ふぅ」と息をいた隼人と目があった。


「お嬢様、探検中ですか?」


 タレ気味の目を少し細めた穏やかな笑顔で、問いかけてきた。


「はやと、いま、じかんありゅ?」


「ありますよ」


「いっしょに、きちぇ」


 隼人の手を引いて、自室に向かった。


 本棚から一冊の本を持ち出した。子ども向けのこの本は、全てのページに絵が描いてあり、その上に文字が書いてあった。その中から、ヒロインの顔がアップになっているページを開いて、指さした。


「きょの、かみぎゃた、できりゅ?」


 ヒロインは、髪の毛を七三に分け、七の方の前髪をサイドに向かって編み込んでいた。かわいい髪型だ。一度やってみたかった。


「お嬢様は、前髪が短いから……。全く同じにはできませんよ? それでも、かまいませんか?」


 そんなの全然かまわない、とうなずいた。

 隼人は「それでは」とクシを用意すると私の髪をとかした。迷いなく髪の毛をすくい上げて編み込んでいく。

 他人の髪の毛を編み込むことはできるが自分のはできない、その逆に自分のはできて他人のはできない人もいる。隼人はどちらもできるようだ。


「はい、できましたよ」


 鏡を見ると、前髪があること以外は違いのない髪型になっていた。


「しゅごい! ありがとう、はやと」


 嬉しさのあまり「しゅごい」と「ありがとう」を連呼しながら、鏡を色々な角度から覗き込んだ。

 隼人は、そんな私を優しい笑顔で見つめていた。髪型が崩れないように後頭部をヨシヨシとなで、仕事へ戻っていった。


 私は上機嫌で探検を再開した。その数分後、黒羽に遭遇し、喧嘩へと発展することになる。




「お嬢様、かわいい髪型してますね? どうしたんですか?」


 黒羽は、声は明るく笑顔だったが、目は笑っていなかった。かわいい髪型にテンションが上がっていた私は、それに気づけなかった。


「はやとにやってもらっちゃの。しゅごいでしょ! きゃわいいでしょ!」


 とても良い笑顔をしていたと思う。


 次の瞬間、頭がグイッと横から後ろに押された。


「った」突然の衝撃に声が出た。頭皮と首に痛みを感じた。


「ああ、すみません。でも、お嬢様が悪いんですよ」


 黒羽の指がサイドの編み込みに挿さっていた。そのまま、髪をほどいていく。髪をゴムで結ったままなので、なかなかほどけずに髪が引っ張られて痛い。


 髪をほどいている黒羽の手を払いのけた。


「ひどい! ありぇーない!」


「お嬢様こそ、なんでわかってくれないんですか!」


「にゃにを、わかりぇってゆーの!」


「お嬢様は僕のものなのに、なんで他の男に髪をいじられて喜んでるんですか!」


「えっ!?」口を開けて固まってしまう。


 ここのところ、何事もなく過ごせていたから、失念していた。黒羽の『僕のお嬢様』問題を。


 黒羽のこの問題を知っていながら、黒羽の前で無邪気に喜んでしまった。軽率な行動だった。今後は気を付けないといけない。反省しないと――。


(いや、反省はしないっ!)


 せっかくのかわいい髪型が崩された、痛かった。僕のものなのにという、黒羽の自分勝手な言い分。なぜ私が反省しなければならないのか、と腹立たしさの方が勝った。


「こんにゃこと、すりゅひとの、ものには、ぜったいに、なりゃにゃいっ!」


 黒羽が息を飲むのがわかった。下を向き、ブツブツと低く小さい声でなにかを呟いている。何回か繰り返した後に、力強くはっきりと、私の目を見て言った。


「そんなのは絶対にダメだ。絶対に僕のものにするっ!」


 黒羽の目には涙がまっていた。今にもこぼれそうだ。


 『僕のお嬢様』ではなく『僕のものにする』と言った。私は黒羽のものではないと、わかってくれたのだろうか。少しは改善したと思って良いのだろうか。もしそうだったら、と少し喜びそうになった。

