第20話 ただいまの場所
ぽかぽかとした春の休日。 ひまわり児童養護施設の広々とした芝生の上で、僕たち家族――母、父、そして僕の三人は、結月と一緒に小さなピクニックを楽しんでいた。 それはもう何度目かになる、施設からの一時お出かけ、ショートステイの日だった。 最初は僕の後ろに隠れるばかりだった結月も、今では母の淹れてくれたお茶を飲み、少し離れたところで父と一緒に落ち葉を拾ったりしている。
「結月、お腹空いたろ。父さんが作った特製サンドイッチがあるぞ」
父が少し照れくさそうにタッパーの蓋を開けると、中には不格好ながらも具だくさんのサンドイッチが並んでいた。 父が「ほら、食べるかい?」と差し出すと、結月は嬉しそうに小さく頷き、両手でそれをパクリと頬張る。
「……うん、おいしい」
「おっ、本当か? よかったな!」
「……うん。おじさんのつくるサンドイッチ、すき」
その言葉を聞いた瞬間、父は「おじさん、か……」なんて言いながらも、隠しきれない満面の笑みを浮かべ、照れくさそうに頭をかいていた。 その様子を、母も優しく見守り、僕はその穏やかな光景を眺めながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
――もう、大丈夫だ。この人たちなら、結月の凍てついていた時間をゆっくりと溶かしていける。
そして、季節は巡り――
いよいよ正式にお迎えの日がやってきた。 ひまわり児童養護施設の大きな門の前。僕たち家族の横で、職員の佐藤さんが笑みを浮かべて立っている。
「……お疲れ様でした。これで、すべての手続きは完了です」
佐藤さんは手元の最終書類を母に渡し、それからゆっくりと視線を下げて、目の前に立つ結月に目を合わせた。 佐藤さんは、結月の頭をそっと、優しく撫でる。
「結月ちゃん。これからは、この人たちがあなたの新しいおうちの家族だよ。たくさん甘えて、たくさん美味しいものを食べて、元気に過ごすんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、結月の瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれ落ちた。小さな肩が震え、次から次へと涙が溢れてくる。 それは、ここで寂しい思いをしてきた涙でも、不安な涙でもない。ずっと自分を一番近くで守り、温かく支えてくれた佐藤さんとの別れの寂しさと、「私はもう、一人じゃないんだ」という安心感が入り混じった感情だった。
「……さとうせんせい……ありがとう……」
結月はぐっと小さな袖で涙を拭い、絞り出すような声でお礼を言った。 佐藤さんは少しだけ目を赤くしながらも、優しい笑みを浮かべて首を横に振った。
「泣かないの。――それにね、いつでも、元気な顔を見せに遊びにいらっしゃい」
「……うん!」
結月が、ぐっと力強く頷いた。その小さな背中には、もう怯えていた頃の面影はなく、新しい一歩を踏み出す確かな強さが宿っていた。
星野家の玄関。 太陽の光が差し込むその場所に、僕たちは帰ってきた。 結月は、これまでずっと一人ぼっちの不安な夜を越えるとき、肌身離さず握りしめていたボロボロのクマの人形をそっと両手で持っていた。
けれど、もう怯えながらそれを抱きしめる必要はない。 結月は小さな足取りで玄関の棚の端に歩み寄ると、そこにそのクマの人形をそっと、大切そうに飾った。 まるで、「今まで守ってくれてありがとう。これからは、この家で見守っていてね」と語りかけるように。もう過去の孤独にしがみつかなくても、自分を真っ直ぐ包み込んでくれる温かい場所がここにあるから。
玄関に小さな靴を脱ぎ揃え、キョロキョロと新しい我が家を見回す結月に、僕は優しく微笑みかけ、そして告げた。
「ここが今日から君が帰って来る場所だよ。――おかえり」
結月はぱっと顔を輝かせ、初めて出会った頃のぎこちなさのまったくない、心からの笑顔を浮かべて――まっすぐに答えた。
「……ただいま」
窓の外から差し込む温かな光が、新しい家族の日常を優しく包み込んでいた。
ご覧いただきありがとうございます!
もし面白いと思っていただけたら、下部の評価(★)やリアクションをしていただけると励みになります!
次回もよろしくお願いします!




