第7話 小さな笑顔、束の間の温もり
児童相談所の冷たい扉を出てから、俺の足取りはずっと重かった。 「お前には無理だ」「資格がない」。児童相談所の人から突きつけられた正論が、頭の中で何度も反響しては、自分の無力さをこれでもかと突きつけてくる。
(俺は、あの小さな子のために何もしてやれないのか……)
どうしようもない無力感と焦燥感に押し潰されそうになりながら、気づけば俺の足は、いつもの夕暮れ時の公園へと向かっていた。 もう無茶な相談はやめよう。そう頭では分かっているのに、ただ一目だけでもあの子の顔を見なければ、どうにかなってしまいそうだったからだ。
今日もいつもと同じ場所に、結月の小さな背中があった。 相変わらず手にはボロボロのクマの人形を抱えているが、その表情はどこか少しだけ、前回よりも柔らかく見えた。
俺がそっと近づいて隣に腰を下ろすと、結月はびくりと肩を震わせ、それから恐る恐る顔を上げた。
「……お兄ちゃん」
「おう。隣座っていいか?」
コクッ…結月は小さく頷く
俺はバッグから、さっき自販機で2つ買ってきたばかりの紙パックジュースを取り出した。
「ほら、これ。お前の分とな、俺の分」
「……え?」
結月がぽかんと目を丸くする。俺は彼女の手に一つを押し付け、自分の分もストローを刺した。
「喉渇いたろ。遠慮しないで飲めよ」
「……うん、ありがとう」
結月は嬉しそうに、けれど慎重な手つきでジュースを受け取り、ストローに口をつけた。 並んでベンチに座り、夕暮れの空の下で一緒にジュースを飲む。
前回のような緊張した沈黙ではなく、ただ穏やかな風が二人の間を通り抜けていく。遠くで遊ぶ子どもたちの笑い声も、この時はなぜか心地よく聞こえた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「この前ね、お母さんの夢を見たの」
「お母さんの?」
「うん。顔はよく見えなかったけど……頭をなでてくれた気がするの。……ちょっとだけ、うれしかった」
結月はクマの人形をぎゅっと抱きしめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。 その横顔には、寂しさだけでなく、ほんの小さな「救い」のような光が宿っているように見えた。 誰にも愛されず、怯えるだけの毎日だったはずの少女が、俺の存在や、ほんの少しの温もりに触れて、小さな心の中で何かを受け止めようとしている。
――この子の、この笑顔を守りたい。
法律とか、経済力とか、大人の都合とか、そんな難しいことはこの瞬間だけは頭から消えていた。 ただ目の前にある小さな温もりを、これ以上絶対に傷つけたくない。 俺は結月の頭を、不器用な手つきでそっと撫でた。結月は驚いたように目を丸くし、それから照れくさそうに、けれど綺麗に目を細めてフッと小さく笑ったのだ。
その笑顔を見た時、俺は心から思った。 法的に何者になれなくたっていい。俺は、この子のそばにいる一番の味方でいてやろう、と。
……この時はまだ、その直後に待ち受けている、実家での修羅場のことなんて、微塵も想像していなかった。
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