第2話 忘れた宝物、新しい出会い
「はーい、みんな集まってー! もうすぐ施設に戻る時間ですよー!」
遠くから、職員らしき女性の明るい声が響いた。 砂場や滑り台で遊んでいた子どもたちが、「はーい!」と元気な声を上げて一斉に走り出す。
ベンチに座っていたあの子も、「はぁ…」小さく息を吐くと、抱きしめていたクマの人形を脇に抱えてゆっくりと立ち上がった。
俺は手に持っていた缶コーラを一口飲み、彼女の小さな背中をなんとなく見送っていた。
……が、そこでふと、ベンチの上に違和感を覚えた。
「……あ」
思わず声が出た。
西日に照らされた木目の上に、ポツンと残された茶色い塊。 さっき職員さんに呼ばれた時、あの子は慌ててスカートの裾を直していた。きっとその拍子に抱きしめていたクマの人形が、ころりと転がり落ちてしまったのだろう。
少女は自分の手に何もなくなっていることにも気づかないまま、急ぎ足で子どもたちの列へと消えていく。
俺はすぐさまベンチへ向かい、クマのぬいぐるみを拾い上げた。 視線を巡らせると、彼女の小さな背中はすでに他の子どもたちの集団に混ざり、公園の出口を出ようとしているところだった。
(おいおい、大事なやつだろ、あれ……)
普段の俺なら、面倒なことには首を突っ込まない。誰かが届けるだろうとか、明日また来ればいいやとか、要領よく理由をつけてスルーしていたはずだ。 だけど、あの女の子がどんな顔でその人形を抱きしめていたか、俺は見ていた。
飲みかけのコーラをベンチに置くと、俺は思わず足を踏み出していた。
「待って! 忘れ物!」
駆け寄りながら声をかけたが、子どもたちのはしゃぎ声にかき消されて届かない。 公園を出た一行は、そのまま静かな住宅街の路地へと歩いていく。俺はベンチから拾い上げたクマの人形を固く握りしめ、その後を走って追いかけた。
角をふたつ曲がったところで、ようやく子どもたちの背中に追いつく。
「ハァ……すいません、ちょっといいですか!」
息を荒らしながら声をかけると、列の最後尾を歩いていた職員の女性が驚いたように振り返った。
「え? あ、はい……どうされました?」
「これ……公園のベンチに落ちてて。あの子のですよね?」
俺が差し出したクマの人形を見た瞬間、職員の女性は「あら!」と目を丸くした。 そして、列の後ろの方でトボトボと歩いていたあの少女へ向かって声をかける。
「結月ちゃん! ほら、クマさん忘れてたわよ!」
(……ゆづき、っていうのか)
名前を知ったのと同時に、少女がハッとしたように振り返った。 自分の手にクマがないことに今さら気づいたのか、小さな顔を真っ青にさせている。
俺に近づいてくる結月の足取りは、どこか恐る恐るだった。 俺の手からクマの人形を受け取ると、胸元にぎゅっと抱きしめ、小さな声で呟いた。
「……ありがとう、ござ…ます」
伏せられた長いまつ毛と、消え入りそうな声。 だが、その瞳にはどこか大人を警戒するような、冷たい影が宿っているように見えた。
「ううん、間に合ってよかった。大事なやつだろ?」
俺がなるべく優しく笑いかけると、結月は驚いたように一瞬だけ目を丸くし、それから浅くペコリとお辞儀をした。
「本当に助かりました、ありがとうございます。ほら、結月ちゃん、お兄ちゃんにお礼言えてえらかったね」
職員の女性がほっとしたように笑い、少女の肩を優しく抱く。 その背後に建つ大きな建物に、俺はふと視線を向けた。
高いフェンスと、手入れされた静かな庭。 門柱に掲げられた看板には、『社会福祉法人 ひまわり児童養護施設』と書かれていた。
(児童……養護施設……?)
そこが普通の幼稚園や保育園ではないことに、俺は初めて気づいた。
「それじゃあ、お兄さん、本当にありがとうございました」
職員さんに促され、少女は門の中へと入っていく。 すれ違いざま、少女がもう一度だけ振り向き、俺の方を見た。
夕暮れの影の中で、その小さな瞳と、ほんの一瞬だけしっかりと目が合った。
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