第19話 心の距離、紡ぐ関係
児童養護施設の応接室で「おうちに行くのは、こわい」と結月が怯えていると知らされてから、僕たちはすぐに動き出した。 落ち込んでいる暇などない。保護者である母・美佐子と、お兄ちゃんでしかない僕。この二人で、あの小さな子の不安をどうやって溶かしていくか――その作戦会議は、その日の夜のダイニングテーブルですぐに行われた。
「当たり前でしょ。あの子からすれば、急に知らない大人の家に行けなんて言われたら、誘拐されるようなものよ」
紅茶を飲みながら、母・美佐子は冷静に言い放った。 厳しいけれど、それは的を射ていた。僕たちが「早く迎えたい」と焦るほど、結月にはプレッシャーになっていたのだ。
「じゃあさ、いきなり家に来てもらうんじゃなくて……最初はやっぱり、こっちから施設に通うしかないよな」
「当然よ。それに、あなたばかりが顔を出しても、あの子が依存するか、あるいはプレッシャーになる。これからは私も一緒に施設に通うわ。里親の顔に少しずつ慣れてもらうのよ」
母のその言葉に、僕は少し驚き、そして心強さを覚えた。 冷徹だと思っていた母は、もうとっくに「母親」としての視点で、結月との距離の詰め方を考えてくれていたのだ。
そこからの数週間は、まさに怒涛のような、けれど穏やかな時間だった。 週末になると、僕と母はそろってひまわり児童養護施設へと足を運んだ。
最初は、母のキリッとした雰囲気に気圧されて、結月はビクッと体をこわばらせ、僕の背中後ろに隠れようとした。 けれど、母は無理に近づいたりせず、少し離れたベンチに腰掛け、持参した絵本を静かにめくったり、佐藤さんと穏やかに話したりして、「この大人は危害を加えない安全な存在だ」という空気を自然に作り出した。
「ほら、結月ちゃん。これ、甘すぎないクッキーなんだけど、よかったらどう?」
何度目かの面会のとき、母がスッと差し出した小さなタッパー。 手作りの素朴なクッキーを見た結月は、おそるおそる顔を上げ、それから僕の顔を見て、少しだけうなずいた。パクッと小さな口でそれを食べた瞬間、結月の瞳がわずかに丸くなり、緊張の糸がふっと緩んだのが分かった。
――無理に連れ出す必要なんてなかったんだ。 同じ空間で時間を共有し、美味しいものを分け合い、ただ「ここにいていいんだ」という安心感を積み重ねていく。
季節はさらに進み、冬の寒さが本格的になる頃。 結月は、母の姿を見つけても怯えなくなり、自分から「……こんにちは」と小さな声で挨拶できるようになっていた。
――そして、次のステップへ。 施設の中だけでなく、もう少し外の空気を一緒に吸いに行く「短時間のお出かけ」の打診が、いよいよ現実味を帯びて動き出すのだった。
ご覧いただきありがとうございます!
もし面白いと思っていただけたら、下部の評価(★)やリアクションをしていただけると励みになります!
次回もよろしくお願いします!




