第3話小さな背中、消えない記憶
あれから、何度か夕方の公園に足を運んでしまう自分がいた。 みんなでワイワイ騒ぐカラオケの帰り道でも、サークルの合間でも、ふとした拍子にあの日のベンチが頭をよぎる。
――あの子、今日も一人でいるんだろうか。
「赤の他人の子供の心配なんて、俺がすることじゃない」
そう自分に言い聞かせてはみるものの、結局足は自然とあの公園へと向かっていた。
その日も、夕暮れの砂場には子どもたちの賑やかな声が響いていた。 そして、例のベンチ。
やっぱりあの子――
少女は、他の子たちの輪に入ることなく、ポツンと一人で座っていた。手には、あのボロボロのクマの人形をぎゅっと抱きしめたまま。
遠くから眺めているだけのつもりだった。だが、ふとこちらに気づいた施設職員の女性と目が合ってしまう。 職員さんは「あ!」と表情を明るくさせると、何かを話しながら少女の肩に優しく触れた。
「ほら、結月ちゃん。この間のお兄ちゃんだよ」
職員さんに促されるようにして、少女は少しおどおどしながら、しかしトコトコと俺の方へ歩いてきた。あの日のように逃げるわけでもなく、ただ小さく頭を下げる。
「こ、この間は……ありがとう……おじ…おにぃちゃん」
「おう。……元気にしてた?」
俺が少ししゃがんで目線を合わせると、少女はこくりと頷いた。 せっかくの機会だ。俺は近くの自販機で買ったパックのジュースを差し出した。
「これ、飲むか?」
「……いいの?」
「うん、あげる」
少女は両手で恐る恐るジュースを受け取ると、ストローに口をつけ、ほんの一口だけ吸った。そして、俺の隣のベンチの端っこに、遠慮がたく腰を下ろす。
しばらく、他愛のない沈黙が流れた。 遠くでキャーキャーとはしゃぐ子どもたちの声を聞きながら、俺はふと聞いてみたくなった。
「結月ちゃんってさ、お友達と遊ばないの?」
「……ううん」
結月はジュースのパックを見つめたまま、小さく首を横に振った。
「みんな、いっしょは……こわいから」
「怖い?」
「大きな声とか、急に怒る人とか……なんか、いるから」
その言葉に、胸の奥がキュッと締め付けられた気がした。 施設にいる子どもたち全員が同じ境遇とは限らない。だけど、少女がこれまでの短い人生の中で、どれほど怯え、大人たちの顔色を窺って生きてきたのかが、その小さな横顔だけで痛いほど伝わってきた。
ふと、少女が小さな声で、ポツリと呟いた。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「おうちって、どんなところ?」
「おうち……? まぁ、自分の部屋があったり、ご飯の匂いがしたり……普通に暮らす場所だよ」
「……そっか。テレビで見るとね、お父さんとお母さんと、みんなで一緒にご飯食べて、笑ってて……」
ジュースのパックに向けられた視線には、羨ましさも、諦めも、そしてどうしようもない寂しさも混ざっていた。
「お母さんってね……いつも怒ってて、スマホばかり見てて、怖かったの」
少女は、ぎゅっと自分の膝を抱え込んだ。
「でもね、テレビみたいに笑ってくれたり、優しく頭を撫でてくれたりした顔って、なんだか思い出せないんだ。私、抱っこされたこと……あるのかなぁ」
その言葉に、俺は言葉を失った。 安心して甘えることもできず、ただ息を潜めるように生きている子ども。
自分のこれまでの気楽な大学生活や、「何やってんだろ」なんて適当に悩んでいた自分が急に幼く恥ずかしく思えた。それと同時に、胸の奥から言葉にできないモヤモヤとした感情が沸き上がってくる。
――あんなふうに縮こまった背中を、このままにしておいていいのかよ。
明確な答えなんて持っていない。何か大それた救世主になれるだなんて思わない。 ただ、目の前で一人でいるあの小さな女の子のことが、どうしようもなく気になって仕方がない。
それは、要領よく生きてきた俺が人生で初めて抱いた、名前も知らない――
けれど妙に胸を焦がす「衝動」だった。
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