第18話 こわい場所、やさしい時間
母が里親の登録認定を受けてから数日後。 僕たちは児童相談所からの連絡を待ちながら、いよいよ委託前交流に向けた具体的な話し合いを進めていた。 そしてある日、僕と母の二人は、ひまわり児童養護施設を訪れていた。応接室で、僕たちは職員の佐藤さんと向き合って座っている。
「……結月ちゃんのことで、お話ししておかなければならないことがあるんです」
お茶が出されたあと、佐藤さんは少し言いづらそうに、僕たち母子を見据えた。 横に座る母は、スッと背筋を伸ばし、静かに続きを促す。
「結月ちゃんに、星野さんのご家庭とマッチングを進めたいという打診をしました。 」
「っ……で、結月はなんて……?」
思わず前のめりになりかけた僕を、横から母の冷徹な視線が制する。僕は慌てて姿勢を正した。 佐藤さんは小さく息をついて首を横に振った。
「喜んですぐに首を縦に振ると思っていましたが……、結月は、少し怯えたような顔をして、俯いてしまったんです。『おうちに行くのは、こわい』って」
「……怖い?」
。 あの日、公園で「お兄ちゃんが来る」「大切の人」だと言ってくれたはずなのに。どうしてだ。僕たちが家族になれるかもしれないという話が、なぜあの子を怯えさせてしまうんだ。
「驚くのも無理はありません」
佐藤さんは言葉を続ける。
「結月ちゃんはこれまでの人生で、大人の都合に振り回され、居場所を何度も変えられてきた過去があります。施設という『今の安全な場所』に慣れてしまった子にとって、全く知らない新しい家庭に行くことは、大人が想像する以上に大きな恐怖なんです」
佐藤さんはさらに、こう付け加えた。
「それに……もしかしたら結月ちゃんは、『もしこのおうちに行って、また嫌われたらどうしよう』『いつかまた一人にされるんじゃないか』って、心のどこかで怖がっているのかもしれません」
そうだ。僕は「あの子を救いたい」「早く家族になりたい」と自分の焦りや想いばかりを優先していたけれど、結月の側からすれば、急に世界が変わるような恐怖や、見捨てられるかもしれないというトラウマを抱えていたんだ。 僕や母が「迎えに行きたい」といくら意気込んでも、あの子の傷ついた心に寄り添う準備ができていなければ、それはただの押し付けになってしまう。
横に座る母は、静かにカップに目を落とし、それから佐藤さんに向かって落ち着いた声で言った。
「……当然ですね。私たちが勝手に『家族になりましょう』と持ちかけたところで、あの子の不安が消えるわけではありません」
その母の言葉に、僕はハッとさせられた。母は最初から、この現実の重さを分かっていたのだ。
「佐藤さん」 母はまっすぐ職員を見据えた。
「いきなりおうちに迎え入れるのではなく、まずは施設での面会や、少しずつ外で一緒に時間を過ごす『段階的な交流』から始めましょう。結月のペースで、少しずつ『ここは安全なんだ』って信じてもらわないと意味がありませんから」
「はい。お母様のおっしゃる通りです」
佐藤さんは頷いた。
僕はぐっと拳を握りしめ、自分の未熟さを恥じながらも、深く息を吐いた。 すぐに結月を連れて帰ることはできない。まだ「行き渋り」という高い壁が僕たちの前には立ちはだかっている。 けれど、もう焦らない。母と一緒に、あの子が抱える恐怖を少しずつ溶かすために――僕たちがやるべきことは、ここから始まるのだから。
ご覧いただきありがとうございます!
もし面白いと思っていただけたら、下部の評価(★)やリアクションをしていただけると励みになります!
次回もよろしくお願いします!