 でも、またも髪をほどこうと伸びてきた手で、そんな思いは吹き飛んでしまった。


「やだ! なんにゃい!」

「絶対ダメ!」


 私と黒羽の応酬が続いた。



「なにやってんだ、喧嘩か?」


 いつの間にか、大地だいちと隼人が集まってきていた。結構大きな声で言い合っていたので、気づいて様子を見にきたのだろう。


 隼人と目が合った。


「はやと~、ごめんにゃしゃい」


 黒羽のわからず屋な言い分と痛かったことと、その前の嬉しかった気持ちとの落差に涙がこぼれそうになった。こぼれる前に、指で拭いた。

 そんな私を見て、黒羽は唇を噛んでいた。


「髪がほどけちゃったんですね。またやってあげますよ」


 隼人が優しく頭をなでてくれる。気持ちがたかぶっていたので、涙がポロリポロリと数粒こぼれた。


「僕……、僕がほどきました。ごめんなさい」


 私に対してなのか、隼人に対してなのか、はたまた両方か、黒羽の謝罪が何についてなのかはわからなかった。でも、それでなんとなく私の怒りもおさまってきた。


「僕がほどいたって、お嬢様の頭、ぐちゃぐちゃだけど。泣いてるけど」


 黒羽の横に大地が並んで立っていた。


「僕が気に入らなかったから、無理やりほどきました」


「黒羽、歯を食いしばれ」


 ゴンッ!!


「~~~~~っ」


 黒羽が頭を抱えて、しゃがみこんだ。大地がゲンコツを食らわせていた。


(あの音は痛いっ)


 自分もつい手で頭を押さえてしまうような音に、涙が引っ込んだ。


「ケツを追いかけるのは、大目に見るけど。こういう泣かせるのはダメだ」


(ケツって。でも、知ってたのか)


「お嬢様、どうする? 黒羽の顔が見たくないっていうなら、対応するけど?」


「なっ」


 黒羽は抗議しようと立ち上がったが、大地に制された。大地は、私の目を見ている。


 隣にいる隼人に目をやる。隼人の両手は、私の両肩に置かれている。黒羽を見ていた隼人の視線が落ちてきて目が合った。


「はっきり言っていいんですよ」


 黒羽を見ると、こちらを見てはおらず、下を向いていた。右手で、左腕を握りしめている。


 ここで黒羽を私から遠ざけたらどうなるのだろうか。意外とすんなりお嬢様を忘れ、憑き物が落ちたかのようになるだろうか。執着の対象を代えるだけで変わらないのだろうか。


 私はどうだろうか。このまま黒羽とサヨナラして、はいスッキリ、とできるだろうか。


(いや、たぶん、できない)


「れんしゅー…。くりょはは、かみをゆう、れんしゅー、するきありゅ?」


 三人とも、「ん?」という顔をした。大地と目を合わせて、はっきり答えた。


「くりょはは、このみゃみゃでいい」


 黒羽を見ると、顔を上げこちらを見ていた。目を合わせて、ゆっくりと言った。


「はやとに、かみをゆってもりゃって、よろこんでりゅのが、くやしーんだったりゃ、くりょはも、できりゅよーになりぇばいい」


 隼人の服を引っ張り、顔を見上げた。


「はやと、ひみゃなとき、おしゅえてくれりゅ?」


「ええ、かまいませんよ」


 隼人は私の頭を優しくなでながら、了承してくれた。


「はやと、おしゅえてくれりゅって。くりょは、どーしゅる?」


 黒羽は、袖で目をこすりながら、「練習します」とうなずいた。


「あ、でも、できりゅようににゃっても、はやとに、ゆってもらっちゃの、かってにほどいちゃら、だいちのげんこちゅね」


「う……、はい」


 大地は「ふっ」と息をき、私と黒羽を交互に見た。


「お嬢様は、黒羽に甘いな~」


 大地の手が、黒羽の頭をポンポンと優しく叩いた。


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