第5話 霞む理想、冷たい現実
白みきった空の真上から容赦なく照りつける太陽が、コンクリートの地面からゆらゆらと陽炎を立ち上らせている。
俺は授業の合間を縫って、俺は市役所の総合窓口に足を運んでいた。 スーツを着慣れていない大学生の身なりで
「児童福祉課はどこですか」
と尋ねる俺に、案内係の職員は少し怪訝そうな目を向けたが、奥にあるカウンターへと案内してくれた。
「あの、ひまわり児童養護施設にいる結月ちゃんという子のことで……」
対応してくれたのは、30代半ばほどの、きっちりとしたスーツを着た女性職員だった。名札には「佐藤」と記されている。 俺は息を整える間もなく、その佐藤という女性に向かって切り出した。頭の中には、あの日の夕暮れ、ベンチでポツンと膝を抱えていた結月の小さな姿と、消え入りそうな声がこびりついて離れなかった。
「僕が、その子の里親というか、何か……親のような立場になって支えたいんですけど、どうすればいいですか?」
自分でも驚くほど、声がうわずっていた。 勢いだけでやってきた。本気だった。あの小さな背中を、これ以上ひとりぼっちにしておきたくないという一心だった。
だが、佐藤さんは驚くことも、咎めることもせず、ただ手元のパソコン画面に目を落としたまま、事務的なトーンでこう言った。
「学生さん、ですね?」
「……はい。大学の2年です」
「そうですか。まず、法的な保護者や里親になりたいというご相談ですが……いくつか大きなハードルがあることをご存知ですか?」
「ハードル、ですか?」
佐藤さんは顔を上げ、淀みのない声で現実を告げた。
「まずは経済的な基盤です。児童を養育するには、安定した固定収入や、生活を支える十分な資産が不可欠です。アルバイトの収入だけで、学生の本分を続けながら子育てを両立できるだけの経済力があると、行政として判断することはできません」
「それは……これから就職したり、バイトを増やしたり――」
「それだけではありません」
佐藤さんは容赦なく言葉を重ねた。その冷静な声が、妙に耳に残る。
「特別養子縁組や里親の制度において、養親となる者は原則として『婚姻関係にある夫婦共同』であることが求められます。それに、年齢要件もあります。独身の、しかもまだ成人したばかりの学生であるあなたに、行政がこの件で介入したり、制度の対象として検討する余地は、残念ながら一切ありません」
「……はぃ…」
頭が真っ白になった。 熱かった胸の奥が、氷水を浴びせられたように一瞬で冷えていく。
「お気持ちは痛いほど分かります。施設で暮らす子どもたちを気にかける優しいお気持ちは尊いものですが……現実問題として、あなた個人がどうにかできる話ではないのです。これ以上、この窓口でご案内できることはありません。失礼ですが、お引き取りいただけますか?」
それ以上、佐藤さんの口から言葉が出ることはなかった。 彼女はもう俺の方を見ず、別の書類に視線を戻してしまった。 追い払われるように、俺はその場から立ち上がるしかなかった。
市役所の自動ドアをくぐり、外の冷たい空気に放り出される。 足元がフワフワと浮いたような感覚で、俺はそのまま近くの花壇の縁に座り込んだ。
どうにかしてあの小さな手を引いてやりたいのに。 あんなに寂しそうに笑うあの子を、安心させてやりたいのに。
――俺には、何の権力もない。
――お金もない。
世の中の仕組みすら知らない、ただの大学生だ。
「……くそっ……!」
握りしめたスマホの画面が、青白く手のひらを照らしている。 窓口で言われた「学生」「独身」「経済力」という冷たい単語が、頭の中で何度もリフレインする。 どれほど必死になりたくても、どれほど熱い想いを抱いていても、社会の冷たいルールと壁の前では、俺の「助けたい」という気持ちなんて、最初から存在しないものとして簡単に切り捨てられてしまう。
自分の無力さが、情けなくて、悔しくて。 行き場のない絶望感が、鉛のように重く俺の全身にのしかかっていた。
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